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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第六幕 快楽をもたらす者
259/288

47 夜明前の昏き丘

 アルデア王国のデシカ伯領は、ボルドー王国に分断され、アルデア本国からの飛び地となっている。

 領内周辺は、険しい山岳地帯と崖状の海岸に覆われ、外部からの侵入を固く拒む。


 現に、ボルドー王国は、幾度となくデシカ伯領に攻め込むも、全て撃退されている。

 唯一の出入り口、北西の回廊を関所によって防衛されれば、他に付け入る隙が無いからである。


 もっとも、ボルドー王国は、その回廊に蓋をして、人の出入りを完全に封鎖している。

 そのために、デシカ伯領は経済的に困窮しつつある。




 デシカ伯の館にて。


 館は、むしろ小屋といってもいいぐらいの広さであり、そこに置かれた調度品の類も、全てお手製の粗末なものである。

 採光しない造りであるために、昼間であるにもかかわらず、部屋の内には暗闇が籠っている。

 

 デシカ伯に対し、オクセンシェルナ元宰相が話を始める。 


「キアラ殿下が、暗黒皇帝に屈しました」


「彼女ほどの武人が、決闘に負けたというのですか?」


「ええ。その結果、アルデア帝国は滅び、新たに王国として、ネアの傘下に加わることとなりました」


「ありえないことです」


「シスター・ロサ。彼女もまた、ネアの衛士によって命を絶たれました」


「……」


 デシカ伯は、思わず目を瞑る。

 その目元には幾本もの皺が寄り、すっかりと老けて見える。


「貴方の優秀な教え子達が、このような運命に翻弄されるとは。実に、悲しい」


「わかっています、わかっていますよ。貴方は、私に戦えと言うのでしょう?」


「……」


「暗黒皇帝が、私の想像する化物であれば、それを倒すのが私の使命です。しかし……」


「我々も協力します」


「しかし、私には軍がありません。自慢の魔法使いも全て、アルデア王国に徴用されました」


「ボルドーと十分に渡り合えているではありませんか」


「最小範囲を防衛しているからこそ、拮抗出来ているのです。現在の防衛ラインを超えて、さらに軍を展開する余力などありません」


「アンリ殿。彼が立ちあがりさえすれば、ボルドーは元主君である彼に従いましょう」


「ボルドーは、醜い自己顕示欲の塊で出来ています。アンリ殿を主君として仰ぐような、純然たる忠臣など、もはや少数にすぎません」


「だとしても、アンリ殿が起てば、ボルドーは正統性を失います」


「少なくとも、今は、その時ではありません」


「では、あの御仁は一体、今、何をしているのです?」


「畑仕事に出ています」


「夏季に何の仕事があるというのです?」


「雑草の駆除に当たっています。他に水車の点検なども……」


「天下の動乱に比して、あまりにも小さい」


「彼は、平和のために心を喪失しました。我々大人が、彼を守ることなく、ただ彼に再び重荷を背負わせるなど、あってはならない。恥ずべき行為です」


 元宰相は大きくため息をつく。

 そして、一層声を低くして、問いかける。


「暗黒皇帝の正体を知っても、同じことが言えますかな?」


「正体を知っているのですか?」


