02 古の英雄
「メルクリオ様ですね?」
少年は、日本語ではない謎の言語で喋りかけてきた。
しかしながら、驚くべきことに、俺は言葉の意味を理解できている。
もっとも、俺は日本人であるからして、メルクリオなどという名前ではない。
ところが、少年は、確信と期待を瞳に宿して俺に問うている。
この少年は、ここに何をしにきたのだろうか。
先ほど襲いかかってきた黒尽くめの仲間ではないと思いたい。思いたいが疑わしい。
少年は、一言でいえば王子様だ。
そんな見た目をしている。
瀟洒な衣服に身を包み、わずかに見える肌は月光に照らされて病的なほどに白い。
俺は立ち上がる。すると、青い像も立ちあがる。
その時。
神殿の入口に、厳めしい顔つきの老人が現れる。
白髪頭にあご髭、大柄な体躯に大きなマントを羽織り、無骨な見た目とは裏腹に所作は優雅だ。
老人は、我々から少年を守るかのようにしてその間に立つ。しかし、少年は老人を押しのけて、人懐っこく我々に接近する。
俺は慌てて口を開く。
「止まりなさい。私達を脅すつもりですか?」
「メルクリオ様を脅すだなんて。そんな恐れ知らず、この世界にはいませんよ」
日本語で話したつもりが、何故か異国の少年に通じている。
ところで、少年は瞳を輝かし、にっこりと笑顔である。大した話もしていないはずなのに、いかにも俺との会話を楽しんでいる。
「現に、先ほど黒尽くめの男に襲われましたからね。貴方方の事も警戒しないわけにはいきませんよ」
老人が答える。
「その男の狙いは、アルフィオ様の命です。貴方の命ではありませんよ」
「物騒な」
「我々には敵が多うございます」
「一体、貴方方は何者だ?」
月光の下。
なんだか、芝居の一幕のよう。
俺はいい気になって、尊大に尋ねる。
少年は石畳に片足を立てて跪く。月光が、少年の白金の髪を燦然と輝かせる。
「恐れ多くもッ。古代帝国の正統なる後継国家アルデア。その王弟であるアルフィオにございます。メルクリオ様のお力添えをいただきたく、この度、召喚の儀を行いました」
帝国。王国。そして召喚の儀。
全てが俺の日常から懸絶した馴染みのない単語であり、現実感のない話である。しかし、ふざけているようにも見えない。むしろ、非常な情熱をもって語り掛けてくるのだ。
だったら、こちらもその熱意に応えて一芝居打ってやるのが礼儀というもの。
「では、汝が我に望むのは何か? 覇王の剣か? 賢者の叡智か? それともカオスの始まりか?」
「貴方様こそ、古代帝国建国の柱。そして、七英雄の一人。貴方様にお会いできただけで、僕は嬉しいのです! 僕の事は、アルとお呼びください」
俺との化かし合いを楽しんでいるような素振りはない。それどころか、俺の事を英雄と妄信し、純粋に俺との邂逅を喜んでいる。
そう思わせるような、真摯な眼差しをしている。
俺のいい加減な対応によって、何か勘違いをさせてしまったのではないだろうか。
俺は早々に降参すべきものと悟る。
「というのは冗談で。私は、通りすがりのサラリーマンです。英雄でも何でもありません」
「え?」
「楽しい小芝居の時間をありがとう。ではでは、お暇します」
「ハハッ! ご冗談を。サラリーマンが何かは知りませんが、貴方様は、この国では珍しい風貌をされています。聖伝に描かれたメルクリオ様の特徴と一致しています」
「信じてくれないんだけど、どうしよう……」
「でも、その衣装は私達が伝え聞いている古代帝国のものとは異なりますね」
「これは、ただのスーツですよ」
「あちらの像は、メルクリオ様が操っているのですか?」
「えっと……」
「名前はあるんですか?」
「そうだなぁ……。カ、カエ……サル?」
俺に気持ちを立て直す暇を与えず、王子アルは矢継ぎ早に変なことを尋ねてくる。
古代ローマから連想される名前で、うっかり適当に命名してしまった。
すまねぇ。
「こちらの儀式用の木剣をお返しします。私の従兄が、召喚の媒体として使用したものです」
差し出されたのは非常に見覚えのある木剣。
驚くべきことに、それは、俺が中学時代に作った一振りなのである。
その証拠に、その柄には、クラス名と俺の名前がマジックペンで書かれている。
途端に、俺はむせ返る。
今も同級生の間で語られる、俺の中学時代の伝説。それが、頭の中に蘇ってくる。
