02 世界中の笑顔を集める組織
ゴンサロ商会といえば、暗殺された元執政官ゴンサロを創始者とする商会である。
そして、共和国においてはスマイリー商会に次ぐ巨大商社である。
そのことは、世情に疎いセリアですら知っている。
その巨大商社の社員が、今、切株亭の店主との面会を求めている。
これを断って、ゴンサロ商会の機嫌を損ねるのはよろしくない。切株亭の経営にとって、得策ではないのだ。
そこで、セリアは頑固な店主を説き伏せ、テオと面会させる。
ついでに、不測の事態に備えて、自身も同席する。
「実は、コルベール君とは長い付き合いでしてね。私が一文無しであった時分から、レオナルディ城の城下町で、家族ぐるみの付き合いをしていたのです」
店主は一向に自分に興味を持ってくれそうにない。
そう判断したテオは、迂遠な箇所から話を切り出す。
「あの頃、俺は剣闘士で、テオさんは土木工だったなぁ」
コルベールは遠い目をしている。
「世の中も大きく変わりましたが、私達も大きく変わりましたね」
「そのテオさんが、今やゴンサロ商会のアルデア支部長なんだぜ。すげぇだろ?」
「戯れはお止しください。名目上の支部長に過ぎませんよ」
「でも、それだけ偉くなっても、俺が困ったときには、損得勘定を捨ててちゃんと助けてくれる」
「私と貴方の仲です。当然のことです」
「俺達の友情はいつまでたっても変わんねぇぜ」
「ありがたいお言葉」
どうやら、テオは気のいい男のようである。
しかし、それでも店主の態度は融解しない。
仕方なく、セリアは率直にくちばしをいれる。
「で、今日はどのようなご用件で?」
「私どもゴンサロ商会は……。ええ。それよりもまず、名前ぐらいはお聞きになったこと、ありますか?」
しかし、店主はぶっきらぼうに答える。
「わかってんだって。うちに来た理由もな」
テオは、慌てて白い薄布を取り出し、額を神経質に拭う。
「おや?」
「あんだけ繁盛したカエデ屋のおかみも人魚亭のおやじも、今じゃスマイリー商会に店を奪われちまって、おまけに、こき使われているってな」
「これはこれは……」
「大金をチラつかせて、欲に目がくらんだ店主から事業を買い叩く。店主を贅沢に慣れさせて、借金塗れにして、奴隷に仕立て上げるって寸法さ」
「……」
「で、今度はうちに目をつけたんだろ?」
「まさか」
「俺が生きている限りは、絶対に店は売らねぇ」
「そんなことは……」
「悪いことは言わねぇ。日が明るいうちに帰んな。いくら治安がよくなったつっても、あんた方に恨みがある奴は多いんでね」
緊迫した空気の中。
「はぁああああ」
テオは大きなため息をつく。
店主は、その明らかに芝居がかったため息にいらっとして、口を開く。
声を発するその直前。
「もったいない! 非常にもったいない話です!」
テオは首を振っている。
「は?」
「ご存じのとおり、私どもは共和国を本拠に活動しております」
「そんなのわかってるって」
「そして、二重帝国は、かつて、共和国と一触即発の関係にありました。だからこそ、二重帝国の国民が、共和国に関わるもの全てを危険視するのは止むをえないことなのかもしれません」
「違ぇよ。それは、暗黒大元帥が悪いんであって、共和国は悪かねぇ」
「まさにそこ! そこなんですよ」
「あ?」
「そこに気付けない人は人生終わります」
「誰だって、それぐらいわかってるだろう?」
「ところが、実際はそうではありません。なんとなくの先入観で判断を決め込んでしまう人のいかに多い事か」
「まぁ、わかっていない奴もいるかもな」
「大切なのは、客観的なデータを分析し、真の悪因を見つけ、それを取り除くことなのです」
「それと今回の話とは別だろう?」
「別ではありません。実際に私どもは、千人以上の事業主を見て参りました。結果、先入観で動く人達は没落しているのです。このことは一つの例外もないことなのです」
「俺が思い込みで、お前らを嫌っているとでもいいたいのか?」
「貴方は、共和国が悪ではないと見抜いています。それほど察しのよい貴方が、実にもったいない」
「ふざけんな!」
「貴方はご自身で仰いました。スマイリー商会が帝都の繁盛店を買い叩いていると」
「そのとおりだ」
これに対し、テオは小声でささやく。
「実は、スマイリー商会は私どもの商売敵なのですよ」
「うん?」
初めて、店主はテオに顔を向ける。
「私どもは、貴方と共同事業がしたい」
「うんん?」
「貴方は、これほどまでに稼げる仕組みをお作りになりました。そして、次の店舗も儲かる。ここまでは、客観的なデータから必至です」
「お、おう」
「しかし、先立つものがないと、次の店舗は作れない」
「まぁな」
「いいでしょう。私どもは、人の夢に光を見出す商人です。十万ゴールド。ご準備いたします。無償で差し上げますよ」
「は?」
