23 神聖帝国
大渓谷の北方、神聖帝国の前線基地にて。
地下水路の一画で、黒づくめの二人が会話をしている。
「間もなく、教皇がお見えになる」
「まさか、聖下が動くとはな」
「どうやら、御前会議が行われるようだ」
「連戦連敗の件に違いない。はたして会議だけで済めばよいのだが……」
「……」
「……」
「何か具合が悪そうだな」
「アルデアの七英雄とやらを知っているか?」
「もちろん知っている。俺は敗残兵を装って奴らと戦ったからな」
「戦ったのか?」
「戦ったが、まるで刃が立たなかった。俺達の部隊は一瞬で壊滅した。だが、俺が戦慄したのはそこじゃない」
「どうした?」
「俺の部下は、とんでもない能力の指輪を持っていた。彼を傷付けようとする者は反射を受けて傷を負う。そういう特別製の指輪だ」
「そいつは凄い。ほぼ無敵じゃないか」
「そうなんだ、いや、正確にはそうなるはずだったというのが正しい」
「なんだって?」
「部下にメルクリオを襲わせたのだが、メルクリオはその相手をしない。代わりに、カタリナが泥人形を使って俺の部下を倒してしまった」
「まさか、指輪の能力を見抜いたと言いたいのか?」
「それだけではない。さらに恐ろしいのは、メルクリオが俺に向かって剣を投擲してきたことだ」
「お前は草むらと同化する能力を持っているじゃないか? おぃおぃ、何をへましている?」
「俺は、確実に草むらと同化していた。だが、いとも簡単に見破られてしまった」
「指輪の力は通用しないだと?」
「危うく絶叫してしまうところだった。しかも、俺の存在に気付きながら奴は俺を見逃した」
「どういうことなんだ?」
「奴は本物だ。伝説に違わぬ絶対的な強者だ。まるで高みから見下されている気分だったよ。お前にはわからないかもしれないが」
「いや、俺も同じことを考えていた。メルクリオ。奴は本当に危険だと思っている」
「お前も遭遇したのか?」
「俺は、つい先日、偵察部隊とともに奴の暗殺に出向いた」
「お前も参加したのか?」
「あぁ。無論、俺も戦うつもりだった。だが、そうしなかった。出来なかった」
「どうした?」
「逃げることで必死だった」
「偵察部隊には、凶暴なサンショウウオ枢機卿もいたはず」
「だが、奴は鉄人形を操って猊下を瞬殺してしまった」
「まさか、あの極悪枢機卿を……」
「俺は、怖くなって逃げ帰った。しかし、奴は、既に、俺達のことをオーグ教の教徒と見抜いてしまった……」
「復讐……」
「……」
「しかし、双剣のメルクリオが鉄人形を操るなんて聞いたこともない。己の双剣のみを信じる気位の高い英雄だろうに」
「その神通力に、統率力。どれだけの能力を隠し持っているのやら。これはまずいことになった」
「それだけの相手と戦って敗れた。一応の理屈は立つはずだ」
「しかし、他の英雄達も本物だとすると、神聖帝国の劣勢は不可避だ」
「別の意味で、我々教団も難しい立ち位置に置かれる。裏切りの英雄はさておき、他の英雄に手出ししようものなら俺達は魔人認定をくらうことになる。そうすれば四肢を引き裂かれることになるぞ」
「最高神アージェの名において誓う。俺達教団はこの戦いを静観すべきだ」
「もし帝国の優勢が明らかになるならば?」
「すなわち英雄達は偽物であったということ。その時は帝国を加勢しよう。だが、逆ならば……」
「さて、インゴ教皇になんとお伝えすればいいのやら」
「メルクリオも恐ろしいが、聖下はそれ以上に……」
しばらくの後。
城塞の一室。その前で、二人の男が会話をしている。
「おめでとうございます! 皇帝陛下へのお目通り、許可が降りてございます」
「そうか」
裏切伯コルビジェリに対し、道化師のような格好をした男が語り掛けている。
「はて? 浮かないお顔にございますね。あれほど強くお目通りを願っておられてそれが叶ったというのに、それでは皇帝陛下もがっかりなさいます。不詳セバスチャンめも精一杯尽力したというのに、悲しいことです」
「失礼致した。貴殿には感謝しても感謝しきれない」
「ですねえ。ええ、そのようにスマイルをいただけると、私も幸せ。周囲に笑顔を運び続ける者でありたいと心がけておりますゆえ」
「感謝に耐えない……」
裏切伯は、苦虫を噛み潰したような顔を無理やりにほころばせながら応える。
もっとも、言葉と感情は一致しない。
何故、このような下賤の機嫌を伺わなくてはならないのか。
