07 全てを捨ててでも前へ
梯子を伝って降りていく。
やがて、地下水路に降り立つ。
「確かに、この水路を通れば、王都の外にまで抜けられる」
王都の地下には、水路が、蜘蛛の巣上に張り巡らされている。
水路の内部には、水が流れる溝と、整備用の歩道が走っている。しかも、天井までの高さは、狭いところでも優に2メートルを超え、歩行に何ら支障はない。
つまり、密行するには最高のルートである。
対して、キアラは低く応じる。
「しかし、出口は限られている。出口付近で、おそらく、待ち伏せをされていることだろう」
キアラはランタンを持って、俺の先を進んでいる。
その表情をうかがい知ることは出来ない。
「そろそろ、説明してくれても良いのではないか?」
「何を?」
「我々は、今、どこへ向かっている?」
「……」
「黙っていてもわからない」
「帝国の移動要塞が動いた」
俺は、移動要塞をアルデア王都の南に固定していた。
アルデアは帝国と友好関係にあり、移動要塞によって、アルデアの王都を守護していたのである。
しかし、俺が帝国から離脱した後、帝国ネアはアルデアとの友好関係を破棄した。
したがって、王都を守護する必要はなくなった。
ならば、移動要塞が持ち場を離れるのも不思議ではない。
「大要塞の手前か?」
帝国の首都はガルーダ島にある。
そして、直近の地震によって海底が隆起し、大渓谷とガルーダ島は陸続きとなった。
その結果、ガルーダ半島が出来上がった。
そして、移動要塞の新たな使命は、ガルーダの帝都を守ることにある。
そのために、移動要塞は、ガルーダ半島の付け根、移動要塞の手前に移動した。
そう推測されるのである。
「そのとおり。移動要塞は、アルデアの南から北へと直線的に突き抜けていった。通り道の遮蔽物を全て踏みつぶしながら……」
とはいえ、皇帝が現に鎮座するのは空中要塞であって、帝都自体が執政の中心というわけではない。
もっとも、帝国にとって、帝都は象徴である。
彼らは、その場所を神聖不可侵のものと考えている。
さらに、奴らは、アルデアの臣民を、帝都に囲い集めて養い、かつての栄華を取り戻そうと考えているに違いない。
「移動要塞こそが、奴らにとって守りの要となるわけだ」
「……」
「勢力図を俯瞰したい。まず、北には帝国」
「帝国は、焔龍イェルドを先鋒に任じ、コルビジェリの第3砦に駐留させている。その配下は千人」
数的にはおそるるに足りない。
しかし、後詰には、5人の英雄と邪神が控える。彼らは、神話に語られる存在である。一軍を圧倒するほどの、常軌を逸した力の持ち主である。
さらには、攻守の鍵となる超常兵器、移動要塞が待ち構えている。
「さらに、南には共和国」
「無敗の神将フェルナンは、精兵4万を率い、南の租借地に陣取る。300門にも及ぶ大砲を装備している」
そして、共和国本国には、さらに6万の兵士が控えている。
「対して、我が軍は……」
「アルデア、ボルドー、エルドリアの三国を合わせても、その兵数はもはや1万を切る」
「長きにわたる寒気にさらされ、将来の希望もなく、士気は低下していることだろう」
「そもそも戦闘以前に、目下の治安維持に精一杯」
「しかも、南の共和国は北の帝国へ臣従している。両国間の不和に付け入る隙もない」
「しかも、帝国には天空の要塞がある。私達の本拠地を、私達の防護をかいくぐって、一方的に攻撃出来る。しかも、私達には、その所在を知る術もなく、こちらから仕掛けることも出来ない」
「普通に考えれば、既に、この盤面は詰んでいる」
「……」
キアラからの返答はない。
俺は、意を決して口を開く。
「しかし、我々は北に向かっている」
「よくわかったな」
「私は水路の開発に関わった。図面は、全て頭の中にある」
「大運河を超えて、北に向かう」
「つまり、その先に戦場があり、俺に戦えと。邪神を倒せというのだな?」
キアラは立ち止まり、鋭く俺を振り返る。
その目つきは異様に鋭く、その瞳は、どういうわけか、怪しく光っている。
「お前が、か?」
「そして、この世界に平穏をもたらせと、そう言いたいのだろう?」