始まりは、近所の少年からの依頼であった。
当時の俺は勉強全般を苦手としていたが、図画工作にだけは自信があった。僅か2日間で、角材の加工から塗装まで済ませた。無論、出来上がった一振りは、我ながら見惚れるほどの完璧な造形であった。
それだけならば伝説にはならなかっただろうが、完成した後、俺は何を考えたのか、これを依頼主に引き渡すことなく、中学校に持ち込んでしまった。
友人に自慢するのは当然であるが、他クラスの知らない生徒にまで自慢した。休み時間には妄想の暗黒騎士を呼び出しては戦った。友人達が俺から距離を取ったのも今では懐かしい思い出だ。
しかし、栄光はいつまでも続くわけではない。隣席の女子生徒にチクられて、一振りの奇跡は、担任の教師に取り上げられてしまった。
更に、家に帰っては母親にも取り上げられ、果ては近所のおばちゃんにも取り上げられて、物干し竿として使用されることとなった。そう、つまり、彼女達は、聖戦の意義を理解せぬ凡人であったのだ。
その後は行方不明。数奇な軌跡をたどった魔剣の一振りだ。
その無駄にカラフルな装飾は、今でも色あせることなく、大人になった俺の心臓を直接に鷲掴みしてくる。何なら、原因不明の心臓発作すら起きてしまいそうだ。
「どこからこんなものを?」
「我が国の先祖伝来の家宝でございます」
俺は、この時、もうどうにでもなあれと、早々に放心を決め込んだのであった。
「そもそも、それは、木剣などではなく、エクスカリバーなのだが」
「……」
会話が途切れたところを見計らって、老人は、半ば自分に言い聞かせるようにして口を開く。
「私は、公爵のルイジと申します。貴方を古代英雄と信じたわけではないが、貴方には我々に対する害意がないことはわかりました。ここではくつろぐこともできますまい。是非、王城までご同行いただきたい」
神殿の外に出る。
湖面には月の光が満ちている。
おだやかな春の風。細かくしわよるさざ波。
その光景は、懐かしいようでいて、これから始まる喜劇悲劇を予感させ、どこか物悲しさすら感じさせる。
「テオ、レオ、エリオ! 凱旋だよ!」
神殿の外には、三人の家臣達が待機している。
やせ、ずんぐりむっくり、小柄な少年のトリオである。
いずれも鎖帷子を着用し、まるで中世の兵士のようだ。
「そちらの方がひょっとして?」
やせは、ぼんやりと俺の顔を眺めている。
「ついに、成功したんですね。初めまして、双剣の英雄!」
ずんぐりは微笑みを浮かべながら、握手を求めてくる。
俺は、仕方なく手を握り返す。
「とても本物とは思えませんがね」
少年は、ぴしゃりと俺を切り捨てる。
対して、アルはずっとニコニコとしている。
「襲撃があったそうだ。犯人は逃走したが気を引き締めろ。無駄口を叩くな、引き上げるぞ」
兵士達は、公爵に急き立てられる。
「ちょっと待って!」
青い像のカエサルが側にいない。そのことに気付いた俺は、一人神殿内に引き返す。
カエサルは、素知らぬ顔をして神殿内に突っ立っている。
「置いていかれるぞ?」
しかし、カエサルは動かない。
先程まで元気に動き回っていた事実を、見なかったことにしてくれというのだろうか。
そうは問屋がおろさない。一蓮托生である。
腕を掴んで引っ張ると、しぶりながらも付いてくる。
神殿からカエサルが退出した瞬間。
石畳の発光が、まるでブレイカーが落ちたかのように突然に消失した。
何か取り返しのつかないことをしてしまったような気がした。
この時の俺はまだ知らない。
森の木陰に潜む美しい老人。彼が、一部始終を見届け、新たな可能性に思い至ったことを。
この時の俺はまだ知らない。
湖畔の草陰に寝転ぶ先ほどの暗殺者。彼が、僅かな慢心と気まぐれでもって俺を見逃したに過ぎないことを。
この時の俺はまだ知らない。
神殿の屋根の上に鎮座する死神。彼が、千年以上にわたってこの日を待ち続けていたことを。
僅かな四方に、怪しい者達がたんと密集していたのである。
いろいろと勘弁して欲しいものである。
神殿から再び外に出ると、もう新しい展開が待ち構えている。
盗賊風の男達十人ばかりが、神殿を取り囲んでいる。
これに対して、公爵の家臣達は剣を向け、既に一触即発の状態だ。
ご丁寧にも盗賊の頭が口上を述べ立て始める。
