19 奪還のフィラルモニカ
豪炎は至る所に着弾し、すぐさま独立して燃焼を開始する。
砦内は、一瞬にして、豪炎に覆われ、地獄の様相を呈する。
「落ち着け! 我々は……」
「どいてくれ!」
やにわに、背を押される。
「食料に火が着いた!」
「南の出口も火の海だ!」
「城壁から堀に飛び込むか?」
「こんなところに来なければ……」
「もうお終いだ!」
兵士達は統率を失い、我先にと逃げ場を指向する。しかしながら、酷い煙が視界を阻み、逃げ場を見つけるのも至難の業である。
その結果、兵士達は無意味に右往左往している。
ドラゴンは悠然と空中を旋回している。
と思いきや、唐突に咆哮する。
腹の底にまで響く重低音であり、それだけで肝が冷えるほどである。
そのため、兵士達は、極度の恐慌状態に陥る。中には、ばったりとその場に倒れ伏す者もいる。
もはや、制御しようもない。
ところで、天空を舞うドラゴン。
見覚えがある。
あれは、紛れもなく激怒皇帝イェルドの化身である。
いきなり、最強が自ら襲撃をかけてきたのである。
我々は、情けなくも先手を取られたのである。
しかし、イェルドはいずれ倒さねばならない相手である。
それは回避しえない事実。
一体で乗り込んできたというのであれば、これは奴を討ち取る絶好のチャンスともいえる。
とはいえ、我が軍は今総崩れである。
そして、何よりも、我が軍の兵士達は、戦いの目的を理解しないまま、あやふやな覚悟で従軍している。
彼らを、この戦いに巻き込んでしまってよいのだろうか。
いずれにしても、迅速に判断し、指揮を下さねばならない。
でなければ、不必要に損耗が拡大するばかりである。
そうだ。
戦いに向かうばかりが戦略ではない。
この戦力でもって、一時的に撤退する。
南の砦に移って、力を蓄え、再起を果たす。
しかし、一度砕けた勇気が、今後、復活することなどあるのだろうか。
未来は、現在よりも、深く果てしない暗黒に閉ざされているのである。
それでも、俺は殊更に首を振る。
「退路は、私が切り開く!」
俺は、踵を返す。
「その指示には従えません!」
俺に対峙するのは、義賊団の少年である。
「何を言う?」
「あれを見てください!」
少年が指さすのは、監視塔の屋上である。
そこには、巨大なバリスタが設置されている。その操作を担うべく、ビルヒリオの私兵が集っている。
監視塔の麓には、ディーノと傭兵達が集まっている。周囲の構造物を破壊し、延焼の危険を取り除いているのである。
彼らはイェルドに対する徹底抗戦の姿勢を崩さない。
「ならば、私に付いてきてくれるか?」
「むしろ、付いてくるのは貴方です」
「私は前衛だ! 気合を入れろ!」
「おぅ!」
俺と少年は、2棟目の監視塔を目指す。
義賊団の生残りを巻き込んで、バリスタを起動させる。
改めてイェルドを睨む。
その姿は雄々しく攻撃的である。とはいえ、よく見ると、その翼には多くの傷がある。
隠しきれぬ老いを感じさせるのである。
巨大な鉄槍を装填し、合図とともに発射する。
併せて、別の監視塔から鉄槍が放たれ、さらに別の場所からも放たれる。
イェルドは、これらを全てかわして、優雅に上空を舞い続ける。
地上を睨み、何かを探しているかのようである。
「諦めるな! 次弾装填!」
俺が自ら合図を送り、義賊達が鉄槍を掲げる。
次弾を放つ直前。
背後の家屋から、鋭いレーザーが放たれる。
あれは、ブリジッタのものである。
イェルドは軌道を変えて、難なくレーザーを逃れる。
それでも、レーザーはその角度を修正し、イェルドを追いかけていく。
とはいえ、レーザーの出力がいつまでも持つとは思えない。
俺は、自らバリスタの角度を調整する。
「読める! 軌道が読めるぞ! 合図とともに矢を放て!」
「おぅ!」
「3、2、1!」
「食らいやがれ、蜥蜴野郎!」
レーザーの光が途切れた瞬間。