「無論、見返りをいただきます。私どもは、新店舗の利益の十パーセントの支払を希望します」
「それだけで?」
「それだけです。私どもが目指すのは、事業主様がどんどんと稼ぎたくなる仕組みをご用意させていただくことなのです」
「うまい話には、裏があるってな」
「共存共栄。人を活かす新たなビジネスモデルで、スマイリー商会を二重帝国から駆逐したい。そして、そのチャンスが今ここに転がっている。ならば、これを逃したくはないし、逃す必要もない。これこそが、私どもの真意なのです」
「しかしねぇ」
「実は私、以前はスマイリー商会に勤めており、オレンジの買い占めなど人から嫌がられる仕事をやっておりました」
「やっぱり、それが本性か?」
「人々から富を巻き上げることで、財を築く。悪い事ではないと思っておりました」
「クズめ!」
「その結果、貧困に陥った人々が暗黒大元帥を支持し、この国は暴走してしまったのです」
「そういうことを言う学者もいるな」
「私は痛感しました。このままスマイリー商会が世界を席巻すれば、同じ悲劇を招く。私は心を入れ替えました。真人間になろうと考えました」
「……」
「つまり、この国に富をもたらす。それが、私のためでもあるのです」
「哲学だな……」
「ゴンサロ商会で、商取引を変革する。誰もが取引相手の事をビジネスパートナーとして尊敬し、話し合いで問題を解決する。目指すべきは、幸福で安全な社会。弱者にも優しい社会。そして、たくさんの笑顔を集める社会。はい。ここまで、ご清聴いただき、ありがとうございます」
「……」
それから小一時間。
「俺は信用しねぇ」
店主は、努めて平常運転を心がけ、ばっさりと切り捨てる。
「もちろん、私どももすぐにご理解いただけるものとは思っておりません。また、改めてご挨拶に伺います」
終始黙りこくっていたコルベールが口をはさむ。
「テオさんはほんと、人助けが趣味みたいなところがあるからな。うまくいくよう、俺からも頼むぜ」
店主はこれを無視する。
しかし、テオは折れない。
「そうそう、レオナルディ城城下町にいい物件があります。内覧したいと思っているのですが、日取りが合えば、明後日にでもいかがです?」
「忙しない奴だ」
「私どもが今、肌身に感じていることがあります。つまり、時代が動き出そうとしているということです」
「嘘つけ」
「私どもの協力を望む声は、日に日に大きくなっています。一例を挙げるだけでも、黒羊亭様に、森のランプ亭様、アルデア修道院様にデルモナコ様。偏見に囚われない新しい世代が現れ、彼らが、時代を変革しようとしているのです」
「俺のことを時代遅れとでもいうってのか?」
「とんでもございません。ただ、時代を先駆けることで大勝ちできる。この鉄則は、貴方もご自身の経験からご存じのはずです」
「……」
「本日は、私の成長を促すたくさんの学びをありがとうございました」
テオは、ここが潮時と考えて、潔く立ち上がる。
コルベールが同時に立ちあがるが、その場でふらふらとよろめく。
「おっとっと」
明らかに飲み過ぎである。
セリアはコルベールを支える。
「仕方ないなぁ。僕が代わりに、テオさんを商会まで送ってあげるよ」
セリアは身軽に立ちあがり、埃をかぶった曲刀を背負う。
「これはこれは。セリア嬢にお見送りいただけるとは、恐悦至極」
青空の下、大運河の堤防の上を二人で歩いていく。
大運河は、大小様々な帆船がせわしなく行き来している。
堤防沿いに延々と続くメイプルの木々は、涼し気な緑のアーチを形作っている。
根元にはベンチが設置され、恋人たちが小粋な会話を楽しんでいる。
幼子達が、無限の体力でもって元気に走り回っている。
メインストリートから外れているにもかかわらず、非常な活気だ。
「5年前、私は命を狙われていました。常に心休まることはなかった」
「戦争中でもありましたからね」
「それが今や、この繁栄ぶり。もはや、戦争の爪痕も見出すことも出来ません。まさに、雑草のような力強さ。この国の底力です」
「みんなが一致団結して、復興に力を入れたからでしょうね」
「二度と、悪しき者を招き入れない。そういう固い意志を感じます」
「特に自警団は、その象徴ですね」
当たり障りのない会話を続けている。
テオは目を細める。
「長きにわたる平和は、人々に潤いを与え、日常という概念を与えることになりました。これこそ、一つの幸福なのでしょうね」
堤防の上を更に進み、海洋が見えてきた頃。
すれ違ったばかりの青年が、セリアの背後に回る。
同時に、仮面の男がテオの行く手を阻む。
「テオ殿」
仮面の男は穏やかに話しかけてくる。
背後に回った青年は鋭くナイフを引き抜き、手元に寄せて構える。
「スマイリー商会か!?」
対して、テオは日常から非日常への変遷に耐え切れず、うろたえて短く叫ぶ。
