51 いっそ世界を塗り潰してしまえばいいのに
暗黒皇帝軍の本営にて。
中央には、カタリナが作った奇妙な玉座が控えている。
それは、四方に足が生えており、使用者の意思に応えて自走する仕組みとなっている。
暗黒皇帝は、その自律玉座に腰かけて、ゆるゆると戦場を俯瞰している。
「勝ったな」
その周囲には、4人の英雄が控えている。
イェルド、カタリナ、ロビン、ヴィゴである。
イェルドは、憮然として言い放つ。
「あまりにも脆い。意気地のない奴らだ」
とはいえ、その評価は共和国軍にとって酷である。
共和国軍は、ロビンの常人離れした狙撃を受けて、本営を下げた。そのために、共和国軍の本営は孤立した。
暗黒皇帝は、その孤立を狙い、尋常ではない戦力の移動方法でもって、精兵を共和国軍の本営にまで直接送り込んだ。
結果、共和国軍は本営を破壊された。
つまり、共和国軍は、相次ぐ超常現象に敗北したのである。
ロビンは重い口を開く。
「彼らは、自らの常識に囚われ、現状を理解できないままに、死んでいく」
カタリナが続く。
「事実は小説よりも奇なり。彼らは、もっともっと、歴史に学びを求めるべきでした」
イェルドがハルバードを手に取る。
「本営を破壊した後、敵軍の前線を両面からすり潰すのであろう? ならば、俺が、直々に、このつまらぬままごとを終わらせてやろう。それでよろしいな? 陛下」
今にも飛び出そうとするイェルドを、ロビンが制止する。
「敵将を討ち取る使命は、私が受けたものだ」
対して、イェルドは激怒する。
「貴様は、せいぜい遠くから矢でも放っておくがいい。臆病者にはそれが似合っている」
「私がここで矢を放ったのは、剣戟に及ばぬ相手と判断したからにすぎない」
「だが、現に、貴様は敵将を逃がしている。貴様は、口だけの男か?」
「だから、責任をもって討ち果たすと言っている」
一触即発である。
そこへ、カタリナが口を挟む。
「喧嘩をしている場合ではありません」
イェルドがカタリナを睨む。
「ああ?」
暗黒皇帝は、カタリナこそ我が意を得たりと大きく頷く。
それを見て、カタリナはさらに続ける。
「私が、フォルトナーでもって汚れた地上を洗い流します」
「待て待て待て!」
暗黒皇帝は、慌てて三人を制止する。
「この戦いは、新たなる英雄を見出す戦いだ。彼らを皆殺しにしてしまっては、元も子もない」
イェルドは、つまらぬと顔を逸らす。
「陛下が、俺の行動に意見するというのか?」
「君の行動を縛るつもりはない。しかし……」
「結果はあのとおり。もはや、奴らは死に体だ」
「そのように切り捨てるべきではない。彼らの出自はバラバラであるにもかかわらず、彼らは一丸となって私に向かってきた」
「奴らの中に、英雄がいるとでも?」
「その素質を持った者、人の総意を束ねうる者が潜んでいると言っている。つまり、彼らは第一の試練を突破したものと評価できる」
「だからこそ、俺が直々に相手をしてやるのだ」
「とはいえ、彼らは、まだまだ幼い。私は、彼らを最後の希望として、大切に育てたい。大切に大切に扱い、その過程で、百に至る試練を課すべきだ」
「くだらん……」
共和国軍の本営は、混乱の中、帝国兵士像の急襲を受け、呆気なく崩壊した。
次いで、帝国兵士像は、共和国軍の後背に襲い掛かる。
共和国軍は、指揮者不在の中、思わぬ急襲を受け、崩壊が広がっていく。
したがって、そのまま壊滅するかと思われた。
ところが、大同盟軍の一部が素早く反転し、崩壊を食い止めにかかっている。
しぶとく、土俵際で粘っているのである。
「さらに、ジルベルト将軍を、後背に!」
共和国軍の本営に代わって、現場の総指揮を担っているのは、アルデア王国元国王アルフィオである。
彼の指揮官としての天才により、からくも全軍は崩壊を免れているのである。
「ファウスト将軍からの報告です」
「どうぞ」
「敵軍兵士は、皆、剣戟を極めている上に、首を切っても立ちあがります。胸を貫いても立ちあがります」
「不死だとでも?」
