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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第六幕 快楽をもたらす者
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36 現実を食らうロマンティックビースト

 春になったというのに、曇天が続き、一向に気温が上昇しない。

 

 ところで、ネアの遺跡から、複数の石板が発見された。

 石板には、次のような物語が記されている。


 かつて、カトーという人物がいた。彼はどこにでもいるような平凡な男であったが、皇帝アウグスタと古くからの親交があった。そのために、彼は、市長の座にまで昇りつめた。

 彼は、そのような来歴を持ちながらも、別の権力者の後ろ盾を得て、アウグスタを裏切った。具体的には、彼女から力の貴石をくすねたのであり、その結果、彼女は力を失い、反乱軍に帝都ネアを奪われ、ついには、行方不明となったのである。

 一方のカトーは、権力の空白を縫って、アグリオンの皇帝となった。


 古代帝国滅亡後の歴史は、長らく謎のままであった。それが、このような形で、僅かながらも明らかにされたのである。大変喜ばしいことである。

 しかし、ここで問題が生じる。

 

 アグリオンという地名は、現在のアルデア城付近にその名残がある。

 となると、アルデア帝国の由来は、アグリオンの帝国にあると考えるのが自然である。そうすると、アルデア帝国の始祖はカトーになる。

 つまり、泥棒、それもアウグスタの足を引っ張ったつまらない泥棒こそが、アルデア帝国の始祖であった。


 そもそも、アルデア帝国は、アウグスタを始祖に仰ぐと僭称してきたのであり、そうすることで、他国に対して、その正統性をアピールしてきた。

 そのアイデンティティーが、この物語のせいで、脆くも崩れ去ったのである。

 

 結果、アルデア帝国の権威は著しく凋落することとなった。

 

 アルデア現皇帝ロメオは、この事態に対処すべく、大きな決断を成す。

 すなわち、ゼノン教の国教化である。

 現皇帝は、国家を維持するために、ゼノン教の権威に縋りついたのである。

 そこで、教皇サロモンは多くの司祭をアルデアに派遣し、アルデア帝都の雰囲気は一変することとなった。


 それだけでは終わらない。

 

 現皇帝は、さらに国力増大を掲げて、国家による対外貿易の独占を決断した。

 貿易相手は、主に巨大企業スマイリー商会であるから、国内の小商人が場当たり的な交渉を行っても勝ち目はない。スマイリー商会の餌食になるだけである。したがって、アルデア帝国自ら、その権威でもってスマイリー商会と価格交渉を行うこととしたのである。

 

 この事によって、確かに、輸入物品の価格は安定した。

 しかし、民間部門に富が落ちることはなくなり、帝都は一気に活気を失ったのである。




 財務卿は、キアラに対して訴えかける。


「陛下は、貿易で稼いだ資金の大半を、ゼノン教に寄進しました」


 ゼノン教とスマイリー商会は、共和国を紐帯として深く結びついている。

 つまり、アルデア帝国は貿易による儲けをゼノン教に吸収され、富を蓄積できないのである。


「何故、私に相談しなかった?」


 キアラは、宰相を問い詰める。

 今回の施策に関して、キアラは完全に蚊帳の外にあった。


「私も、何も聞かされておりません」


「では、誰が決めたというのだ?」


「陛下の独断です」


「何故、貴方は、そのような専制を許している?」


「陛下より説明がありました。緊急事態であったため、非常大権を使って判断したとのこと」


「ありえない」


「それだけではありません。陛下は、帝国の分割統治を望んでおられます」


「は?」


 ただでさえ、アルデア帝国はボルドー、トロイゼンの独立により、大きなダメージを負っている。それに加えて、分割統治などしようものなら、たちどころに空中分解しかねない。弱体化は必至だろう。


「会議は開催されず、陛下は、我々との面会を拒否しています」


「どうなっている……」


「……」


 キアラはさらに続ける。


「しかし、不思議な事だ。我々を通すことなく、陛下が独断で動くなど、今までになかった行動だ。それに、その行動を支える臣下にも心当たりがない」


 全体派閥は、唯一現皇帝を推していた派閥だが、既に崩壊した。つまり、もはや、現皇帝の手足となる者はいない。


「鉄仮面の仕業です」


 確かに、鉄仮面卿はゼノン教教会の枢機卿であり、教会利権を代表する男でもある。ゼノン教に利益誘導することは優に想定できる。


「しかし、彼に何が出来るだろうか。彼に対しては、以前から多くの監視を付けているが、彼は、大学と私室を行き来し、たまに礼拝堂に顔を出すぐらいだ。活発に縁故を作っているようにも見えないし、元から多くの部下を従えているようにも見えない」


