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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第六幕 快楽をもたらす者
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06 公女殿下のお気持ち表明

 一方、カーン公城にて。

 キトリーは父である大熊公の私室を訪れている。


「ヒルデガルトは来ぬか」


「公務のため外出しております」


 その返答を受けて、大熊公はやや寂しげな顔をする。

 その相貌は荒々しい時代を生き抜いた武人のものであり、その二つ名の通り、獰猛な獣を思わせる迫力がある。

 しかしながら、頬はやせこけ、眼窩は窪み、明らかに健常者の相貌ではない。


 それほど年老いているわけではない。

 しかし、ここ数年、いがみ合うエルドリア諸邦を調停し、アルデア帝国との懸け橋となって尽力し、遂に精魂尽き果ててしまったのだ。


 ちなみに、ヒルデガルトは、キトリーの妹である。

 大熊公は、二人の娘を呼び寄せたにもかかわらず、何故かヒルデガルトはやって来なかった。

 キトリーは、あえて彼女が公務中であるとして嘘をついたのだ。


「実はな。縁談が決まってな」


 大熊公は破顔して続ける。


「大コルビジェリとヒルデガルトとの婚約が内定した。1年後に婚約の儀が執り行われる」


「……」


 しかし、大コルビジェリことファウストは、キトリーに興味を持っていたはず。

 そのことは明言はされていないものの、彼女はあらゆる方向から聞き及んでいた。

 既に、国中に周知されている事柄でもあったのである。


 それが、今、唐突に変更されたのだ。


「それは素敵なことですね」


 キトリーとファウストとの間に婚約の内定があったわけではない。

 それでも、突然の変更は屈辱的である。

 そして、ファウストがいくら朴念仁であるとしても、乙女の心をもてあそんだことには変わりない。

 

 それなのに、キトリーは笑顔のまま。

 恋に焦がれるような乙女ではないのかもしれない。


「大変よろしいことですわ!」

 

 キトリーの年老いた侍女が威勢よく発言する。


「そもそもアルデアというのは、ただの成り上がり者の集団ですからして、その出自は極めて卑しいといわざるを得ません。当家とは格が違うのです」


「おやおや」


「一方のヒルデガルト姫は、殿方をとっかえひっかえにする放蕩娘でございます。アルデアの犬畜生とはさぞかしお似合いでございましょうねぇ!」


「そう言うな」


 憤慨している侍女に対して、大熊公は大らかに言い返す。

 そして、キトリーと向き合う。


「お前の頭脳は我が国の至宝である。アルデアに奪われるわけにはいかぬ」


「わかっております」


「苦労をかけるな」


「ご安心くださいませ。我が国を、エルドリア諸邦とアルデア帝国の懸け橋とすべく、全てつつがなく進行しております」




 キトリーは一息をつく暇もなく、会議の場に招集される。

 卓に付くのは、キトリーの他に将軍、大臣、そして、公王の臨時摂政である。

 まずは、将軍が口火を切る。


「吸血公が周辺国家に侵攻を開始した。聖レギナ騎士団の分隊が対応に当たっているが、吸血公は、無秩序に戦線を拡大している。防衛網から漏れた一団が我が国に侵入した」


 大臣が質問する。


「被害はいかほどか?」


「国境付近の村々を襲い、食料を強奪している。既に3つの村が滅んだ。村人は皆殺しだ」


「奴らは食べ物がなくなると後先考えずに行動する。まったく、手の付けようがない国だ」


「今回はそれだけではない。現場の領主達は、中央から軍隊が派遣されぬことに不満を抱き、兵役と納税を拒否しているそうだ」


「至急大部隊の派兵を検討すべきだ」


「無論、その手筈である」


 将軍と大臣はキトリーの意向を確かめることもなく、二人で話を進める。

 彼女の事を全く信用していないのだ。


「待ちなされ」


 年老いた摂政が声を震わせながら、二人を押しとどめる。


「何かご意見でも?」


 当然ないだろう、素人ごときには、という顔をしながら、将軍は尋ねる。


「周辺国家は、虎視眈々と我が国の情勢を観察しています。そして、我が国には1セットの兵団しかありません。つまり、大規模な派兵は隙を生む。幸い、吸血公の部隊は少数です。現地の領主を粘り強く説得し、協力を得ましょう」


