42 ワッハッハッハー!
剣の姫キアラ。
彼女は、そもそも皇位継承権を持つ上、暗黒大元帥を破り、正義を実現したという戦歴も有する。
皇帝の座につくには、十分すぎる資質を備えており、その存在は絶対無二のものである。
現状、アルデア帝国は、様々な不運が重なり、凋落の一途をたどっている。
そのアルデア帝国にとって、彼女を皇帝の座に迎えることこそ、起死回生の一手である。
そのことは、誰の目から見ても明らかである。
そのような状況で、キアラがアルデア皇帝になった。
当然、アルデア臣民は、諸手を上げて彼女を歓迎し、その即位に歓喜したのである。
キアラ自身も、そのような臣民からの期待を理解している。
そこで、今までの悪政を正し、国是の転換を世に知らしめる必要があると感じている。
キアラは、まず人材を登用する。
宰相にファーゴを起用し、元帥にレオを起用したのである。とはいえ、両者とも、かつての重臣達に比べれば、人材として小粒の観がある。
それでも、彼らは馬車馬の如く働き、利益を調整し、その上で、直ちにキアラに献策する。
キアラは、その献策に基づき、二つの国家方針を固める。
一つ目は、経済振興策である。
すなわち、国家主導で貿易会社を作り、その経営に、国内の小商人達を参画させることとする。
前皇帝の悪政により、国内の民間部門は、国家に富を独占され、すっかり活気を失っている。そこで、民間部門に再び富を落とそうというのである。
もっとも、小商人達がそれぞれ身勝手に貿易をしていては、共和国の大商人に後れを取る。
そこで、国営の貿易会社が、取引交渉を一手に担うこととしたのである。
二つ目は、元帥レオ発案の領土保全策である。
すなわち、アルデア帝国から独立した傭兵国家トロイゼン及びボルドー王国との決着を付けることとする。
もっとも、帝国ネアとの約定により、アルデア帝国は、帝国ネアからの賛同なく戦争を始めることは許されない。
とはいえ、帝国ネアはトロイゼン及びボルドーを国家として認めておらず、アルデア帝国としては、帝国ネアに話を入れさえすれば、問題なく戦争を始められるものと踏んでいる。
そこで、申請に併せて、侵攻準備を始める。
具体的には、小フッチに対し、大要塞に駐留し、トロイゼンと対峙するよう指示する。また、ザンピエーリに対し、レオナルディ城に駐留し、ボルドーと対峙するよう指示する。
しかし、ここで問題が起きた。
キアラに対し、レオが報告する。
「フッチ卿がフッチ城から動きません」
「大要塞の警護を命じたはずだ」
「おそらく、ザンピエーリ卿に背後を取られることに危機感を覚えたのでしょう」
トロイゼンは、ザンピエーリの経営する大傭兵団を母体とする。小フッチは、大要塞でトロイゼンと対峙している間に、背後からザンピエーリに刺されることを恐れたのである。
「ザンピエーリは、利がある限り、我が国を裏切ることはない」
「しかし、フッチ卿は経験も浅く、その辺りの機微を理解できぬのでしょう」
小フッチは潔癖性であり、ザンピエーリを頭から受け入れられないのである。
「私が直接説得する」
ところが、キアラがアルデア城を起つ直前に、さらなる急報が入る。
レオが報告する。
「ザンピエーリ軍は、レオナルディ城を通過し、西進したとのこと」
「レオナルディ城に駐留せよと命じたはずだ」
どこへ向かっているというのか。
目的地の候補として、フッチ城が容易に想像できてしまう。
まるで、小フッチを刺激するかのように、ザンピエーリ軍は西進を続けるのである。
レオは絶望的な表情で、さらに続ける。
「フッチ卿もこれに応じて、東に軍を進めたとのことです」
小フッチは過敏に反応してしまったのである。
このままでは、両軍は衝突してしまう。
「他国との戦いを前に、内紛を厭わない。彼らは、一体何を考えている?」
「アルデア帝国がいかに力を失ったとはいえ、トロイゼンやボルドーを滅ぼすのは、さほど難しいことではありません」
「彼らは、力を合わせずとも両国を滅ぼせると、高をくくっているというのか?」
