19 最後の英雄
王妹キアラは、一人の青年をペーター王の前に導く。
さらに、すまし顔を作り、精一杯胸を張り、キィキィとした声で続ける。
「こちらが、『本物の』双剣の英雄メルクリオ様です! 私が、正統な手続きで召喚したのでございます!」
青年は、ぼさっとした黒髪の隙間から、鋭い目を覗かせている。鍛え抜かれたその肢体は、精悍そのものである。黒服をまとい、腰には二振りの剣を帯びている。
そこで、青年は口を開く。
「俺は、メルクリオだ」
王の御前であるというのに、何の緊張もしていないようである。むしろ、どこかしら物臭な雰囲気が漂っている。
その様は、まるで、動物園に連れてこられた猛獣のようである。
対して、ペーター王は返す。
「俺は信じないよ。メルクリオ様はメルクリオ様だから」
ペーター王は、俺を見て大きく頷く。
さらに、アルが、姉のキアラに抗議しようと口を開く。
その機先を制して、キアラが俺に声を掛ける。
「そちらの方はどなたかしら? メルクリオを名乗るイカサマ師がいるって噂、聞いたのだけれど、まさかあんたじゃないわよね?」
「え?」
「今、偽物でしたって認めるなら、見逃してあげてもいいのだけれど」
ここぞとばかりに、ガンガンと挑発してくる。
しかし、メルクリオ以外の七英雄が召喚され、メルクリオだけが召喚されていないというのも変な話だ。
であれば、眼前の青年が、メルクリオであってもおかしな話ではない。
彼を合わせて、ついに七英雄が揃った。
めでたし、めでたし。
とはいえ、何ともややこしいことをしてくれたものだ。
一体、俺はどうなるというのだ?
考えあぐねていると、そこで、アルが暴発する。
「僕のメルクリオ様が本物だ!」
対して、キアラがすかした調子でやり返す。
「ほら来た! でも、英雄の皆様、教えてくださいな。皆様と一緒に古代大陸を暴れ回ったのは、どちらのメルクリオ様だったのかしら? 一目瞭然よね?」
いきなりの審議開始である。俺は、何ら心の準備が出来ていない。
ここで、ついに、白昼堂々と俺の正体が明らかにされてしまうのか。
俺はどうすればいい?
先に正体を白状すべきなのか、それとも、バレない幸運を願って、このままメルクリオを演じ続けるのか。
一瞬の逡巡により、俺の行動は後手に回る。
はたして、英雄達は口を開く。
「彼だ」
「ええ。間違いなく、彼よねえ」
「こいつに決まっている」
ロビン、カタリナ、ヴィゴは俺を指差す。
口々に、俺がメルクリオであると証言してくれているのである。
その言葉は真実か?
いや、真実ではないことは明らかである。
メルクリオさんよ、君が本物だというのなら、なんとか言ってみせてくれ。
英雄達の証言を聞いて、キアラはすっかりと落ち着きを失う。
「じゃあ、アウグスタ様、本物のメルクリオ様はどっちなのよ? あんたが付き合っていたのは、どっちなのよ?」
俺は、恐る恐るアウグスタの顔を見る。
アウグスタは落ち着いて返す。
「……この人」
やはり、俺を指差すのである。
何かがおかしい。
本物のメルクリオが可哀想だ。
しかし、これだけ俺に支持が集まるというのも、考えてみればおかしな話だ。
だとすると、この黒髪の青年も本物ではないということだろうか。
ここで、周囲の臣民達が、どっと笑う。
「ハハハハ!」
「なんだ、今回もキアラ姫のご冗談か!」
「今回ばかりはびっくりしましたぞ。ハハハ」
「相変わらずやんちゃさんですわね。ホホホ」
「おちゃめさんでも、ある。フフフ」
凍てついた場の空気はすっかりと溶け、再び、和やかな時間が訪れようとしている。そのように誘導されている。
そこへ、キアラはさらに爆弾を投下する。
「じゃあ、お兄様。二人を戦わせて、勝ったほうが本物というのはどうかしら?」
「えっ?」
えっ?
