03 森の道
長らく思索に耽っているものの、斧の切っ先は未だに俺に届かない。
カエサルは進み出て、俺に背を向け盗賊の頭と対峙する。
無造作に差し出した右手でもって、繰り出された斧の一撃を受け止めてしまう。
カエサルは、自然体で突っ立ったまま斧の切っ先を把持する。
盗賊の頭は、斧の主導権を取り戻すべく、真っ赤になって斧の柄を引っ張っる。
しかし、びくともしない。
「やってしまえ!」
カエサルは、斧を強引に手元に引き寄せる。盗賊の頭がつられてつんのめったところを、カエサルの右ストレートが炸裂する。
盗賊の頭は、一撃をもろに食らい、森の奥へとぶっ飛んでいった。
残された盗賊達は、しばらく呆気に取られている。
随分と時間が経ってから、彼らはようやく我に返る。
「ごめんなさーーいッ!!」
彼らは、散り散りばらばらになって、逃げ去っていったのであった。
ところで、公爵は、俺を王城に招くと言った。
王城とは、一体どんな場所なのだろうか。
俺は、思わず期待を寄せてしまい、警戒すべきところを警戒せず、素直に彼らに付き従う。
あまりの非日常にあてられたせいだろう。我が事ながら、この時、俺は、すっかりと頭のネジが外れていたのだ。
真っ暗な原生林の中を、松明だけを頼りに歩いていく。
道は酷く荒れており、盛り上がった木の根がいちいち行く手を阻む。
「召喚の儀式を執り行ったところ、森の廃神殿に流れ星が落ちたという報告を受けました。急いで廃神殿に向かい、なんとそこで、メルクリオ様とお会いする奇跡に巡り合わせたのです!」
アルが一生懸命になって、俺に話し掛けてくる。
話の内容をまとめると、だいたいこうだ。
アルの叔父である公爵。
その公爵の子息は、今まで何度も古代英雄の召喚を試みたが、全て失敗した。
もっとも、魔剣エクスカリバーの召喚には成功した。
これを奇貨として、エクスカリバーを依り代に召喚の儀式を行ったところ、俺を召喚できたというのだ。
荒唐無稽な話である。アルは狂人ではなかろうか。
しかし、アルと公爵達との会話を聞くに、アルが狂っているようには思えないし、冗談を言っているようにも思えない。
だとすれば、俺は、やはり異世界に召喚されたのである。
しかも、古代の英雄を召喚したつもりが、ひょんなことから俺が召喚されてしまったのである。その上、そんなお呼びでない俺が、古代の英雄と勘違いされ、やけに持てはやされているのである。
徐々に酔いが冷めていく。
なんだか、まずいことに巻きこまれているのではないだろうか。
「ところで、随分と歩いたが、城まではまだまだなのだろうか?」
「そんなことはありません。明け方には森を抜けられるでしょう。森を抜ければ、すぐに砦があります。そこで馬車を用立てれば、後は、お城まで半日ほどです」
半日ほど?
随分と気の長い話である。
それはさておき、廃神殿から遠く離れてしまうと、戻るのも一苦労する。
今なら簡単に戻れる。廃神殿に戻りさえすれば、おそらく元の世界に引き返すこともできる。
王城とやらに興味はあるが、しかし、背に腹は代えられない。
今こそ、決断の時ではないか。
「兄上も、宰相も、城の皆がメルクリオ様と会えるのを楽しみにしています」
俺の思惑を先回りして潰すかのようにして、アルが続ける。
「しかし、私は……」
「でも、この時代で、一番初めにメルクリオ様とお話ししたのは僕です。だからこそ、僕が責任をもってメルクリオ様を皆に紹介しなくちゃいけない。そしたら、皆はどんなに驚くことだろう……」
「私は人気者なのかな?」
「それはもう、双剣のメルクリオと言えば史上最強ですから! 軍神ですから!」
俺は、中肉中背の男である。決して鍛えているわけではない。それに加えて、日々の平穏を愛する男でもある。血なまぐさいものは大嫌いである。
どこをどう解釈すれば、軍神などという野蛮な輩と勘違いできるのだろうか。
しかしながら、俺は、手放しで褒めそやされる経験に乏しい。
そのせいもあってか、純然たる尊敬の眼差しを向けられ、次第に心地よくなっていく。
