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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第六幕 快楽をもたらす者
241/288

29 思い出し給え

 真夜中。


 ウィリデはベッドから起き上がり、窓枠に手をかける。

 すると、窓枠は太い蔓に変形し、その先端はするすると編み込まれて、椅子へと変形する。


 ウィリデがその椅子に座ると、椅子は彼女を乗せたまま窓の外へと打ち出される。

 夜空で大きく円弧を描き、やがて優雅に着地する。

 着地点は、遠く離れた監視塔の屋上である。

 

 ウィリデは立ちあがり、椅子は木彫りの少女へと姿を変える。


「久しぶりだね、エブル」


 木彫りの少女は、徐々に生気を宿していく。

 ウィリデはなおも語り掛ける。


「人間共は、少しでも容姿や考え方が異なると、もう仲間だと認識できない。だから、奴らの容姿を変質させれば、その共同体は自然と崩壊するんだよ。面白いだろう?」


 木彫りの少女は応えない。


「奴らは自ら共同体というしがらみを捨て、個を勝ち取ったと勘違いするだろう。個に分断されて、苦しむのは奴ら自身だというのにね。愛おしいほどに愚かだね」

 

 ウィリデは恍惚とした表情を見せる。


「私達が苦しんだ分、奴らにもたっぷりと苦しんでもらおうじゃないか。イヒヒ」

 

 ウィリデは自身の指に納まった灰色の指輪を優しく撫でる。


「そして、衰弱した人間共を、再び私達が助けてやる。ああ、救ってやるとも。今度こそ、きっちりと誰の目にも見える形でね! アッハッハッハッハ!」




 その時。


「誰かいるのですか?」


 声を掛けられて、ウィリデは慌ててフードを目深に被り、振り返る。

 ちなみに、木彫りの人形は既に木杭へと変質している。


 はたして、一人の少年が対峙している。


「ただの衛兵だ。お前は?」


「僕はルキノ。階下に住んでいます」


 正しくは、幽閉されているのである。


「こんな時間にこんなところで何をしている?」

 

「大元帥様を待っているのです」


「約束したのか?」


「していません」


「では、来ないな」


 ウィリデとしては、大事を邪魔されてはかなわない。早くこの少年を追い払いたい。


「絶対に来てくださいます」


「何故?」


「いつも、この時間に来てくれていました」


「明け方は冷え込む。つまらない事を言ってないで、早く部屋に戻ると良い」


「何でそんな意地悪を言うのですか?」


「人間は大事なもののためになどと言って他人を利用して、切り捨てる。結局、利用された者が馬鹿だということだ」


「僕が騙されていると言うのですか?」


「待ち続ける行為が愚かだと言っている。早々に切り捨てるのが人間の本質だと言っている」


「それでも、僕は大元帥様を信じます」


「何故だ?」


「彼は人々を救いました。なのに、救った人々に裏切られたのです」


「同情しているのか?」


「彼の力になりたいと思っています」


「それは気の迷いだ。一時的なものに過ぎない」


「僕が、彼の事を信じてあげないならば、彼の人生は悲しすぎる」


 ウィリデはやや沈黙する。


「ならば、私がお前の代わりにその男を待とう」


「え?」


「お前は部屋に戻れ。怪しい男が来たらお前を呼んでやる」


「ですが……」


「私は寝ずの番だ、気にするな」


「有難うございます。お優しい方なのですね」


「私がか?」


「はい」


「……」


 しばらくして、ルキノは屋上を後にする。

 再び一人きりになったウィリデは、しかし、変質の魔術を使うことはない。


「今日は予行演習だ……」


 まるで自分に言い聞かせるように呟き、決して現れることのない暗黒大元帥を待ったのであった。




 明くる日。


 ウィリデは、キアラに連れられて、大運河沿いを歩く。

 キトリーとオリヴィアが現れ、二人に随行する。第二回理事会が開催されたのである。

 河岸には、メイプル並木が続いており、それを見て、ウィリデは感慨深げに呟く。


「帝国ネアは、かつて西方世界の探求に熱心だった。メイプルの苗木を入手し、大運河沿いに植樹したと聞く。千年後の今、多くのものが移ろう中で、こうして変わらない風景が残っている」