「だって、メルクリオって古代最強なんでしょ? だったら、強い方が本物に決まっていますもの。ねぇ、私のメルクリオ様?」
「俺は、ただの通りすがりの芸術家。笛吹きを生業とするにすぎない」
「うっさいわねぇ。あんた、雇われたいんでしょ?」
「芸術家として雇えと言っている」
「だとしても、私に逆らわないでよ!」
「しかし、彼もまたメルクリオなのだろう」
なんと、黒髪の青年は、法螺吹きだそうだ。
自分で自分の正体を暴露するなんて、おめでてぇ奴もいたものだ。
もっとも、たとえ、英雄として持ち上げられても、それに乗せられることはなく、甘い汁を吸おうとしないところは実に潔い。
商魂たくましい誰かさんも、彼を見習ってほしいところである。
そこで、カタリナが俺に檄を飛ばす。
「おらおらおらおら! そんなの受けて立つわよ。ね、けちょけちょんにしちゃおうよ……。て、あれ?」
カタリナは、喋っている途中で周囲の険悪な空気に気付き、己の口をふさぐ。
宰相にとっても、これは想定外の事態だったようで、慎重にその場の成り行きを観察している。
しかし、宰相は観察を終えたようで、口を開く。
大丈夫。きっと、優秀な彼が、この場に収拾をつけてくれる。
「この国難に当たって、そのような悠長なことをしている場合ではございませんよ、キアラ様。そちらのメルクリオ殿も、王宮で一暴れするためにいらしたわけではないのでしょう?」
「でも、その国難に当たって、アウグスタ様とそのイカサマ師は決闘したじゃない?」
「それは、城内の士気を鼓舞するためにございます」
「じゃあ、今回も、士気を鼓舞するためにぱっとやってやろうじゃない。その方が、皆さまも楽しめるでしょう? それとも、あんた達のメルクリオの正体、ひん剥かれるのが怖いってわけ?」
キアラ姫は、俺に対してやたらと噛み付いてくるのである。
己の存在意義を、ここで併せて喧伝したいのかもしれない。
黒髪の青年が、ペーター王に具申する。
「そこまで言うのであれば、軽く手合わせするのもやぶさかではないが、いかがかな?」
とはいえ、彼は、高揚した様子もない。
宰相が、俺の顔色を伺う。
同時に、ペーター王が俺の顔を覗き込み、アウグスタもアルも英雄達も一斉に俺の顔を見る。
そればかりか、城内の全員が、俺の顔を見て、俺の答えを待っている。
「俺達の双剣……」
「双剣の本気を間近で見られるチャンスだ……」
「あんなポッと出の笛吹き野郎、完膚なきまでに叩き潰してください」
「俺は、双剣に千ゴールド」
「あっ、俺も……」
「アウグスタ様、双剣を応援してあげて!」
ところで、黒髪の青年は、職業を笛吹きと自己紹介してくれたが、その精悍な体躯からして、間違いなく運動能力に長けている。
そんな相手を、完膚なきまでに倒す。実力差すら超えて打ち負かす。
もし、そんな期待に応えられたとしたら、俺は、果てしなく格好が良い。
そして、物語の主人公ならば、当然期待に応えるべきところだ。
俺は主人公。
俺ならば、やれる。
そこで、俺は満を持して口を開く。
「グラディウス、置き忘れてきちゃった……」
どうりで、腰元が軽いと思った。うっかりしてたわあ。
しかし、現に武器が手元にない以上、決闘できないのもやむを得ない。
「いやあ、つらいわあ。武器さえあれば、すぐにでも決闘に応じられたのに……」
周囲がやけに静かである。
俺は、首筋に冷や汗を感じる。
武器がなくても決闘しろと言うのか?
いやいやいやいや。
殴り合いなんて、誰も望んじゃいないはずだ。
「私、とってきまあす!」
一人のメイドが能天気に言い放ち、止める暇もなく機敏にその場を離れる。
気を利かせすぎだ、止めてくれ。
そんな俺の気持ちをよそに、一同は胸を撫でおろしている。
世紀の大決闘がつまらない事でふいにならなかったことに、安堵しているのである。
「ならばその間、俺が相手をするのはいかがかな?」
突然、黒髪の青年に挑戦者が現れる。
筋肉ダルマの英雄である。
彼は、口数は少ないが、戦場では誰よりも激しい戦いを見せるのであり、俺は、密かに彼こそが七英雄最強だと考えている。
その彼が沈黙を打ち破り、青年と対峙したのである。
しかし、この展開は、俺にとっては渡りに船だ。
何故なら、青年が筋肉ダルマに破れることがあれば、黒髪の青年がメルクリオでないことが証明される。
そうすると、俺と青年との決闘は用済みになるからである。
ならば、筋肉ダルマよ。
自身の最強を存分に証明せよ。
対して、青年は、気にかけることもなく言い放つ。
「誰でも構わない」
承諾を得て、筋肉ダルマは、壁際に立て掛けてあった巨大な戦斧を手に取る。
ちなみに、戦斧の先端は矛となっており、この武器は、ハルバードと呼ばれている。
筋肉ダルマは、そのハルバードを一回転させ、メルクリオに対峙する。
周囲は二人から距離を取り、人垣を作る。
そこで、筋肉ダルマは名乗りを上げる。
「俺の名はイェルド。この国で最強の自負がある」
真っ赤なマントを翻し、腰を深く落とす。ハルバードを両手で構えている。
その双眸は肉食獣のようである。
対して、青年は返す。
「俺はメルクリオ。君よりも強い」