「ふむ。この時代に、私を熱くさせるような武人がいればよいのだが……」
無論、わかっている。アルの尊敬の眼差しは、勘違いに端を発することを。
だが、今しばらく。しばらくの間だけならば、甘い汁を吸ったとしても、罰が当たるものではないだろう。
「危ない!」
俺は、何でもない木の根につまづいて、前のめりに転びかける。
後ろを歩く少年が、俺の手を取り、身体を支えてくれる。
「らしくないのではないですか?」
俺より一回り小さな彼が、嘲笑しながら一言入れてくる。
後ろでくくった赤髪に、そばかすの残る童顔。愛嬌のある顔である。
しかし、その眼光は、俺を射抜くような鋭さであり、俺に対して如実に語り掛けてくる。
すなわち、お前は本物じゃない、と。
しばらくして、ずんぐりは、疲労困憊の俺を見かねたのか、口を開く。
「ここいらで野宿ってわけにはいかないんですか?」
「静かに!」
公爵は短く遮り、腰元の剣を抜き放つ。
公爵の家臣達は、一斉に得物を構え、森の奥へと松明を向ける。
どうやら、危険が近づいているようだ。
しかし、いかんせん周囲は暗く、視界は狭い。俺には、危険の正体を察知することはできない。
ただ、自分の身の安全だけを祈り、こっそりと公爵の背にすり寄る。
一瞬の後。
木々の合間から黒い陰影が現れ、そのまま滑るようにして接近してくる。
眼前で空中に跳躍し、アルに飛びかかる。
ルイジの手が僅かに動き、高速の突きが繰り出される。
陰影は器用に体を捻り、体を反らせてこれを避ける。そのまま、地上に降り立つ。
降り立った直後の硬直を狙い、二撃目。
陰影は避けきれず、前足の付け根付近から飛沫を上げる。
ここでようやく、陰影の正体が狼であることを視認する。
大型犬並みの巨躯ではあるが、あばらが浮き出るほどに痩せており、その面構えは獰猛かつ狡猾である。
だらだらとよだれを垂らしている。
しかし、狼は既に怪我を負い、動きに精彩を欠いている。もはや、公爵の相手ではない。
次の瞬間、狼は豪快に飛沫を撒き散らし、串刺しとなっている。
公爵は勝ち誇ることもなく、ただ優美な所作で獲物から剣を引き抜く。
「お見事ッ!」
やせが叫び、見とれていた俺も我に返る。
辺り一面真っ赤である。その中心に、狼の死骸が転がっている。
それを見て、突然に身の毛もよだつ恐怖に取りつかれる。
確かに、今、俺は生死の分かれ目にいた。偶然の結果として、俺は生き、奴は死んだ。
俺が死ぬ未来もありえたのである。
カエサルは俺の服を引っ張って、俺を後退させる。
「グァルルルルルル!」
狼に囲まれている。その数は、視認できるだけでも十頭。いずれも鼻筋に鋭くしわを寄せ、牙を剥いている。
俺達を敵と見做しているのだ。
何とかしなくてはならない。
しかし、俺の手元には、実用性皆無の七色エクスカリバーしかない。
そして、奴ら狼は、盗賊達と違ってトンチの通じる相手ではない。
戦いの火蓋を切って落としたのは少年である。
少年は狼に向けて、ナイフを投擲する。
狼は、これを合図に散開。横に広がったまま、一斉に接近してくる。
あるものは鮮やかに空中に躍動し、あるものはそのまま滑るように足下に迫る。
対するこちらは、やせ、ずんぐり、公爵が前衛となって狼の相手をする。
その後ろで、少年がアルを守護している。
そこから少し離れて、カエサルが俺を守ってくれている。
狼は、やせの突き出した槍をかいくぐった後、跳躍し、やせの喉元を狙う。
そこを待ってましたとばかりに、ずんぐりが剣をフルスイング。剣の腹で狼を思いっきりはたく。
狼は、回転しながら危なげなく着地する。
その着地の瞬間を狙いすました公爵の刺突は、しかし空を切る。
別の狼が公爵に体当りし、公爵は狙いを外されたのだ。
一進一退の攻防の中、別の狼三頭が前衛をかいくぐり、後衛へと向かう。
迎え撃つ少年は腰を低く落として、勇敢にも短剣を構えている。
狼の体躯は、いずれも少年を超える巨大さである。はたして、彼はアルを守り切れるのだろうか。
ところで、俺とカエサルは、完全に蚊帳の外である。