「冒頭にも申しましたが、キアラ殿下は、決闘で、暗黒皇帝に敗れました」


「それと、どう関係があるのです?」


「キアラ殿下は、暗黒皇帝の正体を知り、戦意を喪失したと聞きます。その正体は、キアラ殿下にとって、とても大きな存在でした」


「まさか?」


「噂されています。暗黒皇帝こそ、レンゾ・レオナルディ。そして、メルクリオであると」


「彼は死んだ。ありえません」


 その時。

 館の外壁から、僅かな金属音が聞こえる。


「誰かに、聞かれましたかな?」


「いや、野良猫でありましょう」




 アンリは、野良仕事を終え、デシカ伯の館に戻る。

 館の内側からは、客人の声が漏れ聞こえてくる。

 彼は、その声を聞くともなしに聞きつつ、館の裏に回って、借りていた鍬を外壁に立てかける。


 彼は、昼から、同館の自室にて読書にふけるつもりであった。

 しかし、彼は、近くに放置されていた釣竿を手にする。


 そのまま館に入ることはなく、夏の戸外を道なりに歩き始める。


 ヒヨドリが、盛大な鳴き声をあげつつ、空を突っ切っていく。

 雲一つない天気であり、ギラギラとどぎつい直射日光が目に痛い。しかも、少し歩くだけでもくらくらとするほどの暑さである。

 それでも、道の両端には、雑草共が激しく自己主張し、生命のたくましさを語っている。放置すれば、街道すらも彼らによって占拠されてしまうであろう。


 アンリは、日を避けて林の中に入る。

 さらに、林道を進むと、小さな丸木橋にたどり着く。


 その下は、鋭く切り立った渓谷となっており、澄み切った渓流がある。

 渓流は、所々で巨大な岩石にぶつかり、音を立てて、飛沫をあげている。

 ひんやりとした冷気が、橋の上にまで伝わって来る。


 アンリは、丸木橋の下に降り、橋脚付近に陣取る。

 そして、橋に覆われて一際昏くなっている川面に対し、釣り糸を垂らす。


 渓流の中に、魚影が見える。

 引き締まったマスである。数匹が、至る所をすいすいと泳いでいる。


 アンリは、音を立てることもなく、その場で静かに待機する。

 

 しかる後。

 二、三時間は過ぎただろうか。

 ところが、一匹も釣れない。

 マス達は、釣り餌に何ら興味を抱かないのである。


 小鳥が、巨岩の上に着地する。

 そして、アンリをじっと観察する。


 僅かな時間を経て、小鳥はアンリを馬鹿にしたように、甲高い声で鳴く。

 そのまま、その場を後にする。


 しばらくして、橋の上から、複数人の声が聞こえてくる。


「アンリ様がいらっしゃる」


「こんな普通の日に、何をなさっているのかしら?」


「どうせ、いつものグウタラだろう」


「あの人は、本当に何もしないからな」


「でも、勇者だったんでしょ?」


「確かに、昔はキラキラとしていた」


「でも、ああなっちゃ、人間おしまいだな」


「我々にとって、昨日の勇者よりも、明日の食べ物さ」


「関わるな、関わるな」


 アンリは無表情のままである。

 そして、人気がなくなったところで、竿をしまい、立ちあがる。




 アンリは、さらに林の奥へと向かう。

 木々を押しのけ、急斜面を登攀する。


 すると、そこには、ぽっかりと巨大な洞穴が待ち構えている。

 とはいえ、その洞穴はトンネル状に先が抜けている。


 天然のトンネルを抜けると、そこには泉がある。

 泉は、白く濁っており、かつ体温以上に暖かい。

 

