13 古代人の遺跡
「わぁあ! あんた誰さ? 今、動いたんでねぇか? 動いた、動いた!」
老婆は、口をあんぐりと開けて、その場に尻もちをつく。
「失礼な!」
タチアナが老婆の前に立ちふさがる。
「ひゃああ! カエルが喋った! 夢でねぇか?」
こちらもびっくりだ。何もないと思われたこの島に、生き残りがいたのだ。
老婆の操る言葉は、アルデアのものとは明らかに異なる。しかしながら、俺は不思議な力でもって、すんなりと受け容れ、理解してしまう。
俺は務めて落ち着いた声で話しかける。
「貴方は」
「あたしゃあねぇ。こんなことが起きちまったら、もう、いつくたばっても不思議でねぇなぁ。きっとそうなる」
「遺跡の」
「そういや、今朝方からおかしなことばかり起きていてねぇ。なんと、滝壺が凍っておったんじゃ。こんなことは、今まで人生で一度もなかったでな、それもこれも、全てこのことの前触れだったのかもしれん」
「遺跡のぉ」
「いやいや。思い起こせば、昨日の夜半からもう、全部おかしゅうなっておった。なんと、月に傘がかかっておったんじゃ。これは死人が出てもおかしゅうない」
「関係」
「ひああ。あんたは、わしが魂を差し出さねば、ここを通さんつもりじゃ。地獄に連れていくつもりなんじゃ。きっとそうじゃ」
話しをさせてくれない。
とりあえず、老婆を助け起こし、神殿の前の石段に座らせる。
「私は島の外から来ました。この島の事を教えてくれませんか?」
「喋ったら、この悪魔に舌を引き抜かれちまう……」
老婆は相変わらず、目を白黒させたまま硬直している。確かに、俺の手足は爬虫類のようになっており、普通の人間とは少し異なる。
悪魔と言われると、そう見えなくもない。
仕方なく、俺は手元の豆を取り出し、老婆に与える。敵意はない事を示したいのだ。
老婆は躊躇なく、豆を頬張る。
「ソラマメをこんなに下手くそに保存するのは、隣の嫁さんぐらいのものだわね。だから、最近の若い人達はいけない。あたしなら、きっちり3ヵ月は乾かしてから、保存させるわねぇ。こんな生乾きで保存したら、お腹を下して、早死にしちまうかもしれない。きっとそうじゃ」
老婆は、怖がっている割には、マシンガントークを炸裂させる。
「近くに集落があるのですか?」
「あら、あたしゃ、まずいことを言ってしまったのかしらん。この悪魔に、村のもんが狙われてしまうでな。ひゃあ、堪忍しとくれ」
俺は、いきり立つタチアナを押さえる。
その後、老婆に質問を繰り返すも、老婆はただただ今の質問で寿命が1年短くなったと恐れ入るばかり。まるで、尋問しているような体勢になってしまい、嫌気がさしてきた頃合い。
「あの……、お婆ちゃん!」
巨木の向こうから、若い娘がひょっこりと姿を現した。
「ウィリデ! あんた、隠れときなさいな!」
老婆は叱りつけるが、孫の方は覚悟を決めて、こちらににじり寄ってくる。
おずおずとしたその動きには、使命感と恐怖がないまぜとなっている。
そこまで怖がられると、俺としても心が傷付く。
「我々は決して怪しいものではない。ただ、お話がしたいだけなのです」
「怪しい悪魔は、いつだって、そういう言葉から取引を始めるもんさ!」
孫娘を守るという使命感に駆られ、老婆は俄然元気を取り戻す。
「じゃあ、私は悪魔だということにしよう。ほら、お孫さんは私の手の届くところに来てしまった。あなたが、私の話を聞いてくれないなら、お孫さんが困ったことになってしまうかもしれないなぁ」
あまりにも話が通じないため、変なことを口走ってしまった。しかし、我ながら、悪党が板についているものだ。
可哀想なことに、今まで勇気をふり絞って、にじり寄ってきた孫は、金縛りにあったように動かなくなる。
「ほぅら。あんた、本性を剥き出しにしてきたさね!」
