06 生き延びるためならば
部屋に窓はない。
となれば、扉を開けて外に出るより他ない。
キアラは先行して、外に出る。
すると、数人の看守者が、直ちにその側に寄る。
「ご無事ですか?」
「無茶を言って悪かった」
「いえ。我々にもわかります。あの男に対して、個人的に復讐してやりたいという気持ちは」
「助かる」
「ただし、リンチについてはご内密に」
「わかっている。ところで、君達」
「何でしょう?」
「処刑は、明日の日中に行われるそうだ」
「ようやく、決まったのですね。我々の使命もあと僅か……」
「とはいえ、まだ半日以上ある」
「お任せください。最後までしっかりと勤め上げますとも」
「ありがとう。しかし、そう、気を張っていては身が持たない」
「え?」
「しばらくの間、私が見張りを代わってやろう」
「……」
「詰め所に帰って、しばらく休んでくるがいい」
「……」
「まさか、私の腕前を疑っているというのか?」
「姫様、私は実に残念です」
「どういう意味だ?」
「あの男に篭絡されたのですね」
「私はアルデアの剣だ。あの男に気を許すはずなどない。現に、私は今、あの男を殴りつけてきた。法がなければ、あの男の喉笛を掻き切ってやるところだ」
「たとえ、この命落とすとも、あの男の脱獄を見逃すことは出来ませぬ。姫様! 我々は、立ち向かい申しますぞ! 覚悟なさいませ!」
看守者に、俺の脱獄計画がばれてしまっている。
まずいことになった。
しかし、これは当然の結果である。
キアラは、昔から裏表のない人間であった。
だからこそ、まともに人を騙すことも出来ないのだ。
俺は、反射的にエクスクルジオを引き抜く。
同時に、ありったけの力を振り絞って、部屋の外へと飛び出す。
眼前にキアラの背中。
その周囲に、看守者が三人。
キアラを除き、いずれも抜剣している。
俺は、不敵な笑みを作り、短く言い放つ。
「わかるな? いと賢き衛士諸君」
同時に、キアラの背に接触し、剣刃をキアラの首元におしあてる。
キアラは素早く俺の腕を掴むが、意を解したのか、そのまま動きを止める。
「なんと卑劣な!」
「何とでも言うがよい。ただし、俺は、長きにわたる監獄生活を経て、感情に制御が利かなくなっている。些細な刺激で、諸君らの大事な姫様が、スパっといってしまうかもしれんぞ! ワッハッハ! 面白いのう、面白いのう!」
「やはり、姫様は暗黒大元帥に脅されて……」
キアラの耳元が真っ赤になっている。
「ほらほらあ。早く剣を捨てなさい! でないと、こう! そして、こうだ!」
俺は、キアラの顎に手をあて、衛士からもその首元がよく見えるようにする。
そこで、看守者のうち2人は剣を投げ捨てる。
しかし。
「姫様とて、アルデアのためならば、覚悟は出来ておられよう」
最後の一人、勇敢な看守者が、剣を振りかぶる。
彼は、王族に対する忠誠よりも、国家の先行きを優先させたのである。
ところが、他の二人がその勇敢な看守者を押しとどめる。
「奴は死刑囚。自暴自棄になっている。これ以上、刺激しては何をするかわからない」
「しかし!」
「チャンスは必ず来る。それまでは堪えろ!」
俺は、大きくうなずいて見せる。
「いい判断だ! 立派立派! カハハハ!」
「くそっ!」
勇敢な看守者も剣を投げ捨てる。
「次はお前。そのコートを脱げ! 可及的速やかにな」
「姫様に何かあったら、許さないぞ!」
「脱いだな。では、全員牢獄へ入れ!」
三人の看守者は、歯噛みをし、俺を睨みつけながらも、俺の指示に従う。
看守者達が入室した後、俺は、扉を閉めて、しっかりと板を通して部屋を封印する。
キアラは鋭く俺を振り返る。
「何それ。そこまですべきものなの?」
「奴らが騒ぎだすと、面倒なことになる」
俺は、看守者から剥いだコートを身にまとう。
ちょうどフードがついており、俺はフードを目深にかぶって、その顔面を隠す。
「だとしても、念入りね」
「当たり前だ。他の奴らに事態を察知される前に、この建物から外へ出る」
「こういうことに関しては、今でもしっかりと頭が回るようね。それに、人質を取る様は、これでもかってぐらいに、堂に入っていたわ。驚きよね」
キアラは自身の体を抱いて、俺から距離をとる。
「褒めるな」
「褒めてない」
キアラが前を進み、俺は従士の体をとって、キアラに追随する。
気が急くのか、キアラは半ば駆け足である。
多くの衛士から声をかけられるが、従士たる俺の正体を疑う者はいない。
キアラは、真に衛士達から信用されているのだろう。
螺旋階段を下り始めると、しばらくして、一人の女性が立ちはだかる。
「あら、お姉様ではありませんこと? ご機嫌よう」
女性は、少し腰を低くして、ゆっくりと挨拶をする。
その女性は、確かキトリー・カーンと名乗った。
神聖帝国の皇帝である。
「何か用でも?」
対するキアラはぶっきらぼうである。
キトリーは一見すると、いつだってとぼけているように見える。
しかし、キアラは、そのキトリーのとぼけが、実は裏があるものと勘付き始めている。であるから、キトリーに対して、用心すべきと構えたのだろう。
「あらあら」
