39 幕開ける闘争社会
キアラは、既に意識を手放している。
衛士達は、キアラを近くの公会堂に運び込み、ベッドに寝かしつける。
とにかく外傷が酷い。とはいえ、この世界に医者などいない。
そこで、医者の代わりに、ゼノン教の司祭やらシスターやらが呼ばれる。彼らが神に祈りを捧げるだけで、いかなる傷もたちどころに癒えるものと信じられているのである。
無論、祈りだけで、容態が回復することはない。
しかし、シスターの中にロサが紛れ込んでいる。彼女には、超常的な癒しの力がある。
彼女は、大胆にキアラに迫り、そのおでこに自分のおでこをくっつける。
すると、キアラの身体は熱を帯び、視認できない速度ではあるが、僅かずつ回復していく。
それから、三日。
キアラの外傷は目立たないものとなり、キアラは、穏やかな寝息をたて始める。
さらに、四日目の朝。
ついに、キアラは目を開く。同時に強烈な眩暈を覚える。血を失いすぎたのだ。
それでも、気丈に体を起こす。
その瞬間。
イザベラがキアラに抱き着く。イザベラは、ずっとキアラの側でキアラを看病していたのである。
二人とも言葉を発することはない。しかし、キアラは、義姉の優しさを目一杯に感じている。
キアラは周囲を見渡す。
他には、ロサが椅子の上で眠りこけている。
イザベラは、涙声で説明する。
「彼女の癒しがあったからこそ、貴女は、奇跡的に回復できたのですよ」
「……」
キアラは腕を動かす。
幸運なことに、壊れたはずの右腕の感触まで戻っている。
「何故、このような危険なことをしたのです?」
悲しい顔をしている。
「治安維持のためです。危険な目に遭うのは、止むを得ないこと」
「ルキノ、あの子と関係のあることなのでしょう?」
「関係ありません」
「だとしても、二度とこんなことはしないと、私に誓ってくれますか?」
「義姉上の前では、まるで、自分が悪戯っ子でもあるかのように錯覚してしまいます」
「はぐらかさないで。そうそう、オリヴィアにも伝えなくてはいけないわね。あの子と貴女は、姉妹も同然ですからね」
キアラは目を逸らす。
既に、オリヴィアとの交流は途絶えている。
そこに、内務卿が入室してくる。
「殿下! この度は偉大なる勝利、おめでとうございます!」
「どこから聞きつけた?」
「街中で噂となっております。曰く、剣の姫が大怪人を撃滅した、と。その英名はあまねく轟いています」
「元より、化物などに後れを取るはずがない」
「護国卿にファーゴ卿、宰相に黒騎士と、力ある者達は皆いなくなりました。しかれども、剣の姫。貴女だけは、確たる不滅の象徴としてここにいらっしゃる」
「何が言いたい?」
「すぐにでも復帰を願います」
すると、イザベラは珍しく怒気をあらわにして、内務卿を叱りつける。
「この子は今、静養しているのです。急き立てるようなことは、私が絶対に許しません」
「大義を見損なってはなりませんぞ。今こそ、キアラ姫殿下が、皇帝の座につくべきなのです」
「この子は、まだほんの子供です。貴方達は、この子が危ない目に遭うことのないよう、守らねばならない立場にあるというのに、何故、寄ってたかって、この子を危険に晒そうとするのですか?」
イザベラにとって、キアラの成長など、目に映っていないのである。
「しかし、このままでは、アルデアは滅びてしまいます」
「断じて許しません!」
「……」
内務卿は、キアラからここで言質をとるつもりであった。
しかし、イザベラに挫かれて、項垂れたまま部屋を辞去する。
「心配することはありません。貴女は、ゆっくりと休まなくてはなりません」
イザベラの慈愛に満ちた笑顔は、しかし、キアラを閉じ込める鳥籠として機能するのである。
「今朝方から、何度も呼んでおろうがッ!」
次に、暴風のようにして入室してきたのは、現皇帝ロメオである。
現皇帝に追随する侍女が、必死に弁明する。
「容態が思わしくなかったため、あえてお伝えしませんでした」
「剣の姫は、このようにピンピンしておるではないか!」
「私の落ち度にございます」