「しかし、このところの連戦連敗。どう申し開きしましょうかねぇ」
「噂では、アルデアに七英雄が召喚されたと聞く。確かに、あの戦術の数々、本物の所業と言わざるを得ない。陛下におかれても彼らの存在に興味を持っていただけないものか」
「ですねぇ。皇帝陛下は寛大なお方。もちろん、お許し下さるでしょうし、その英雄とやらにも興味をお持ちになるでしょう。ですが、オーグ教団も興味を持ち始めているようで困ったものです」
「教団が?」
「一度教団が動くと、その地は何千何百という血が流れます。あぁ、恐ろしい恐ろしい! 貴方様の可愛い領民どもが一匹残らず蒸発してしまうような悪夢が実現しませんようにと願っておりますよ。クキャキャ」
セバスチャンは、ふわふわとした天然パーマを揺らしながら、悲しい顔を作ったり笑顔を作ったりと、ころころと顔色を変えていく。
裏切伯は会議室に通される。
会議室の中央には黒い円卓が設置されている。
そして、円卓の奥には一際立派な、随所にドクロを模した一脚の椅子がある。
今は空席だが、その隣にセバスチャンが控える。
他に、六つの席があり、既に三人が着座している。
一人は仮面の男である。
室内であるにもかかわらず、羽飾りのついた帽子を被っている。
肩幅の広い立派な体躯に瀟洒な衣服をまとっている。
数ある傭兵団の元締めであり、大陸中の傭兵に顔が利き、自身も荒くれ者集団を擁する。
しかし、傭兵自体この国では下賤のものと思われているようで、彼に敬意を払うものはおらず、傭兵隊長を束ねる身でありながら、簡単に「大傭兵隊長」などと呼ばれている。
驚くべきことに、裏切伯は、その仮面の下の顔もよく知っている。
一人は灰色の髪を刈り上げており、その面立ちは美しく整っている。
老齢にかかわらず、背筋はシャンとしている。飾り気のない小ざっぱりした白い衣服を着用しており、見た目はまさに聖人と呼ぶにふさわしい。
彼こそがオーグ教団すなわち暗黒教団の教皇であり、「残虐皇インゴ」と呼ばれている。
自身も北方の出身であるにもかかわらず、北方の寒村をいくつも焼き払い、少数民族を根絶やしにして、帝国拡大に最も貢献した人物である。
積極的に戦争に介入する男であるからして、「鎧をまとう司祭」とも呼ばれている。
強力な人外達を枢機卿として従え、邪神降誕を目指して暗躍している。
最後の一人は女性である。
腰まで届くほどの銀髪が、ロウソクの火を映し妖しく輝いている。
まるで大理石のような白い肌に、白一色の薄手の服をまとっており、唯一色を持っているのは薄い水色の瞳だけである。
その顔はどこまでも冷たく無機質。
彼女は白き魔女、アルバ。
伝承にも謳われるほど古くからその存在が確認されており、冬の訪いを司ると言われている。
「コルビジェリにございます」
一同は、裏切伯を見る。
「初めまして、かしら?」
大傭兵隊長は、野太い声で話しかける。
他はただ裏切伯を一瞥し、すぐに興味を失ったかのように顔をそむけ、黙ったままである。
裏切伯は、空しく空席に着座する。
同時に、扉が開き、異様な風体の者が入ってくる。
その者は四つ足で歩いている。
にもかかわらず、頭頂は誰にもまして高い。
「ガガガガガガガガ、殺し損ねたな。ガガガガ」
異様な濁音は、おそらく笑い声なのだろう。
何を殺し損ねたのかはまったくわからないが、機嫌はとびきりいいようだ。
彼は、言葉を発することはあっても、人語を理解することはない。
目の玉はなく、青白い顔にどんぐり頭。
その名は、吸血公バルドゥル。
神聖帝国の先鋒であり、大要塞駐屯軍の指揮を任されている。
最後に、話の通じそうな人物が入室してくる。
ウェーブの掛かった黒髪の下には、恐ろしく鋭い目つきが控えている。
全身真っ黒のマントを羽織り、その下にも漆黒の甲冑をまとっている。
彼は、北東に位置する小国の王族であったが、激怒皇帝に屈し、服従しているという。
帝国最強を謳われる暗黒騎士団を率いており、その名は漆黒公ユルゲン。その実力は未知数だが、北東の小国を次々に併呑しているという。
漆黒公は軽く目で会釈し、裏切伯も会釈を返す。
全員が揃ったところでセバスチャンが席を離れ、隣室へと激怒皇帝を呼びに行く。
「よくぞ、集まってくれた!」
「……」
隣室の扉が開いた途端に、室内の空気が変わる。
「常日頃の忠勤、余は嬉しく思うぞ!」
現れたな激怒皇帝!
