41 最後の戦い
果てしなく広がる薄暗い大荒野。
大きな、そして重苦しい雲が天を覆っている。
遥か東方には赤茶けた大山脈がそびえ、西方は地平線の彼方まで荒地が続く。
荒地の北から東に向け大きな河川が蛇行しており、河川の一部、東側の一帯は広い湿地となっている。
点々と、枯れ腐った茅のような植物が群生しているのが見える。
我が軍は聖堂騎士団を含め、10,000。
西から東へと進み、大要塞に帰還するその最中。
無事に逃げ切ることはできなかった。
敵軍の動向を探り、最新の注意を払い接敵を避けていたにもかかわらず、ついに敵軍は我が軍に追いついてきた。
敵軍は8,000。
以前の情報によれば15,000とのことだったが、驚異的な進軍速度を確保するために、足の遅い兵を切り捨て、8,000のみが戦場にたどり着いたとのこと。
激怒皇帝が率いる敵の本軍は横列陣を組み、河川の手前、我々から見て北側に陣取り我が軍と対峙している。
なお、敵軍の暗黒騎士団は別働隊として戦場の東側から近づいているそうだが、幸いなことにまだ敵本軍に合流していない。
数日前の伝令の話によれば、この戦場からは未だ遠いところにいるとのこと。
が、本日の伝令の話によれば、この戦場から直線距離にしておよそ一日の距離にいるとのこと。
もっとも、戦場の東側には大きな河川があり、近くにこれを渡河するための橋梁はない。
しかも、このぬかるんだ湿地帯を大軍が渡河するのは無理だろう。
そうなると、暗黒騎士団が戦場に合流するには、橋梁を目指して大きく北側へ迂回しなくてはならない。
実際に暗黒騎士団がこの戦場に到着するのは、早く見積もっても二日後だろう。
となれば、敵軍が一つにまとまるよりも早く、敵軍が分散している今のうちに敵本軍を撃破する必要がある。
戦力はこちらが上。
しかし、こちら側にも不安要素はある。
こちらには指示の通りにくい聖堂騎士団がいるのだ。
はてさて。
北の神聖帝国軍に対し、我軍は南に横列陣となって対峙する。
我が軍は3つの軍からなる。
東軍は聖堂騎士団。不安の材料でもある。指揮者ドノソ卿とは意志が通じるとは思えない。総勢2,000。
中央軍はペーター王が率いる。ドゥーエとイェルドが補佐する。総勢3,500。
ついでに使い所がいまいちわからない重装騎兵500をつけておく。
西軍。俺が率いる。アウグスタとヴィゴが補佐する。総勢4,000。
全軍の総指揮も俺が執り行う。
配置の間、相手はこちらを待っていてはくれない。
こちらが配置を完了した時分には、早くも敵味方の距離は300mを切っていた。
今回は急場のことであり、カタパルト、バリスタを用意する間もなかったため、弓兵のみで相手を威嚇する。
敵軍は弓兵での応酬を始めるが、応酬しながらもガンガン押し寄せてくる。
単純な力押しと思いきや、少し変な横列陣で歩兵が前進してくる。
敵横列陣の西側がやけに前面に張り出しており、しかもその縦幅が非常に厚い。
逆に東側はだいぶ後ろに取り残されており、しかも縦幅は薄い。
要は、我軍の西軍を集中的に食い散らかすつもりなんだろう。
西軍は俺の受け持ちじゃないか、くそっ。
こちらも押し負けないよう、ペーター王を通して、すぐに前進を開始。
見る見る間に彼我の距離は縮まっていく。
残り100m。
しかし。
聖堂騎士団が前進していない。
どういうことだ、あれは?
「ペーター王から伝令です。聖堂騎士団は前進をしないとのこと。曰く『神はいっている。ここで動く定めではないと』」
意味がわからない。
西軍に主力をぶつけてきた以上、敵の東軍は守りが薄い。
ならば、東軍をぶち抜くのが定石。
東軍の聖堂騎士団が前進して相手を打ち破ってくれないと、西軍が耐え抜く意味がなくなってしまう。
「無理矢理にでも前進させろ! 加えて、軽騎兵を使って敵東軍を包囲殲滅せよ」
ブーーン!