「このままでは、押されていく一方。陛下だけでも、お逃げください」
「今しばらく。しばらく持ちこたえてくれ」
今、アルフィオは必死に打開策を考えている。
しかし、超常的な力を持つ、暗黒皇帝軍の猛攻を受け、成す術もない。
「何を呆けておるのじゃ?」
いつの間にか、アルフィオの眼前には、腰の曲がった爺さんがいる。
アルフィオの近衛を務めるジーナは、いち早く動き、その爺さんをいとも容易く捕える。
「待ちなさい」
アルフィオは、爺さんを連行しようとするジーナを制止する。
「懐かしいのお」
「貴方は?」
「知っておるはずじゃ。ワシはイクセル」
「時の翁!」
アルフィオにとって、イクセルは顔なじみである。
「ワシは、皇帝陛下の意思を伝えに来た」
「我々に降伏せよと?」
「お主らは挟み撃ちにされた。お主らの負け戦は確定じゃ」
「……」
「お主らが可哀想に思えての。今一度チャンスを、と思うたのじゃ」
「そのような言葉で、私の決断が鈍るとでも?」
「警戒するには及ばぬ。なんせ、お主とは顔見知りじゃからの。そもそも、皇帝陛下も、お主の顔見知りじゃろうて」
「メルクリオ様……」
「そうじゃ、皇帝陛下は、お主がメルクリオと慕っておったあの男じゃ」
「あの方は、やはり、和平を望んでおられるのですね?」
アルフィオは、思わず、眼前の希望に縋りつく。
「いいや」
「では、殺戮を望まれる?」
「いいや。陛下はただ、世界の発展を心から望んでおられる。そのために、犠牲となるべきは最少であって欲しいと願っておられるのじゃ」
「何が言いたいのです?」
「つまり、陛下は、決闘を望んでおられる」
「何を突飛な」
イクセルは大きな歯を見せて、ガハハと笑う。
「そちらが勝てば、皇帝は首を差し出す。こちらが勝てば、そちらは皇帝に臣従する。どうじゃ?」
とはいえ、決闘の勝敗は時の運によるところが多い。決闘に運命を託すというのは、いかにも賭け事に近い。
「世界の行く末を、賭け事によって決する。およそ、正常人のすることではありません」
「今日のところは、兵をひく。明日もまた、決戦を所望とあれば、全軍で受けて立つ」
対するイクセルの口調は、いつになく激しい。
そして、それだけを言い捨てると、ナイフで何もない空間を切り裂く。
「……」
「色よい返事を楽しみにしておるぞ」
イクセルは、作られた切れ目に潜り、その場から離脱する。切れ目はやがて、何もなかったかのようにして消失する。
黄昏時。
暗黒皇帝軍は、引き潮のようにして潔く退いていく。
無論、大同盟軍、共和国軍に、彼らを追撃する余力はない。
そして、夜半に入る。
両軍の主だった将兵が、大きな天幕に集う。
最初に口火を切ったのは、共和国軍の老将軍である。
「執政官フェルナンは、今もって行方不明。ならば、武人たる我は、かの暴君を戦場にて両断するまでは、死すとも故国に帰れまい」
26世がこれを労わる。
「然り。未だ、我軍の兵数は、敵軍の倍を超える。ならば、明日、真に勝敗を決する世紀の一戦を試みるべきである!」
対して、アルフィオがこれを遮る。
「暗黒皇帝の配下には、五人の闇将軍がいます。いずれも、人智を超えた能力を持っています」
暗黒皇帝に寄り添う異能の闇将軍。彼らの存在は、大同盟軍内でも、既に広く知れ渡っている。
無論、彼らはとりもなおさず、5人の英雄のことである。
そこで、マッテオが突っかかる。
「だったら、相手の言うなりに、決闘に応じるというのか?」
「こちらにも、人智を超えた能力者がいます」
「ほほう。それは誰のことかな?」
「光の勇者アンリ、そして、その従者コルベール。戦乙女ブリジッタ。魔法大典デシカ伯。それに、貴方、マッテオ・コルビジェリ」
「なるほど、なるほど」
マッテオは、まさかのご指名に大変ご機嫌である。
ところで、アルフィオは、あえて猛将として名高いファウストやジルベルトの名前を外した。
彼らは、個の実力としても高いものを持つが、それ以上に指揮官として有能である。仮に、決闘で彼らを失えば、もはや大同盟軍は崩壊を免れえないと考えたのである。
