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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
最終幕 神秘主義者
287/288

19 奪還のフィラルモニカ

 豪炎は至る所に着弾し、すぐさま独立して燃焼を開始する。

 砦内は、一瞬にして、豪炎に覆われ、地獄の様相を呈する。


「落ち着け! 我々は……」


「どいてくれ!」


 やにわに、背を押される。


「食料に火が着いた!」


「南の出口も火の海だ!」


「城壁から堀に飛び込むか?」


「こんなところに来なければ……」


「もうお終いだ!」


 兵士達は統率を失い、我先にと逃げ場を指向する。しかしながら、酷い煙が視界を阻み、逃げ場を見つけるのも至難の業である。

 その結果、兵士達は無意味に右往左往している。


 ドラゴンは悠然と空中を旋回している。

 と思いきや、唐突に咆哮する。

 

 腹の底にまで響く重低音であり、それだけで肝が冷えるほどである。

 そのため、兵士達は、極度の恐慌状態に陥る。中には、ばったりとその場に倒れ伏す者もいる。

 もはや、制御しようもない。


 ところで、天空を舞うドラゴン。

 見覚えがある。

 あれは、紛れもなく激怒皇帝イェルドの化身である。


 いきなり、最強が自ら襲撃をかけてきたのである。

 我々は、情けなくも先手を取られたのである。


 しかし、イェルドはいずれ倒さねばならない相手である。

 それは回避しえない事実。

 一体で乗り込んできたというのであれば、これは奴を討ち取る絶好のチャンスともいえる。


 とはいえ、我が軍は今総崩れである。

 そして、何よりも、我が軍の兵士達は、戦いの目的を理解しないまま、あやふやな覚悟で従軍している。

 彼らを、この戦いに巻き込んでしまってよいのだろうか。

 

 いずれにしても、迅速に判断し、指揮を下さねばならない。

 でなければ、不必要に損耗が拡大するばかりである。


 そうだ。

 戦いに向かうばかりが戦略ではない。

 この戦力でもって、一時的に撤退する。

 南の砦に移って、力を蓄え、再起を果たす。

 

 しかし、一度砕けた勇気が、今後、復活することなどあるのだろうか。

 未来は、現在よりも、深く果てしない暗黒に閉ざされているのである。


 それでも、俺は殊更に首を振る。


「退路は、私が切り開く!」


 俺は、踵を返す。


「その指示には従えません!」


 俺に対峙するのは、義賊団の少年である。


「何を言う?」


「あれを見てください!」


 少年が指さすのは、監視塔の屋上である。

 そこには、巨大なバリスタが設置されている。その操作を担うべく、ビルヒリオの私兵が集っている。

 監視塔の麓には、ディーノと傭兵達が集まっている。周囲の構造物を破壊し、延焼の危険を取り除いているのである。


 彼らはイェルドに対する徹底抗戦の姿勢を崩さない。


「ならば、私に付いてきてくれるか?」


「むしろ、付いてくるのは貴方です」


「私は前衛だ! 気合を入れろ!」


「おぅ!」




 俺と少年は、2棟目の監視塔を目指す。

 義賊団の生残りを巻き込んで、バリスタを起動させる。


 改めてイェルドを睨む。

 その姿は雄々しく攻撃的である。とはいえ、よく見ると、その翼には多くの傷がある。

 隠しきれぬ老いを感じさせるのである。


 巨大な鉄槍を装填し、合図とともに発射する。

 併せて、別の監視塔から鉄槍が放たれ、さらに別の場所からも放たれる。


 イェルドは、これらを全てかわして、優雅に上空を舞い続ける。

 地上を睨み、何かを探しているかのようである。


「諦めるな! 次弾装填!」


 俺が自ら合図を送り、義賊達が鉄槍を掲げる。

 

