20 古代人の認知革命
「洞窟の奥へ進めと?」
「確かに、この円盤もそちらの方角を指し示していますね」
湿原の中央にある滝。その裏に回ると、祭壇があり、さらに奥には洞窟が続いている。
俺とタチアナ、ゾルタンはその先へと進む。
「まったく、ぎょろぎょろと気味が悪いですね」
魔人探索に先立ち、ウィリデから懐中時計サイズの円盤を渡された。
円盤には、上下左右を向くことのできる眼球のようなものが取り付けられている。
ウィリデが言うには、この眼球装置は、空間の歪みに敏感に反応し、その方角に眼球を向ける仕組みになっている。一方で、強大な力を持つ魔人は、空間に歪みを生じさせる。
したがって、眼球装置の向く方向に進めば、魔人に会えるという寸法だ。
しかしながら、今にも飛び出しそうなほどに目を剥くその様は、気味が悪いとしか言いようがない。
「そう言うな。こやつも、なかなかどうして賢そうな面構えをしているではないか。きっと、我らを行くべき場所に連れて行ってくれることだろう」
とはいえ、眼球装置が指し示す洞窟の奥は、進むにつれ道が狭まり、段々とその先への期待が薄れていく。
「陛下は、魔女の言葉を信じておいでなのか?」
「無論、半信半疑だ」
加えて、俺は、ウィリデに対して何の義理もない。
どころか、思い返せば、むしろ迷惑を掛けられた側ですらある。
だったら、魔人討伐など、俺ではない誰か立派な人間がやればいいとも思う。
もっとも、多少の同情はある。
しかしながら、それ以上に、確信に近い予感がする。
魔人との邂逅の先に、俺の求める誰かが待っているのではないか、と。
「ところで、君は、あの人形の事を変質の魔女と呼んだな。君は、彼女らの事を知っているのか?」
「魔女が現れ、この地を支配した時期と帝都が滅んだ時期は一致している。我々は帝国滅亡の当時、この地を離れていたため、詳しいことはわからぬ。しかし、ならば魔女こそが、世界に混沌をもたらしたと推測することもできる」
「君は、変質の魔女が臣民の姿を変貌させたとも言っていた」
「実際に、魔女が変質の術を使うところを見たこともある」
「魔女こそが悪であると? しかし、村人を植物に変貌させたのは、村人を延命させるためと言っていたが」
「被害にあった者のことを、陛下は既に知っているはずだ。陛下は、大陸から地下道を通ってここまでやって来た」
「よく知っているな」
「私は陛下の後を追って参上したのだ」
「君が、地下道内で私を見張っていたのか」
俺はずっと、例の邪悪な鳥頭が、俺を追いかけているのではないかと被害妄想に取りつかれていたわけだ。
「道中、多くの不思議な生物をご覧になったのだろう?」
「まさか、あれが臣民の成れの果てか?」
「全てではないが、しかし、人間としての知性を持っている者は、かつては皆古代人であった。このことは古代人特有の体臭からわかることだ」
「何のために、魔女はそのような悪質なことを?」
「理由はわからないが、当時の秩序に甚大な混沌をもたらしたのは紛れもない事実」
仲間と思っていた隣人がある日、人間ではない姿をしていたとなれば、間違いなくそのコミュニティーは崩壊する。
強固な結びつきを内側から破壊したということだ。
「しかし、彼女らは、魔人こそが混沌の元凶であり、自分たちは魔人から人々を救うために存在するという。一体、帝国は何故滅んだのだろうか。君達の話を聞いても全ては謎のままだ」
「真贋を見抜く陛下の眼力でもって、真実にたどり着いていただきたい」
ゾルタンは口を閉ざして、何かを避けるように顔をそらす。いかにも訳知り顔だが、決して俺に打ち明けることはない。
自らの立場をわきまえ、出しゃばることのないようにしているのだろうか。
タチアナが言葉をつなぐ。