 オリヴィアは応える。


「至る所にかつての叡智が残されています。もっとも、失われた技術も多くあります」


「汝らが、我が帝国から学ぶことは多い」


「特に、ネアの帝都には、砂利を用いた堅固な白壁があると聞きます」


 人々は、失われた技術やノスタルジーを求めて、こぞって元ガルダ島、現ガルダ半島の突端に押し寄せている。今や、ネアの帝都の情報は、周知の事実なのである。


「とはいえ、かつての一割の規模にも満たない。臣民も千人を切る」


 そこで、キアラが質問する。


「何故、帝国ネアは縮小したのでしょうか?」


「戦いのせいだ」


「外敵など、当時存在しなかったはず」


「内部から崩壊した」


「アウグスタは、魔人と争い、彼らをネアの帝都に封印した。この一節ですね?」


「アウグスタが?」


「そのように伝え聞いております」


「アウグスタと魔人どもは、結託していた」


「魔人は、アウグスタの打倒と世界の破滅を目論んでいました。アウグスタが、そんな者と結託するはずありません」


 ウィリデは絶句する。

 そもそも、アウグスタの仲間こそが魔人の正体であり、ウィリデら守護者は魔人を封印して、世界を救った。であるはずなのに、目の前の女は、ウィリデらに感謝を忘れているばかりか、ウィリデらの存在自体を魔人であり悪であるとそしるのである。

 腸が煮えくり返りそうである。

 とはいえ、現在、ウィリデは復讐を果たすために、その正体を隠し、アウグスタの子孫を名乗っている。無闇に、正体を疑われるような発言をするわけにもいかない。


「エブル。この女を腐敗させてやろうか?」


 それでも、耐え切れずにどぎつい一言を放つ。

 キトリーは、その言葉を拾う。


「時々、ウィリデの仰っていること、意味不明で可愛いいい!」


 険悪な雰囲気をうやむやにしようとしたのである。

 ところが、キアラはそれを察することなくキトリーに言い放つ。


「茶化さないで!」


「はあい」


「真実の歴史は、別にあるというのですか?」


 真摯に教えを乞うキアラを見て、ウィリデの心は鎮まる。

 悪気があっての発言ではなかったと理解できたのである。


「価値観など、時代によって移ろい行くもの。アウグスタも絶対ではなかったということだ」


「それでも、今もなお、アウグスタは最高の英雄と称されています」


 オリヴィアが大きく頷いて口をはさむ。


「つまり、後代の為政者が人々の価値観を共通化するために、アウグスタの名前を利用したのでしょう。都合の悪い部分を隠してね」


 キアラは解せない。


「そんなことがあるのだろうか。今の話、貴女には理解できたか?」


 キアラはキトリーに尋ねる。


「わたくしだって、それぐらいのことは察していますのよお」


「絶対に嘘だ」




 理事会の後、アルデア城にて。

 オリヴィアは、その姉である元王女イザベラと面会する。側にはサルディバルが控えている。

 イザベラは顔を綻ばせながら、オリヴィアに話し掛ける。


「宮中でも、まるで四姉妹のように仲がいいと噂になっていますよ」


「嬉しいことです」


「国の代表という立場を超えて親しくする。本当に素敵な事です」


「私は、あの子達のことを実の妹のように思っています。次女のキアラに三女のキトリー、そして末っ子のウィリデ」


「まぁ! 泣き虫のオリヴィアが立派な事を仰るようになったのね」


「やめてください、お姉様」


「ともあれ、このような形で平和が訪れるとは思ってもみませんでした。それで、いつまでここにいらっしゃるの?」


「半年は、この地に滞在します。帝国ネアとの折衝を指示されていますが、その内実は、体の良い左遷です」


「優等生の貴女が、そのような目に。元老院は人の使い方が荒いのですね」


「不興を買ってしまいましたので、致し方ありません。ですが、これはこれで楽しい!」


「たくましいですね」


「それに、サルディバル卿。アルデアの地で、貴方と一緒に過ごせるのも悪くありませんね」


 黙りこくっていたサルディバルは、急に名指しされる。

 