「まったくわかっておらぬ。迅速な対応をすることで、周辺国家は我が国の底力を再認識するのだ」


 将軍は白目をして応える。


「しかし……」


 摂政は額の汗を拭きながら食い下がる。

 その時。

 会議室に衛士が入ってくる。


「ご報告! 暁鴉公からお手紙です!」


 摂政は震える手でもって、手紙を開封する。

 

「手紙には、このように書かれております。えーと、『やぁ、カーン殿。ご機嫌いかかでしょうか。さて、我々は共に生来の軍事国家です。ですので』……、ああ!」


 摂政は情けなくも手紙を取り落とす。

 将軍はその手紙を拾って、続きを読む。


「『軍事国家式に剣戟でご挨拶を交わすべき時が来ました。腰抜けでなければ対応いただけるものと存じます。リュッツィン平原で待つ』」


「なんと、このタイミングでか!」


「腰抜けとは言ってくれたな! 全軍で雌雄を決すべし」


 慌てて、摂政が二人を押しとどめる。


「しかし、白狼公が我が国の隙を狙っています。時機が実るまでは、戦いは避けねばなりません。まずは外交ルートで……」


「金でも積むつもりか? 何と弱腰であることか! ここで挑戦を受けねば、大熊公の名が廃る!」


 将軍が叫ぶ中、キトリーは目を瞑る。

 戦争をすれば、後々まで関係性がこじれる。

 たとえ、暁鴉公を撃退できるだけの戦力、大砲を持っていたとしても、戦いは避けるべきなのである。

 

 とはいえ、将軍と大臣は己の知識を自負しており、さらに体裁を気にしてもいる。

 正面から論破するわけにもいかない。

 

 キトリーは慌てない。そして、確信している。

 そろそろ次の情報が来る頃だ、と。


 会議の場が恐慌状態になる直前。

 新たに衛士が入ってくる。


「ただいま、白狼公が、国境付近に部隊を展開させたとのこと!」


「狼めッ!」


「北西から吸血公。南西から暁鴉公。そして、東から白狼公。まさか、三国同時とは……」


 さすがの将軍と大臣も言葉を失い、呆然とする。

 そこで、摂政は改めて丁寧に言葉をつなぐ。


「対応を誤れば、一気に喉元を掻き切られることでしょう」


「そのようなことはわかっておる」


「白狼公は日和見です。すぐには動きません。無視を決め込みましょう」


「ほほう、あの戦上手のヴァンク公王が、戦をご存じでない貴殿の予測通りに動くと?」


「我が国の背後にはアルデア帝国があります。つまり、白狼公は、下手を打てば両面作戦を強いられることになります。これは避けたいはず。ですので、まず、我が国を落とす算段を見出すまでは、白狼公は動きません」


「戦争とはそのような机上の論理で動くものではないわ!」


「白狼公は狡猾な男ですが、根底にあるのは単純な利害計算です。だからこそ行動原理を推測しうるのです」


「貴殿は、白狼公の友人か何かか?」


「いや、公王殿下がそう仰られているので……」


 将軍の詰め寄る態度にあてられて、摂政はどんどんと声のトーンを落としていく。

 無理もない。彼自身は何ら知識を持っておらず、事前に吹き込まれた知識を披露しているだけだからである。


「我々に指をくわえて待っておれというのか? 話にならんッ! 大熊公にお目通りをッ!」




「なりません」


 キトリーは目を開き、口を開く。


「しかし、これは国の存亡がかかった話」


 大臣は人形姫如きが生意気を言うでないとでも言わんばかりである。


「なりません。父上は、我々次代に政務を託したのです」


「国家の重大事になんと無責任な。我々を見捨てるおつもりか」


「わたくしに案がございます」


「ほほう? どのような手品をなさるおつもりで?」


「大コルビジェリ伯爵に派兵を求めましょう」


「え?」


「は?」


 将軍と大臣は思わぬ提案に思考停止する。


「アルデア帝国の軍を領内に迎え入れると?」


「各国への牽制になります。それに、遊軍があれば積極的な行動も可能となりましょう」


「それこそ、そのまま帝国に征服される危険もありますぞ」


 キトリーは独自の嗅覚でもって、そのようなことはないと確信している。

 なぜならば、アルデア帝国は水面下ではあるが、共和国との間で激しく覇権を争っている。

 そして、このまとまりのない僻地に大戦力を割いて、統治する余力はない。むしろ、余計な手出しをすることで、共和国が対抗心を燃やし、北方戦線に表立って介入してくることを恐れている。