「少し違います」
「では、何だ?」
「彼らはともに、救国の英雄たるべきは己のみと、そう考えているのです」
「愚かな」
「彼らが、互いに背を預けるなど不可能です」
「私が説得する」
小フッチ軍とザンピエーリ軍は、大運河を挟んで睨み合いとなる。
そこへ、キアラは僅かな手勢を率いて駆けつける。
さっそく、近くの民家にて、三者会談が開かれる。
キアラが口火を切る前に、小フッチはザンピエーリを傲然となじる。
「貴卿の行動からして、野心があると言われも仕方なかろう」
ザンピエーリは意にも介さず言い返す。
「貴方だって、皇帝の命令を無視したじゃない? だから、私は、貴方のお尻を叩きに来たわけ」
「貴卿は、盗賊上がりの卑しいゴロツキだ。大局を見失っている」
「あらあ。今の言い方、貴方のお父様にそっくりね。もっと、分をわきまえなくてはいけないわね」
キアラは鞘の尻で地を打ち鳴らす。
「争っている場合か!」
対して、小フッチは言い返す。
「陛下。獅子身中の虫は、いずれ我国に仇なします。速やかに剣をとり、ザンピエーリを滅ぼせと、私目にご命令を!」
これに、ザンピエーリは冷ややかに続く。
「皇帝は貴女でなくても問題ない、とだけ言っておくわ」
「正体を現したな!」
「ここで戦うのも悪くないわね」
キアラは、無為な応酬に苛立ち、思わずレイピアの柄に手をかける。
しかし、一瞬逡巡する。
ここで、剣を抜いても、何も解決はしない。
その逡巡の合間。
伝令が入室する。
「帝国ネアの軍船が参りました。その数十艘」
「何をしに来た?」
「皇帝に謁見し、直接言上したいとのこと」
「通せ」
はたして現れたのは、セリアである。
しかし、彼女は、キアラと知り合いであることを明かさないまま、使者としての言葉を伝える。
「停戦を勧告します」
対して、キアラは疑問をぶつける。
「何の権限がある?」
「我々は、アルデア大陸の平和を監督しています。平和を乱す行動を排除します」
「内政干渉だ」
しかし、ザンピエーリが被せるように言い放つ。
「そういうことなら、撤退してあげるわ」
一瞬にして損得を計算し、プライドもなく、返したのである。
キアラも小フッチも唖然としている中、セリアは当然のようにして返す。
「貴卿の平和を愛する心を確認しました。このことは、サルディバル枢機卿にも報告しておきます」
セリアは、それだけ言うと、さっとその場を後にする。
簡単に、騒動の原因は取り除かれ、自然と会談も幕引きとなる。
結果、ザンピエーリ軍はレオナルディ城に向けて引き返すこととなり、帝国ネアの軍船も、移動要塞に向けて引き返していく。
全てを見届けた後、小フッチは呟く。
「初めから仕組まれていたのではないでしょうか?」
「……」
内紛は解消された。
しかし、帝国ネアによる内政干渉の結果が残った。しかも、皇帝には成し得なかった仲介役を、帝国ネアが成し遂げたのである。
ネアは、着実に権勢を拡大しつつある。
「鉄仮面卿いる限り、我国は悲惨を免れ得ない……」
「……」
鉄仮面卿は、自らを囮として、ネアとアルデアの対立を引きおこそうと画策している。彼の誘いに応じて、彼と対決すれば、アルデアはネアと対立することになる。
しかし、彼との対決を避けるならば、避けた分だけ、アルデアは追い込まれていくのではないか。
キアラの心の奥で、漠然とした不安が込み上げてくる。
内紛の後、ザンピエーリ軍はレオナルディ城に駐留し、一方の小フッチは皇帝の命令を無視し、相変わらずフッチ城に留まっている。
早くも、皇帝キアラの威光に陰が差したのである。
ここに至って、彼女はようやく気が付く。
彼女は、レオの提言に一も二もなく従った。しかし、本来、彼女は、命令を下す前に、レオが真に信頼すべき相手か、よく見極めなくてはならなかった。さらに、ザンピエーリの脅威と小フッチの立場をもっと慮らねばならなかったのである。
「不甲斐ない……」
灰色の空には妙に白い雲が浮かんでいる。
