32 薄暮に沈む世界
笑い声が止み、しばらく、耳鳴りが続く。
全身の至る所に鋭い激痛が走る。
闇に目が慣れた瞬間、気が狂いそうになる。
今まで屋外にいたはずなのに、不思議なことに、俺は狭い一室に閉じ込められている。
そして、同じ一室に幾千幾万もの節足動物が這いずり回っている。
それは、ムカデであり、サソリであり、スズメバチであり、蜘蛛である。
いずれも、猛毒を有する嫌われ者達だ。
毒虫を戦い合わせ、蟲毒でも得ようとしているのだろうか。
だが、俺は毒虫ではない。速やかに、ここから退出しなくてはならない。
逃げ出そうともがくが、その度に、体中を刺され、みるみる間に皮膚が腫れあがっていく。
眼前の扉に手を伸ばす。
扉を開くと、どこかの屋上へと抜け出る。
眼前にウルバノがいる。
「このとおり。古代人の秘宝から、彼らの肉体を生成した」
ウルバノが指し示す方向に目をやると、そこには、9つの人影が並んでいる。
その姿は、巨体から子供サイズまで、様々である。
よくよく見ると、驚くべきことに、見知った顔もある。
炎の巨人ルベルに、白き魔女アルバ。
村の守護者エブル、そして、哀れな少女ウィリデ。
いずれも動くことはなく、ただ、ぼんやりと佇んでいる。
「さぁ、次は貴方の番。原初の呪法とやらで、私のかわいい子らに魂を分け与えたまえ!」
え? 俺?
「わかりました」
俺の背後から進み出るのは、ゼノンである。
俺は慌てて脇に避ける。
しかし、俺は彼らの間に挟まっていたというのに、彼らは俺に対して、まったくの無頓着である。
そもそも、今の俺はいつもの俺の姿であって、カトーの姿ではない。となると、彼らにとって不審者以外の何物でもない。
しかも、彼らは、今、秘密裏に何かの大切な儀式を執り行おうとしている。
だとすると、まずは、部外者の俺を排除するのが自然ではないか。
「9体の人造人間というのは、彼らの事ですかねぇ?」
思わず、問いかけるも、彼らの耳には届かない。
ゼノンの肩に手を伸ばすも、触れることすらできない。
どうやら、俺は存在しない者となっているようなのだ。
そんな俺の動揺はさておき。
ゼノンは、一体の人造人間の額に自身の手を当て、祈祷を開始する。
「願わくば、彼らが新しき守護者となりて、心の飢えたる人々を、正しき道に導かんことをッ!」
つまり、こうだ。
まずは、強大な力をほしいままにするアウグスタがいる。
対するレギナは、3つの兵団を掌握するも、それだけではアウグスタに対抗することはかなわない。
そこで、ウルバノとゼノンは、レギナを援護すべく9体の最終兵器を作った。
推測するに、決戦は間近。不可避である。
ところで、俺は、欲望のままに、愚かなふるまいをした。
そのせいで、この世界に干渉することができなくなってしまった。
目の前で淡々と歴史は動いていく。
しかし、それは既に、俺には手の届かない世界の事象である。
俺は、衝動的に有象無象であることに反発した結果、真の有象無象になり下がったのだ。
そこからは、次々に場面が移り変わっていく。
まるで、壊れたリモコンで操作するテレビのチャンネル換えのように。
しかし、それらは一様に戦いの情景である。
まず、映し出されたのは白銀の世界。
吹雪の中で対峙するのは、赤いドラゴンと白き魔女。
あのドラゴンは焔龍イェルドに違いない。
イェルドは、全ての雪を蒸発せんと、爆炎を放つ。
白き魔女は、そんな爆炎すらも凍てつかせんと、樹氷を象っていく。
次に映し出されたのは、火口地帯。
溶岩から上半身を起こす巨人ルベル。
対して、蜘蛛足のついた大きな要塞が襲い掛かる。
その頂点には、大きなミミズクが取り付いている。
要塞は、溶岩を流し込もうとする巨人を押さえつけ、巨大なサーキュラソーで巨人を切り裂いていく。
巨人は立ちどころに溶岩を固め、再生していく。
帝都郊外の草原地帯にて。
ジガの率いる帝国常備軍。すなわち、裁定兵団、神聖兵団、ラケデモンが一堂に会し、戦列を組み上げている。
その最中、巨大な牡鹿がこれに突貫していく。
1万の兵士が牡鹿に追随する。戦列を維持したまま爆走し、やがて、両戦列は激突する。
牡鹿の部隊は数で劣るものの、恐れを知らない。
圧倒的な武力でもって、兵団を切り裂いていく。
帝都外縁にて。
外縁都市の城壁に対して、青い巨人が対峙する。
1kmほどの距離から、助走を開始する。
スピードが乗るにつれ、半裸のその体躯は青く輝き始める。
そのまま、城壁に体当り。
城壁を構成していた巨石は、激しく砕かれ、辺り一帯に飛び跳ね、大惨事となる。