鉄槍が鋭く射出される。
その軌跡は、落下してきたイェルドを撃ち抜く。
イェルドから、鱗一枚が剥がれる。
しかしながら、イェルドは、僅か一枚の鱗でもって鉄槍を弾いたのである。
「諦めるな! 次弾装填!」
それでも、当たりさえすれば、バリスタによる攻撃が有効であるとわかった。
俄然勢いづき、砦内の各所から次々に鉄槍が放たれる。
イェルドはこれを嫌ってか、大きく羽ばたき高度を上げる。
ところが、その上空の雲を割って、新たにドラゴンが現れる。
その数4体。その体躯は、イェルドの3分の1ほどである。
しかし、その小ドラゴンには、戦士が騎乗している。
「あれは、エルドリア竜騎士団!」
「さらに、厄介な奴が現れた!」
彼らは、イェルドの直属の戦士である。
「諦めるな! 次弾装填!」
「おぅ!」
ところが、小ドラゴン達は、ある者はイェルドの翼を押さえつけ、あるものは頭部に噛みつきにかかる。
イェルドは大きく震えて、これらの小ドラゴンを跳ねのける。
それでも、小ドラゴン達は怪鳥に群がる蜂のようにして、しつこく攻撃を繰り返す。
「撃つな! 彼らは我らの仲間だ!」
イェルドは大きく羽ばたき、大きな推力を得て小ドラゴン達を引き離す。
そして、一転して旋回する。
鎌首を挙げて、こちらを一睨み。
「監視塔を放棄! 撤収撤収!」
俺は大声を上げる。
イェルドは、俺の監視塔に向かって真っ直ぐに特攻を仕掛けてきたのである。
義賊達が階段を下りるも、最後に残った俺は、逃げようがない。
もう、イェルドの巨大な口は目前にまで迫っている。
視界を覆いつくすほどの豪炎。
凄まじい熱波が、俺を襲う。
「大丈夫かい?」
俺は、勢いよく身体を起こす。
顔をあげれば、側に砦がそびえている。
「ここはどこだ?」
砦の外であることは間違いない。
「ここは……」
「負けたのか?」
「まだ戦闘中だよ」
周囲には、三人と一匹の小ドラゴンが控えている。
いずれも見覚えがある。
「竜騎士セリア」
「ニーベルンゲンがキャッチしなけりゃ、君は死んでたよ」
「感謝する。そして、お前は、マッテオ・レオナルディだ」
「下らん戦いに巻き込みやがって」
「そして、赤毛のエリオ……」
「私は、閣下を信じていました」
「何故、ここにいる?」
「世界を守るためです」
「大層なことだ。それはさておき、戦況がわかるか?」
「閣下。あちらをご覧ください」
砦の北壁が大きく割れている。
あんなことが出来るのは、竜に化けたイェルドだけであろう。
そして、その割れた一角に、帝国ネアの軍勢が雪崩れ込んでいる。
「なんと!」
俺は思わず立ち上がる。
「陥落は必須。我々だけでも撤退しましょう」
「しかし、私は前衛だ」
「閣下らしくもない。戦略を練りましょう」
「絶対に引いてはならぬ時がある。今がその時だ」
「死に急いではなりません!」
「何の音?」
セリアの呟きに背後を振り返る。
遠くに、人影が見える。その数、百人ほど。
しかも、彼らは全力疾走で駆けてくるのである。
「ラケデモン!」
独特の兜に円盾を背負っており、その兵装からして明らかにそれとわかる。
「うぉおおおお!」
先頭の化物じみた男が、いきなり鉄槍を投擲する。
その鉄槍は遥か遠くの帝国兵に向かって一直線に飛んでいき、多くの兵士を串刺しにする。
「我々は、アキレとの約束に則り、レンゾを助ける。今こそ、戦場に名を残せ!」
「おおぅ!」
彼らは、足を止めることもなければ、俺達に目をくれることもしない。
明らかな多勢に向かって、全力疾走していくのである。
マッテオが笑みを漏らす。
「野蛮な連中を飼っている。さすが、レンゾ・レオナルディ」
「逃げたい奴は逃げればよい。私は諦めない」
「口先だけならば何とでもいえる」
マッテオは、素早く地面に両手をつける。
そうすると、地面が隆起し、しばらくして10メートルを超える巨人へと変貌する。
