34 皇帝の間
心細い事だろう。
行きずりの俺ではあるが、最期まで、側にいてやることが正解であるようにも思える。
しかし、何と声を掛ければいいものやら、全くわからない。
長い時間考え、ようやく決断する。
俺は、再び小屋の中に戻るべく、踵を返す。
しかし。
「陛下、それ以上は危険です!」
背後のダビドが鋭く警戒を促す。
周囲を見渡すが、俺には、何も察知できない。
踵を返した勢いのまま、小屋の中に半歩、足を踏み入れた。
その瞬間。
ウィリデの影が2、3度の膨張と収縮を繰り返す。
その様を目を凝らして観察していると、瞬く間に影は膨れ上がる。
小屋を覆い、灯火を吹き消し、小屋の外にまで果てしなく広がっていく。
ダビドはその俊足でもって、俺の元に駆け寄るが、間に合わない。
俺は、呆気なく暗黒の中に飲まれてしまった。
ウィリデやダビドの姿は消え、小屋や集落の形は消える。
そこは、何も存在しない空間である。
その中で、徐々に構造物が生成されていく。
地面はどこまでも石造りで覆われ、その石畳から、巨大な石柱が天に向かって伸びていく。
石柱が支えるであろう天井は、高すぎてもはや視認できない。
この場所は、俺が魔人と戦った異空間の神殿と似ている。
ただ、今回はその規模が比較にならないほどに大きい。
そして、今までとは違って、石畳の上には無数に十字杭が打たれている。不気味なことに、まるで墓地のようなのだ。
そんな俺の予想を裏付けるかのように、上空から大きな化物が降り立ってくる。
大きなかぎ爪で、勢いのまま石畳を削り取り、地面を震わせながら着地する。
左右に巨大な翼を広げ、頭を下げ、鋭い眼で俺を睨みつける。
そのワニ口を大きく広げ、俺に対して全力で威嚇し、咆哮する。
その勢いだけで、俺ははるか後方にまで吹き飛ばされる。
赤いドラゴンの登場だ。
魔人との戦いは決着がついたものと勝手に理解していた。油断だった。
決して、そんなことはなかったのだ。
俺は腰を低くして剣を引き抜き、ドラゴンと対峙する。
しかし、恐るべきことに、それだけでは終わらない。
俺の後背から、石畳を割って、巨人が生えてくる。
筋骨隆々の体躯に、シュモクザメのハンマーヘッド。
己の胸筋を拳で叩き、威嚇してくる。
海底神殿で戦ったあいつだ。
この広大なフィールドで再戦をお望みということか?
ところが、化物2体では終わらない。
遠くから、巨大な牡鹿が、角を振るいながら走り寄って来る。
更に、巨大なミミズクがふわりと空から降りてくる。
一体一体での戦いでも、俺はまともに彼らと渡り合うことは出来なかった。
それを今、奴らは全員でもって、協力して俺をすり潰しにかかる事に決めた様子。
まさに、四面楚歌。
4体の化物達は、俺を中心として、銘々が激しく喚き合う。
それはもはや、仕留めた獲物を前に、感謝の祈りを捧げているようにも見える。
さすがに、これでは勝負にならない。
戦術を練る気力も、剣を構える気力すらもわかない。
ただ、圧倒的理不尽を前に、怒りだけを募らせていく。
そもそも、ウィリデは、後は魔人を胃液で溶かすだけのようなことを言っていた。なのに、奴らはこのとおりぴんぴんとしている。
彼女の想定以上に、奴らが厄介な相手であったということなのか。想定が甘いというのだ!