何の脈絡もなく、大きな物体が飛んでくる。
その瞬間、アウグスタが俺に思いっきりぶつかる。
俺は体勢を崩し、その場に転ぶ。
俺の鼻先を巨大な槍がかすめて凄まじいスピードで通り過ぎていく。
あのまま突っ立っていたら、串刺しになっていたということか。
槍の向かってきた先を見ると。
敵の重歩兵の先頭を走る大柄な男。
目を剥き、怒髪は天を衝く。
凄まじく巨大なハルバードを片手に悪鬼の形相。
「激怒皇帝が来た!」
ついに、前線が噛み合い、歩兵同士の白兵戦が繰り広げられる。
しかし、いつもと違う。
我が軍の重歩兵の横列陣がもろく崩れたのだ。
まるで、敵軍の侵攻に歯止めが効かない。圧倒的な敵軍の突破力。
次々に横列陣がぶち破られ、じりじりと後退を余儀なくさせられる。
「ガッハッハッハ!!」
激怒皇帝が先陣を切り、右手だけでハルバードを右に左に一閃。
重量感を感じさせる動きで、しかし、その凄まじい加重をものともせず、激しく立ち回っている。
我が軍の兵士が冗談のように弾き飛ばされる。
まるで無人の野を行くが如く。
俺の目と鼻の先まで迫る。
その時、ハルバードの一閃を受け止める者が一人。
ようやく、激怒皇帝が立ち止まった。
緑の短槍。
「ほう、余の一撃を耐えるか」
「よう。俺ぁ、ヴィゴってんだ。よろしくな、激怒皇帝さんよ」
右に左に鋭く短槍を回転させる。
しかし、その顔にはいつもの余裕がまるでみられない。
いっぱいいっぱいのようだ。
「ならば貴様の頭蓋を叩き割るまで、遊びの相手をしてやろうではないか、ガハハハ!」
アウグスタが無言のまま、俺の側から離れ、激怒皇帝に向かって駆けていく。
敵将が目の前にいるんだ。
ここで討ち取ってしまえば、全てが決する。
一対一なんてそんなことはいってられない。
頼んだぞ、アウグスタ。
ヴィゴはハルバードの2撃目を短槍を縦にしてかろうじて耐え抜く。
しかし、激怒皇帝はなんの躊躇もなく無造作に3撃目。
ヴィゴはしゃがみ込み、ハルバードの切っ先は空を切る。
4撃目、5撃目、6撃目。
次々に繰り出されるハルバード。
ヴィゴは防御に徹しているが、次第次第に追い詰められていく。
7撃目。
ついにヴィゴの短槍はハルバードの餌食となり、くの字に折れ曲がってしまう。
短槍に添えていた左腕もあらぬ方向に曲がっている。
「やだねぇ。こういう損な役割は、いつだって俺に回ってくるんだよなぁ」
大勢対大勢の戦いであるはずなのに、確実にこの二人を中心に戦場が成り立っている。
きらめく白閃剣。
迅雷が激怒皇帝に襲いかかる。
しかし、激怒皇帝はまるで慌てた様子もなく、ハルバードで迅雷を切り裂く。
切り裂けるものなのか? いやおかしいだろう。
人間離れしている。
アウグスタもとまどうこともなく、腰を低く落とし、超速で激怒皇帝の懐に滑り込み、ハルバードの一撃を避けながら、下から上への一閃。
確実にとったはずのその一撃は、むなしく空を切る。
同時に。
アウグスタはいやというほどの足蹴りをその胸に食らい吹き飛ばされる。
アウグスタがやられている姿を初めて見た。
これはやばいのかもしれない。
アウグスタが空を舞う、その滞空中。
ヴィゴが異様な緑の曲刀を引き抜く。
ヴィゴはニヤリとする。
その瞳は遠目で見てもわかるほどに、怪しく赤く輝き始める。
「俺に抜かせたことを後悔するがいい、このクソがっ」
空間が歪むような感覚。
曲刀はありえない軌跡を描き、激怒皇帝の右手に傷を負わせる。
同時に。
ヴィゴの左隣から、アウグスタが鉄砲玉のように飛び出し。