「あの日、私を拾ってくださった恩は忘れません。私は、たとえ、貴女様が左遷されようとも、変わらぬ忠節を誓います」


 サルディバルの言葉は酷く棒読みである。その顔面は鉄仮面で覆われており、どのような感情も読み取れない。


「あらまぁ」


 その時、イザベラの侍女が入室してくる。


「皇帝陛下が、サルディバル卿をお呼びです」


 オリヴィアはしめやかに呟く。


「人気者ですね」


「大切な相手です」


「少し嫉妬してしまいそうです」


「行って参ります」




「全てがうまくいっておる」


 皇帝ロメオはいつになくご機嫌である。

 しかし、アルデア帝国は、帝国ネアから見限られれば、即座に窮地に陥る。つまり、皇帝ウィリデの気分次第で、浮沈は決まる。

 だからこそ、宰相とキアラは心を砕いて、皇帝ウィリデに寄り添っている。

 であるにもかかわらず、皇帝ロメオは神の差配により、うまくいっているものと勘違いしているのである。


「それは何より」


「貴卿のおかげだ」


「いえ。宰相閣下にキアラ殿下。国難を乗り切ったのは、彼らの活躍によるものです」


「奴らは、自らを英雄か何かと勘違いしておるようで、全くいかん。無駄に才気を衒う愚か者達だ」


「はぁ……」


「その点、貴卿は違う。大人の余裕がある」


「有難きお言葉」


「それに、我が娘はな。貴卿と出会うてからは、私に対しても心を開き、口を利くようになったのだ。貴卿は、奇蹟を起こす力を持っている」


「ご冗談を」


「是非、娘の教師となって欲しい」


「何をお教えすると?」


「何でも良い」


「とは仰いましても」


「ゼノン教を教えればよい」


「しかし、アルデア帝国は、ゼノン教を公認していません。姫様がゼノン教を信奉することで、将来つまらぬ諍いに巻き込まれては、私としても面目がありません」


「ならば、今すぐに国教化してみせよう」


「いささか拙速に過ぎるかと」


「娘も、ゆくゆくはこの国を背負うこととなる。貴卿の力添えが欲しいのだ」


「私には荷が勝っています」


「では、貴卿に、褒美として土地をとらせよう」


「陛下……」


「何なら、宰相の座を用意させよう。どうだ?」


「またの機会に検討致しましょう。それよりも……」


 サルディバルは皇帝の側に寄り、囁く。


「まずは、皇帝ウィリデとの会談を進言します」


「いかん、あれは魔性の女だ。そういう面構えをしておる」


「しかし、これは好機なのです。今を逃しては……」


「うーむ。貴卿がそう言うのであれば」




 サルディバルは執務室に戻る。


「つまらない茶番をよくも楽しめたものだ」


 話し掛けてくるのはロサである。


「そういうな」


「私には、貴方がこの国に入れ込む理由がわからない」


「君には、わからない」


「もったぶらないで、教えなさい」


「決して手放してはいけない大切なもの、それを過去に置き忘れてきてしまった。それはもう、どれだけこれからの人生をかけても取り戻せない」


「何だ、それは?」


「さて、何だろうね。ただ、時々、その何かの残骸が、ふとした瞬間に心の表に浮上してくる。僕らをどうか救ってくれってね」


「煙に巻くつもりだね?」


「そうでもないさ」


 突然、ロサは笑みを浮かべて、サルディバルから離れる。


「誰かが、この部屋に近づいてくる。来客だ。キアラだろうか。私を訪ねてきたに違いない」


「いろいろと腐心していると聞く。同窓生として、相談に乗ってあげるといい」


「貴方のアドバイスを欲している。私は外す」


「待て待て。それでは気まずい」


 ロサは静止を聞かずに、裏から出ていく。

 入れ替わりに、キアラが表から入室する。


「失礼する。ロサは不在か?」


「教会に行きました。戻るのは、夜中になるでしょう」


「そうか……」


「そうです」


 サルディバルは、キアラに対して、早く去ってくれと願っている。

 しかし、そんな期待を裏切って、キアラは対面の椅子に腰を落ち着ける。

 仕方なく、サルディバルは口を開く。


「そういえば、レオナルディ公爵アンリとの婚約はいかがなりましたでしょうか?」


 サルディバルは、二人の婚約に少なからず関与している。だからこそ、その結果を知りたいのである。


「返事がない」


「いい加減な態度。許せませんね」


「現状を鑑みれば、致し方ない」


 アンリはボルドー王国から戴冠を求められ、これを拒んでデシカ伯領に逃げ込んでいる。