途端に、キアラは肩を震わせて、背を反らす。
「アッハッハッハ!」
「何がおかしい?」
「ウフフフフ!」
「私は、アルデアを守り抜いた英雄だ」
「アハハハハ!」
「私は……」
「これ以上、しょうもない言葉で、私を笑わせるな」
「そのようなつもりはない」
「凄いな。そのとんでもない自信と誇大妄想には、本当に呆れ返る」
「信じていないのか? 私なのだぞ?」
キアラは真顔になって、突然に、腰元のレイピアを引き抜く。
「お前のために身命を賭す兵士は、もうどこにもいない」
「たとえ、一塊になろうとも!」
「ああ、凄い凄い。でもその前に、お前は気付くべきであった」
「何を?」
「お前は、のこのこと私に付いてきた。私の心根を疑うこともしなかった。私が、お前に害意を持っていないなどと、信じてしまったのか?」
「え?」
この女は、確かに、俺の真価を理解しない。
そして、俺のことを酷く軽蔑している。
ならば、最初から、そういうつもりだったのだ。
女の唇は酷く歪んでいる。
もはや、嗜虐的とも思われる面構えである。
「剣を握れ! 自称英雄!」
「お前ごときに後れをとるとでも!?」
俺は、黒剣を引き抜き、キアラと対峙する。
「何故、人気のない場所に誘い出したのか? 聞きたいだろう?」
「……」
「私は、お前の首が欲しい」
「それが、お前の狙いか?」
「私は、その首を土産に、共和国に亡命する。英雄として迎えられることだろう!」
なるほど。
この女は、アルデアを裏切るつもりだ。
「狂ったか!」
「なんとでも言うがいい。アハハハハ!」
「国賊! 腐れ外道! モモンガ野郎ッ!」
「お前にだけは言われたくない!」
「俺は、弱くはないぞ!」
俺は、最速の動きでもってキアラに肉薄し、力任せに黒剣を振りぬく。
今の俺の体は、長きにわたる監獄生活により、おそろしくこわばっている。加えて、指輪の力も発現せず、以前のような自在な動きは再現出来ない。
それでも、その一撃は、偶然ながら、今の俺にとって最善のそれであった。
しかし、何の手応えもない。
そのまま俺は、体をうまく制御できず、片足を着水させてしまう。
と同時に、背中を蹴られて、俺は床に突っ伏す。
急いで立ち上がろうとするが、それよりも早く、俺の首に冷たいものが当てられる。
「瞬殺だ!」
「今のは違う!」
「何が違う?」
「何もかも違う! これは幻覚だ!」
「聞いてやる。その程度の実力で、誰と戦うつもりだった? 言ってみるがいい」
「俺ならばッ!」
「ヒャハ!」
「くそおおおお!」
「実に、頼もしい言葉だこと……」
キアラはポツリと呟くと、俺の首筋から剣先を外す。
俺は弱い。弱すぎた。
だから、俺を殺す気も失せた。
この女は、そう思っている。
「うああああああああ!」
「あんたとの付き合いは長いわ。でも、わたしには、あんたのことがわからない。最初から最後までわからなかった。今でも、全然わからない」
「……」
俺は、敗北した。
床に腰をつけ、もはや立ち上がる気力もない。
キアラは、どうしたことか、そんな俺の隣に、背を丸めて座っている。
「だから、あんたのことを教えて欲しい。昔のことを少し振り返りたい」
「何をいまさら。振り返ることなど何もない」
「あんたは、異世界から来たのよね?」
「ああ……」
「何故、自分のことをメルクリオだなんて嘘をついたのかしら?」
「お前たち異世界人が、一方的に俺のことを勘違いしたにすぎない。俺は、その勘違いに乗っかった。英雄と呼ばれて少し気分が良かったからだ」
「そんなつまらないことで、自分の人生を決めてしまったのね。でも、何故、アルデアのために危険を顧みずに戦ったのかしら?」
「アルデアに思い入れはない。それでも、国を守り発展させるというその使命は、俺が今までに経験したこともないような大きなものであった。その先に、きっと俺の求める何かがある。そう思った」
「わたしとあんたは、神聖帝国の捕虜になったわね。何故、あの時、あんたはわたしを救おうとしたの?」