マッテオは軽く指を鳴らし、巨人は帝国軍に向かって歩を進める。
「互いの武運を祈ろう」
セリアは素早い動きで小ドラゴンに騎乗し、小ドラゴンは羽ばたいて離陸する。
そのまま、砦の内側へと飛翔していく。
俺は、エクスクルジオを握る。
「舞台は整った!」
戦況は一変している。
まず、イェルドの化けたドラゴンが姿を消した。
その代わりに、場内には多数の帝国兵が雪崩れ込んでいる。
砦内の兵士達は頑健であり、優秀な指揮官を起点に要所要所を重点的に防御し、圧倒的多数の帝国兵を足止めしている。
しかしながら、砦内の兵士は10倍の敵を相手に、じりじりと後退を強いられている。
その帝国兵の後背に、ラケデモンの戦士達と竜騎士、さらにはマッテオの操る巨人が食らいつく。
恐ろしいばかりの勢いで、帝国兵を破壊していく。
道は開け、やがて、俺は砦内に回帰する。
「まだ生きておったか、虫けらよ!」
階上に座り込んでいた大男が立ち上がる。
その片手には、巨大なハルバードが握られている。もう片方の手は、肘から先を失っている。
ところで、言葉とは真逆に、俺のことを待っていた様子である。
「人を舐めているから足下をすくわれるのだ、ふぐ野郎!」
エリオがナイフを片手にして構える。
俺は、エリオを制して、伝令として走らせる。
「土産だ!」
イェルドは予備動作もなく、突然ハルバードを突き出す。
俺は、避けきれないものの、剣刃でからくも穂先をずらして串刺しを免れる。
激しい火花が周囲に飛び散る。直後に豪風が俺の皮膚に無数の裂傷を引き起こす。
「ぐ」
「成長していない。これ以上の成長もない。ここで死ね」
俺は全力で石畳を蹴る。
そして、家壁を蹴って、空中を回転し、大きく後退する。
その直後、俺が蹴った石畳は、土くれが現れるほどに深く切り刻まれ、家壁は、凄まじい残響を挙げて家ごと粉砕される。
巨大なハルバードが、俺を暴力的に追いかけてくるのである。
俺は、そのまま下り坂を転がる。
ハルバードはその先を予測して、石畳に大穴を穿つ。
と同時に、周囲の石畳が崩落し、俺はイェルドとともに落下する。
着地と同時に、俺は立ち上がり、姿勢を正す。
周囲3メートル四方の狭い空間である。
この環境は、長物を振り回すイェルドにとって不利に働く。
しかも、容易に地上部へ戻ることもできない。
これは、対イェルドのため、事前に用意していたいくつかの落とし穴の一つである。
「きれいに嵌ったな」
「それで、貴様の墓場を紹介して何とする?」
不思議なことに、イェルドは冷静である。
もっとも、真の戦士とは、乾坤一擲でこういった態度をとるものなのかもしれない。
とはいえ、ここからは処刑の時間だ。
俺は、奴の懐に踏み入り、手数の多さでイェルドを翻弄してやろう。
ハルバードが土壁に突き刺されば、しめたものである。
一方的な戦いになるだろう。
そうであるはず。
であるにもかかわらず、俺は奴の領域に踏み込めない。
圧倒的な強者を前に、俺は委縮しているのであろうか。
恐るべきことに、イェルドは静かに佇んでいる。
「貴様は、神話を知っているか?」
「は?」
脳筋の、ありえない一言に俺は戸惑う。
「神々は互いに争い、人間達もこれに付き従った。勝者は、死後もなお戦い続けることが出来るという」
「は?」
既に理解を超えている。
「アウグスタはメルクリオを下し、覇者となった。そのせいで、真に戦争と呼べる代物は失われてしまった。つまり、人間は、神々から切り離されてしまったのだ」
「じゃあ、今行われているこの戦いは何だという?」
「一方的な蹂躙に過ぎない」
「お前は、その覇者にみっともなく服従したくせに」
「俺が戦える力を手に入れた時には、既に大陸の情勢は決していた。もっと、早く生まれていれば、奴らと戦うことが出来たものを」
「戦いを愛する気持ちは理解できないが、お前が悔しがっていることだけは伝わった。しかし、結局、それは敗者の言い訳だ」