 アンリは服を脱ぎ、その身を泉に浸す。


「おや、人に遭遇するとは珍しい」


 アンリが振り返ると、そこにはツリ目の男がいる。

 男は、岩石の隣で、岩石に擬態しているかの如く、固まっていた。

 したがって、アンリは、その存在に気付くのが遅れたのである。


「この秘湯をご存じとは、この辺りに、なかなかお詳しいのですね」


 アンリは、油断なく男を観察する。

 男の身体は、名のある武人を思わせるぐらいに引き締まっている。


「私は、湯治巡りをしている」


「以前に、お会いしましたね」


「私は、最近、この温泉の日参を始めた。となると、出会ったのはこの温泉でだろうか」


「いえ。どこか別の場所で……」


「人違いだ。私には、君のような高貴な知り合いはいない」


「僕はアンリといいます。貴方は?」


「教会に務めている。マルコという」


「司祭様ですか?」


「いや、ただの雑用係だ」


「日々のお勤めに感謝します」


 どこからか、継続的に瀑布の音が聞こえてくる。

 日は、ようやく傾きかけている。


「君は、釣竿を持っていたようだが」


「マスを狙って粘っていたのですが、結局、一匹も釣れなくてですね」


「そういう時もある」


「ええ」


「しかし、この湯に浸かれば、きれいさっぱり心まで洗われることだろう。温泉こそ、デシカ伯領の至宝と言わねばなるまい」


「温泉がお好きなんですね」


「あらゆる温泉を巡った。そして、温泉のお陰で、すっかりと足の具合がよくなった」


「効果があると?」


「ある。私は、以前歩行すら困難であったが、今はこのとおりだ」


「身体機能を取り戻すために、温泉に通ったのですか?」


「そうだ。酷暑の日も雪の日も通い続けた。断崖絶壁の直下にあろうとも効能があると聞けば、必ず赴いた。力を取り戻すと誓った身だからな」


「貴方は強い人ですね」


「そうでもないさ」


「僕には、何かを得たいという執着がない。だから強くなれない」


「そういう時もある」


「貴方も?」


「私は、以前、憧れの人に認められたいと思っていた。しかし、その人は死に、私は目的を失った」


「お辛かったでしょう」


「それでも、今はこのとおり。好き勝手やっている」


「それだけにはとどまらない、執念のようなものを感じます」


「これはもう呪いだ」


「呪い?」


「暗黒大元帥。私は、奴に復讐しなければならない」


「もしかして、貴方は?」


「ただの雑用係だ」


「……」


「そして、今の言葉は、その雑用係の戯言だ」


「はあ」


「奴は、私がすぐにくたばると思っていた。しかし、その目測を覆して、私は元気にやっている。これが、復讐の全容だ」


「彼に、酷い事をされたのですか?」


「ああ」


「彼はどんな酷い事を?」


「たくさんの貸しがあった。しかし、奴は、それを返さなかった。それだけだ」




 夕暮れ時。

 アンリは、館に向かって帰途に就く。


「アンリ様」


「やぁ。荷物が多くて大変だね」


 途中で一人の女性と出会う。

 その女性は、その平和な場面に違和感を感じさせるほど、目鼻立ちが鋭い。


「主の命により、ジルベルト将軍にお野菜をお届けするところです」


「だったら、途中まで一緒だね」


 アンリはそう言いながら、さり気なく女性から野菜を受け取り、運搬を受け持つ。


「アンリ様は、どちらに行かれていたんですか?」


「渓谷でマスを釣ろうとしたんだ。だけど、まったく釣れなくてね」


「お下手なんですね」


「頑張ったんだけどね」


「どうして、マスを?」


「ふと、昔食べたマスの味を思い出してね」


「マスに執心なんですね」


「あれは、本来のマスの味なのか、それとも、隠された香辛料の味だったのか」


「子爵家秘伝のマス料理のことですね」


「そうだ。あれは、君に振る舞ってもらった料理だった」


「マス料理を得意とされていたのは、閣下でした」


「彼が自ら?」


「隠し味の香辛料も、閣下が共和国との貿易で輸入したものです。一体どのような香辛料なのか、私ですらわかりません」


「そっか」


「ごめんなさい」


「いや、いいんだよ」


 二人は静かに歩を進める。


「アンリ様。ここで大丈夫です」


 女性は、アンリから野菜を受け取る。

 そのまま二人は別の道を歩み始める。

 しかし。


「ジーナ。僕にはわからない。彼は、正義の体現者だったのだろうか?」


 ジーナは、ゆっくりと振り返る。

 そして、僅かながら能面に微笑みを浮かべる。


「そんなことはありえません」


「……」


「閣下は、無信仰であり、己の欲望にのみ忠実な人でした。少なくとも、尊敬すべき対象ではありません」