「近頃、帝都近郊にはネアの兵士や暗黒教団の教徒までもが徘徊していると聞きます。鉄仮面が、彼らを操っている疑いがあります」


「妄想の域を出ない」


「とはいえ、陛下は鉄仮面に心酔しています。陛下の行動を操れる人物は、鉄仮面以外におりますまい」


「仮にそうだとしても、彼が、この国の破滅を望んでいるとは思えない。はたして、何を意図しているのか」


「そのようなことを仰るのであれば、貴女もまた、鉄仮面の術中にあるのかもしれません」


「私が?」


「あの者からは、暗黒大元帥にも似たあくどさを感じます。およそ信用すべき人物ではありません」


「疑い深いことだ。だが、そこまで言うのであれば、私が、鉄仮面卿の真意を問いただそう」


 キアラは身軽に立ちあがる。


「お待ちください」


 宰相も立ちあがり、一歩キアラに近づく。


「何か?」


 宰相は声を落として、語り掛ける。


「皇帝ロメオは、己の権勢が皆無であるにもかかわらず、そのことに気付くことなく、反対する者を次々に更迭しています。このままでは、皇帝が討たれるか、帝国が三分割されます。いずれにしても、国力の低下は必至……」


「だからこそ、我々が支えると誓った」


「貴女が立たなければ、この国は滅ぶ。その局面に立っています」


 キアラは、宰相に背を向ける。


「……」


「どうして、おわかりにならない」


 キアラはそのまま逃げるようにして、その場を離れる。




 キアラは鉄仮面卿の私室を訪ねる。

 しかし、部屋から顔を出したのはロサである。


「鉄仮面卿は不在だよ」


「どこに行った?」


「知らない」


「貴女は、彼と親しいのだろう?」


「私は、彼を監視している」


「彼が、アルデア皇帝のご意見番を務めているという噂を聞いた」


「わからない……。ただ、宰相は、ルキノをネアの皇帝にあてがおうとしている」


「ルキノの話は聞いた。しかし、荒唐無稽な話だ。宰相が、そんなでたらめを信じるはずがない」


「宰相には目論見がある。鉄仮面卿の正統性に揺さぶりをかけようとしている」


「だとしても、鉄仮面卿はそもそも、皇帝になりたいとは思っていない」


「鉄仮面卿の心は見えない。ただ、安定した荒野がどこまでも広がっているだけ」


「そう……」


「あけっぴろげに見えて、一言も本音を漏らさない。アルデア皇帝と教会に忠実であるように見えて、そんな姿を装っているだけにも見える」


「貴女が言うなら、間違いなく相当な変人なのだろう」


「キアラ。君は、彼をどう見ている?」


「アルデアの行く末を憂える頼もしい同志……。そうあって欲しいと、心から願っている」


「鉄仮面卿から、一つだけ伝言を預かっている」


「私に? 何かしら」


「暗雲は去り、空はいずれ拓かれる。そう言っていた」




 キアラは、鉄仮面卿の私室を後にする。

 すると、いつの間にか、キアラと並行して歩く男がいる。


「殿下。中庭にて、散歩などいかがでしょうか?」


 その男は、内務卿である。

 直近において多くの大臣が純血派出身者に代替わりし、この男もその一人である。


 二人は、木洩れ日の差すテラスへと移動する。

 そこで、内務卿は、小声を作って報告する。


「今しがた、宰相閣下が更迭されました」


「何だと?」