霧雨が降り止まず、世界は白く霞んでいる。
キアラは、一人共同墓地を訪れている。
彼女は、月桂樹が掛けられた一つの墓を前にして、雨に濡れることも厭わず、膝を地に屈して黙祷している。
右手には、固く、三日月形のペンダントを握っている。
俄かに、子供の笑い声が聞こえたような気がして顔を上げる。
教会の隣に百合の木があり、花を付けている。その周囲だけがぽっかりと光に照らし出されている。
「感情に左右されるだけのただの小娘……か」
これ以上は無理だ、と思った瞬間。
彼女の心には、いつだって、百合の木が浮かび上がって来る。
かつて、彼女は足手まといにすぎなかった。しかし、強く生まれ変わって、国を救うことが出来た。そして、彼女にとって、その転換の象徴こそが、百合の木なのである。
人は変わるものである。自分に不可能はない。
ところが、唐突に光が失せる。
周囲は、再び白く霞んだ世界に沈んでいく。
キアラは、違和感を感じ、注意深く立ちあがる。
声を落として、言い放つ。
「何か用か?」
怒気を抑えた抑揚のない平坦な声である。
対して、望まれぬ来訪者は、挑戦的に言い返す。
「こんなところで、油を売っている」
「貴方には関係のないことだ、サルディバル枢機卿」
「貴女は皇帝だ。しっかりと、その役割を果たさなければならない」
「よくそんなことが言える。貴方が、私を邪魔している」
「私は、貴女に目こぼしを貰った身であり、貴女を皇帝に推していた身でもある。貴女に対して、害意などあるわけがない」
「ならば、何故、私との対決を望む?」
「貴女の愛と勇気が奇蹟を起こす。きらめく一幕に、私は、心を奪われたい」
「口を慎め、破滅主義者め。最初から、私と対決するつもりだったのだろう?」
「無論のこと」
「ウィリデに対しても、そうやって家畜を愛でるようにして接していたのか?」
「そのような者がいたことは記憶しているが、思い起こすに値しない」
「煽るな」
雲の合間から僅かな晴れ間が顔を出す。キアラの顔に、濃い陰を作る。
鉄仮面卿は、一転して攻勢に入る。
「その墓は、誰の墓だ?」
「教える必要はない」
「なるほど。小レオナルディか」
「見るな」
「いわゆる暗黒大元帥のことだな」
「知る必要はない」
「しかし、意外だ。皇帝自身が、暗黒大元帥の信奉者であったとは。国民がこれを知れば、何と言うだろうか」
「……」
「安心し給え。私は、貴女の行動を否定しない。むしろ、全く素晴らしい行動だと認識している」
「私だけが、彼の本質を知っている」
ひんやりとした風が吹き抜けていく。
「それは違う。この面白みを正確に理解しているのはむしろ私だけだ。全くもってもったいない。だからこそ、詳細に解説させていただく。つまり、暗黒大元帥は、臣民の幸せを願い、王家を守るために悪党を演じた。臣民達はその演技に魅せられて、彼を責めた。結果、彼は絶望の中一人みすぼらしく、そしてあっけなく散っていった。それだけでなく、彼は、死んだ後も嫌われ役の頂点として世界に君臨し、人々を団結させ世界平和の一助にすらなっている」
「何が面白い?」
「暗黒大元帥の演技に騙された貴女は、彼を見殺しにした。そして、貴女は、彼の功績を横取りしつつ、さらに彼を倒した功績を得て、今、人々からの評価を一身に受けている。その貴女が、彼の演技を見抜いた後、どのような行動を取ったのだろうか。貴女は、彼が悪魔とそしられようとも常に素知らぬ顔を通した。そして、己が困った時には、私は知っているなどと彼の墓に語り掛けて、ご満悦。大変都合の良い話であり、素晴らしい思考法だ。貴女は、自責の念に駆られている自分自身が健気で愛おしくてたまらない」
「何が面白いと言っている!」
「慌てるな、事の本質を解説するのはこれからだ。暗黒大元帥は、本当は、臣民から、そして何より、貴女から認めて欲しかったのではないか? そのような助平心にこっそりと浸っていたのではないか? 暗黒大元帥と呼ばれているが、いつかは皆が自分のことを正義の勇者だと認めてくれるのではないかと、甘美な妄想をしていたのではないか? そして、貴女に自身の理想を継いで欲しかった。貴女に敵討ちをして欲しかった。貴女に汚名を注いで欲しかった。そのように考えていたのではなかったか?」
