21 心頭滅却
「答ええええええええい! 拳とはなんぞや?」
案内された先には、熱血爺さんがいた。
短髪に険しい面構え。その背丈は、二メートルにも及ぶ。
ゆるやかなローブを着ているが、服の上からでも、素晴らしく鍛え上げられていることがわかる。
ところで、俺は質問に対する回答を持ち合わせている。
初めて受ける質問であっても、容易に回答できるというのは、情報飽和社会にいる現代人の特権だ。
俺は、ただ落ち着いて答えるだけ。
「善を助け、悪を挫く。これすなわち、拳なり!」
爺さんは俺を睨みつけ、嫌な顔をする。
「小賢しい!」
「は?」
「それで、お前は、ワシに何を望む?」
「俺は英雄メルクリオ。かつての力を取り戻したい。期間は一週間」
「何のためぞ?」
「世界平……」
「言わんでよい。お前の拳が全てを語るであろう。では、出かけるぞ。目指すものがあるのであれば。死に物狂いで付いて来るが良い」
俺は、心の準備もできないままに、爺さんとともに走り出す。
王都を抜ける頃には、もはや、俺は、呼吸のリズムを失い、身体が悲鳴を上げ始める。
とはいえ、俺はこの機会に強くならなくてはならない。それも、英雄と肩を並べるぐらいにまで。そのためには、爺さんの試練に耐え抜くしかない。
海岸沿いを進み、しばらくして森の中へと侵入する。
森の中は、道が通っていない上、木々が密集している。さらに、急こう配の上り坂となっており、大変走りにくい。
爺さんは、そんな劣悪なコンディションをものともせずに、森の中を縦横無尽に飛び跳ねる。
俺は、爺さんの背中だけを頼りにして、どたばたと走り続ける。
爺さんは、俺が遅れていることを罵倒し、それでも俺を構いつつ、俺を先へと導く。
やがて、日が暮れるが、爺さんは、そんなことには全くのお構いなしである。
走っている間に、身体が順応してきたのか、呼吸が整ってくる。
そのまま夜通し走り抜け、朝日が見える頃。
周囲は一転して、見渡しが開ける。
連れて来られたのは、外輪山に囲まれた小さな高原である。
時折、濃い霧が通り過ぎ、小雨を降らせる。
可憐な花が、ところどころに花開いており、僅かに心が躍る。
爺さんが立ち止まった瞬間、俺は、岩の上にへたり込む。
もうへとへとだ。
持参したはいのうから、革袋の水筒を取り出し、喉を潤す。
頭のこめかみがじんじんとする。眩暈もしてきた。
運動不足を痛感させられる。
それでも、俺はやり抜いた。
爺さんの試練に、立派に耐え抜いてみせたのだ。
「己に対する勝者のみが、前に進む。力を取り戻したくば、休んでなどおれぬぞ!」
「ひぇ」
爺さんは、俺に剣を投げて寄越す。
俺に対する試練は、これで終わりではなかったのだ。
「さぁ、全力でかかってこい!」
「しかし……」
ところが、爺さんは剣を持っていない。
不公平ではないか。
「打ち込めぬか? では、ワシから行くぞ」
「うへ」
爺さんは独特な呼吸を始める。
腹の前に両手の平を添え、腹の底まで息を吸い込む。
ハアアア。スウッス。
しかる後、爺さんは、巨岩に拳をそっと押し当てる。
「クギャアアアア!」
野太い声が高原中に響き渡り、驚くべきことに巨岩が爆散する。
「嘘……だろ……」
なんだこれは。
拳を打ち込んで巨岩を破壊したのならば、百歩譲ってまだわかる。
それを、この爺さんは、巨岩に拳を押し当て、そこから力を込めただけで、巨岩を破壊したのである。
意味が分からない。
ともあれ、これ以上の超常現象は勘弁して欲しい。
「これは、かつて、ワシがお前に授けた奥義ぞ」
「えー」
「お前は、これが得意じゃった」
「えー」
「これを思い出さねば、ワシはお前を殺してしまうかもしれん」
「待……」
爺さんは、言うが早いか拳を繰り出す。瞬きもしないうちに、俺の胸のすぐ側にまで、凶暴な拳が迫っている。
俺は慌てて立ちあがり、急いで距離を取る。
取ろうとしたが、周りは岩場であり、劣悪な足場環境である。
踏ん張りがきかず、その場に転がる。
岩に尻を打った。痛すぎて涙が出そうだ。
ふと見上げると、爺さんの容赦ない踵落としが、俺の頭蓋に振り下ろされようとしている。
急いで体を捻り、これを避ける。
爺さんの踵がピタッと岩石に張り付き、一瞬の後、岩石は爆散する。
もし、俺の反応が遅れていたら、岩石の代わりに爆散したのは俺の頭蓋だ。
常識が通じる相手ではない。
生き残るためには、戦うしかない。
「ハアアア!」
爺さんは、左の拳のみを突き出してくる。
その拳は、空気を切り裂き、変幻自在に迂回し、曲折し、確実に俺の息の根を止めに来る。
無論、全ての拳を避けることなど出来るはずもない。
俺は、打撃を受けるたびに、息が止まり、四肢が硬直する。
もう、全身が自分の身体ではないみたいに動かない。
もっとも、爺さんは力を抜いてくれているのか、俺の身体が爆散することはない。
と思いきや。
偶然にも、俺の剣と爺さんの拳が交わる。鉄剣と生身の打ち合いである。
すると、俺の剣は、まるで竹輪でできているかのように容易く折れ曲がる。
次いで、爆散する。
「爆薬でも仕込んでいるというのか?」
「何を言うておる。この奥義は、肉体と精神を鍛え抜いた先にあるものぞ。さあ、放ってみせい!」
俺は、とにかく、爺さんの呼吸法を真似る。
腹の前に両手の平を添える。
ハアアア。スウッス。
今までの弱い気持ちを吐き出す。
そして、最強の自分をイメージし、自然エネルギーを周囲から取り込む。
自然エネルギーは十分に溜め込んだ。
俺は、満を持して、巨岩に手をあてる。
「いやああああああああ! あ?」
巨岩に、ひび割れひとつなし!