「滅亡の原因はともかく、あの魔女は我々を騙していたのです。今もまた、我々を騙し討ちにしようと画策しているのかもしれません」
しかし、俺にはそうも思えない。彼女は、確かに力を持ち、その力を悪逆に用いることを厭わないという倫理観に欠けた部分はあるが、その根っこの部分は純粋無垢である。その不思議な二面性は、無邪気な子供を思わせる。
であれば、あえて人を破滅させてやろうとまでする使命感や執念深さは持ち合わせていないのではないだろうか。
「とはいえ、他に魔人の手掛かりはない以上、言われたとおり探索を続けるよりほかにない」
「魔女が真に邪悪なら、この先には罠が待ち構えているに違いありません。陛下、十分にお気を付けください」
しばらく進むと、まるで潜水艦の出入口のように、洞窟の天井部が丸くくりぬかれており、出入りできるようになっている。
ゾルタンの背に乗り、洞窟の外へと出る。
そこには、10m四方の狭い砂地が広がっている。周囲を、天まで届くような絶壁が囲んでいる。
砂地には、半分埋もれた石柱が点在している。
「陛下、こやつはここを指し示しているようです」
眼球装置はそれ以上行き先を指示することなく、ただゆっくりと目を閉じる。
それは、役割を終えた安堵の表情だ。
「さっそく、異空間への扉を探そう」
しかしながら、狭い砂地である。探すべき場所など限られている。
そして、確認したところで、やはり、ただ砂地が広がっているだけで、何も特別なものはない。
南中した太陽が、砂地をむなしく照りつけ始める。
やむなく、崖の中腹に期待を寄せて、崖を昇り始める。
そうすると、眼球装置は目をかっぴらき、崖下を睨みつけ、崖からすぐに降りるんだと催促してくる。
どうやら、やっぱり地上の砂地に扉はあるらしい。
「わからん……」
「やはり、魔女に騙されたようですね。陛下を騙すなど、太い奴です」
いくら探しても、何も見つからない。何だか、二人を無意味に俺に付き合わせているような気がしてくる。申し訳ない。
その後も手掛かりは見つからず、しばらくして砂地で一休憩をとることとした。
恨めしく砂地に点在する石柱を見る。
その配置には一見何の規則性もない。それでも、何かを見出したくなる。
ところで、明らかにその石柱群は人工物である。しかも、廃神殿に使われていた石柱と同種のものだ。
となると、これもまた古代人の遺物なのだろう。
「海底の生物群が古代人だったというのなら、彼らを連れてくればよかった。そうすれば、何かヒントをくれたかもしれない」
「陛下。恐れながら、古代人にもいろいろとおります。海底にいた彼らは、古代人の中でも外縁にある者です。古代人の遺跡探索に、彼らの力をあてにはできません」
「古代人の中でも、格付けがあるのか?」
とんだ階級社会だ。
「ご説明差し上げましょう。5億年前からこの地に生息していた大人類、1億年前に南の大陸から移動してきた小人類。両人類は同じ種として括る事ももはや難しいほどに懸絶していました。それでも、混血が繰り返され、その結果として、大人類の特色が色濃く残っている部族を古代人といい、それ以外を単に人といいます。海底にいた者は、古代人の体臭は薄く、人に近い部族と識別されます」
タチアナが応える。
「物知りだな」
「我々は造られたときに、当時の知識を網羅的にインプットされております」
それは頼もしい。
「大人類と小人類との具体的な違いは何だ?」
「大人類は小人類に比べ、脳が大きく、身体能力も格段に高く、寿命も20倍程度長いのです。大人類は小人類に対して個体数は少ないものの、それでも圧倒的に優位にありました」
「その繋がりで、古代人が人を支配していたというのだな?」