「俺様は泣く子も黙るミナゴロシのサルヴァトーランジェロ様よぉ! てめぇらのことはよぉく知っている。てめぇらの運命ってやつもだ! 今出てきたてめぇも動くなよ。大人しくお城に籠もっておままごとでもしてりゃあ長生きできたのによぉ。悲しい人生だったかな? つらい人生だったかな? だがそんな人生とも今夜でおさらばだ! ヴァラヴァラにしてやるよォ!」
それに対して、アルはいささかも恐れることなく言い返す。
「この方をどなたと心得る?」
アルは、あろうことか、俺のことを盗賊達に紹介しようとしている。
「ああ? そんな奴、知らねぇよ」
「恐れ多くも、古代幻想世界を所狭しと活躍なさった七英雄が一人。双剣のメルクリオ様であらせられる!」
「ヒャッヒャッヒャ! おバカなお頭でもそんなこと嘘だってわかっちまうぜ!」
配下がしゃしゃりでてくる。
「おうよ、おバカな俺でも……。あぁ? おめぇしばくぞ」
「すいやせん」
一方のアルは、盗賊達が勝手に盛り上がっていることに対して、怒り心頭だ。
「そんなこと言っていいのかな? お前達、後でごめんないさいすることになっても知らないよ」
「いや、まぁその……」
事態を収拾せねばという使命感から、一言発してしまう。しかし、俺に、この恐ろしい状況を変えるだけの力はない。黙っておけばよかったのである。
「ほら、メルクリオ様が、お前たちの命を哀れんでおられる!」
「え?」
「ほら、『静まれ我が右腕』と仰せだ!」
「えっ?」
「『引かぬとあらば、我が力を解放する他あるまい』と仰せだ!」
険悪な空気がさらに険悪感を増す。
俺は、おろおろとしてアルの顔を伺う。俺を渦中に投げ込まないで欲しい。
しかしながら、険悪な空気を作った当人であるはずのアルは、素知らぬ顔。それどころか、「もう、やっちまってください」みたいな顔をしている。
「あぁ? てめぇは、何か言いてぇことがあるのか?」
盗賊の頭が改めて俺と対峙する。
俺はアルの無茶ぶりを受けて、やむなく尊大な態度を作り、頭に語り掛ける。
「今の言葉、忘れてくれたまえ」
「るせぇよ。言いたいことがあるなら言えってんだ。気になるじゃーねぇか。なんならてめぇの話が笑えるなら、てめぇだけは命を助けてやってもいいぜ。あっ! 今自分だけ助かりそうだとか思っただろう? はい、うそぉ! どたまかちわり決定い!」
大丈夫大丈夫。俺は同期に抜きん出て出世した男。
この場を収めるなど雑作もない。
とはいえ、心臓は早鐘を打っており、何も名案は浮かばない。
それでも、何も浮かばないまま、俺はエクスカリバーをゆっくりと持ち上げ、意味ありげに銃のようにして構える。
そして、自信満々に言い放つ。
「撃ってしまってもいいのかな?」
「あぁ? 何を撃つっていうんだ?」
当然ながら、木製のエクスカリバーに弾丸を発射する機構はない。
にもかかわらず、唐突に盗賊の一味が奇声をあげる。
「お頭ッ! それは、つまり英雄が使ったっていう裁きの雷、炎の槍ですぜ」
「広範囲を切り裂き、灰燼へと返す大禁呪!」
「大陸を両断したっていうあれか!」
「俺達じゃ、かないっこありません!」
配下が、勝手にそれらしい情報を付加してくれた。
盗賊たちは、一斉に顔色を青くする。
「それこわい。……、はったりだよな?」
これ以上、ボロを出してはいけない。
俺は、ただただニヤニヤし続けておく。
「気色悪ぃなぁ! なら仕方ねぇ。やられる前にやる! 血祭り開始だ、ぶっこめおめぇら!」
しかし、その配下は誰も動かない。
「自分、撃っちゃうよ? もう、ほんと撃っちゃうよ?」
「ま、まままてまて。ちょっとばかし今回は俺様も悪かった、俺様は本当はてめぇらに意地悪をするつもりはなかったんだが、伯爵に言われて仕方なくやったんだ、おちゃめってやつよ。これからは真っ当に生きるから許してくれ。と、見せかけて死ねェィ! オラオラオラオラ!」
盗賊の頭が両刃の斧をグリングリンと振り回しながら、俺に迫ってくる。
その配下は、遠巻きにこちらを眺めている。
公爵の家臣も唖然としてこちらを眺めている。
公爵は厳しい目つきで俺を値踏みしている。
アルは熱い眼差しで俺を見ている。
俺の手元には魔剣エクスカリバーのみ。
夜空は高く、あくまで月光が明るい。
先程からさわさわと音を立てていた草の音も、今や静寂に包まれている。
世界が、この戦いの行く末を注視しているのだ。