「我々は、彼ら5人を剣闘士として送り出し、闇将軍を決闘で討伐すべきと考えます」
決戦か、決闘か。
アルフィオはぎりぎりまで考えた。
いずれを取ろうとも、暗黒皇帝軍に属する闇将軍が立ち塞がることになる。そして、彼らは、計り知れない異能を持つ。ならば、暗黒皇帝軍の有利は揺らがない。
とはいえ、このまま決戦を続けても、闇将軍の異能によって、戦場に多くの血が流れることになる。それならば、少しでも被害の小さい方を選択すべきである。
そのような苦しい選択を迫られるほど、現状は絶望的である。
その絶望を打ち払い、奇跡を呼び込む。
彼ならばなんとかしてくれる。それこそが、勇者アンリ。
アルフィオは、己の直感を信じ、アンリを筆頭として、剣闘士を送り込むこととしたのである。
対して、共和国の老将軍が反発する。
「これは異なことを仰る。剣闘士が全て大同盟軍の所属であっては、まるで、共和国が逃げたように見えるではないか」
「共和国、そして何よりゼノン教の代表として、私が出ましょう」
名乗りでたのは、ゼノン教のゼノンである。
「何をいう。青二才めが!」
彼は、今まで大人しくしていた。それが、今、唐突に自己主張を始めた。
しかし、そもそもゼノンの存在は、共和国内でも大きくはない。
当然、そのような者に出しゃばられて、老将軍が面白いはずもない。
「現教皇から、黄の指輪と青の指輪を託されています。執政官直属の貴方ならば、このことの意味がわかるはず」
「……。止むを得ん」
翌日の明け方。
アルフィオは天幕を出た瞬間に、事態を悟る。
つまり、暗黒皇帝に対し、決闘受諾の使者を送るまでもないことを知った。
昨日まで、何もなかった平原に、巨大な円形闘技場が出現している。
これは、暗黒皇帝が、帝国ネアの超常的な技術力でもって、生成したに違いない。
「暗黒皇帝が、使者を寄越してまいりました」
はたして、アルフィオの眼前に現れたのは、暗黒皇帝の忠臣エリオとセリアである。
エリオは謹んで、アルフィオに挨拶する。
「決闘受諾のご英断に感謝申します。陛下は、大層喜び、せっかくならばと闘技場を用意しました」
「決闘には応じる。しかし、一対一では、あまりにも賭けの要素が大きいと考える」
「構いませんよ。複数人の剣闘士を立てていただいても」
「こちらは6人の剣闘士を立てる」
「承知しました。そのように、陛下にお伝えします」
「……」
「闘技場に、我軍の兵士が潜んでいるのではないか。ご心配ですか? ならば、幾人なりとも衛兵を派遣いただいて構いません。ただし、舞台に上がるのは、剣闘士のみでお願いします」
正々堂々とした態度である。
その時、天幕に一人の青年が駆け込んでくる。
「エリオ! セリア!」
「アンリ様、お久しぶりです」
アンリは、二人が使者としてやって来たと知り、居てもたってもいられなくなったのである。
「何故、君達が、彼に味方をするんだ?」
「貴方には、陛下のお心がわからない。陛下は、貴方の行動に深く心を痛めておられます」
「だったら、君は、わかるのかい?」
「もちろん。私は、陛下の忠臣ですから」
「君は、彼に盲目的に従っているだけだ。それは、彼を理解していることにはならない」
「……」
「彼は、道を踏み外している」
「また、貴方は、そうやって一方的に決めつけて、陛下を苦しめるのですね?」
「僕がかつて彼を見誤ったことは認める。だらかこそ、今度こそ、彼を光の当たる場所に連れ出したい!」
「思い上がりです。陛下の言葉によってこそ、光は生まれ出でるもの」
「目を閉じないでくれ! 僕を信じてくれ!」
アンリはエリオに手を差し伸べるが、エリオは背を見せる。
さらに、セリアが二人の間に立ち塞がる。
「止めなよ、アンリ。君は、もう、エリオの主人じゃない」
「……」
「さぁ、僕達が伝えることはこれで全てだ。後は、君達の剣闘士を、会場まで案内するように言われている。準備が出来たら、声を掛けてくれ」




