12 朽ちた世界
地下に潜っていたために、方向感覚は皆無。どの方角から来て、どこにたどり着いたのかもあいまいだ。
しかし、ある程度の見当はつく。
アルデア大陸の西方には、巨大な島がある。地図上で大洋にぽっかり浮かぶその様は、妙に記憶に残っている。
そして、俺は、アルデア大陸西岸の大渓谷地帯を出発し、深海底を渡り歩いてきた。
そうすると、ここはその巨大な島、ガルダ島に違いない。
千年前、ここには帝都があった。人々はそう言っていた。
かつて人が住んでいたのであれば、その地が簡単に放棄されるとは思われない。
しかも、ガルダ島には、世界の中心たる帝都が存在したのである。
ならば、かつてのインフラを利用し、古代人の末裔が住み着いていてもおかしくはない。
しかるに、眼前には茫漠として無機物だけが広がっている。
何のために、俺はここに来たのだろう。
追われていたからでもある。しかし、それ以上に、この島には神秘があるからである。
かつては帝都があった。
のみならず、この地には、魔人が封印されているという。
大渓谷の巨人からそう聞き、ゼノン教の聖典にもそのような記載がある。
さらに、この島には、魔人を封印し続ける守護者がいるとも聞いている。
その者こそ、高度な文明を引き継ぎ、失われた遺産を有する古代人の末裔ではないだろうか。
その者こそ、この指輪を返還する相手として相応しいのではないだろうか。
何の根拠もない。
ただ、大渓谷には現実的にあり得ないような巨人が徘徊していた。
だったら、巨人が言うように、この島に守護者がいても不思議ではない。
その直感に従って突き進んだ結果がこれだ。
「島にさえくれば、尋ねあたると思ったのだが……」
見渡す限り火山岩。日常でよく見かける砂礫は皆無だ。
俺が推測するに、帝都には溶岩が流れ込み、完全にこれを覆いつくし、かつての栄華を破壊し尽くして、このように冷え固まったのではないだろうか。
「地下水路の出入口付近には、大きな共同浴場がありました。ちょうどこの辺りです。まだ、覚えておられますか?」
タチアナはしゃがみ込み、無機物を睨む。かつての帝都の姿を、少しでも思い起こそうとしているのだろうか。
「アウグスタ様も町娘の格好をして、こちらを訪れましたよね? 入口には湯を吐くライオンの像があってですね……」
指さす方向には、しかし、人の生活痕を見出すことはできない。
「浴場の前には、まっすぐ東西に伸びる街道がありましたよね。東街区には、帝国最大の凱旋門……」
タチアナは海を見ている。
俺には見えないものが見えているのだろう。
「最大の難敵軍神メルクリオを降し、その大勝利を祝って建てられたものです。あの日は市民にとって特別なものでした。覚えておられますか? 丘の上からは、3日3晩。アイリスの花びらが舞い踊ったのであります……」
丘など、どこにもない。まさに天変地異が帝都を襲ったのだろう。
何故、強大な帝国が滅んだのか、常々疑問であった。
結局 栄華を誇った国も、天変地異の前では、無力だったというだ。
それはさておき、人造人間と名乗る割には、俺以上に感性が豊かである。
もっとも、そのことを指摘するのも躊躇うほど、タチアナは意気消沈している。
「時の流れというのは、なんともむごいものです」
やがて、大きなため息をつきながら、動かなくなる。
「絶望するには早い。まだ、島の一部を見たに過ぎない。ひょっとすると、この島のどこかに、帝国時代の名残が残っているかもしれない」
島の中央には山脈が走っている。
山脈より東側は、今見たように火山岩に覆われており、生き物の気配もなければ、遺跡の名残すらない。
しかし、その西側は山脈に隠れて、こちらからは視認できない。
何かがあるかもしれない。