「さすがです、陛下」
褒めるな。
「で、貴方達は、この遺跡の住人なのかな?」
「なぁにいってんだい! こんなところ、人が住めるわけないさねぇ! それとも、あんたの眼には、あたしが、この鉄の塊と同じに見えるのかい?」
老婆は、立ちあがって、その場に立ち尽くす重装歩兵を小突く。
「では、遺跡にやって来たということですか?」
「あたしゃ、こんなところ来たくないよ。でも、天使さんが、光の飴玉を欲しがっているからねぇ。村のもんが交代で、なんとか遺跡に入れねぇかって、順番に見に来てたわけさ」
「光の飴玉?」
「天使さんが言うにゃあ、遺跡に落雷があったらば、神殿に光の飴玉が現れるっていうのよ。で、ついこないだ落雷があったもんでねぇ」
「で、この歩兵像がこの遺跡を守護しているから、なかなか入れなかったと?」
「それが、なんでかは知らんが、たまたまあたしの番の今日、鉄の塊が止まっちまってのう。こんなことに巻き込まれるなら、止まらんでほしかったわい」
「私のせいだろうか」
「決まってる。あんたのせいで、全部おかしゅうなった。世の中は全て悪い方向に向かっている。もう、元には戻らんでな。きっとそうじゃ」
いつの間にか、孫は老婆にくっついて、大人しくくつろいでいる。
「ところで、天使というのは何者だろう?」
「さぁねぇ。あたしが子供のころから、天使さんは天使さんって呼ばれていたからねぇ。悪魔のあんたの方が詳しいんでねぇか?」
共同体を支えてきた者だろうか。この島に封印された悪魔と対立関係にある者かもしれない。
会ってみる価値はある。
「貴方達が目指す神殿というのは、あそこにある神殿の事だと思うのだが、そんな身なりで行くつもりなのかな?」
神殿は崖の上にある。そして、崖の上に連なっていたであろう石段は、3段しか残っていない。したがって、途中からは崖をよじ登らなければならない。
にもかかわらず、老婆も孫娘も、動きにくい独特な衣装をまとっている。
「あたしゃやだよ。あんな崖を昇ったら、腰の骨が外れちまうかもしれない。そしたら、ぽっくりいってしまう。きっとそうじゃ」
孫娘の方も困った顔をして、ひたすらうろたえている。
「今日はたまたま兵士像が止まっている。しかし、これを逃すと、二度と神殿に立ち入るチャンスはないかもしれないなぁ」
「何がいいたいんだい?」
「貴方達の代わりに、私が取りに行ってもいいかな、と思っている」
「どうして、そんなに親切なんだい? 何を企んでいるんだい?」
「その代わり、この島の事を教えて欲しい。そして、村へ案内して欲しい」
「村へ行ってどうするんだい?」
「天使とやらに会いたい」
「天使さんは、悪戯が大好きで、人に優しくはないんでな。戒律を乱すもんには、容赦しないんでな」
「だったら、私が村に押し掛けようとも、いざという時には天使が村を守ってくれるだろう。何の心配もいらない」
「仕方ねぇさなぁ。その約束、受けてやるでな」
石段の最上階から、神殿に向かって黒剣を投げつけ、俺と黒剣の座標を入れ替える。
そう考えて、石段を昇り始める。
すると、不思議なことに、石段の先の虚空に、突如次の石段が現れる。さらにその先に石段が連なっていく。
そして、俺達が通り過ぎた後の石段は、順次消失していく。
「まるで、私を招き入れるかのようだ」
「陛下は特別であります」
神殿の手前まで進むと、神殿内には、左右に兵士像が立ち並ぶ。
まるで、俺達を威嚇するように、見下ろしている。ただし、先ほどのように動き出すことはない。ただただ威圧的に見下ろしているだけ。
「いてっ」
タチアナは何もないところで、セロハンの壁にぶつかったようにして、立ち止まる。
「私は、これ以上進めないようです」