そして、そんな危険な奴らと再戦する役割は、俺が担うことになる。
俺は巻き込まれただけなんだ、とは言い訳しない。
しかし、最終的に、このようなエクストラな戦いが待っているならば、事前にそう言っておいて欲しかった。
「お前達は、2千年を経て、少しも礼儀を学ばぬな」
石柱の影から、不意に老人が姿を現す。
その姿は、イクセルである。
美しい民族衣装で正装し、鎌を携えている。
化物達は、イクセルを見て、咆哮を止める。
イクセルは、大声で叫ぶ。
「そのままでは、話し合えぬではないか!」
その言葉を受けて、ドラゴンは見る見るうちに小さくなっていく。やがて、人型になる。
吊り上がった眉に、野獣のような双眸。
「久しぶりよな、イェルド!」
その姿は、まごうことなき激怒皇帝。
同じく、青い巨人も小さくなり、人型となる。
とはいえ、3mを超える巨躯ではある。
「息災か、ヴィゴ!」
更に、牡鹿は青年に、ミミズクは少女に変化する。
「懐かしいな、ロビン! そして、カタリナ!」
ロビンの顔は、俺の下で働いていた凄腕の弓兵に似ている。
カタリナは、レオナルディの城下町で共に働いた白銀先輩その人である。
そして、イクセルに見せられた過去において、彼らは紛れもなく、アウグスタと肩を並べるメンバーであった。
つまり、彼らこそが古代英雄なのだ。
薄々勘付いてはいた。
結局、魔人の正体は、彼ら元英雄であったのだ。
ところで、アウグスタが構築した権勢と、これに反抗した新世代。
古代において、どちらが善で、どちらが悪かは分からない。
したがって、アウグスタに従った英雄達が悪であるとは断じきれず、魔人という呼び方にも語弊があるようにも思える。
とはいえ、現時点で、彼らの存在は迷惑でしかない。
今や、彼らを頼る者はおらず、逆に、彼らがいることで身体に悪影響を受ける者がいるのだ。
だったら、魔人と呼ばれて排斥されても仕方がない。
つまり、古代英雄が、現在でも英雄であるとは限らないのだ。
「イクセル。貴様が俺を呼び出したのか?」
イェルドは既に激怒状態である。
「違うのぉ」
「では、貴様か、小娘? 返答次第では許さぬぞ」
「眠っているところを叩きおこされたのは、私も同じなのです」
次々に飛び火していく。
このままでは、ちょっとしたことがきっかけとなって、大惨事になりかねない。
「我々を呼び出したのは、彼じゃ。お前も、気付いておろうて」
イクセルは俺を指し示す。
いや待て。
俺は呼び出していないし、彼らは招かれざる客である。
それより何より、険悪なムードが漂い始めたところを、俺に丸投げし、俺を渦中に放り込むのは勘弁願いたい。
「は?」
イェルドはしげしげと俺を観察した後、軽く鼻を鳴らす。
「いつぞやの雑魚ではないか。殺してもいいか?」
「待て待て」
「イクセルよ、貴様耄碌したようだな」
「ワシはお前達の何十倍も長い歳月を、この世界で過ごしてきたからの。お前達ひよっこ共よりも事情に通じておってな」
「だとしても、そのような雑魚が、俺達を呼び寄せる力など持っていようはずがない」
すると、ロビンが割って入る。
「私は、彼の事を認めている。現に君は彼に倒されて、この場所に閉じ込められているのだろう?」
「俺を倒したのは、そいつではない」
「言い訳など、らしくないな」
「今の言葉! お礼は、後でたっぷりとさせてもらうぞ」
そこに、カタリナが割って入る。
「彼は、黒の秘宝を持っています」
その一言で、途端に皆が押し黙る。
黒の秘宝というのは、俺の黒い指輪の事だろう。
それほどまでに、この指輪には価値があるのだろうか。
しばらくの後、イェルドが続ける。
「アウグスタの後継を名乗るならば、俺に、その実力を見せてみろ」
俺の返答を待たず、イクセルが代弁する。
「黒の秘宝に触れて生き残った者はいなかった。ただ、アウグスタと彼を除いて」
イクセルは、周囲の十字杭を指し示して続ける。
「説明するまでもなく、周りを見ればわかるじゃろう」
察するに、十字杭こそが、生き残れなかった者達の末路なのではないだろうか。
「忌々しいッ!」
イェルドはそっぽを向く。
変わって、ロビンが俺に尋ねる。