爺さんが、やけに小さな声で呟く。
「見当違いじゃったかな?」
こんなんで強くなれるなら、誰も苦労せんわ。
「面目ない……」
「本当に、過去の記憶が無いのか?」
「そのようだ」
「ワシの前で理想を語ってみせたあの時の、あの瞳の輝きは、もうないというのか?」
「……」
爺さんはしょんぼりとしている。
そんなに落ち込まないで欲しい。こちらが、申し訳なくなる。
ちなみに、俺の瞳は、最初から欲にまみれている。
「まだそうと決まったわけではない。みっちりと鍛え上げれば、思い出すこともあるであろう」
まるで、壊れたテレビを叩いて直すような言いぶりである。俺は、不安しかない。
その後、一方的に蹂躙される組手を再開する。
夕日が落ちるまで、ひたすら蹂躙が続いたのであった。
爺さんは、どこかで捕まえきた鳥の羽根をむしり、その肉を棒きれに差して焚き火で焼く。
「さぁ、食え」
爺さんは厳つい手で、鳥の丸焼きを俺に差し出す。
俺は、よくわからない鳥肉にかぶりつく。
もちろん、まずい……。
爺さんをそっちのけで、ブロイラーの偉大さに思いを馳せる。
食事が終わると、火の側で体を丸め、睡眠に入る。
普段使わない筋肉を酷使したせいで、全身が筋肉痛である。
はたして、明日も、この身体はうまく機能してくれるのだろうか。
次の日は、朝から崖をよじ登る。
崖の高さは、二十メートルほど。ひっきりなしに、不気味な風切り音が聞こえてくる。
崖は朝露に濡れ、つるつると滑る。崖につかまるには、通常以上の握力を求められるのである。
なのに、身体は激しい筋肉痛に襲われている。しかも、命綱すらない。
無意識に、内股がふるふると震える。
「もう、駄目だあ」
「岩が落ちていったぞ」
爺さんは崖の上から、鼻歌交じりに言い放つ。
「いぃ?」
同時に、巨岩が俺の頭上に迫って来る。
慌てて、体を横方向にスライドさせ、なんとか巨石をやり過ごす。
崖下で巨石が粉々に砕け散る。
背筋が凍る。
岩が自然に落ちてきたのではなく、爺さんが落としたに違いない。
俺は、抗議すべく顔を上げる。すると、さらに巨石が降って来る。
急いで横方向にスライドし、からくもやり過ごす。
「それそれそれそれ。どんどん岩が落ちていくようだ」
「ちょ」
焦りのあまり、片足が滑って足場を踏み外す。
両手に力を込めて、必死に体勢を持ち直す。
ふう……。
肩の筋肉が、悲鳴を上げている。
崖を昇り切ると、そこは別世界である。四方八方に視界がひらけている。
西の方には海が見えるし、北の方には大山脈が見える。
「ワシは先に降りる。朝飯にありつきたくば、早うに降りて来るがいい」
「そんな……」
二階から一階に降りるような気軽さで言わないで欲しい。
爺さんは、崖下にするすると降りた後、こちらに向かって巨石を投げつけてくる。俺は、巨石の直撃を避けながら、なんとか、崖を下り終える。
朝食にありつく。
しかし、食事中に思わず、ウトウトとする。
ふと、殺気を感じ、無理矢理目をこじ開ける。
眼前に、拳が接近している。
反射的に、横にすっ飛び、かろうじて拳を避ける。
「精神と肉体を、常に研ぎ澄ませておけ!」
既に、殺人組手が始まっているのである。
来る日も来る日も、朝から晩まで、ひたすら組手を繰り返す。
そのおかげで、俺は、少しずつ爺さんの動きに目が慣れてくる。
相手の動きを理解し、瞬時に対応を練る。次いで、体に命令を下す。体が動き始める。
間に合わない。途端に身体に強烈な痛みが走る。
「恐れるな、萎縮すればすなわち死ぞ。頭で考えるな。最後まで諦めず、本能に従い、汚く足掻け!」
筋肉痛と打撃痛。身体の限界などとっくに超えている。
それでも、冷静に。そして、大胆に。
萎縮が解けていく。
相手の動きに逆らわず、水流の如く流動的に対応する。体が、勝手に動く。
今の俺ならば、目をつむっていても爺さんの攻撃を避けられる。
「グェエ!」
「目を離すでない。感覚で、体を動かすでない。五感を使え。全てを使い切れ!」
朝露の一雫が、尖った葉先に集まり、徐々に膨らみ、そしてついに地面へと落下していく。
落下を始めて、接地するまで、時間にして一瞬である。
しかし、見える。