すれ違いざまに激怒皇帝の右足腱を切り裂く。
アウグスタは一回転し、激怒皇帝の背後に立ち上がり、さらに飛び上がり、迅雷を走らせフルグルを激怒皇帝の脳天へ。
ヴィゴはさらにゆがんだ円弧をくねらせ、激怒皇帝の鋼鉄のガードをくぐり抜け、心の臓へ一突き。
ハルバードが最短の動きで回転する。
その柄の先がアウグスタの顎を強打。
同時に、ハルバードの穂先は緑の円弧を弾く。ヴィゴごと空中へ弾き飛ばす。
「つまらん。身の程をわきまえろ! 虫けら共が」
まるで、とどまらない暴走機関車。
誰か、こいつを止められるものはいないのか。
こんな局所的な戦いで全てが決まってしまいそうだ。
あわや、ヴィゴがハルバードに突き刺されるその瞬間。
強い衝撃を受け、ハルバードが軌道をそらされる。
「久しぶりだな、忠犬よ。貴様がしゃしゃりでてくるとは愉快なことだ。せいぜい吠えてみせるが良いぞ、ワッハッハ」
現れたのはドゥーエ。
激怒皇帝とは知り合いのようだ。
その顔はそれでも無表情を通す。
双剣がともに引き抜かれている。どうやら、本気のようだ。
自己紹介を交わすこともなく、すぐさま、激怒皇帝はハルバードをドゥーエの脳天目掛けて振り下ろす。
軽くその攻撃をかわすドゥーエ。
何事もなかったかのように、双剣をきらめかせる。
既にその時には、激怒皇帝は腹部に大きな切り傷を負っている。
「貴様、生きて帰れると思うな」
「やめておけ」
振り上げようとしたハルバードが動かない。
激怒皇帝の背後には。
カエサル。
ハルバードの柄をガッチリ掴んでいる。
身動きの取れない激怒皇帝。
ぼろぼろになったヴィゴとアウグスタが唖然としてその様子を見ている。
「貴様も生きていたというのか?」
カエサルを凝視し、初めて恐れの表情を見せる激怒皇帝。
カエサルは、柄を離す。
激怒皇帝も攻撃を再開することなく、佇んでいる。
「クカカカ。これは面白い。貴様ら二人をいまここでまとめて始末してやれるとはな。ようやく俺の真の力を解放する機会を得られたッ」
言うが早いが、激怒皇帝はハルバードを捨て、拳を丹田の前で握りしめ、口をへの字に曲げ、前進に力を充満させる。
みるみる間に腕が赤黒く変色していく。
異常なほどに体躯が拡大していく。
盛り上がる胸筋。背筋。太もも。ふくらはぎ。
まるでうろこのようなものに変化していく肌。
途端に双剣を構え直すドゥーエ。
それよりも早く、ドゥーエのみぞおちに炸裂する激怒皇帝の拳。
激しく吹き飛ばされるドゥーエ。双剣は砕け散っている。
それでも、ドゥーエは強靭な背筋によりひらりと一回転し、地に足をつける。
右手が垂れ下がる。どうやら肩を外されたようだ。
カエサルと激怒皇帝は取っ組み合いを開始する。
カエサルの鋼鉄の右腕をねじり始め、もがくカエサルを地に叩きつける。
嫌な音を立てて、カエサルの右腕はひしゃげていく。
「ハハハ。どうした? もろすぎる。こんなものだったのか? お前の力は? もっともっと俺を満足させてみろよ!」
もうやめてくれ。
ハーー、スッス。
大きな呼吸音が聞こえる。
ドゥーエは静かに佇む。
無表情で肩を強引にはめ直し、カエサルを組み伏せる激怒皇帝の背後に背後霊のごとく突っ立っている。
激怒皇帝の背中に素早く、ためらいなく両の平手をぴたっと、あてる。
途端に激怒皇帝の大きな背中が弾け飛ぶ。
背中からはどろどろと赤黒い液体が流れている。
鋼鉄のうろこをまとった激怒皇帝を内部から破壊したのか。
あれは師匠の?