噂によれば、烈火の如き人物だとか。
しかしその予想に反しての穏やかな声音である。
暗がりに立っており、その姿はよく見えないが、堂々たる体躯に、毛皮を多用した服をまとっている。
さすがに帝国を率いて立っている男である。並みいる悪党の中でも、その覇者としての存在感は他を圧倒する。
「陛下。この円卓の中に一人、いらない子がいますよ、クキャ!」
「何をいう。皆、余の忠実にして優秀な部下であるぞ」
激怒皇帝は、暗がりから広間に進み、どかっと着座する。
裏切伯は恐る恐るその顔を覗く。
ついにその相貌が顕になる。
「ヒィ」
血走った眼が、ギランギランに光り輝いて、裏切伯だけを睨みつけている。
そのこめかみはヒクツイており、大きな歯が歯茎までむき出しだ。
まさに激怒状態ッ!
思わず裏切伯は身を縮こまらせる。
そして、この男が先程穏やかに話していたなどとは想像すらできない。
「コルビジェリ伯。余も、貴様と穏やかに語り合いたいと思っておったところである。そう、『穏やか』! 穏やかな話し合いからこそ相互理解が生まれる。皆、感情的な発言は厳に慎め」
「穏やかだと? ガガガガガ。愛しい」
諸侯がこの状況にドン引きしている中、吸血公のみは楽しそうである。
その時、激怒皇帝の肘掛けが、激怒皇帝の握力で爆散する。
「またお壊しになって!」
「コルビジェリ伯よ。聞かせてくれ。何故貴様は負けた?」
激怒皇帝は、穏やかな声音の下に怒気を隠しているつもりなのだろうが、まるで隠しきれていない。
しかも、いきなり核心を突いてくる。
「ハ、ハッ! それはつまり、敵軍は我軍の数倍の規模の兵を率いており、愚息どもも善戦はしたのですが、寡兵であるが故やむなく……」
対して、残虐皇インゴが口を開く。
「それは理由にならない。焦土作戦を採るなり、奇襲、夜襲、虐殺、見せしめ……。いくらでも相手を挫く策はあっただろうに」
恐ろしく冷えた声音である。
やはりこの男は静かに狂っている。
「発見! セバスチャンは、伯爵の騎士としてのプライドが邪魔をしたものと見ますよ! でも負けたら、意味が、ありませんねぇぇ」
「貴様が、俺に弁明したいことはそれだけか?」
激怒皇帝の言葉遣いがどんどんと恐ろしいものに変わっていく。
まずいぞ、裏切伯。
「あひぃ。そう! そういえば、敵国には七英雄が召喚されたそうです!」
「なにィィ? 七英雄だと!?」
「えっ、ええ! 双剣のメルクリオ、雷神のアウグスタ! 彼らは我が軍を卑怯な罠におとしめました!」
「メルクリオとアウグスタだと?」
「そ、そうです! メルクリオ、アウグスタ!」
「奴らが大人しくアルデアに従うと? 英雄を貶めたアルデアに、だぞ?」
「事情はわかりませんが、巧みな用兵術からして本物かと……」
「黙れッ! 貴様に何がわかる!」
「ハハッ!」
「ンフフ。だが。それはそれで面白い……」
「アハハ!? ……あ、そういえば、言い漏れていましたが、他の英雄も召喚されたようです」
「他の英雄だと?」
「吹断のロビンに創出のカタリナ、加速のイクセルと怪腕ヴィゴ、そして焔龍イェ」
「ああぁ!? ふざけやがってぇ!!!! クソガァァァァァ!」
一瞬、誰も何が起こったのかわからなかった。
次の瞬間、分厚い円卓が激怒皇帝によって投げ飛ばされ、天井に突き刺さる。
それでも、激怒皇帝の暴動は止まらない。部屋内の家具一式が次々に破壊されていく。
諸侯は慌てて避難し、あのセバスチャンですらオロオロしている。
「ヒィィィ!」
「きゃあつるぁぁぁ! 俺をコケにしてくれやがってぇぇぇぇ。ああ? 奴らの頭蓋にはクソしか詰まっていないのかぁぁぁぁ! 虫けら風情がこの俺を挑発してくれやがっってぇぇぇぇ!! ギィィィィィ! 奴らの頭蓋を首から切り離せば少しは人間らしい振る舞いを学ぶというのかぁぁぁ? あぁぁ? どうなんだ! 活かしておいては世界が腐る! 偽物の英雄も! 王も! 兵士も! 住民全員! 全殺し、全殺し! 全殺し確定ェェェェィィィィ!!」
しかし、ここで一人。
白い魔女が、激怒皇帝に寄り添い、語り掛ける。
「陛下。落ち着いてください」
「許さん! 奴らウジ虫は一匹たりとも許さん! 英雄に寄生して養分を漁る畜生どもめがァァ!」
「もう、この世界に何も期待しないと言ったではありませんか」
「ギィィィィ」
「きっと、英雄も私達を見守ってくれているはず」
「……」
「期待してはいけないのです。可能性などもはやこの世界に一片もない」
「あぁ、そのとおりだ」
激怒皇帝は徐々に落ち着きを取り戻していく。
「ところで、余が最も忌み嫌うのは感情的な言動である。理性が支配するこの帝国。知恵を出し合うこの場を有効に活用し、冷静に穏やかに話し合おうじゃないか……」