雫の一滴が、少しずつ高度を下げていく。そのベクトルと、その速度、その一瞬一瞬が見える。
体感は、まさに無限時間にまで引き延ばされる。
ふと顔をあげると、師匠が笑っている。
「それよ。その一瞬の集中力。いつでも使えるように出来て、初めて武闘家としての入口に立てるのだ」
最終日の特訓を終える。
ここまで、やり遂げた。
師匠が言うような精神論はさておき、単純に、フィジカル面で強くなった気がする。
全盛期を凌ぐ肉体的万能感がある。今なら、高校時代のサッカー部主将とも互角に渡り合えるだろう。
とはいえ、相手は、メルクリオである。
あいつに勝てる自信は、まだない。
「食え」
「いただきます」
いつものように、焼肉にかぶりつく。
そこで、師匠は、珍しく雑談を始める。
「お前は、アウグスタのことをどう思うておる?」
「……」
質問の意図がわからない。
だが、彼女は格好が良いとか、嫁として立派だとか、そんな答えを待っているのではないようだ。
もっと深い何か。ひょっとすると、思想や哲学を開陳せよと言っているのかもしれない。
師匠の顔面は、炎によって陰が差し、その表情はまるで読み取れない。
「彼女は、人々から幸福を奪い続け、自身を着飾り、そして人々に幸福を与え続ける者であった。親しみの持てる奴ではあったが、その実、孤高の存在。強権にして圧政の象徴。それでも、彼女は紛れもなく市民にとっての英雄であり、現代に置いても語り継がれる最高の英雄であった」
「……」
俺は相槌を打つ元気もない。
「彼女は、全てを統治し決定する唯一絶対の皇帝だ。その在り様こそが、古代帝国の繁栄に直結した富国の源泉であった」
「……」
そこまで持ち上げられるほどの人物だったのか。
正直なところ、ただの戦闘民族だと思っていた。
「だが、危険でもある。卓越した一人の個性に頼りっきりになるわけだからな」
「……」
世界史を見れば、そんな事例は枚挙にいとまがない。
「与えられる幸福に満足できぬ者達が、幸福を探し求めた結果はお前も知ってのとおり。結果、現在の貧しい世界に成り果てた」
「……」
「だからこそ、人々は皇帝の再登場を望んだ。そして、その願いを叶えるべく、彼女は現れた。不完全な姿でな」
「……」
「これは、この世界にとって災厄というても過言ではない」
まさか、アウグスタが災厄として認定されてしまった。
もっとも、俺には、彼女の危うさがわからない。
「お前がこの先、彼女とどのような道を歩んでいくのか、楽しみに思っておる。お前は、昔のお前とは違う。ワシらとは見えておる風景が異なっておる」
師匠もまた、俺に丸投げのようである。
「俺は、力を取り戻して、彼女と肩を並べて歩いていきたい……」
「なあに、ワシらは見たいのだ。唯一絶対の存在が幸福を配分し続ける世界、そんな幻想世界を塗り潰す新たな超越者とやらを。閉塞感を打破する存在を」
「ちなみに、師匠は何者なんですか?」
「うるさい。食い終わったら寝ろ」
師匠ジガと別れ、山から降りる。アルデア城にて一日休む。
明くる日。
ついに決闘の日がやって来た。
身体がやけに軽い。だけでなく、身体の芯から熱が溢れ出るのを感じる。
やるべきことは全てやりきった。
後は、運を天に任せるだけだ。
既に、大広間には人が溢れている。
奥には、ペーター王を始めとして、アルやキアラ、七英雄の面々が集っている。
さっそく、キアラが危ない目つきをして、俺に対して声を掛けてくる。
「今日こそお終いね。貴方のみっともない姿、見たくて見たくて堪らないわ!」
彼女のことは、無視するに限る。
不意に、カエサルが俺に対して、二つのものを差し出す。
一つは、黒いチョーカーである。もう一つは、真っ黒の指輪である。
いずれも、カエサルの愛用品だ。
お守りのつもりだろうか。
俺は信心深くはないが、それでも有難く拝借し、チョーカーを首に巻き、指輪を指にはめる。
以前、神父からもらった指輪も装着しており、手先が豪華になっていく。
俺は、カエサルに背を向ける。そして、大広間の中心へと進む。
進む先には、一人の男が待ち受けている。
傲然と構える双剣の英雄。
それは、古代最強の戦士である。