「そのような物質的な快楽を求める愚者と同一視されては困る」
仮面の男は静かに応える。
テオは、恐怖のあまり黙り込んでしまう。
仕方なく、セリアは相手と会話し、情報を引き出そうとする。
「その仮面からして、君達は、最近流行りの暗黒大元帥もどきだな?」
確かに、男が被っている仮面は、暗黒大元帥の愛用していた仮面とそっくりである。
「我々『神のフォルテッツォ』は暗黒大元帥に導かれる。そして、全員は一人であり、一人は全員。つまり、我々は全て暗黒大元帥である」
仮面の男は、余裕をもって回答する。
まるで、自分自身が暗黒大元帥であると言わんばかりである。
しかし、暗黒大元帥は既に死んだ。荒唐無稽な話である。つまり、話が通じる相手ではなさそうだ。
「フォルテッツォは根絶やしにしたはず」
「美しい信仰の道に対し、激しい迫害を受けたことは忘れていない。しかし、真に価値のあるものは、迫害によって失われることはないのだ」
「何のために僕達を襲う?」
「戦いには金が必要だ。そのためである」
赤裸々に返してくる。
「君達は、平和を破壊するというのかい?」
「闘争こそ人の本質。この間延びした世界に価値はない。さぁ、予定調和に終焉を!」
セリアは、背中の曲刀に手をかける。
非戦闘員であるテオを抱えている以上、こちらが不利である。
しかも、セリアが曲刀を握るのは、実に5年ぶりである。
加えて、仮に、眼前の男が真に暗黒大元帥であれば、強敵である。
まさかではあるのだが、僅かに動揺している自分に気付く。
「うわああああ!」
テオはその場のぴりついた空気に耐え切れず、無謀にも、大運河に向かって河川敷を走り出す。
追いかけようとして、フォルテッツォの青年が背を見せた瞬間。
セリアの曲刀が走り、青年は足首をやられて地に倒れ伏す。
決して、その腕前はさび付いてはいないのだ。
だが、その瞬間、セリアには確かに隙があった。
「相変わらず、素晴らしい腕前だ。だが、周りが見えていないようだ」
どこからともなく、黄色い濃い煙が流れてくる。
セリアは、喉に鋭い刺激を覚え、思わず咳き込む。
「私は何度でも現れる。私が間違っているというならば、止めて見せるがいい! ハハハハ!」
急いで曲刀を構えなおすも、既に仮面の男の姿はない。
数日後。
セリアは帝城に召喚される。
「例の、フォルテッツォの件です」
対面するのはすっかり美丈夫となったエリオ。
彼は、下級警官として、セリアからの被害届を受け、今回の事件の解明にあたっている。
なお、しばらく事件らしい事件もなかったため、今回の事件は重大事件として取り上げられている。
「どうだった?」
エリオは、大人の余裕で笑顔を見せる。
セリアは、昔と変わらずちんちくりんな自分を顧みて、やや気後れしている。したがって、ぶっきらぼうに返す。
「帝都内を洗ったところ、複数のアジトを見つけました。でも安心してください。犯罪協力者は全て逮捕しました」
「仮面の男も逮捕できたの?」
「残念ながら、逮捕した中に、貴女のいう仮面の男が含まれているかはわかりません。ただ、彼らから、いろいろと話を聞きました」
「何かわかった?」
「彼らは、北方のカーン公国出身で、二重帝国の支配に不満を持っていたようです」
「フォルテッツォは、単なる隠れ蓑だったんだね」
「あの団体は完全に根絶しましたから、今回の件は別の組織です。ただ、青年は、気になることを言っていまして」
「?」
「カーン公国には独立の動きがあるそうです」
「え?」
「近く、北方で大きな戦争を起こすそうで、武器の買付のために、帝都に滞在していたとのことです。震えて眠れぬ夜を過ごせとも言っていました。果たして、どこまでが本気なのやら……」
北方の話は、彼らにとって遠い世界の話である。
もはや、帝都の平穏とは無縁の、異世界の出来事ですらある。
「しかも……。その指導者は、あの暗黒大元帥だそうです」
「そんなことあるはずがない!」
確かに、仮面の男は、暗黒大元帥を名乗った。
しかし、暗黒大元帥は既に死んでいる。
「帝国は、念のため、カーン公国に外交使節団兼調査団を送ることを決定しました」
「動きが速い」
これは、官僚機構がしっかりと機能していることを意味する。
「その主席外交官として、セリア。貴女が選ばれました」
「え? 僕が?」
「勇者アンリと共闘した貴女です。帝国がいつまでも貴女のような有能な人材を放っておくことはありませんよ」
「でも、僕には教養があるわけでもないし……」
セリアはひょんなことからアンリと共闘したが、その実、北方で生まれ、育った身でもある。
カーン公国に親しみもあり、ひいき目で見てしまうことは間違いない。適任ではないのだ。
「私も随行員として同行します。必要なことは、私が補佐しますから大船に乗ったつもりでいてください」