帝都内部にて。
あれほど整除されていた美しい街並みも、今やごった返しとなっている。
新秩序に期待した者達も、旧秩序の破壊力に怯え、やむなくこれに恭順する。
次第に、英雄を称えて団結し、組織だった反乱を起こす。
一人の少女、あれはエブルだ。
彼女が腕を上げると同時に、黒い雨が降り始める。
これを浴びた市民達は、次々にその姿を化物へと変貌させていく。
更なる混沌が巻き起こる。
帝都の神殿にて。
「戦いが始まってから半日も経っていない。なのに、彼らは喉元にまで迫っている」
ウルバノがいらいらと呟く。
「わかったつもりになっていました。まさか、英雄の力がこれほどまでに馬鹿げたものであったとは……」
レギナが嘆息する。
「決断すべき場面ではないか?」
ウルバノは提案する。
「私は嫌です。私はこの街を守りたい!」
「非情な判断も時には必要となる。皇帝というのは、そういう決断を出来る者である」
「イェルドはまだ円心の中にいません。彼が内側に入ったなら、そのあかつきには……」
「先延ばししていい事態ではない。6人が内側にいるだけでも僥倖だ。今を置いて他にはない」
言い争いをするウルバノとレギナ。
何か、必勝の策があるものと見える。
奥で俯いているゼノン。
殊更に感情を押し殺した声で、ぽつりと呟く。
「やむをえません。やりましょう。急いで市民の避難を済ませてください」
神殿の外。
神殿は丘の上にあり、帝都を一望できる。
上空には、厚い雲がはてしなく続く。
レギナは人造人間達から祝福を受け、トライデントを掲げる。
大地は、激しく揺れ始める。
鼓膜を切り裂くような強烈な悲鳴を上げている。
驚くべきことに、帝都の東側に広がる外縁都市が地に沈んでいく。
帝都と大陸を結び付ける大地。それが、陥没していくのだ。
やがて、周辺の海洋から陥没した土地に向かって、一気に海水がなだれ込む。
遠目にもわかる青い巨人が、落下していく。こちらに手を伸ばしているのが見える。
しかし、為すすべなく、外縁都市とともに海の底へとかき消える。
帝都は大陸と切り離され、孤島に取り残された。
上空には半透明の人面が浮かび上がる。
怒り顔で、帝都内部を睨みつけている。
次いで、ゼノンが立ち上がる。
多くの信徒に囲まれながら、静かに唱える。
「そは収斂し、そは収束し、やがて爆縮する……」
その目尻には光るものがある。
「ノヴァ!」
厚い雲を押しのけ、巨大な光の奔流が、降りかかってくる。
それは、帝都の後背にある霊峰に直撃する。
遅れて、地響きが起こり、何かが炸裂する巨大な音が聞こえてくる。
霊峰から、赤く光り輝く溶岩が溢れ出る。
そのまま、凄まじい速度で山の斜面を駆け下りてくる。
雲底は気味の悪い朱に染まる。
栄華を極めた帝都はどろどろに溶けていく。
ああ。なんということだ。
その繁栄をかなぐり捨ててまで、彼らは英雄を殺そうとしたのだ。
自爆行為である。
だが、決して盲目的行為ではなかった。
そうまでしなければ、英雄を屠ることは出来ないと、最初からそう考えていたのだ。
「ッ!」
唐突に、大きな獣が、丘の上に躍り出る。
狂った軌道で動き回り、獣は、自分を中心に広範囲に光を投げつける。
光は滞空し、更なる光を放射する。
直撃を受けたレギナの近衛兵は、焦げ付いて、次々に倒れていく。
強靭であるはずの人造人間も、麻痺したかのように動きを止める。
ゼノンやウルバノですら、地面に縫い留められたかのように動けない。
獣は、やにわに人造人間2体を串刺しにし、そのまま何者にも邪魔されることなく、直進する。
そして、大剣を無造作に振り下ろす。
レギナの腕がトライデントを掴んだまま、宙に飛ぶ。
「馬鹿垂れがぁ!」
ジガが、どこからか飛び出て、そのまま獣に飛び蹴りをかます。
獣は若干動きを止める。
ようやく、視認できる。
獣は、俺の前に何度となく現れたあの鳥頭の化物である。
しかし、その腕は2本しかなく、その鳥頭も兜で構成されている。
もはや、人間と言ってもいいようなスタイルですらある。
これを見て、レギナはトライデントを拾い、獣に挑む。
ウルバノも自身の影の中から新たな体を生成し、同じく麻痺から解放された人造人間達を指揮し、獣を取り囲む。
僅か3秒。
獣以外に、その場に立っている者はいない。
「神は同胞殺しを許しません。打ち砕かれた秘宝は呪いとなり、秘宝の働きを阻害するのです」
俯せに倒れたゼノンが、獣に語り掛ける。
確かに、獣はまるで呪いをかけられたかのように、その動きは目に見えて鈍いものとなっている。