「若者よ。君が、その黒い指輪でもって我々を呼び出した。そういうことでよいか?」
「しかし……」
そんなつもりは全くない。
「であれば、君は、我々のリーダーになる資格を持っている」
これに、カタリナが続く。
「君は、一体、私達に何を望むのです?」
「望みですか……。そうですね。いと英邁なる英霊の皆様におかれましては、ただただ、安らかに眠りについていただきますれば、私は幸いに存じます」
「お?」
「え?」
「あ?」
「我々を相手に、永眠せよと? その、戦いへの飽くなき執心、雑魚にしておくには惜しい。いいぞッ! かかってくるがいい!」
イェルドが激しく間違った理解を示し、短槍を構える。
「そうではなかろう? 世界の歪みを正したいのだろう? それとも、10の秘宝を回収したいのか? いずれにしても、我々に力を貸せと言うのだろう?」
ロビンが俺を言い含めようとする。
彼らは、この地に長きにわたり封印されてきた。
ならば、解放された今こそ、今までに貯まったうっぷんを晴らし、思いっきり暴れ回りたいのだろう。
少し哀れにも思える。
しかし、俺に、彼らのたいそれた力を借りて、何か野望を成就したいという思いはない。
それに、俺には、彼らを取りまとめる器量も力もない。
そもそも、俺はこの黒い指輪の仮の持ち主であって、そんな仮の資格しか持たない俺は、彼らの盟主となるべきではない。
つまり、制御できない怪獣の力は、むしろ有害ですらある。
完全に、利害の不一致なのだ。
触らぬ神に祟りなしでもある。
「私にそのような資格はありません」
すると、今度は、カタリナが切々と話しかけてくる。
「私達は、それぞれ自分の専用のフィールドを持っていますが、フィールド外では数日しか行動できません」
おそらく、フィールドというのは、以前に俺と戦った場所、つまり、彼ら専用の異空間の事だろう。
「それでも、私達のフィールドと君のフィールドとをつなぎ合わせれば、私達は君の居場所を中心に、外界を動き回ることができるのです」
言い終わるや、カタリナは口を閉じて、じっと俺を見つめてくる。
決して、俺におもねることはしないが、切々と俺の情に訴えかけてくる。
「ギャグでも聞きたいですか?」
「いや、いいです」
顔色は変わらないが、明らかに不服そうな動作をする。
確かに野獣など手元に飼いたくはない。
人身御供を、などとして餌をねだられては、俺まで悪事に加担しなくてはならないからだ。
しかし、俺には、彼らを倒すことは出来ない。
そして、ウィリデも、彼らを消滅させることは出来ない。
このままでは、野獣は野放しになる。
であれば、それよりかは、俺の手元に鎖でつないでおいた方が、安全である。
それに、激怒皇帝イェルドと無口なヴィゴはともかくとして、他の3人は明らかに俺に対して好意を抱いてくれている。
全員が野獣であるとは言えない。
無論、彼らを管理する俺の負担はとてつもないことになるだろう。
しかし、それも、この黒い指輪を誰かに託すまでの辛抱だ。
「知っての通り、私は、アウグスタの後継です。そのことの意味をわきまえてくれるなら、貴方達との取引もやぶさかではありませんよ」
すると、突然。
その取引は成立、もはや二言は吐かせないといわんばかりに、五大英雄は、一斉に俺にかしずき、片膝をつく。
ここまで素直に態度を急変されると、俺は早まってしまったのではないかと勘繰ってしまう。
彼らは声を合わせて、俺に敬意を表する。
「我がインペラトールよ! 我らは、汝への忠誠を、ネアの元老院と市民に誓う!」
気が付くと、俺は小屋の中にいる。
神殿は姿かたちもない。無事に、戻って来られたようだ。
ウィリデが俺の胸にもたれかかっている。
その肩は、呼吸にあわせて、僅かに上下している。
「風邪をひくぞ」
深い安堵感を抱きながら、ウィリデの肩に手を置いた瞬間。
息つく暇もなく、彼女の影から、5つの巨大な影が分裂し、一斉に俺に襲い掛かる。
俺は為すすべなく、ただ身構える。
影は俺をすり抜け、俺の影へと侵入していく。
「うああああ!」
無茶苦茶、痛い。
体中の神経が引きちぎられるような激痛だ。