キトリーは、わざとらしく口をすぼめる。
「先を急ぐ。失礼する」
「どうして、そんなにお急ぎなのかしら?」
「……」
キアラは鋭く、横目でキトリーを圧倒する。
「あら怖い! まるで、わたくしが、二人の逢瀬に横槍を入れてしまったかのようですわね」
「下らないことをいう」
「そちらは、どなたですの?」
「ナイツオブラウンドの一人。私の片腕だ」
俺は無言で会釈する。
しかし、キトリーは、何かしらを嗅ぎつけている。
「そうなんですの……」
「ああ」
キトリーは、階下に目をやる。
「わたくしには難しいことはわかりませんの」
「先を急ぐと言っている」
キトリーは突然キアラの腕をつかんで、その顔を覗き込む。
「ですけれども、秩序の番人たる漆黒公。彼は、邪神を許さない。邪神を復活させたあの方のことも、絶対に、許しませんわ」
「……」
「それも致し方ない事。漆黒公の一門は、邪神の封印を守るために、皆、命を削ってきたのです。従妹のヘルミネも含めてね」
「私に何の関係がある?」
「だから、あの方を逃がすことがないよう、この建物は、聖レギナ騎士団によって十重二十重に囲まれているのです」
「……」
「お姉様。愚かな感情など捨ててしまって、これから、わたくしとお茶でもしませんこと?」
「お誘い感謝する。またの機会にご一緒しよう」
「その機会が訪れますよう、心より祈っております」
キトリーは、露骨に顔を背ける。
そのまま、キアラの脇を素通りして、階上へと進む。
俺の側を通る瞬間。
俺には、その目尻に光るものがあるように見えた。
建物の一階には、多くの臣民が詰めかけている。
そのために、非常に雑然としている。
そのおかげで、人ごみに紛れて、容易く出口付近へと進むことが出来た。
あと一歩。
その時、階上から怒号が響く。
「道を開けろ!」
「暗黒大元帥が脱走した!」
「用心してかかれ!」
「キアラ姫を人質に取っている!」
「生死は問わぬ! 奴をとらえろ!」
キアラと俺は振り返ることなく、建物の外へと飛び出す。
アルデア城の城下町。その沿岸区画。
大運河による治水の結果、大陸随一の繁栄を極めた大都市である。
きれいに整列した家屋は、彩色豊かな花々に囲われている。
中央の通りには、香辛料や果物、焼き魚に串焼き肉など、多くを商う出店が所狭しと立ち並んでいる。
運河沿いには多くの小舟が行き交い、活気溢れる人々の声が響いている。
俺が発案した大都市構想を形にしたものであり、かつては、そのような理想形を呈していた。
その大都市が、今や、人気すらなく、ただただ、灰と静寂に閉ざされている。
すぐ近く。
道を曲がった先から、馬のいななきが聞こえる。
途端に、馬蹄の石畳を蹴る音が、無数にとどろく。
暗黒騎士団が動き始めている。
「こっちよ!」
キアラは俺の腕をつかむ。
そのまま、眼前の一軒家に接近し、何のためらいもなく、玄関口から押し入る。
「……」
幸いなことに、屋内に人気はない。
と思いきや、部屋の奥に、ロウソクの光が見える。
さらに、その先には、じっと佇む老人の姿。
俺は、黒剣を引き抜き、そちらに剣先を向ける。
「お久しぶりですな、閣下!」
場違いに明るい声で返してくる。
「君は……」
知り合いである。
俺が暗黒卿を名乗り、領地経営をしていた時分に、俺に仕えていた老人である。
かつては、恰幅のいい好々爺であった。
それが、見違えるほどに痩せこけている。
「孫が、城下町に住んでおりまして、その孫に、子供が出来たっちゅう話でねぇ。だもんで、幼子に会うために、ここまでやって来たんですわぁ。そしたら、灰が降りだして、もう村には戻れなくなってしまいましてなぁ」
「その孫は、蕪の目利きが得意だ。そうだったな?」
「正しく言うと、種子の目利きが得意なのですよ。閣下の紹介で、スマイリー商会に使ってもらえることになりましてねぇ。今では、人様のお役に立てるようにもなって、それで、二男二女の父親にもなりましてねぇ」
「大変な状況になってしまったが、息災か?」
「ええ。海の向こうで元気にやっておるようです」
「君は、ここに一人取り残されたというのか?」
「ええ。まぁ、そんなところです」
「そうか」
「閣下と同じでございます」
「うん?」
そこで、キアラが鋭く言い放つ。
「騎士団が近づいている。悠長に話している場合ではない」
「そうでしたな」
老人は、ランタンを持って、ゆっくりと立ち上がる。
そして、真後ろの石壁を力いっぱいに押す。
すると、石壁はあっさりと後退し、空洞が現れる。
空洞は地下につながっているらしく、地下の暗闇に向かって、はしごが伸びている。
老人は、俺に対してキアラとともに先へ進めと促してくる。
「君は、危ない橋を渡っている」
「テヴェレ川のテナガエビ。こいつは絶品でしてなぁ」
「君が絶賛していたことは覚えている。残念ながら、食べる機会はなかったが……」
「弾力のある感触に、ほろ苦い内臓。エールにぴったりの味わいなんですわ、これが。今度は、私が、閣下に御馳走する番ですな」
是非とも味わってみたい。
しかし、そんな希望に満ちた未来が、やって来ようはずもない。
「恩に着る……」