「さぁ、罪を罰するのは唯一神。今こそ、降臨の時です!」
しかしながら、そのような都合のいい者は現れない。
ただ、事態は急変する。
丘は溶岩に飲まれ、その岩肌が醜く歪む。
そして、大きく亀裂の入った丘の斜面は崩落し、獣と共に溶岩へと飲まれていったのであった。
帝都は激しく燃え盛っている。
人々は溶岩流から逃れるべく、船着き場に殺到する。気もそぞろに、出港の時を待っている。
その雑踏の中。呆然としたレギナが見える。
どうやら、奇跡的にあの危難を逃れられたようだ。
レギナは口を開く。
「この船は旧都市アテナイへ向かいます」
「アテナイに遷都するのだな?」
応えるのはメルクリオである。
「アテナイは、その機能も十分に担えるでしょう」
「では、これを託しておこう」
メルクリオは、一本の剣をレギナに託す。
「因果を結び付ける、コウザリタス!」
「代々、トロイゼンの軍団長が引き継いできた一振りだ」
「つまり、私を裁定兵団の長として、正式に認めてくださると……」
レギナは片手でコウザリタスを抱き、しばし沈黙する。
「アウグスタは地下水路に潜り、アグリオンへの逃走を試みるはずだ」
「追うというのですか?」
メルクリオは頷く。
英雄の一人であるはずのメルクリオは、しかし、レギナと敵対していない。
そればかりか、アウグスタを追うと言う。
ということは、彼は、英雄達を裏切ったに違いない。
「しかし、彼女にかつての力はありません」
「それでも強大だ。放置すれば、取り返しのつかないことになる」
「貴方が行かなければ駄目なのですか?」
「奴の力を奪おうとする動きもある」
「ウルバヌスには余計な手出しはさせません」
「あの力を制御することは不可能だ。誰かの手に渡る前に、俺が消滅させなければならない」
「ですが……」
「一つ頼みがある」
「はい」
「奴を倒したあかつきには、アグリオンの黒棺にその遺骸を封印する」
「異空間とつながる黒棺ですね」
「古代人の遺骸は災厄を招く。誰にも奪われぬよう、必ず、裁定兵団に黒棺を守護させるのだ」
一言言い残すと、メルクリオは背を向ける。
「今度こそ、俺か、アウグスタ、だ」
そのまま、二度と振り返ることなく、その場を立ち去る。
世界はホワイトアウトする。
意識は保っている。
しかし、視認できるものも、聞こえるものも何もない空間に取り残されている。
明るい。
しかし、怖いぐらいの白一色だ。
何時間も経た後。
声が聞こえてくる。
「これでおしまいじゃ」
いつの間にか、目の前に、イクセルがあぐらをかいている。
「俺は、過去を改変してしまったのでしょうか?」
「心配せんでいい。改変される前に、お主を叩き出したからな」
「では、あのような悲惨な結末が、本当に、帝国の最期だったということですか?」
「英雄達は封印され、或いは死んだ。反乱者も深手を負い、鳴りを潜めた。結果、一つの文明は失われた」
「カトーはどうしたのです?」
「あの男は、ウルバノの後ろ盾を得た。アウグスタの姪を強引に娶り、アグリオンにて皇帝に即位した」
「しかし、第二代皇帝はレギナと聞きましたが?」
「帝国は、カトーのアグリオンとレギナのアテナイに2分されたのじゃ」
「そうすると、カトーもしがない男ではありながら、その実、心の奥底ではやはり、英雄願望のようなものがあったということなのでしょうか?」
「彼はウルバノが飽きるまで、その操り人形として表舞台にいたようじゃ」
「何事もすることはなかったと?」
「失った文明を、何一つ取り戻すことはなかった。ただ、その系譜は後に、アルデア王国へとつながっておる」
「ゼノンは? 彼も何もしなかったのですか?」
「大人類の秘宝を使い、多くの指輪を作り、人々に配付した。しかし、何も変わらなかった」
「救われない……」
「そう、救われない。先導者達は皆の幸福を願い、しかし、先導者同士で互いを理解し合うことは出来ず、結果、誰も救われなんだ」
イクセルは顔をゆがめて、感情を押し殺している。
「ワシは、お主がこの世界にやって来た時。廃神殿に現れた時から、ずっとお主を見ている」
「え?」
「期待を寄せておるのじゃ」
「俺に?」
「仮に、お主がカトーの行動に何ら反発せなんだら、ワシはお主をそのまま過去に塗り込めるつもりじゃった」
なんとお茶目なことを仰る。
「じゃが、そうはならなんだ。ならば、今のお主は持っておる」
何を持っているというのだろうか?
「ワシは、それが形になるところを見てみたいのじゃ」
イクセルは静かに微笑んでいる。