「共和国の商人から多額の献金を受けていたそうです。私室からそのような証拠が見つかったと知らされました」


「宰相は私心のない男だ。そのようなことあるはずがない」


「無論のこと」


 キアラは眩暈を起こす。

 宰相を失うという事は、自身の片腕を失うのと同じである。


「宰相は、今どこにいる?」


「事前に危機を察知し、既にアルデア城を抜け出したようです。ただし、その行方はようとして知れません」


「更迭は、陛下のご意向か?」


「皇帝ロメオは臆病者です。故に、彼を陰から操る者がいます」


「誰だ?」


「鉄仮面。奴は、皇帝に取り入り、中枢に寄生し、我が国を自在に操縦しようとしています」


「しかし、確証はないのだろう?」


「皇帝は今や、奴以外の者と面会することはありません。これが何よりの証拠」


 しかし、キアラは既に聞き及んでいる。

 宰相は、ルキノをネアの皇帝に推して、鉄仮面卿の権勢を削ろうとしている。

 それが真実ならば、鉄仮面卿も、宰相を排斥しようとするはずである。その行動には十分な理由があり、いずれを悪党ということもできない。

 つまり、これらの行動は全て権力闘争の一環に過ぎない。


「陛下に謁見を申し出る」


「我々は、別の行動を起こすつもりです」


「鉄仮面卿をどうする?」


 内務卿は黙して語らない。


「止めておけ」


「しかし」


「その役割は、本来、剣の姫が担うべきものだ。私が、必要と判断した時は、その時は、私が、公に正義を執行してみせよう」




 キアラはその足で、皇帝の間に乗り込む。

 衛士を押しのけ、なかば無理矢理に侵入した形となる。


「キアラ姫か」


「何を考えておられる? この緊急事態に宰相を更迭するなど、気は確かですか?」


「奴は、ネアの皇帝にルキノをあてがおうとした。ルキノなど、ただの戦災孤児に過ぎんというのにな。これは、帝国ネアに対する冒涜であり、我々の精神的支柱を破壊する行為ですらある」


「しかし、宰相は、四代の君主を支えた偉大な忠臣です。そのような忠臣を失うとなれば、陛下に対する臣民からの信頼も失われます」


「だが、その忠誠を全て帳消しにするような失態だ。枢機卿にも申し訳が立たぬわ」


 結局、現皇帝に意思はない。

 鉄仮面卿の操り人形となっている。

 キアラは、早くも、これ以上の会話が無意味であることを悟る。

 そして、真に議論すべき相手は、鉄仮面卿であると理解する。


「枢機卿、枢機卿。二言目には枢機卿と仰る。陛下は、彼と私が争う時は、私をも更迭するというのですか?」


「そのようなことにはならん。ならんのだ」


 現皇帝ロメオはそっぽを向く。


「私は抗いますよ」


「それはそうと、枢機卿がお前を探していた」


 現皇帝は、ばつが悪そうに話をずらす。


「私も、枢機卿に話があります」


「あの男は、お前に避けられているのでは、と心配しておった。ひょっとすると、お前のことを気にいっておるのやもしれぬ」


「つまらないことを」


「そう言うな。私は、あの男ほど、頼りがいのある男を知らん。あの男に見初められるならば、お前も女としての悦びを知ることができよう」


「寒気がします」


「あの男の機嫌を損なわぬよう、十分に接待してくるがよい。まずは剣を置いて、それから、きれいに着飾ってだな。そうだ、お前はあの男の力を借りて、この国の危難に立ち向かうのだ」