感動を覚えている時間はない。
激怒皇帝軍の斜線陣が火を吹く。
敵重騎兵が、敵重歩兵の背後から押し寄せてきた。
「槍衾形態!」
あらん限りの大声で俺は叫ぶ。
音楽隊がホルンを鳴らす。
すぐに横列陣は、崩れた箇所を整形し、槍衾を形成する。
突貫してくる敵重騎兵と激しい衝突を繰り広げる。
そして、直後に激しい白兵戦。
「今のうちに負傷したものを救助してくれ!」
俺は英雄たちが生き残っていることを切実に願う。
「伝令! 我が軍軽騎兵の奇襲成功! 敵東軍は北西に後退していきます!」
戦況は刻々と変化していく。
近衛兵に高台を用意させ、戦場全体に目をやる。
東側の聖堂騎士団は相変わらず、おずおずとその場に留まり腐っている。
しかし、我が軍の軽騎兵が敵東軍を食い破ってくれている。
このまま敵西軍の後背に回り込んでくれれば、こちらの勝利。
いや。
そうでもないようだ。
むしろ誘い込まれたのかもしれない。
敵西軍ははるかに前進し、敵東軍ははるかに後退している。
開戦時には敵味方とも、東西一直線だった横列陣が今はいびつではあるが、南北一直線。
反時計回りで回転したといえる。
我軍は、北から、軽騎兵隊、イェルド率いる中央軍、俺が率いる元西軍となっており、後背にペーター王と取り残された聖堂騎士団が控える形になっている。
一方の敵軍は、開戦時、東軍に主戦力を投入していたところを、今現在は均等に兵を分散させ、南北戦線を維持している。
何が狙いだ?
我が軍の軽騎兵隊は、修復された敵の南北横列陣を前にして、容易にはその後背を突けない。
それだけか?
我が軍の後背、東側には大きな湿地帯が広がっている。
我が軍をそのまま湿地帯に押し込む腹づもりか?
させんぞ!
素早く戦場全体に再度目を向ける。
何か。何か打開策はないか。
どこかに楔を打ちたい。
敵軍は、無理な戦線の旋回をした。いびつさが如実に現れている。
特に敵南軍と敵中央軍との間。
深い溝が入っている。ここを攻撃すれば。
「ペーター王から伝令です。重騎兵を率い敵軍の間隙を突破する、とのこと」
「深入りはせぬようにと伝えてくれ」
後背から重騎兵500を率いたペーター王が、電光石火の勢いで敵南軍と敵中央軍の深い溝に楔を打つべく突貫していく。
目論見通り。
あっさりと敵軍の薄皮をぶち破っていく。
しかし、敵軍の対応も迅速。
まだ、総指揮官である激怒皇帝は死んでいないのだろう。
すぐに、薄皮の修復に取り掛かり、やがて、ペーター王率いる重騎兵隊の動きが鈍くなる。
「アウグスタ様、ヴィゴ様、ドゥーエ様、カエサル殿、全員無事とのことです」
負傷したアウグスタとヴィゴが続いて運ばれてくる。
吉報といっていいだろう。
俺も内心ほっとする。
さぁ。巻き直し。
そして巻き返しだ。
厚い雲の下、敵軍の中央を睨みつける。
その時だった。
はるか遠方から大きな蹄の音がする。
それは、東の湿地帯の向こう。
東方対岸に、土煙とともに漆黒の部隊が現れたのだった。