 婚約どころの話ではないのかもしれない。


「致し方ない? それで済むと? 彼の事が好きなのでしょう?」


「わからない」


「恥ずかしがることはありません。恋愛は誰しも経験するもの」


「私はもう小娘ではない。人に寄り添いたいという気持ちはよく理解している」


「ならば……」


「そういった感情は、政略対象に向けられるものではない。私は、ボルドー王国との和平のために婚約を決意した」


「貴女の感情は、そこにはないと?」


「私は、この国の姫」


「与えられた役割を果たすということですか。貴女は、もっと自由な人だと思っていました」


「私にも、背負うものがある」


「それならば致し方ありませんね」


「ああ。致し方のない事だ」


 サルディバルは僅かに嘆息する。かと思いきや、突然舌鋒鋭く切り込む。


「何故、あの皇帝に従うのです?」


 言外において、現皇帝ロメオの愚かさを示唆している。


「うん?」


「この国は内憂外患に晒され、多くの人材を失いました。このままでは、この国は終わるとの声もあります」


「だからこそ、国を守るために、私が範を示し、皇帝を支えなくてはならない」


「貴女には名声もあり、そして、力もある。むしろ、この国を想うのであれば、自らが立つことも一つの選択肢であるはず」


「私は、王となったとき、どのように振る舞うべきかわからない」


「宰相が補佐をするでしょう」


「操り人形に、王は務まらない」


「では、学べばいい」


「私に、王の在り様を説くべき人物は、もういない。であれば、私は、皇帝に剣を捧げるのみ」


「自らを過少に規定している。それでは、超越者足りえない」


「貴卿もまた、夢見がちな少年なのだな」


「厳しいお言葉」


「責めてはいない。むしろ、貴卿こそ、私の同志足りえるのではないかと思っている」


「甘い」


「は?」


「私はゼノン教の信徒です。決して、世俗と相容れるものではありません。私を不用意に信用すると、寝首を掻かれることになるかもしれませんよ」


「面白い事を言う。その時は、私が手ずから貴卿を切って捨てるまでだ」


「怖いことです」




 数日の後。

 遂に、ウィリデとロメオの二帝会談が開催される。

 

 双方が歩み寄り、アルデア帝国は帝国ネアに対し、経済的支援を行い、帝国ネアはアルデア帝国に対し、古代技術を伝えることとなった。

 他国に先駆けて、二国間の親密を喧伝することに成功したのである。


 とはいえ、この会談において、皇帝の両者はほとんど会話を交わすことはなく、会談は、儀式的なものとして進行する。

 それでも、最後には、両者の密談の場が設けられている。これは、皇帝ロメオ自らがウィリデと親しく語ることで、彼女から貴重な情報を引き出すことを目的としたものである。

 しかし、皇帝ロメオは一対一を極度に嫌がり、サルディバルを同席させる。

 

 ウィリデは、サルディバルと対面した瞬間、口を開く。


「その鉄仮面は、カタリナの創造物だ。帝国ネアの秘宝でもある。どこで手に入れた?」


「私は共和国に流れ着いた時、この仮面を持っていました。それ以前の記憶はほとんどありません」


「名前は?」


「ノエ・サルディバル。唯一覚えているのは、ノエという自身の名だけです」


「ノエ……。顔を見せて欲しい」


「日の光は、私の顔面を焼きます。よろしければ、暗室にて」


 ウィリデはサルディバルと共に、別室に移動する。

 しばらくして、二人は密談の場に戻る。


 そこで、ウィリデは宣言する。


「サルディバル卿。彼こそが、ネアの次代皇帝だ」


 皇帝ロメオは、あまりの唐突な話に頭が追い付かない。


「とはいえ、姉上。私にはまるでその時分の記憶がありません」


「それでも、今から、お前は皇帝の座につく。私は、それまでの代行に過ぎない」


「しかし、もはや別の運命を歩んでいます。皇帝の地位などに興味はありませんよ」


「私を困らせるな」


「私は枢機卿のサルディバルです」


 両者は一歩も譲らない。

 皇帝ロメオは、ぽかんとして呟く。


「なるほど。やはりそうであったか。枢機卿の隠し切れない高貴さは、つまり、そういうことだったのだ。そして、その何たる謙虚な心。彼こそが、唯一絶対の本物、信頼すべき相手だ」

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