「言われた事すら正確に伝えられぬとはな!」
「すみません……」
「それよりも本題だ、剣の姫」
「はッ」
キアラは、ベッドの上で居住まいを正す。
「何故、ルキノを庇ったのだ?」
「それは……」
そこで、イザベラが声を上げて、キアラを問い詰める。
「貴女は、ルキノを庇って、怪我を負ったというのですか?」
「……」
「なんということ! ルキノを助けたせいで、貴女はぼろぼろになってしまった」
イザベラはじわっと涙を流す。
「違うのです、義姉上……」
現皇帝は声を荒げる。
「つまらぬ茶番は後にせよ」
「はッ」
「剣の姫よ。お前は、ルキノをネアの皇帝に推そうとする一派を知っておるな?」
「存じております」
「お前は、ルキノを救った。つまり、その邪悪なる一派に加担したことに他ならない」
「しかし……」
「つまり、お前は、枢機卿が皇帝になる未来を否定したのだ」
「そのようなつもりはありません」
「枢機卿に礼を欠いた。そのことに、気付かぬというか?」
「彼は、そのようなことを気にする人物ではありません」
「しかし、枢機卿は、アルデア城から離れ、移動要塞に移ったときく」
「何か用事が出来たのでしょう。気を遣うには及びません」
「謝罪に行け。今すぐだ!」
イザベラはすぐに異を唱える。
「この子は、まだ本調子ではありません」
対して、現皇帝は怒鳴り上げる。
「そんなこと、知ったことではないわ!」
キアラはイザベラに微笑みかける。
「義姉上、私は大丈夫です。おかげさまで全快しました」
そこに、現皇帝は言葉を被せる。
「誠意を見せるために、お前一人で行くのだぞ」
現皇帝はあらゆる捨て台詞を言い放ち、侍女を引き連れて退室する。
しばらくの後、イザベラも躊躇いがちに辞去する。
キアラは現皇帝の命令を遂行すべく、立ちあがる。
すると、今まで眠っていたはずのロサが、唐突に体を起こす。
キアラは声を掛ける。
「いろいろと助かった。ありがとう」
「嫌な予感がする」
「いつも、突然だな」
「移動要塞には行くな」
「そういうわけにもいかない。私は、鉄仮面卿と対立したくはない」
「行ったら絶交だ」
「貴女はゼノン教の信者だ。その立ち位置からものを見ている。私が成すべきことは、貴女にはわからない」
「君は、どうしてそんなにわからずやなんだ……」
キアラは、石橋を渡って移動要塞へと向かう。
移動要塞の下腹部から石橋の突端に向かって、光の柱が形成されている。
光の柱の中に入ると、全身が浮遊し、移動要塞の中に吸い込まれていく。
「待っていた」
キアラを出迎えたのは、セリアである。その衣装は白くてゆったりとしており、アルデア帝国臣民の普段着とは大きく異なる。
「何故、ここにいる?」
セリアの友人エリオは、アルデア帝国を裏切り、暗黒大元帥を名乗って国家転覆を狙った。無論、セリアの加担も疑われているところだ。
そのようであるところ、帝国ネアは、エリオとセリアの身柄を要求し、彼らは移動要塞に送致された。
そのセリアが、移動要塞の中で収監されることなく、のうのうと過ごしているのである。
ありえない事態である。
「僕は、君を案内するためにここにいる」
「お前は重罪人だ。何故、釈放されたのかと聞いている」
「僕に聞かれてもわからないよ」
「エリオも釈放されたのか?」
「彼は、監禁されている」
「お前は、誰に釈放された?」
「サルディバル枢機卿の近衛さ」
「枢機卿が?」
「近衛さ。僕がここに来たのも彼の指示だ。僕は、エリオを守るために、彼の指示に従っている」
「お前は邪悪思想の体現者だ。案内役でなければ、今頃、切り捨てていたことだろう」
「そこまで言わないでよ。こうして顔を合わせるのは、久しぶりだっていうのに」
セリアは悲しい顔をする。
キアラは、そのまま要件を伝える。
「サルディバル枢機卿と話がしたい」
「彼は留守だよ」
「どこにお出かけか?」
「わからない」
「いつ戻る?」
「わからない」
「私を追い返せと指示されたのか?」
「そうじゃない。でも、枢機卿は危険だ。会うのは止めておいた方がいい」
