24 亜音速ディバインフォース
目を覚ますと、やはり、ウィリデの小屋に寝かされていた。
「森の魔人が消滅した」
ウィリデが俺に報告する。
ミミズクは無傷だ。あれで倒したものとは到底思われない。
だが、魔人は強敵であった。再戦したいとは思わない。
であれば、ウィリデは魔人の生態に詳しいものとして、その言葉をむやみやたらに信用したい。
「ということは、残るは一体か」
不思議なことに、ウィリデは無表情のままである。守護者の役割から解放されるという念願に向かって突き進んでいるというのに、嬉しそうでもない。
あれほど、使命に縛られることを嫌がっていたくせに、いざ、使命から解放される時期が近づくと、転機が訪れることに、抵抗感を覚えてきたのかもしれない。
ただただ、俺を訝し気に観察している。
「貴方は、一体何者だ?」
「使命に囚われた者だ。そして、その使命は終焉に近づいている。貴女と同じように、な」
先ほどの戦いが嘘だったかのように、体は動く。
最後の戦いを引き延ばす理由もない。
旅支度を整えると、間髪入れずに次の魔人の探索を開始する。
何かが心の奥底に引っかかっている。ぼんやりとしている。しかしながら、これを明らかにしなければ、自分はどうにかなってしまうのではないかという渇きと焦りを抱いている。
過去を振り返っても何も浮かび上がっては来ない。
思索にふけっても、何ら論理的な解決は得られない。
ただ、前進し、その先に用意されているであろう答えに手を伸ばすしかないのだ。
「次は、山の上ですね」
タチアナが、俺の手元の眼球装置を覗き込む。
眼球装置は、島の東西を分かつ山脈、その中でも最も険しい霊峰の方角を指している。
まさに、最後を飾るにふさわしい場所とも思える。
村人から防寒着を借り受け、さっそく、山に分け入る。
登山開始だ。
「陛下……。私の事を、不甲斐ない従者だと思っていますか?」
「どうした?」
「陛下お一人に、魔人討伐をさせてしまうなど、失格だなと思いまして」
「そんな事を気に病んでいたのか。しかし、どうやら、魔人討伐は俺の固有の仕事らしい」
「次こそは、是非私にも協力させてください!」
とはいえ、今までの傾向からすると、魔人の待ち構える空間には、俺しか入れない。
「二人の力を、頼みにしているぞ!」
現に、タチアナはさておき、空を飛べるゾルタンは、移動手段として大変重宝する。
まず、霊峰の周囲は断崖絶壁に覆われている。霊峰に向かうには、どのルートを採るにしても、断崖絶壁を超えて行かなければならないのだ。
そこで、ゾルタンの出番だ。
ゾルタンの背に乗り、ゾルタンは翼を広げ、ひとっ飛び。
ゆっくりと、旋回しながら上昇していく。
順調かと思いきや、一定の高度を超え、雲の中に入る当たりから、様相が変わってくる。
そこでは、雷鳴が轟き、横殴りの暴風が恒常的に吹き荒れているのだ。
凍てつく雹が、頬を裂く。
ゾルタンは、激しく羽ばたき、暴風に抵抗し、勇猛果敢にこれを切り裂く。
しかし、俺達二人を乗せて、無茶をさせてしまっていたのだろうか。
唐突にその羽は折れ、我々は、意図せぬ方向へと押し流されていく。
無抵抗のまま、雲を抜ける。
すぐに、転がるようにして、着地する。
背の低い草木が一面に広がっている。
ここは、高原だ。
かろうじて、崖の上に到達したのだ。
周囲は雲海に囲まれ、時折、凄い速さで通り抜けていく雲が、強めの霧雨を運んでくる。
奥には更に、天空へと通じる霊峰がそびえたつ。
その霊峰の手前には、10mを超える巨大な人工物が屹立している。
女神の半身像だ。
兜をかぶったマント姿で、振り上げていたであろう右腕は付け根から失われている。
その顔、そのフォルムは、王国でもよく見かけたものであり、無知な俺でもピンとくる。
「なんと美々しい!」
「アウグスタだな」
最後の魔人に睨みを利かせているのだろうか。
見ているだけで、勇ましい気分になる。
高原の箇所によっては、風が弱いところもあり、小休憩を入れる。
骨折したゾルタンの患部に、地面から引き抜いた低木を、添え木としてあててやる。
「人間のように脆くは出来ていない。放っておけば、直に治る。心配無用に願う」
ゾルタンは先を促す。
その熱意に押され、俺達は霊峰へと足を踏み入れる。
霊峰は、雪と氷で覆われている。
ひっきりなしの強風の音も収まり、静寂が訪れる。
真っ青な天空を背に、ひたすら歩を進める。
俺は、もともと体力がある方ではない。
いきなり雪山登山をしろと言われても、土台無理な話である。しかも、こんな軽装備では話にならない。
しかしながら、俺の体は俺の予想を裏切って、無尽蔵の活力を見せる。
決してばてることはない。俺にとっても脅威である。一体どうなっているのだろうか。
やがて、夜が訪れ、満天の星が現れる。
ただ、雪山の風景自体には、何ら変化はなく、変化の兆しもない。
いつまでたっても、一面雪に覆われ、時々、氷が混じっている。
見上げれば、霊峰の鋭い頂が天に伸び、見下ろせば、果てしない雲海が広がっている。
それでも、幾度となく繰り返される昼夜を経験した後、ついに霊峰の頂上付近に到達する。
頂上付近には、更に、大きな塔が天空へ向かって伸びている。
そして、眼球装置は、俺達を塔の最上部へと誘っている。
しかし、タチアナは呟く。
「何もありませんね。この装置も、壊れてしまったのかしらん」