 一方で、各公国はこぞってゼノン教を受け容れようと動いている。帝国は、背後の共和国の影響力拡大を削ぐべく、その動きに歯止めをかけたい。

 だからこそ、ゼノン教に靡かないカーン公国を維持したい。そのため、集団的自衛権行使のための小戦力の派兵には賛同することだろう。

 

 全て絶妙なバランスの上に成り立っており、一かけらの事実が変わるだけでも、状況は反転する。

 そして、そのような外交の真髄を、視野の狭い大臣や将軍に説明することは不可能に近い。


「ファウスト様は、妹のフィアンセとなるお方。無碍にはなさらないでしょう」


「なるほど。しかし、ファウスト殿はキトリー様にとっていろいろと。ンフ。お辛くはございませんか?」


 大臣は嫌な笑みを浮かべながら、さも気遣っているかのように発言する。

 キトリーが婚約対象から外れたのは、既に周知の事実。

 労せず権力の座に座った愚かな人形姫、その彼女が見捨てられたのは、彼らにとって痛快以外の何物でもないのだ。




 更に、会議の場に衛士が入ってくる。


「エルドリア公国から約200の部隊が越境してまいりました。シグルズ様を頭目にいただき、吸血公の部隊と交戦中とのこと!」


「でかした!」


「エルドリアの遺臣か?」


「何でも、大エルドリア義勇団を称し、カーン公国への恭順を希望しているとのこと」


 大臣は大きくうなずく。


「私は幾度となく時代の潮目に立ち会ってきた。このように、時代が来た時に奇跡は起こるものなのだ!」


 将軍が続く。


「ならば、北西の戦線は彼らに託し、我々は暁鴉公との決戦に臨むとしよう」


 凶報の中の吉報である。

 であるはずなのに、キトリーは珍しく顔を青くして呟く。


「そのような怪しげな者をあてにしては……」


 不意に、キトリーは眩暈を覚える。

 宙に手を伸ばすが、意識を呼び戻すことはかなわない。

 

 忌々し気に大臣が呟く。


「我々が長らく支えてきたこの国は、こうして、一人の愚かな女によって破滅に向かうのか」






「はっ?」


 キトリーは目を覚ます。

 私室のベッドに寝かされていたようだ。

 倒れた原因は自分でよく理解している。もともと体が強い方ではない上に、過労がたたり、貧血気味になっていたのだ。


 慌てて体を起こすが、窓の外には夕暮れが見える。

 若い侍女に対し、キトリーは下問する。


「私はどれぐらい眠っていたのです? 半日ほどでしょうか?」


「はい」


「会議は散会したのですね?」


「はい」


「明日、会議を再開します。皆さんにそうお伝えください」


「……」


「どうしましたか?」


「いいえ」


 侍女はゆっくりと扉の向こうへ消える。


 窓際の鳥かごには、一羽のコマドリが控えている。

 キトリーはコマドリの鳴き声に導かれるように、ゆっくりと身体を起こし、ベッドに腰かける。


「わたくし、婚約破棄されました。捨てられました」


 しょんぼりと俯く。

 ずっと無表情でいたものの、相当心にダメージが入っていた様子。


「あったまに来るわねッ! ウガァーー!」


 奇声を発し、枕を壁に目掛けて投げつける。

 枕は山なりに飛んでいき、壁までとどかずにぼさっと地に落ちる。

 その様子を、コマドリが首をかしげて不思議そうに見つめている。

 キトリーはその姿を見て、我に返る。


「どうして皆様、戦いたいのかしら。頭が悪いのではなくて? この子のように、足ることを知るべきよ」


 その言葉はどこまでもむなしく私室に響く。


「わたくしにはわからない何かが鳴動している。お願いセリア、早く戻ってきて」


 その言葉は祈りに近い。



 

 その時。

 扉が音もなくふわりと開く。

 

「え?」


 今朝方会話した年配の侍女が、覚束ない足取りで部屋に入って来る。


「お逃げください……」


 侍女は全身から血を噴き出し、部屋の中に倒れこむ。


「何があったの!?」


 駆け寄ろうとするが、キトリーは運動神経がよくない。

 足を絡ませて、その場で盛大にすっころぶ。


 その頭上を投げナイフがかすめる。

 間一髪。

 その場に転んだことが奏功し、キトリーは命を失わずに済んだのだ。


 投げナイフが壁面に突き刺さる。途端に、壁面はまるで生きているかのように悲鳴を上げながら、紫色に変色し軋んでいく。


「いやああ!」


 無論、これで終わりではない。キトリーが生きていることを確認した襲撃者は、確実にその命を絶つべく、黒い陰影となって部屋の中に忍び込む。

 陰影は彼女が無抵抗であることを確認し、すっくりとその場に立つ。

 彼女を取り囲むのは、黒フードの怪人3人。


 うち一人は、鳥かごの中に無理やり手を差し入れ、コマドリを捕まえる。

 散華する羽毛を意に介すことなくそのまま、口の中に持っていく。


 その様子を声もなく見ていたキトリーは、瞳を見開き絶叫する。

 