「事はそう単純ではありません。大人類は個の武勇に優れはしましたが、小人類はそれに対して、宗教という名の虚構を形成し、団結を得たのです。大人類は、あっけなく小人類の前に敗れてしまいました。結果、一部の大人類は大陸の外へ落ちのびましたが、大陸に残った両人類の間では混血が進み、それぞれの特性を共有することとなったのです」
「時代を経るにつれ、尖った性能を失ってしまったのか。少し残念な気もするな」
「ところが、大人類の特徴を色濃く残す部族、つまり古代人の中から、突然変異の個体が現れました。その個体は、人とは異なる独特な認識能力を持っていました。虚構を介することなく、個を超越して人々の意識の総体にアクセスし、アクセスした先から無限の力を引き出す。これこそ、小人類の団結能力に対抗して、遅れて出来上がった大人類の革命的変異だったのです」
何を言っているんだろうか。まるで理解ができない。
「その変異個体が古代人を率い、人を支配しました。時代を下り、更にその末裔がネアを作ったのです。変異個体。それは、陛下が探し求める超越者であり、陛下、貴方自身の事でもあるのです」
へぇ……、そうなんだ。
ちなみに、俺が求めているのは、そういうオカルト的な超越者ではない。己の果たすべき大きな使命を認識し、その使命を己のやりたいことと重ね合わせることが出来る者を超越者と形容し、そういう者を探しているのである。
無論、俺はどのような意味であれ超越者などではなかった。結局、大局的に果たすべき使命に気が付かず、気が付いたとしてもやりたい事との間に食い違いが生じる。だからこそ、ただただ人々からの称賛に乗っかりたいというウィリデの気持ちは痛いほどによくわかる。あるべき姿はそうではないだろうと思いつつも、わかってしまうのだ。つまり、俺は、そういう平凡な男なのだ……。
だからこそ、俺がこの指輪を持っていてはいけない。超越者に引き継がなければならないのだ。
「陛下。何かが来る!」
見張りを務めていたゾルタンが叫んだ途端。
砂地に点在する石柱から一斉に、勢いよく炎が立ち昇る。
同時に、立っていられないぐらいに砂地が激しく震動する。
いつまで経っても地震が収まらないと思いきや、唐突に砂地の中央が大きく膨らみ、大量の砂を四方にまき散らす。
「魔女にしてやられたな」
グネグネと背を曲げて姿を現したのは、5mもあろうかという巨大サソリ。この砂地は、化物サソリの棲家だったということだ。
棲家に迷い込んだ俺達に対して、巨大な両手のハサミを左右に大きく開き、尻尾をこちらに向けて毒針の照準を合わせてくる。猛烈に怒っているのだ。
これは敵わない。戦う意味もない。
「ゾルタン頼んだッ!」
「承知!」
化物サソリは巨大なくせに多脚を回転させ、素早く突進してくる。
俺とタチアナは、急いでゾルタンの足に捕まり、ゾルタンは羽を広げ、空中へと飛び立つ。
間一髪。
突進してきた化物サソリをかわして、空高く舞い上がる。
しかしながら、諦めの悪い化物サソリは、全ての物を破壊し尽くす勢いで突進し、その勢いのまま難なく崖を登りあがってくる。
ゆっくりと上昇する俺達目掛けて、化物サソリは崖から大きく跳躍。
だが、そのハサミはこちらまでは届かない。無事、攻撃範囲外へ逃げおおせたと思った瞬間。
落下していく化物サソリは尻尾を滅茶苦茶に振り回し、その一撃は、運悪く俺の背を激しく打ち据える。
鋼鉄のような感触。
俺はなすすべなく、弾き飛ばされ化物サソリと共に落下していく。
ゾルタンは急いで急旋回し、滑空し俺を拾おうとする。
しかし、その前に、化物サソリは砂地に激突。
俺もその直上に落下する。
体の内部が激しく痛む。
それでも立ちあがろうとした瞬間。まるで、砂地の底が抜けたかのようにして、砂地に大渦が生まれる。
世界は地中へと吸い込まれていく。
俺はゾルタンに向けて手を伸ばすが、それもむなしく、地中に吸い込まれたのであった。




