19 剣の姫
アルデア城内の会議場にて。
キアラは結い上げていた髪を下ろし、女性らしいドレスをまとっている。
対して、卓を挟んで向かい合うのはオクセンシェルナ宰相である。
「メルクリオ26世殿も、無事生還された様子」
「あの俗物が出しゃばらなければ、義姉上を泳がせられたものを!」
キアラは口吻荒く応対する。
「勝手が過ぎるのはキアラ殿下、貴女もですよ。独断専行はいうに及ばず、コルビジェリ嬢との決闘は、あまりにもリスクの高い決断であったと言わざるを得ません」
「まさか、私が後れをとるとでもいいたいのか?」
「コルビジェリ嬢は幼少期からたゆまぬ研鑽を積んだ真の武人であります。対して、貴女の剣技は、通りすがりの傭兵から学んだいわば邪道に成り立ち……」
「私の剣技は、生来に会得したものだ。それに、剣技に正統も邪道もない。勝ったという事実が全て」
「その向こう見ずな思考はお止めください」
「わかっている」
「わかっていません」
「すまない」
「ともあれ、ご無事で何より」
とはいえ、キアラは剣の姫と呼ばれており、アルデア帝国の力の象徴でもある。その力を殊更に誇示することは、強いアルデア帝国の喧伝に一役買っているのである。
だからこそ、宰相としては万が一の敗北が心配ではあるが、強くも言えないのである。
「それで、実行犯は誰だ?」
「運送業者も義賊も口を揃えて申しております。イザベラ様を王都から連れ出したのはゴンサロ商会に違いありません」
「しかし、いくら金になると言っても、ゴンサロ商会が自らの意思でそのような危ない橋を渡るとは思えない。誰かに依頼されたはず」
「イザベラ様が亡命を望まれていたという話もあります」
しかし、イザベラは行動的な性格ではない。ならば、そのイザベラを唆した者がいる。そして、その者こそが、同時にゴンサロ商会を動かしたに違いない。
黒幕は誰か。
イザベラはルキノの言葉を遮り、黒幕の正体を隠蔽した。しかし、その遮られた言葉はもはや一つの単語に結び付けられるものである。
すなわち、大元帥。
大元帥の席は現在空席である。ならば、元大元帥である誰かを示す可能性が高い。
そして、元大元帥は二人。
一人はメルクリオ26世。しかし、その立ち居振る舞いからして、黒幕足りえる野心を持っているものとは思えない。
もう一人は暗黒大元帥。死者である。しかし、彼の名を騙る者が秘密結社を率いているとも聞く。
ところで、イザベラはずっと以前から王城内に閉じ込められている。となると、黒幕は王城内に潜んでいたといえる。恐ろしい話である。
「共和国が手引きをしたのではないだろうか?」
イザベラの意向を明らかにすると、つまらない政争の具となりうる。
そう判断したキアラは、あえて別の推測を口にしたのである。
「共和国は、現在南の大陸で大規模な戦争を繰り広げています。我が国に仕掛けてくるのは今ではありません。むしろ、我らと直接的に対立しない外交を心掛けているところでしょう」
「この事件は、我が国の潜在的な派閥争いを表面化させかねない事件だ」
アルデア帝国には、現在3つの勢力が同衾している。
一つはファウスト将軍率いる純血主義勢力。キアラやイザベラなど以前の王族を崇拝し、キアラに帝冠をとする派閥である。
この派閥は、暗黒大元帥の台頭前から王族に仕えていた者達で構成されている。旧神聖帝国を退け、暗黒大元帥を屠った戦功者達に畏敬の念を抱く派閥でもある。
もう一つは内務卿ファーゴ率いる全体主義勢力。現皇帝ロメオなど現皇族を認容し、貴族や平民の参政権を求める派閥である。
暗黒大元帥がスカウトした官僚達が派閥を為している。
最後の一つとして、これらの急進派に対して、宰相率いる穏健派閥が緩やかな紐帯を築いている。
そして、穏健派が急進両派の争いを表面化させないように腐心していたのである。