まるで、塔に対して無関心なのだ。
「見えないのか? この塔が?」
「陛下には何かが見えるのですか?」
「……」
どうやら、認識に齟齬が生じているらしい。
「ゾルタンには見えるか?」
「恐れながら」
どうやら、ここから先は、俺だけを招待するつもりのようだ。
「ここで待っているがいい。少し用事を済ませてくる」
俺は務めて何気なく言い捨てると、従者二人を残し、塔に近づく。
入口は扉がなく、開放されている。
しばし、躊躇する。
そっと、中に入る。
予想に反して、そこは生活感にあふれている。
台所らしき場所、寝室らしき場所、ダイニングらしき場所と、緩やかに壁で仕切られている。
右奥には、大きな長椅子が置かれており、一人の若い男が大股を開けて座っている。
男を囲んで、3人の女性が腰掛け、親しく談笑している。
「おや、珍しい。客人のようですね」
しばらくして、男は、塔内に闖入した俺に気が付く。鋭い眼光で俺を睨んでくる。
3人の女性は立ち上がり、銘々が懐からナイフを引き抜く。
「貴女達。およしなさい」
男にたしなめられて、3人の女性はすっと引き下がる。
「わかっていますよ、貴方。何をしにここに来たのか」
「そうか」
「可愛いお嬢さん達を、待たせたくはありません。さっさと終わらせましょう」
言うなり、男は俺を奥へと導く。
廊下を進むと、そこは円形の大広間だ。
「君が最後の魔人だな? 話が通じるのであれば、話で解決したい。人々に危害を与えないと約束するなら、討伐はしない」
「人々の運命は、全て我が主によって決定されることです。だから、必要があれば、どんどん危害を加えます。主の前では、人々の価値など皆無に等しいのです。だから、貴方とは約束しないことにしますね」
「だったら、私は君を討つ」
「時の牢獄に囚われてしまった私が、唯一力を試せるのは、貴方のような愚かな人間が迷い込んだ時だけですからね。じっくり、遊んで差し上げましょう」
封印された腹いせに、討伐に来た勇者を片っ端から潰しているということか。
魔人は俺から距離を取り、正対する。
「では、始めましょうか! とはいえ、これから先、貴方は、ただ、死へのカウントダウンを始めることしかできませんがね」
言うなり、魔人は眼前から消失する。この広間から消えたのだろうか。
俺の能力をもってしても、その姿を視認できない。
と思いきや、いきなり俺の背後に現れる。全ては捉えきれないが、断片的なイメージが脳裏に流れ込んでくる。
全力で、体をひねり、魔人の突きをかわす。
返す刀で、グラディウスを切り上げる。
しかし、魔人の残像を切り裂くだけ。
再び正対する。
「おっとっと! 少しはできるようですね。それならば、私も考えなくてはいけなくなりますね」
言うなり、魔人は上着をその場に脱ぎ捨てる。
上着は、重量のある音を立て、床にめり込む。
魔人は鍛え上げた上半身をさらけ出す。その両腕には、金属片を束ねた腕輪を付けている。
魔人は軽くジャンプする。僅かな金属片の衝突音が鳴り響いたかと思うと、音を置き去りにして再び姿を消す。
「どうです? 私のスピードに付いてこられますか? 無理でしょう? でも、これは序の口なのですよ。もっと、加速できるのです! ほらッ! ハハハハ! ハハハハ!」
全方位から声が聞こえてくる。
おそらく、動きが速いのだろう。だからこそ、目でとらえることが出来ない。
そして、とても自慢げに言っているところ、申し訳ないながら、加速しても見えないことに変わりはなく、加速したことを感じ取ることはできない。
ただ、時を置いて、爆風が襲い掛かってくる。
「さぁ、どうです! もっと加速、更に加速、かそく、かそくぅううう!」
勝手に興じている。
と思いきや、魔人は、いつの間にか、眼前に立っている。
「はぁ。はぁ。はぁ。はぁ……」
肩で息をしている。無理をしていたようだ。
「既に、私は貴方の周囲を1,000回周回しましたよ。貴方が為すすべなく、ただただ呼吸をしている間にですよ。どうです? 怖いですか? 恐れおののきましたか?」
「確かに、なかなかやる」
「そうでしょう。私は三大陸最速の男ですからね。加速の男を除いて……」
「上には上がいるのだな」
「言いましたね? 貴方は私より速い男がいると言ってしまいましたね」
魔人は怒り狂い始める。
「ならば仕方ありません」
魔人は靴を脱ぎ捨てる。靴はやはり、重量のある音を立てて接地し、床を陥没させる。
「次で決着を付けましょう」
言うなり、魔人は姿を消す。
姿を消す直前、俺の背後から、俺の心臓を貫く魔人の手が脳裏に浮かぶ。
これは未来視だ。
来る方向が分かっていれば、対処もできる。
俺はグラディウスを真上に軽く飛ばし、すぐに座標を入れ替える。
「なんと!」
魔人は、間抜けな顔をして、手を突き出したまま、その場に立ち尽くす。
上空から魔人の肩を捕まえ、魔人の背中に俺の全体重をかける。
そのまま、組み伏せる。腕を回して首を絞める。
「勝負あったな」
「私が空を切ったというのですか? 貴方如きが私よりも速いと? 貴方は一体何者だ?」
「最速を超える凡人と言ったところかな」
「恐るべき人間だ。いや、この感じ。まさか!」
魔人は急に、もがくのをやめる。
ゆっくりと、振り返る。
「まさか、陛下ではございませんか?」