「だ、だ、誰か!」




 絶体絶命。

 しかし、運がいい事に、通りすがりの衛士が顔を覗かせる。


「どうかしました?」


 平和な物言いである。状況を全く理解していないようである。


「助けてください!」


「?」


 衛士はすたすたと部屋の中に入って、周囲を見渡す。

 しかし、どこにも怪しい者はいない。

 既に怪人はどこかへ潜んだ後なのだ。


「悪戯ですか?」


 衛士がキトリーと相対したその瞬間。

 ベッドの下に隠れていた怪人が、衛士の背後をとって、短剣を一閃する。

 哀れな男。


「危ないなぁ!」


 衛士は怪人の攻撃を避けた。しかし、これから繰り広げられる惨劇を前に、それは運がよかったと評価できるものか否か。

 怪人は、3人全員が一息で臨戦態勢に入る。

 畳みかけるようである。


 その距離およそ3m。

 怪人は、鍛え抜かれたふくらはぎの運動を余すところなく用いて、緩急をつけた歩行術を披露する。この歩行術の前には、いかなる強者も錯覚に陥り、間合いを見誤る。


 現に、衛士は棒立ちである。

 からくも、背中に吊り下げていた弓矢を構え、弓を引き絞る。

 近接戦闘で使うものではないだろうに、呑気な事だ。

 そんなもので怪人どもの足をとどめることは出来ない。 


 ところが。

 怪人が、衛士に刃を突き刺す直前。

 怪人は、衛士の矢に射抜かれる。そして、衝撃波を受けて吹き飛び、部屋の壁にめり込む。


 衛士は機械作業のように、飛び跳ねた二体目の怪人を射抜き、しゃがみ込んだ最後の怪人を射抜く。


「強すぎてごめんなあさい」


 怪人どもが倒れ伏し、衛士が得物を背中に背負った瞬間。

 部屋の床が融解し、階下から怪人が飛び出す。怪人は衛士の足に触れ、触れられた衣服は、みるみる間に燃え上がり溶けていく。


 それでも、衛士は、慌てることなく、背中の弓を構え、矢をつがえる。

 怪人は押し合いへし合いを諦めて床から飛び跳ね、天井に張り付いて短剣を握る。

 そのまま、隙だらけのように見える衛士に対して、なかなか襲い掛かれずにいる。


 なお、キトリーは恐怖のあまりその場で腰を抜かしている。

 怪人は叫ぶ。


「退かぬ。逃げぬ。前進ただ前進あるのみ! 我は勝利とともに帰還する!」


「お前が?」


 衛士は驚いた様子で、突然真顔になる。

 首を振って、弓矢を捨てる。


「ここまで歪なものになり果てたのか。王子の治世は嘆かわしいものだったのだろう」


 代わりに短槍を構える。


「それでも後輩を名乗るならば、私が教導してやろう。我らラケデモンは!」


 怪人は観念し、雄叫びをあげながら衛士に飛び掛かる。

 

「全て戦士だ!」


 衛士は短槍を投げつける。

 短槍は黄金に輝き、怪人は心臓を射抜かれ、爆散する。

 



 キトリーはラケデモンを知っている。

 彼らは暗黒教団の処刑部隊である。

 

 暗黒教団は周辺国家からの信仰心を失った結果、唯一寛容な態度をとるカーン公国に頼らざるを得ない状況にある。

 これを受けて、インゴ教皇はカーン公国に接近している。

 なのに、公女であるキトリーの命を狙ったとなると、キトリーではないカーン公国の中枢に取り入り、その依頼に従って、キトリーを排除しようとしたのではないか。

 きな臭い。


 それはさておき、眼前のこの頼もしい衛士は何なのだろうか。


「貴方は一体……?」


「通りすがりの衛士です」


「何故、わたくしを?」


「我が主の命です。それよりも、公女殿下。セリア特使が面会を求めています」

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