 次弾を放つ直前。

 背後の家屋から、鋭いレーザーが放たれる。

 あれは、ブリジッタのものである。


 イェルドは軌道を変えて、難なくレーザーを逃れる。

 それでも、レーザーはその角度を修正し、イェルドを追いかけていく。

 とはいえ、レーザーの出力がいつまでも持つとは思えない。


 俺は、自らバリスタの角度を調整する。


「読める! 軌道が読めるぞ! 合図とともに矢を放て!」


「おぅ!」


「3、2、1!」


「食らいやがれ、蜥蜴野郎!」


 レーザーの光が途切れた瞬間。

 鉄槍が鋭く射出される。

 その軌跡は、落下してきたイェルドを撃ち抜く。


 イェルドから、鱗一枚が剥がれる。

 しかしながら、イェルドは、僅か一枚の鱗でもって鉄槍を弾いたのである。


「諦めるな! 次弾装填!」


 それでも、当たりさえすれば、バリスタによる攻撃が有効であるとわかった。

 俄然勢いづき、砦内の各所から次々に鉄槍が放たれる。


 イェルドはこれを嫌ってか、大きく羽ばたき高度を上げる。




 ところが、その上空の雲を割って、新たにドラゴンが現れる。

 その数4体。その体躯は、イェルドの3分の1ほどである。

 しかし、その小ドラゴンには、戦士が騎乗している。


「あれは、エルドリア竜騎士団!」


「さらに、厄介な奴が現れた!」


 彼らは、イェルドの直属の戦士である。


「諦めるな! 次弾装填!」


「おぅ!」


 ところが、小ドラゴン達は、ある者はイェルドの翼を押さえつけ、あるものは頭部に噛みつきにかかる。

 イェルドは大きく震えて、これらの小ドラゴンを跳ねのける。

 それでも、小ドラゴン達は怪鳥に群がる蜂のようにして、しつこく攻撃を繰り返す。


「撃つな! 彼らは我らの仲間だ!」


 イェルドは大きく羽ばたき、大きな推力を得て小ドラゴン達を引き離す。

 そして、一転して旋回する。

 鎌首を挙げて、こちらを一睨み。


「監視塔を放棄! 撤収撤収!」


 俺は大声を上げる。

 イェルドは、俺の監視塔に向かって真っ直ぐに特攻を仕掛けてきたのである。


 義賊達が階段を下りるも、最後に残った俺は、逃げようがない。

 もう、イェルドの巨大な口は目前にまで迫っている。


 視界を覆いつくすほどの豪炎。

 凄まじい熱波が、俺を襲う。




「大丈夫かい?」


 俺は、勢いよく身体を起こす。

 顔をあげれば、側に砦がそびえている。


「ここはどこだ?」


 砦の外であることは間違いない。


「ここは……」


「負けたのか?」


「まだ戦闘中だよ」


 周囲には、三人と一匹の小ドラゴンが控えている。

 いずれも見覚えがある。


「竜騎士セリア」


「ニーベルンゲンがキャッチしなけりゃ、君は死んでたよ」


「感謝する。そして、お前は、マッテオ・レオナルディだ」


「下らん戦いに巻き込みやがって」


「そして、赤毛のエリオ……」


「私は、閣下を信じていました」


「何故、ここにいる?」


「世界を守るためです」

 

「大層なことだ。それはさておき、戦況がわかるか?」


「閣下。あちらをご覧ください」


 砦の北壁が大きく割れている。

 あんなことが出来るのは、竜に化けたイェルドだけであろう。

 そして、その割れた一角に、帝国ネアの軍勢が雪崩れ込んでいる。


「なんと!」


 俺は思わず立ち上がる。


「陥落は必須。我々だけでも撤退しましょう」


「しかし、私は前衛だ」


「閣下らしくもない。戦略を練りましょう」


「絶対に引いてはならぬ時がある。今がその時だ」


「死に急いではなりません!」


「何の音?」

 

 セリアの呟きに背後を振り返る。

 遠くに、人影が見える。その数、百人ほど。

 しかも、彼らは全力疾走で駆けてくるのである。


「ラケデモン!」


 独特の兜に円盾を背負っており、その兵装からして明らかにそれとわかる。


「うぉおおおお!」

 

 先頭の化物じみた男が、いきなり鉄槍を投擲する。

 その鉄槍は遥か遠くの帝国兵に向かって一直線に飛んでいき、多くの兵士を串刺しにする。


「我々は、アキレとの約束に則り、レンゾを助ける。今こそ、戦場に名を残せ!」


「おおぅ!」


 彼らは、足を止めることもなければ、俺達に目をくれることもしない。

 明らかな多勢に向かって、全力疾走していくのである。


 マッテオが笑みを漏らす。


「野蛮な連中を飼っている。さすが、レンゾ・レオナルディ」


「逃げたい奴は逃げればよい。私は諦めない」


「口先だけならば何とでもいえる」


 マッテオは、素早く地面に両手をつける。

 そうすると、地面が隆起し、しばらくして10メートルを超える巨人へと変貌する。

 マッテオは軽く指を鳴らし、巨人は帝国軍に向かって歩を進める。


「互いの武運を祈ろう」


 セリアは素早い動きで小ドラゴンに騎乗し、小ドラゴンは羽ばたいて離陸する。

 そのまま、砦の内側へと飛翔していく。


 俺は、エクスクルジオを握る。

 