腕を組み、腰元の双剣はまだ抜かない。
二人は共に古代英雄として互いに知り合いであるはずなのに、まるで初顔合わせのような口ぶりである。
となると、黒髪の青年は、やはり本物のメルクリオではないのである。
イェルドは、ハルバードの矛先を下げる。
対して、青年は未だ腕を組んだままである。
それを見て、イェルドは苛ついたのだろうか。
大胆にも、大股で青年に近づく。
と思いきや、瞬時に腰を深く落とし、ハルバードの矛先を下げたまま後方に下げる。
振りかぶって巨大な半円を描く。
鋭く、そして最大速力で、青年の脳天へと矛先を振り下ろす。
人馬甲冑もろともに切り裂くような、イェルドの必殺の一撃である。
これを食らってまともでいられるはずがない。
しかし、青年は、僅かに体を逸らすだけで、容易くこれを避ける。
こうなると、イェルドは、簡単に一撃の勢いを殺すことは出来ない。
であるはずなのに、まるで、避けられることを予測していたかの如く、極々僅かな時間で、強引にハルバードの勢いを制する。
しかし、そこには、一瞬の間隙があった。
青年は、その間隙に乗じて、距離を詰める。とはいえ、その足運びは、まるでお散歩中でもあるかのように優雅である。
そして、青年の左手には既に黒剣がある。
黒剣は、最小の動きで、イェルドに襲い掛かる。
イェルドは激しくマントを翻し、ハルバードの柄でこれを防ごうとする。
つばぜり合いになれば、もはや、単純なフィジカルの強さが物をいう。体格で圧倒するイェルドに分があるはずである。
一瞬間遅れて、鈍い剣戟の音が周囲に響き渡る。
驚くべきことに、ハルバードは弾かれ、つばぜり合いに持ち込むことはかなわない。
青年は、イェルドの膂力を、己の膂力だけでもって弾いたのである。
イェルドは、バランスを崩すほどに上体が流される。それでも、下半身はかろうじてなびかず、大股を開いてその場に踏みとどまる。
黒剣の剣先が、上を向いたままくるりと小さな円を描く。
円を描き終わったところで、その剣先は既にイェルドの首元で静止している。
青年は、イェルドの首元を軽く剣の腹で叩き、さらに、一閃させる。
すると、黒剣は鞘に収まっている。
イェルドは途端に激しく息を吐く。
対して、青年は涼しい顔である。
人垣は二呼吸遅れて、ようやく何が起きたのかを理解する。
「なんだ、あの動きは!」
「怪腕イェルドを片手で制してしまった!」
「化物か!」
「どんな凄腕を雇ったんだ、キアラ姫は!」
「これはひょっとすると……」
「本物なのではないか?」
「いやいや、本物はあちらのメルクリオ様だ……」
「しかし、彼の実力もまた、間違いなく本物……」
ここで、俺も、ようやく、イェルドが負けたことに気付く。
しかし、イェルドは、七英雄の中でも一番の怪力自慢である。しかも、その体躯は、青年よりも二回りも巨大であり、青年に力負けしたなどとは思えない。
それでも、青年が、圧倒的な力量差で勝利したことは認めざるを得ない。
何かがおかしい。そうだ、これはトリックだ。
青年の怪しげなトリックが、イェルドをまやかしたのだ。
青年は、こちらに視線を向ける。
「次は誰が相手をしてくれるのかな? さあ、俺のパシオンを震わせみろ!」
「……」
その鋭い視線を浴びて、俺は思わず、膝を震わす。
理解せざるを得ない。青年の、その轟然たる態度は、確固たる実力に裏打ちされたものである。トリックがどうとか、そういうちんけな話ではないのである。
彼は、間違いなく本物のメルクリオだ……。
メルクリオに唯一対抗し得るのは、アウグスタだ。
聖伝にもあったはず。アウグスタはメルクリオを決闘で打ち負かした、と。
情けなくも、俺は少しの希望を寄せて、ちらちらとアウグスタを見る。
しかしながら、その顔はいつにもまして能面であり、加えて、メルクリオとの決闘に動く気配はない。
イクセルが一言呟く。
「フォフォフォ。双剣が二人。面白いことも起きるもんじゃのお」
完全に傍観者になり果てているのである。
その時。
ちょうど、先ほどのメイドが戻ってくる。
「グラディウス! 今、お持ちしましたよお!」
凄く嬉しそうな声である。いかにも私、やり遂げました、という自信たっぷりの笑顔である。
だが、俺にとって、それは、死の宣告以外の何ものでもない。
ああああ! 余計なことをしてくれたものだ。
「ふむ。間に合うたか。間に合うたな……」
俺は周りからの熱意に押され、心にもないことをうわ言のようにして呟きながら、メイドに近づく。
唐突に、カエサルが現れ、俺を押しのける。
カエサルは、さらに、グラディウスの一本を取り上げて、引き抜く。
その場で、握りの感触を確かめ、縦に横に適当に振りまわす。
「あれは、メルクリオ様が使役する力の像だ!」
「自ら手を下すまでもなし!」
「なかなかに面白い余興をしてくださる!」
「やってしまえ、カエサル!」
カエサルは、メルクリオに対峙する。
「そちらの甲冑が、相手をしてくれるのかな?」
メルクリオは油断なく、カエサルを注視している。
少なくとも、俺との世紀の大決闘が延期されたことについて、残念には思っていないようだ。