「何故、邪魔をする?」
「僕は、枢機卿の近衛に頼まれて、インゴ教皇と接触し、教皇を枢機卿に引き合わせた。その直後、ルキノ様がオーグ教団に襲われた」
キアラは瞳を見開く。その眉間には、視認できるほどの電流が走る。
セリアの言葉を深読みすると、つまり、鉄仮面卿が暗黒教団に指示して、ルキノを襲わせたと解釈できるのである。
キアラは平常を保つために、思考を巡らせる。
確かに、己の立場からすると、家族同然のルキノをさらわれたというのは、許せない事件である。
しかし、枢機卿にも言い分はある。彼は、ルキノの登場によって、ネア皇帝の座を喪失する可能性に直面したのである。
ならば、ルキノを亡きものにしようとしてもおかしな話ではない。
しかし、鉄仮面卿の言動からすると、彼が皇帝の地位に執着していないのは明らかである。なのに、何故、ルキノを襲ったのだろうか。
わからない。
むしろ、セリアの言葉が嘘であることを願うばかりである。
「であれば、なおさら面会したい。約束はとれるか?」
「枢機卿は君との対決を望んでいる」
「何故だ? そのことに何の意味がある?」
「理由はわからない。でも、僕はそう直感した」
「ありえない」
「君は、どうする?」
「私は、ルキノをネアの皇帝に推すつもりはない」
「だとしても、枢機卿は、別の方法で、君を追い詰めにかかるだろう。逃げ場はない」
「彼と争うつもりはない」
セリアはくるりと背を向ける。
「枢機卿の近衛から、君に見せるように言われたものがある。付いてきて欲しい」
そもそも、キアラにとって、セリアは裏切り者である。
怪しげな誘いにのるべきではない。
とはいえ、キアラ自身、鉄仮面卿のことを信用しきれなくなっている。むしろ、理解し難いその行動原理に、僅かな恐怖感を覚えている。
つまり、この機会に、彼の情報を少しでも収集しておきたい。
そこで、キアラは、先を行くセリアに追随したのである。
セリアは、キアラを一室の前に招き、そして、その扉を開く。
すると、中から冷気とガスが溢れ出してくる。一気に視界が悪くなり、キアラは剣の柄に手をかける。
しかし、一瞬の後。
そこは、既に屋外であり、青空が見える。振り返ったところで、扉の影形もない。
キアラの周囲には、驚くほどに大勢の人々が密集している。むしろ、キアラの周囲どころか、見渡す限りの人人人である。
人々は一様に、円形の場内を見下ろし、歓声を飛ばしている。
ここは、キアラの記憶にある場所である。
すなわち、レオナルディ城付近に設置された円形闘技場である。キアラは、その観客席の最前列に転移したのである。
しかし、不思議なことに、この国の姫であるキアラの存在に、誰も気付くことはない。
ただひたすら、熱狂的に歓声を飛ばしているのである。
「前代未聞の組み合わせだな」
「普段見られない、高貴な人達の闘いだ」
「しかも、女同士の闘いなのだろう?」
「それならば、迫力に欠けるやもしれぬな」
「しかし、優勝者には、次期皇帝の妃になる権利が授与されるらしい」
「それは面白い」
「大層な嫁選びだ」
「俺達でも候補者を応援したくなるわな」
「しかし、闘ってまで、次期皇帝の妃になりたいと思うものだろうか?」
「何を言う。妃になれば、絶大なネアの権力の傘を得られるのだぞ。俺だって、妃になりたいぐらいだ」
「止めておけ。次期皇帝が泣いてしまう」
「まぁ、俺としては、純粋な乙女心から生まれた決闘であって欲しいと思うわけだが」
「乙女心で誰が闘うかっての」
「ともあれ、とんでもないエンターテイメントだ」
「次期皇帝は、本当にわかっていらっしゃる!」
「しかも、その候補者が二人ともとんでもない有名人だときている」
「無論、知っているさ。一人は海神メルティノープルの末裔だ」
「なんだって!」
「ひょっとして、あの、コルドバの名門出身の?」
「しかも、イザベラ様の妹君でもあらせられる」
「執政官オリヴィア!」
「家宝のトライデントは海流を操る。コルドバの象徴といっても過言ではない」
「対する候補者は?」