「その敗者に負けるようでは、貴様らに未来はないぞ!」
イェルドの右脇腹が爛れており、その部分から炎が噴出している。
それだけで、正気を保つのも難しいほどの熱気がこもる。
そして、イェルドは躊躇いなく、ハルバードを振りあげる。
生じた突風が、狭い空間の中で暴れ狂う。
俺の体は木の葉のように舞い踊る。
それでも、足を地面につけて、腰を落とす。右手にエクスクルジオ、そして左手でその剣刃を支える。
イェルドは何ら捻ることなく、ハルバードを俺に向かって単純に叩きつけてくる。
この一撃は、通常人に受け止められるものではない。
だからこそ、このタイミングでビルヒリオが現れ、この一撃を受け止める算段であった。
ビルヒリオであれば、この一撃を受けて絶命したとしても、復活できるからである。
しかし、ビルヒリオは現れない。
そして、この一撃を避けられる空間もない。
さらに、運よく生きたままこの一撃を堪えたとて、その後、俺に反撃できる余力があるとも思えない。
絶体絶命である。
それでも、奴らを信じるしかない。
ロードローラーの如き重量が襲い掛かる。
明らかに耐えうる一撃ではない。全身がそう言っている。
しかし、この一撃を抑えねば、次の手を失う。
俺は、これを耐えなければならない。
手の甲、肘、肩関節、肋骨、膝、足首。
筋肉は引きちぎれ、メリメリと骨が砕けていく感覚を得る。
それでも、体は崩れない。漆黒の指輪が全身をつなぎとめてくれている。
「ぐああああ!」
同時に、地面が隆起する。
手の平となってイェルドの足首を捕まえる。
間に合ったか。
ビルヒリオが飛び降りてくる。素早くイェルドの懐に入り、曲刀をイェルドの爛れた脇腹に充てる。
その曲刀の背を、ディーノが全力で蹴りつける。
曲刀は、鋼鉄の肉体に深く突き刺さる。
イェルドの周囲に4枚の鏡が下りてくる。
レーザーが4枚の鏡を無数に反射して、加速していく。
しかし、イェルドは俺をハルバードで押さえつけたままである。
その隙を狙って、レーザーがイェルドの心臓を貫く。
俺は、ハルバードの重圧から免れて、しかし、その場に沈む。
ビルヒリオが俺を支える。
「それで何とする? 戦いはこれからだ」
イェルドは不敵な笑みを浮かべている。
その体に何ら変化はない。
貫いたかに見えたレーザーは、しかし、イェルドを貫くことはなく、ただ周囲に拡散したのである。
体がひりひりとする。
イェルドは四肢から炎を立ち昇らせ、さらに高熱を発する。接触面が全てどろどろと溶けていく。
そこへ、地表近くの地層から、大量の水が溢れ出てくる。
地下水である。
水流は、大きなうねりとなってイェルドに降り注ぐ。
泥人形が俺の足首を捕まえ、しなやかな動きで俺を地上へと投げ飛ばす。
と同時に、落とし穴の内部は轟音とともに大爆発する。
高熱と接触した水流が、瞬間的に急膨張し、大爆発に至ったのである。
その勢いは凄まじく、周囲は巨大なクレーターを形作る。
「もっと楽しませろ」
「!」
水蒸気の中から人影が現れる。
眼前にイェルドがいる。傲然として俺を見下ろしている。
その周囲を、六魔人が囲んでいる。
戦術は全て吐き出した。
これ以上に、戦う術はない。この化物を前にして、万策尽きたのだ。
俺は、エクスクルジオを握り、咄嗟にイェルドに向かって突き出す。
イェルドはその剣刃を容易く握る。
「俺は、自らの命と引換えに、長い夢から目覚めた」
「……」
「貴様は、どうする?」
「……」
しかし、イェルドはそのまま動かない。
よく見ると、イェルドの脇腹からとめどなく火が流れ出ている。
イェルドは空を見上げる。
天空から、白いものが舞い降りてくる。
相も変わらずの灰である。
「また、お前の季節だな……」
焔龍は静かに眼を瞑る。
そして、灰となって姿形を失ったのであった。