「やはり」


「それでも、何かに必死であり、その向かう先が人に夢を与えるものであったとは思っています」


「わからない」


「近くにいた私にとっても、意味の分からない人でした」


「そっか」


「ただ、閣下の思想が正義であるか否か、そんなことは、あまり意味のないことだと思います」


「……」


「……」


「彼が、間違ってしまったら、その時は、君ならどうする?」


「毒を盛って暗殺します」


「え?」


「嘘です」


「……」


「問い詰めます。納得がいくまで問い詰めてやります」


「それでも理解できなければ?」


「平手で叩いて、目を覚まさせてやります」




 再び、デシカ伯の館にて。

 アンリは座して、デシカ伯に正対する。


「僕に戦えというのでしょう?」


「いえ。貴方は戦うべきではないと考えます」


「しかし」


「戦いなど、将軍ジルベルトや将軍ファウストにやらせておけば良いのです」


「何故?」


「彼らは、職業軍人です」


「この戦いは、大陸の将来を左右する大きなものです。僕の力と僕の名前が必要だ」


「暗黒皇帝は、邪悪な力を得て、傍若無人に振る舞っています。ゼノンや数多の偉人達が封印してきた力すらも解放してしまいました。このままでは、異質な力によって、世界はバランスを崩し、やがて崩壊することでしょう」


「だったら」


「それでもいけません。戦いは、我々の役割だからです」


「わからないよ」


「暗黒皇帝は、貴方が、剣を向けてはならない相手です。彼の正体は……」


「レンゾ・レオナルディ。僕だって知っている。それでも!」


「少し、伝えておきたい事があります。あなたの知らない彼と貴方の話です」


「……」


 デシカ伯は、暗黒大元帥を邪悪なものとして位置づけ、常にその振る舞いを観察してきた。

 なので、暗黒大元帥の多くを知っているのである。


 かつて、彼は暗黒卿と名乗り、子爵としてアンリと二度戦った。

 一度目はアンリに敗れたものの、己の軍隊に最新鋭の火器を装備させ、再びアンリの軍と戦った。

 そして、アンリの軍を完膚なきまでに叩き潰したのである。


 敗北したアンリは、執拗な追撃に遭い、山岳地帯を逃げ惑った。

 しかし、ここで、第三者であるところの狂った魔導士が出現した。

 魔導士は、数千年にわたって高名な人物であり、また、性格破綻者でもあった。見込みのある者を食らい、己の力となす外道であった。

 

 アンリは魔導士に出会うも、既に気は確かではなかった。そして、魔導士のされるがままになっていた。

 その場面に、暗黒卿が遭遇する。


 暗黒卿は武人ではなく、魔導士に挑むなどすれば、確実に殺される。

 その上、アンリを助ける義理もなく、むしろアンリを排除すべき立場にある。

 であるはずなのに、何を思ったのか、遥かに格上である魔導士に攻撃を仕掛ける。


 暗黒卿は瞬殺されるかと思われた。しかし、あらゆる禁忌を破って力を行使し、遂には、魔導士を圧倒する。

 とはいえ、その反動は凄まじく、暗黒卿はすっかりと衰えてしまった。

 

 そして、暗黒卿は、その武勇談を、決して誰にも語ろうとはしなかったのである。

 無論、アンリに対して、恩を着せることもしなかったのである。

 

「彼の信念は理解し難いところにあります」


「彼は凄い人だ」


「……」


「それに、彼は、やはり僕を大切に思ってくれていた」


「何故、彼は、行きずりの貴方を大切にしたのでしょうか?」


「彼は高潔な人物です。人類全てを愛している」


「違います。憧れだけで、彼の本質を理解することなどできません。理解できなければ、彼と戦う資格すらありません」


「ならば、僕を有能な人物として手元に置こうとした。それ以外に説明できない」


「それもあるでしょう。しかし、それは直接の理由ではありませんよ」


「では何故?」


「彼は、自己犠牲を良しとする歪な思想に染まっていました。自己犠牲により、自身の正統性は高まるものだと考えていたのです。ところが、彼自身その歪な思想を恥と考え、その思想から己を解放したいとも考えています。その先にある超越的な何かを探り当てようとして、今、暴れ回っているのです」


「わからない」 


「私にもわかりません。ですが、それでは、彼に飲まれてしまいます」


「僕は、この目で彼の本質を見極める! そのために、僕は活かされている!」


「ええい、聞き分けの悪い子ですね。それでも、覚悟があるというのであれば、剣を取りなさい。勇者アンリ!」

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