「舞台は整った!」




 戦況は一変している。

 まず、イェルドの化けたドラゴンが姿を消した。

 その代わりに、場内には多数の帝国兵が雪崩れ込んでいる。


 砦内の兵士達は頑健であり、優秀な指揮官を起点に要所要所を重点的に防御し、圧倒的多数の帝国兵を足止めしている。

 しかしながら、砦内の兵士は10倍の敵を相手に、じりじりと後退を強いられている。

 

 その帝国兵の後背に、ラケデモンの戦士達と竜騎士、さらにはマッテオの操る巨人が食らいつく。

 恐ろしいばかりの勢いで、帝国兵を破壊していく。

 道は開け、やがて、俺は砦内に回帰する。


「まだ生きておったか、虫けらよ!」


 階上に座り込んでいた大男が立ち上がる。

 その片手には、巨大なハルバードが握られている。もう片方の手は、肘から先を失っている。

 ところで、言葉とは真逆に、俺のことを待っていた様子である。


「人を舐めているから足下をすくわれるのだ、ふぐ野郎!」


 エリオがナイフを片手にして構える。

 俺は、エリオを制して、伝令として走らせる。

 

「土産だ!」


 イェルドは予備動作もなく、突然ハルバードを突き出す。

 俺は、避けきれないものの、剣刃でからくも穂先をずらして串刺しを免れる。

 激しい火花が周囲に飛び散る。直後に豪風が俺の皮膚に無数の裂傷を引き起こす。


「ぐ」


「成長していない。これ以上の成長もない。ここで死ね」


 俺は全力で石畳を蹴る。

 そして、家壁を蹴って、空中を回転し、大きく後退する。

 その直後、俺が蹴った石畳は、土くれが現れるほどに深く切り刻まれ、家壁は、凄まじい残響を挙げて家ごと粉砕される。

 巨大なハルバードが、俺を暴力的に追いかけてくるのである。


 俺は、そのまま下り坂を転がる。

 ハルバードはその先を予測して、石畳に大穴を穿つ。

 と同時に、周囲の石畳が崩落し、俺はイェルドとともに落下する。


 着地と同時に、俺は立ち上がり、姿勢を正す。

 周囲3メートル四方の狭い空間である。

 この環境は、長物を振り回すイェルドにとって不利に働く。

 しかも、容易に地上部へ戻ることもできない。


 これは、対イェルドのため、事前に用意していたいくつかの落とし穴の一つである。


「きれいに嵌ったな」


「それで、貴様の墓場を紹介して何とする?」


 不思議なことに、イェルドは冷静である。

 もっとも、真の戦士とは、乾坤一擲でこういった態度をとるものなのかもしれない。


 とはいえ、ここからは処刑の時間だ。

 俺は、奴の懐に踏み入り、手数の多さでイェルドを翻弄してやろう。

 ハルバードが土壁に突き刺されば、しめたものである。

 一方的な戦いになるだろう。


 そうであるはず。

 であるにもかかわらず、俺は奴の領域に踏み込めない。

 圧倒的な強者を前に、俺は委縮しているのであろうか。


 恐るべきことに、イェルドは静かに佇んでいる。


「貴様は、神話を知っているか?」


「は?」


 脳筋の、ありえない一言に俺は戸惑う。


「神々は互いに争い、人間達もこれに付き従った。勝者は、死後もなお戦い続けることが出来るという」


「は?」


 既に理解を超えている。


「アウグスタはメルクリオを下し、覇者となった。そのせいで、真に戦争と呼べる代物は失われてしまった。つまり、人間は、神々から切り離されてしまったのだ」


「じゃあ、今行われているこの戦いは何だという?」


「一方的な蹂躙に過ぎない」


「お前は、その覇者にみっともなく服従したくせに」


「俺が戦える力を手に入れた時には、既に大陸の情勢は決していた。もっと、早く生まれていれば、奴らと戦うことが出来たものを」


「戦いを愛する気持ちは理解できないが、お前が悔しがっていることだけは伝わった。しかし、結局、それは敗者の言い訳だ」


「その敗者に負けるようでは、貴様らに未来はないぞ!」


 イェルドの右脇腹が爛れており、その部分から炎が噴出している。

 それだけで、正気を保つのも難しいほどの熱気がこもる。

 そして、イェルドは躊躇いなく、ハルバードを振りあげる。

 生じた突風が、狭い空間の中で暴れ狂う。


 俺の体は木の葉のように舞い踊る。

 それでも、足を地面につけて、腰を落とす。右手にエクスクルジオ、そして左手でその剣刃を支える。

 