力になりたいとは思う。だが、俺はそもそも一般人だ。この場を鎮める武力もなければ知恵もない。このような戦場で、何もできないのは当たり前のことであり、仕方がないことである。
だから、俺には何も期待しないで欲しい。
一方のカエサルは、突如躍動し、俺の側を離れる。
そして、僅か数歩でアルの側にたどり着く。しかし、ただただ無造作にアルから剣を取り上げ、それをそのまま天に掲げる。
閃光がほとばしる。
それは、尋常ではない。明らかに意思をもった放電である。
無数の光の枝を伸ばし、無軌道に、そして周囲を埋め尽くすようにして拡散する。眼が眩むほどの光量にあてられ、俺は、一時的に視力を失う。
一呼吸の後、落雷による凄まじい破砕音が森中に響き渡る。
視界が戻らない。耳鳴りがする。
焦げた匂いが充満している。
何も動く気配がない。
随分と経って、視界が回復する。
至るところで、放電現象が継続している。
カエサルは、相変わらずアルの傍に立っている。
黒焦げの狼が十頭。あちらこちらに転がっている。奴らは、微動だにしない。
公爵も、公爵の家臣達も、目を見張って俺を見ている。
何かしてしまったのだろうか。
「なんと馬鹿げた力。これが古代英雄なのか……」
少年が小さく呟く。
俺の手は震えている。無自覚のうちに、死の恐怖に打ち震えていたのだ。
格好の悪い事である。
誰の目にもつかないように、こっそりと震える右手を体の後ろに隠す。
アルは、俺の顔を覗き込んで話し掛けてくる。
「ありがとうございます。メルクリオ様がいなかったら僕は今頃……」
「え?」
「貴方は素晴らしい人だ!」
「私?」
「カエサルの力はメルクリオ様の力です。でも、僕は知りませんでした。メルクリオ様が、まさか、雷までも操るとは」
「……」
「その剣はもう君のものだよ! カエサル!」
どうやら、カエサルが雷を放って、狼を黒焦げにしてくれたようだ。
そして、その結果は、俺の力によってもたらされたものだと、彼らに勘違いされている。
もっとも、その強者であるところの俺は、未だに強張った体を動かせずにいる。
しかしながら、表情筋だけを動かし、営業で培った笑顔を作る。
「皆が無事で何より」
公爵の家臣達も、危機を乗り越え、すっかりと安堵している様子。
そこで、公爵は一同を急かす。
「畜生の事です。またいつ襲ってくるとも知れません。先を急ぎましょう」
泥のように眠りたいのをこらえ、さらに前進する。
彼らは、決して超人的な戦闘力を持つわけではなく、決して我々は死なないという自負があるわけでもない。
であるのに、死を恐れてはいない。ただ、そういう可能性もあるものと、受け容れてしまっているのだ。
これは、彼らが、いつ死んでもおかしくないような死と隣り合わせの世界で生きてきたことを意味する。
そんな世界に俺は迷い込んでしまった。
俺が、仮に単独行動をとった場合、俺の命の保証はどこにもない。つまり、彼らから離れることはすなわち死を意味する。
そして、彼らが俺を優遇するのは、俺が英雄メルクリオであると勘違いしているからである。
仮に、彼らが、俺のことをメルクリオでないと見抜いてしまったら、俺は彼らに捨てられてしまうだろう。
ならば、彼らにしがみつくため、俺は、英雄メルクリオとやらを、今しばらく演じていかなければならないのだ。
森の小道は、やがて小川にぶつかる。
小川の底には川魚の影が見える。山鳩らしき鳥の鳴き声も聞こえる。
辺りはぼんやりと明るくなってきた。もっとも、森には霧が立ち込めており、相変わらず視界は悪い。
しばらく川沿いに進むと、森の入口に数名の兵士達が控えている。
「アル様、よくぞお戻りになられました!」
大きな声で元気がいい。
だが、徹夜明けの今は、やけに耳に響く。
「メルクリオ様も一緒なんだ」
「えっ!」
兵士達は言葉を失う。
「辺境伯が、砦にて皆様を待っています」
ようやく朝日が昇り始める。
森を振り返ると、遠くの赤い山脈を借景に、黒ずんだ木々が延々と広がっている。
なお、この日の空はどこまでも青く、一朶の雲もなかったのであった。