しかしながら、俺は、何かに邪魔立てされることもない。そのまま奥へと進む。
神殿奥にて円卓を見つける。
円卓の上には5つの巨大な杯が安置されており、そのうちの2つの杯の中にそれぞれ小さな飴玉が1つずつ入っている。
ただし、光の飴玉という大層な呼び方をされていた割には、何ら神々しいものではない。ありふれたべっこう色の丸い飴玉だ。
豆の入った小袋に飴玉を放り込む。
やけにあっさりとミッションが終わってしまった。
「本当に、光の飴玉かねぇ? ただの輝石でねぇか?」
老婆は、飴玉を太陽にかざす。しかし、真贋はわからない様子。
無論、俺にも分からない。
「しかし、神殿内で、それらしいものは、それ以外にはなかった」
「こればかりは、天使さんの判断を仰ぐしかないでなぁ」
「では、約束通り、村へと案内してもらおう」
「偽物を渡すと、天使さんは村のもんに悪戯をするでなぁ。ちょうど、あんたに来てもらうのがええのかもしれん」
どうやら、失敗した時の責任は全て俺が負うことになるようだ。
「ありがとう……」
孫娘の方が、老婆の代わりにか細い声でお礼を言ってくる。
遺跡を抜け、その先の林を抜けると、なだらかな斜面に湿地帯が広がっている。
その先には、永遠として、鬱蒼とした昏い森が広がっており、未開拓の地である。
多人数が共同体を営むに相応しい土地ではない。
湿地帯に架けられた木道を、こつこつと歩いていく。
既に下草は黄金色に枯れはて、ところどころに、白い枯れ木が屹立している。
「あたしの婆さんも、そのまた婆さんもずっとここに住んでおったそうな。この村が人が住む最後の集落だって言われたもんでな。だもんで、この村の周辺から離れることは、許されんことなんじゃ。厳しい掟なんじゃ」
「村から離れた者はいないと?」
「若いもんが村を離れることがある。しかし、それっきり戻ってくることはない。やっぱり、村の外は、人が住める地ではないのでなぁ」
「逆に、村の外から人がやって来たことは?」
「それもねえ」
「しかし、私は現に外の世界からやって来た。外の世界には、街が広がっている。そのことは信じてもらえないか」
「あんたは人間じゃあねぇ」
「それはさておき。この島に、かつて帝都があったというのはご存じか?」
「聞いたことはあるでな。でも、溶岩に全部やられてしもうた。今でも黒い影となったもんが、山間をさ迷ってるって聞くでな」
あの黒い影は、怨霊のようなものだろうか。
「たまたま、神官の仕事を手伝っていたあたしらの先祖だけが生き残ったわけさぁ」
「そうすると、貴方達が古代人の末裔ということか」
「いいや。古代人はあたしらとは違う。あたしらの先祖を踏みつけて国を支えていた人種のことを言うでな」
「エリートとされた種族と、そうでない種族が分かれていたと?」
「あたしも見たことがないから知らねぇけど、婆さんがそのまた婆さんから聞いた話だと、あたしらよりも大きくて、きっと、あたしらとは別の生き物だったんだとさ」
遺跡の構造からして、確かに、我々よりも大きなサイズの人型が、かつて遺跡を利用していたものと思われる。
唐突に、視界が開ける。
ようやく、山間を抜けたようだ。
「ここが、あたしらの村じゃ」
老婆は紹介する。
巨大な滝を借景に扇状地が広がっている。湿地帯となっており、段々となった各所には、灌木を利用した木道が張り巡らされ、ばらばらに50戸ほどが立ち並んでいる。
単なる木造建築ではなく、謎の材質により、白い壁面が固められている。それは、過去から引き継がれた確かな技術によるものと思われる。
それはさておき、奇妙なことに、各戸に取り付けてあるベランダからは、色とりどりの花弁が覗いている。現在は、真冬であるにもかかわらず。
ここはなんだ。桃源郷とでもいうのだろうか。