「戦いに負けて罪悪感を感じていた。お前を救えば、罪悪感が薄れると思った」
「剣技を教えてくれたのは何故?」
「気まぐれだ」
「それだけなのね」
「ただ、あの時、俺は、確かにお前の存在に依存していた」
「依存?」
「側にいて欲しい。でないと、俺の価値はなくなる。そういうつまらない感情に支配されていた」
「つまらなくないじゃない?」
「いいや、つまらない」
「じゃあ、あんたが、わたしを助ける任務を放棄してまで、わたしから離れたのは何故?」
「お前から離れなければ、俺の精神が腐ってしまうように思えた。俺の価値はもっと大きく、俺の野望はもっと高みにあると、そう考えた」
「腐るって、酷い言い草ね」
「利己的なのは重々承知している」
「でも、わたし達は、再会したわね」
「俺の能力を、世界変革のために用いる。そのためならば、手段は問わない。俺は、お前を利用し、子爵となった。悪いことではないと思った」
「わたしは、魔術学院に入学したわ。あの時、あんたは、わたしに向かって、枢機卿との婚約を勧めたりもしたわね」
「その時点で、俺には、もはや、お前が道具にしか見えなかった」
「それで、あんたは、大元帥となって、再び、神聖帝国と戦った」
「俺の作りあげたこの街を、守りたくなった」
「あんたは、共和国から誘いを受けた。共和国からの誘いに乗れば、もっともっと大きなことが出来たはず。あんたの決断は酷く矛盾している。何故、共和国からの誘いを断ったの?」
「俺は、近しい人々から寄せられた期待にしがみついた。その結果、俺の偉大な野心は、俺のちっぽけな感情に敗北した。そのために、俺は自滅することとなった」
「何故、感情を優先させたのかしら?」
「俺は、結局、類人猿の持つ思考パターンから逃れることは出来なかった。それは、小さな群れを代表し、小さな利益を実現し、己の小さな満足を満たす。実に下らないものだ」
「反省しているの?」
「判断の結果は、非常に心地よいものであった。それは、まさに、俺が超越者ではないことを示す、屈辱的な心地よさであった」
「そう……」
「どこまでいっても、自己を中心とする歪んだ認識から逃れることなど出来ない」
「わたしは、それでいいと思っている。あんたは狂っている」
「お前は、原始的かつ感情的で直視するに堪えない野蛮の象徴であり、俺の思考は、お前などのそれとは決定的に違う」
俺は、それを理解している側の存在である。
俺は、そう信じたかったのかもしれない。
「あんたは、わたしとの思い出に、楽しいものは何もなかったというのね?」
「その質問自体が、野蛮であると言っている。そんなものは、下等生物の本能から生ずるまやかしにすぎない」
突然、キアラは俺の体にもたれかかる。
肉感的な重量が、確かな存在として俺に伝わってくる。
俺は、慌てて目をつぶる。
「どれだけ言葉を交わしてみても、どれだけあんたに寄り添ってみても、あんたとわたしは、クロスすることはないようね……」
「お前は俺を理解しない。しかし、お前は、俺から一方的に理解されたいと考えている。俺の中に占める割合が大きなものでありたいと考えている。そのように感じられる」
「知らないわよ。変な分析をするんじゃないわよ。殺すわよ」
妙な会話を経て、俺は少しだけ気力が蘇る。
俺はゆるゆると立ち上がる。
キアラは口を閉ざして、無表情に戻る。そのまま、再び俺を先導する。
随分と歩いた後、目的地にたどり着く。
それは、大運河を構成する堤防の側面に設けられた排水溝である。
地下水路を脱し、暗闇から灰色の空の下へと進む。
堤防の向こうには、北の街路が広がる。さらに、向こうにはフッチ城が構える。
しかし、実際に、俺の目に映ったのは、一面の廃墟。何もかも破壊しつくされている。
「これが、移動要塞の通った後」
「無残な……」
唐突に、馬のいななきが響きわたる。
その鳴き声は、日常を切り裂くサイレンのようであり、圧倒的な暴力性を秘めている。
馬蹄の音が、地面を揺らす。
振り返ると、間近に迫るのは巨大な黒馬。
そして、馬上には巨大な戦斧を振りかざす漆黒の人。
「ユルゲン!」