「激怒皇帝亡き後の、北方の戦国時代をまとめ上げた恐るべき女傑」
「しかも、我国を幾度となく苦しめた大熊公の一人娘」
「神聖帝国皇帝キトリー・カーンだ!」
「絶世の美女ではある」
「しかし、先陣をきるような姿は想定できないが」
「いやいや。噂によれば、血染めの姫ともきく」
「巨大な戦斧で、男どもの脳天を勝ち割ってきたらしい」
「おそるべき相手だ」
「はたして、どちらを応援すべきか」
「これは楽しみだ!」
「ドゥッハッハッハ!」
しばらくの後、闘技場に決闘者二名が現れる。
一人はトライデントを握っている。
一人は赤く染まった戦斧を握っている。
間違いなく、オリヴィアとキトリーである。
闘技場において、オリヴィアとキトリーが闘おうとしているのである。
しかも、おそらくは鉄仮面卿の妃をめぐって、二人が争うことになるのである。
思わず、キアラは声を出す。
「何故闘う?」
キアラは群衆をかき分けて前に進もうとするが、前に進むことすらかなわない。
「どういうことだ?」
対して、セリアが答える。
「君は動けないし、この場の何物にも触れることも出来ない。これは、部屋の中に、闘技場の光景を映し出しているだけのものだからね」
「止めさせなければ」
「当人同士が決めた話だ。僕達が関わるべき話じゃない」
そのとおりである。
いくらこの決闘に品がないからといっても、キアラに、彼女達の行動を止める資格はない。
彼女達は、鉄仮面卿を愛しているのかもしれないし、そうでないとしても、彼女達は、己の背負う国家のために、己のプライドを投げうってまで、鉄仮面卿の関心を買おうとしているのである。
いずれにしても、口出ししていい事柄ではないのである。
それに、キアラには、彼女達を止める義理もない。
確かに、キアラと彼女達は一時期、本当の姉妹のように交流もした。しかし、それはあくまで、国家間の平和を演出するためのものに過ぎず、そこに真心などなかったのである。
しかし、それでも、キアラは、彼女達に本当の友人であって欲しいと、一方的な願いを抱いてしまっている。だからこそ、彼女達が相争う姿など、見たくもないのである。
とはいえ、眼前の光景に干渉できないとなれば、キアラには何もすることは出来ない。
唇を強く噛みながら、ただただ行く末を見守っている。
闘技場にて。
先にオリヴィアが口を開く。
「やめなさい。これ以上ここにいると、怪我をしますよ。私は、貴方と戦いたくない」
キトリーが答える。
「ずるいです、お義姉様。私の恋路を邪魔するなんて、本当に酷い……」
その声は上ずっている。そればかりか、その手はぶるぶると震えている。
実際のところ、キトリーは戦斧など持ったこともないのであり、闘いなど見るのも嫌なのである。
それが、成り行きからこのような場に引きずり出されてしまったのである。
しかし、観客席は、その哀れな姿を見て、どっと笑い転げている。
しばらくの後、二人は神妙に宣誓する。
「皇帝万歳! 死にゆく者達より敬意を捧げます」
二人が宣誓を捧げる先には、鉄仮面の姿がある。
何の言動もみせず、ただ闘技場を轟然と見下ろしている。
そして、ついに闘いが始まる。
オリヴィアは、躊躇なくトライデントをふるう。
すると、トライデントから大量の水流が現れ、八本の濁流となって闘技場内を大暴れする。
キトリーは、既に半べそをかいている。それでも火事場の馬鹿力を使って、巨大な戦斧を滅茶苦茶に振るい、オリヴィアに突進していく。
しかし、水流に足をとられて、呆気なく転倒する。
「ごめんなさい」
オリヴィアは、キトリーのすぐ傍にトライデントを突き立てる。
八本の濁流は途端に収まる。
こうして、決闘は一瞬で幕を閉じたのである。
「蓋をあければ、つまんねえ決闘だったな」
キアラは、二人の身に怪我がないか、じっと二人の様子を見ている。
やがて、小さな声で呟く。
「鉄仮面が、二人を闘い合わせたというのか……」
途端に、闘技場の光景は霧に閉ざされ、あっさりと消失する。
そこで、セリアが、キアラに声をかける。
「君に会わせたい人がいる」