「……」


 キアラは固く口を結ぶ。

 現皇帝は、自分自身が危難を呼び込んでいることに、全くの無自覚である。

 そして、彼女は、そんな現皇帝に対して罵詈雑言が飛び出さぬよう、口を開ざしたのである。


「お前とて、その程度の良識はあるはずであろう、のう?」




 鉄仮面卿は公会堂にいる。

 現皇帝は、キアラに対してそのように伝えた。


 キアラは私室に戻り、感情に任せてレイピアの柄を鷲掴みにする。そのまま、鉄仮面卿の元へと切り込みに行くような勢いである。

 しかし、思い直して、机の上にゆっくりとレイピアを置く。


 キアラの内心は複雑である。


 鉄仮面卿は悪党なのか、悪党でないのか。加害者なのか、被害者なのか。人によって、物の見方によってその評価は分かれてくる。

 彼女自身はというと、出来ることならば、鉄仮面卿と争いたくはないと考えている。

 なぜなら、鉄仮面卿は帝国ネアの有力な皇帝候補であり、また、共和国の実力者でもある。両国との関係性を悪化させないためにも、鉄仮面卿とは親しくしておきたいのである。


「国のため。それ以上のことは何もない」


 キアラはそう自分に言い聞かせて、心を落ち着かせる。

 結局、現皇帝の指示に従い、美しいドレスに着替える。




「お待ちしていましたよ」


 公会堂の大部屋にて。

 鉄仮面卿はテーブルを前にして、ぽつねんと一人着席している。その声音は、驚くほどに朗らかである。

 キアラは、洗練された立ち居振る舞いで、務めて静かにその側に座る。


「話があると聞いた」


「ずっとこのような場でお話ししたいと思っていました。二人っきりでね」


「気遣い感謝する」


 鉄仮面卿はゆるゆると話をしていたが、キアラの顔面に視線をやると、しばらく固まる。


「ほほーう」


「……」


 あまりにも馬鹿っぽい発声に、キアラはイラっとする。

 しかし、感情を殺して、真面目な顔を崩さない。


「戦場での貴女は、雷神そのものです。それが、一度戦場を離れるや、まさに美の化身。恥ずかしながら、驚くばかりで声も出ない」


「そんなことを言うために、私を呼んだのか?」


 キアラは急に不安が込み上げてくる。目の前の男は、自分に対して下卑た欲を抱いているのではないか。


「もちろん、違います。貴女が、私に聞きたいことがあるように思い、お呼びだてした次第」


「……」


「どうやら、聞きたいことなどなかったようですね。私の勘違いだったか」


「まず言っておく。私は、貴方を信じている」


「ハハハハ。それは信じない者の言葉ですね」


「……」


「結構結構。であれば、信じていただくためにも、質問に答えると言います」


「何故、貴方は、帝国の分割統治など決断した?」


「それは、皇帝の意思です」


「後押ししたのは貴方だ」


「後押しなどしていません。ただし、各行政区間の競争により、住みよい社会が率先して作られるというのはさもありなんと考えています。つまり、悪いアイディアであると思ってはいません」


「その結果、国の力は弱体化する」


「皇帝の力が弱体化するのはそのとおりでしょう。しかし、国家の力は弱体化しない。むしろ、強大化するといっていい」


「どういうことだ?」


「そもそも、国家とは何のために存在するのでしょうか? そう、それは国民の幸福のためにある。無論のことながら、皇帝のためでも、貴女のためでもない。つまり、競争によって住みよい社会が形成されるなら、為政者などどうなろうともさしたることではない」


「だとしても、皇帝の力が弱まれば、周辺国家から過干渉を受け、結果として、国民は身の安全を脅かされる」


「その時は、国民は自分の意思で他国に移動すればよいのです。もっと自由で、もっと豊か、もっと平和な暮らしを求めてね。選ばれなかった弱小国家が滅びようとも、それはまた別の話。国民の幸福から離れて、国家の存続を希求するなど、それは、もはや論ずること自体無意味」


「国の枠を超えるとか、故郷の地を捨てるとか、それはもう一般人の思考ではない。貴方は超越者であることを、人に押し付けようとしている」


「面白い冗談です。ですが、貴女は貴女で、国民に愛国心を強要している」


「為政者と国民は共にか弱い存在だ。だからこそ互いに協力し、国家を発展させてきた。国民に愛国心を求めるのは、当たり前のことだ」


「しかし、宰相閣下も私と同じ考えであったようですね。気に食わない国家など見捨ててしまえ。賢い人は皆、そう考えるのかもしれませんよ。興味の尽きないことです」


「次の質問だ。宰相を更迭させたのは、貴方だな?」


「それも、皇帝の意思です」


「宰相は、ネアの皇帝にルキノを推した。だから、貴方は、宰相の動きを阻止しようとした。自らの権勢を守るために」


「私は枠外の人間です。その私がどうあるかなど興味はない。しかし……」


「……」


 鉄仮面卿は立ちあがる。


「仮に、貴女の想定が真実だとしたら、貴女はどうする?」


「……」


 キアラは、鉄仮面卿を睨む。


 一つ、はっきりとした。

 鉄仮面卿は超越者気取りであり、己の思想のためには、アルデア帝国を薪としてくべることを少しも躊躇わないのである。


 今ここで、彼を止めなければ、この国は亡ぶ。


「正義執行。いつものとおり、感情に任せてその短剣を抜けばいい。そうすれば、きっとすっきりすることでしょう」

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