そこへ今回の事件が起きた。
全体派閥は、純血派閥の精神的柱であるところのイザベラを排除すべく、今回の事件を手引きし、又はほう助した。そう疑われても致し方ない。
そして、今回の事件により、純血派閥はイザベラの危急を認識した。客観的に見ても、現皇帝は、彼女を亡命に走らせ、さらに、奴隷商人に奪われるままに任せたように見える。つまり、現皇帝に対し、純血派閥が暴発する恐れすらある。
結果として、派閥の対立は権勢の揺らぎを生み、共和国から付け入られる隙となるのである。
「ならば、共和国が意図して引き起こした可能性も捨てきれない」
「ゴンサロ商会を調査中ですが、現在のところ、共和国が事件に関与した決定的な証拠は出てきていません。それに、共和国は事件の解明に全面協力しています。さらに、結果として共和国はイザベラ様を租借地内に入れませんでした。であれば、共和国を疑うのは早計に過ぎるかと」
「第三者にやらせたに違いない。共和国は、ゴンサロ商会を切り捨てて逃げ切る算段だ。しかも、それが可能だと踏んでいる」
「必要以上に彼らを刺激するのは危険です」
攻撃的なキアラと保守的な宰相は、ずっとそりが合わないのである。
「だったら、まずは商会に圧力を加える。内務卿を呼べ」
しばらくして、内務卿ファーゴが会議場に現れる。
彼は平民の出であるが、暗黒大元帥からその才能を見出され、財務卿に取り立てられた人物である。
彼は、暗黒大元帥に心酔していたのであるが、野心に憑りつかれていく暗黒大元帥とは最終的に決別した。
アルデア帝国創立以降は、官僚機構の中心人物として八面六臂の活躍を見せている。
「失礼します。姫殿下に置かれましては……」
「すぐに、ゴンサロ商会の全資産を押さえろ」
「しかし、彼らはまがりなりにも我が国に富をもたらして参りました。厳罰は活発な商取引の妨げとなりましょう。まずは枢密院を開き……」
「時間が惜しい。鉄血の掟を使う」
「無体な……」
鉄血の掟とは、アルデア帝国の君主は、非常時には何でもなしうるとする法規の事である。
そして、キアラは皇帝の代理として、強権の発動を認められているのである。
「この国はいささかも揺らいではならない」
「ご命令とあらば致し方なし。そういう掟ですからね」
かつての彼は、暗黒大元帥相手によく噛みついたものである。
しかし、年を経て、彼も丸くなったのである。
「併せて人身売買を禁止する。違反した者には厳罰でもって臨む」
「スマイリー商会も内密に奴隷売買に関与していると聞きます。素直に応じるか否か」
「これはチャンスだ。共和国の御用商人を駆逐し、商取引の主役を我が臣民の手に取り戻す」
「後ろ盾の共和国が黙ってはいないでしょう。全面対決もありえます」
「共和国に強い態度を示せ。二度と同じことが起きぬよう、毅然たる態度を連中の目に焼き付けてやるのだ」
ファーゴは深く目を瞑る。
「鉄血の掟はレオナルディ大元帥の指示により、我が盟友ザムエレの作った法規です。レオナルディ大元帥のように、国家の舵取りを過つことなきよう、くれぐれも自制を心掛けてください」
「私の前で、その名を口にするな」
内務卿が退場した後、ファウスト・コルビジェリが現れる。
ジルベルトと並ぶ大将軍の一人である。
「神聖帝国から外交官を引き揚げさせました」
神聖帝国は、アルデア帝国から独立を果たした。
アルデア帝国は、この事態を放置するわけにはいかず、ジルベルト将軍を国境沿いに置いている。
いつ戦端が開かれてもおかしくはない。
とはいえ、両国とも正面切って戦争することを避けたいと考えている。共和国が漁夫の利を狙っているからだ。
キアラは歯に衣着せぬ物言いで言い放つ。
「小コルビジェリは、カーン皇帝から守護の任を受けたと聞く」