 イェルドは何ら捻ることなく、ハルバードを俺に向かって単純に叩きつけてくる。

 この一撃は、通常人に受け止められるものではない。

 だからこそ、このタイミングでビルヒリオが現れ、この一撃を受け止める算段であった。

 ビルヒリオであれば、この一撃を受けて絶命したとしても、復活できるからである。


 しかし、ビルヒリオは現れない。

 そして、この一撃を避けられる空間もない。

 さらに、運よく生きたままこの一撃を堪えたとて、その後、俺に反撃できる余力があるとも思えない。


 絶体絶命である。

 それでも、奴らを信じるしかない。


 ロードローラーの如き重量が襲い掛かる。

 明らかに耐えうる一撃ではない。全身がそう言っている。


 しかし、この一撃を抑えねば、次の手を失う。

 俺は、これを耐えなければならない。


 手の甲、肘、肩関節、肋骨、膝、足首。

 筋肉は引きちぎれ、メリメリと骨が砕けていく感覚を得る。

 それでも、体は崩れない。漆黒の指輪が全身をつなぎとめてくれている。


「ぐああああ!」


 同時に、地面が隆起する。

 手の平となってイェルドの足首を捕まえる。

 

 間に合ったか。


 ビルヒリオが飛び降りてくる。素早くイェルドの懐に入り、曲刀をイェルドの爛れた脇腹に充てる。

 その曲刀の背を、ディーノが全力で蹴りつける。

 曲刀は、鋼鉄の肉体に深く突き刺さる。


 イェルドの周囲に4枚の鏡が下りてくる。

 レーザーが4枚の鏡を無数に反射して、加速していく。


 しかし、イェルドは俺をハルバードで押さえつけたままである。

 

 その隙を狙って、レーザーがイェルドの心臓を貫く。

 俺は、ハルバードの重圧から免れて、しかし、その場に沈む。

 ビルヒリオが俺を支える。



 

「それで何とする? 戦いはこれからだ」


 イェルドは不敵な笑みを浮かべている。

 その体に何ら変化はない。

 貫いたかに見えたレーザーは、しかし、イェルドを貫くことはなく、ただ周囲に拡散したのである。


 体がひりひりとする。

 イェルドは四肢から炎を立ち昇らせ、さらに高熱を発する。接触面が全てどろどろと溶けていく。

 

 そこへ、地表近くの地層から、大量の水が溢れ出てくる。

 地下水である。

 水流は、大きなうねりとなってイェルドに降り注ぐ。


 泥人形が俺の足首を捕まえ、しなやかな動きで俺を地上へと投げ飛ばす。

 

 と同時に、落とし穴の内部は轟音とともに大爆発する。

 高熱と接触した水流が、瞬間的に急膨張し、大爆発に至ったのである。

 その勢いは凄まじく、周囲は巨大なクレーターを形作る。




「もっと楽しませろ」


「!」


 水蒸気の中から人影が現れる。

 眼前にイェルドがいる。傲然として俺を見下ろしている。

 その周囲を、六魔人が囲んでいる。

 

 戦術は全て吐き出した。

 これ以上に、戦う術はない。この化物を前にして、万策尽きたのだ。


 俺は、エクスクルジオを握り、咄嗟にイェルドに向かって突き出す。

 イェルドはその剣刃を容易く握る。


「俺は、自らの命と引換えに、長い夢から目覚めた」


「……」


「貴様は、どうする?」


「……」

 

 しかし、イェルドはそのまま動かない。

 よく見ると、イェルドの脇腹からとめどなく火が流れ出ている。


 イェルドは空を見上げる。


 天空から、白いものが舞い降りてくる。

 相も変わらずの灰である。


「また、お前の季節だな……」


 焔龍は静かに眼を瞑る。

 そして、灰となって姿形を失ったのであった。

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