「彼に、私情はなかった。悲しいほどに、私情を切り捨てていた」
「そうだ。貴女は、暗黒大元帥がよもや人間であるとは絶対に思い至らない。だから、彼の期待を裏切って、こうして墓前に佇むだけ。そして、より重要なことは、彼もまた、貴女の期待に応えて、超越者であろうと自己を定義したことだ。甘美な妄想を討ち捨て、それでも平気だと自分に言い聞かせた。彼を追い詰めたのは、間違いなく貴女の手腕であり、実力だ。誇るがいい。そして、安心するがいい。死人である彼に、もはや、貴女を恨む資格などない」
「貴様には何もわからない!」
「もっと、都合のよい考え方もできるかもしれない。貴女が幸福でありさえすれば、暗黒大元帥も幸福であった。きっと、彼は、そういう根元からおめでたい男であったに違いない」
「違う……」
「今まで堪えに堪えてきたが、正直な感想を言わせて欲しい。一言でいえば、彼の人生は滑稽だ! お人好しで阿呆そのものの惨めな人生であり、裏切られることは必然であった。そのことに思い至らぬなど、犬畜生にも劣る愚鈍。しかし、もったいない逸材ではある。私が貴女の立場であれば、もっともっとそいつを奴隷のように利用してからゴミクズのように捨ててやったのにな! 僅かな希望を匂わせて、一切報うことなしに徹底して使い潰してやりたい! その偽善の仮面が剥がれるまで、何度でも何度でも何度でも何度でも使い潰す! みすぼらしくただひたすら哀れで惨め。それでも一縷の希望にすがりつき、人に尽くし続ける。そして、報われないことにいつしかとまどい、ついにはどうしようもなく悲嘆に暮れ、ただただ天を仰ぎ見て助けを求める。失望に取りつかれたその間抜けで無様な面を、それでも必死に笑顔の下に隠す。最後には、皆が幸福であれば、俺のことはいいやなどと、とてつもなく愚かな言葉を口走る。愚かだ! 素晴らしく愚かだ! 並み居る悪党の中でも、最も愚かしく最も人間臭い。せっかくならば、もっともっと絶望感に打ちひしがれながら無残に死んでくれれば、さらに楽しめたものを! ああ、貴女の気持ちが手に取る様にわかるぞお。これは、愉悦以外の何物でもない、笑わずにいられるか、とな! イヒヒヒ。しかし、人々はあだ名を付けるセンスがないな。彼は、暗黒大元帥などではなく暗愚鈍大元帥。頭の中身は虹色大元帥。アッハッハッハ、ハッハッハッハ、ハッハッハッハ!」
「笑うな! あの人のことを侮辱するなッ!」
キアラの体が怒りに震える。
「動揺せずともよい。貴女の行動に責められるものは何一つない。むしろ、愚か者を積極的に利用するその姿勢は敬服に値する。ヒヒ」
「黙れ!」
大きな怒鳴り声が周囲に響く。
響き渡った後の静けさの中、雨音が続く。
「そんな甘美で耽美な犠牲に成り立った平和を壊そうとするだなんて、私はなんて悪い奴だ。そうだ、倒さなくてはならない」
「鉄仮面。貴様は間違いなく鬼畜外道だ。だが、私の中には引き継がれた思いがある。私は決して貴様と決闘しない。そうである以上、貴様はアルデアを破滅させることは出来ない。貴様の負けだ」
キアラは、鉄仮面卿を睨みつけている。
鉄仮面卿も、身じろぎせずにキアラを見下ろしている。
ややあって、鉄仮面卿は、キアラの足元の墓に目をやる。
キアラの表情を観察しながら、片足を上げる。
鉄仮面卿の長靴が墓を蹴り上げ、墓はもろくも砕け散る。
さらに、彼は、キアラの表情を観察しながら、細かく散らばった白い破片を一つ一つ馬鹿丁寧に踏み砕き、踏みにじり、そしてにじり潰す。
完全にバラバラになるまでだ。
刹那、キアラの額から電雷が走る。
キアラは腰元のレイピアを一気に引き抜く。
「それほどまでに死にたいなら、貴様の命を賭けるがいい! 決闘だ! 血祭りにしてやる!」