ファウストは痛いところを突かれ、首を垂れる。
「はッ! 恐れ多くも、愚弟はアルデア帝国の臣民たる地位を忘れ、それどころか、反逆の意思すら見せています。疾く打ち果たして参りたく存じます」
「放っておくがいい」
「しかし、それでは示しがつきません」
「神聖帝国と名乗ってはいるが、あの国は公国の寄せ集めに過ぎない。対して、我が国の軍事は5年間で著しく増大した。公国を各個撃破することは容易い」
「なればこそ、体勢の整わぬ今」
「神聖帝国の独立は、我が国にとって疥癬に過ぎない。治癒は時間の問題だ。それに、私に考えがある」
「ですが、いざという時には、私に先鋒を!」
「頼りにしている」
ファウストとしては、何としてでも恥を注ぐチャンスが欲しいのである。
「それとお耳に入れたいことが」
「何だ?」
「フッチ若辺境伯が、権利の請願として議会設置を提案して参りました」
「議会とは何だ?」
「枢密院を大規模にしたもののようです」
「そのメンバーに自分を加えろと?」
「そのとおりです。軍役を負担する以上、政策に関与したいとのこと」
「権限を分割すれば、団結は困難となる。俗物共の請願など一顧する価値もない」
キアラは話を切り捨てて立ち上がる。
「そうそう。森の義賊は無罪であった。ブリジッタは時機に解放する」
またも、ファウストにとって頭の痛い話である。
一体どうして、彼の兄弟姉妹は皆、アルデア帝国に迷惑をかけてしまうのだろうか。
呪われてでもいるというのか。
「しかし、愚妹は殿下に剣を向けました。死罪は免れ得ません」
「許す。その代わりに条件がある」
「どのような?」
「彼女に私の護衛を依頼したい。説得してくれるか?」
「有難きお言葉」
アルデア城内の監視塔、その一室にて。
「共和国に亡命するというのか? ええ? どうだ?」
皇帝ロメオは鞭でもってルキノの裸の背を打擲する。
ルキノは歯を食いしばって黙っている。
ルキノの侍女が側で泣いている。
「私を否定しおってからに。何とか言え!」
さらに盛大に腕を振り上げる。
しかし、しばらく経っても鞭が振り下ろされることはない。
恐る恐るルキノは皇帝を見上げる。
すると、いつの間にか現れたキアラが、皇帝の振り上げた腕を掴んでいる。
皇帝はキアラの腕を振りほどく。
「お前も、私を否定するというのか?」
キアラは黙っている。
「この小童はあの男を見たという。お前も会ったのであろう? あの男とは親密な関係にあったと聞いているぞ」
「違います」
「嘘をつけ! お前はあの男が戻ってくれば、この国は真の繁栄を迎えるとそう言いたいのであろう?」
「違います」
「あの男は、必要以上に複雑な機構を作った。平民を焚きつけて、政治に参加させた。そのせいで、私は彼らの利害を調整せねばならん。膨大な判断を要する」
「……」
皇帝は力が抜けたかのように鞭を投げ出し、側にあるベッドに腰かける。
「私は、もう疲れ果ててしまったのだ」
「我々を頼ってください」
「あの男が戻ってくる! あの男は皇帝の座を奪うだろう。お前達は私を見捨てて、あの男に支配されることだろう!」
「あの男は死にました。戻ってくることなどありえません」
「そうか……」
皇帝は安心したかのように呟く。
そして、腕を伸ばし、キアラの太ももの内側に触れる。
「それ以上はお止めください。我が将来の夫に、恥をかかせる真似は出来ません」
「すまなかった……」
皇帝はようやく我を取り戻す。
「以降は、ルキノに、手をあげないと誓ってください」
「ああ、わかっておる。安心しろ」
皇帝は立ち上がり、キアラと相対する。
「お前が来た理由はわかっておる。神聖帝国、コルドバ共和国との事は全てお前の差配に任す。思うがままに剣を振るうがいい。さぁ、いけ。剣の姫よ!」