「帝都は主に山脈の東側にありました。島の西側は神々が住む手つかずの領域だったのです。ですので……」
インフラが残っている可能性は低いということか。
しかし、神々が住む地域というのは、まさに、守護者が潜んでいそうな神秘的な響きのある場所である。
「時代が変われば、人々の生活圏も変わるものさ。帝都は失われても、かつての文化を引き継ぐ者はどこかしらに残っているはず。彼らがいる限り、帝国が完全に消滅したとは言えない。そうは思わないかい?」
季節は真冬であるはずなのに、幸いなことに、穏やかな気候に恵まれている。
まるで、外界から完全に隔絶されたかのような不思議な島だ。
タチアナは、大きなショックを受けたようではあるが、黙々と俺に同行する。
行き先は山脈の向こう。ギザギザの山並みは、一か所が鋭くV字に刻まれている。
険しい山脈を踏破することはせず、このV字渓谷を通って向こう側へ行く算段である。
なだらかな登坂となっている岩盤地帯を永遠と歩く。
岩盤地帯の向こう側に山脈はそびえ立つ。すぐ近くにあるようにも思われる。
しかし、あまりの巨大さゆえに間近に見えるだけである。
歩けど歩けど、山脈はその威容を保ったままであり、距離は詰まらず、周囲の光景は一向に変化することはない。
小袋から、豆を取り出す。
そういえば、食事を摂るのはいつぶりだろうか。
貰った時から、豆の数はほとんど減っていない。我ながら自分の事が薄気味悪くなる。
しかし、その考えを頭の外へと勢いよく追い出す。
昼夜を問わず歩き続け、7日間。
山麓がようやく眼前に迫るも、火山岩の岩盤が周囲に敷き詰められているという様相は変わることはない。
ただし、V字渓谷に足を踏み入れると、そこには神秘的な霧が漂っている。まさに神々の霊峰に足を踏み入れる心持ちだ。
「何かがいます!」
立ち止まって、剣を引き抜く。
視界の端。崖の上で、確かに黒い何かが動いたように思う。
しかし、いくら意識を集中させても、何も発見できない。
見上げていた視線を元に戻すと、すぐ隣の岩壁に奴がいる。
何体もの黒い影。
その境は曖昧である。しかし、明らかに人間の形をしており、しかも、それぞれが細かく震えている。生きているのだ。
俺がその姿を真正面からとらえた瞬間、黒い影は、意を決したのか、凄まじい勢いで接近してくる。
俺は剣を構える。
俺に襲い掛かる直前。
しかし、黒い影は、俺の眼前で姿を消す。
どこへ行った?
振り返ると、黒い影は、俺の影を激しく踏みしだいている。
踏まれる度に、俺の体に激痛が走る。
「一掃してくれる!」
俺の掛け声とともに、タチアナは黒い影に飛び掛かり、俺は剣を投擲する。
しかし、黒い影は地面に沈み込む。攻撃を避け終えると、再び地面からゆっくりと湧き出てくる。激しく震えながら、我々の攻撃を意に介することなく、執拗に狙ってくる。
俺は、影に入られる度に負傷する。
なのに、こちらから攻撃を当てることが出来ない。これはもうどうしようもない相手だ。
「逃げるぞ!」
渓谷の底は、激しく地形が入り組んでいる。
加えての濃い霧。
しかし、俺の能力をもってすれば、まるで平原を走るかのように、全力で突っ走ることができる。
ところが、黒い影は余裕で並走し、はては瞬間移動しながら、一方的に俺の影に攻撃を仕掛けてくる。しかも、新たな黒い影が、どこからともなく次々に現れ、合流し、みるみる間に増えていく。僅かな時間で、周囲は無数の黒い影に埋め尽くされる。
不意に、前方から豪炎が迫りくる。
俺はタチアナを掴み、勢いよく上方へ飛び上がる。
豪炎は、俺の背に縋る黒い影に襲い掛かる。
黒い影は、焙られた鰹節のようにして踊り狂い、狂った悲鳴をあげ、溶けていく。
「おや?」
豪炎のために、霧は晴れ上がった。
驚くべきことに、行く手には石造りの建造物がある。これは、砦の門だろうか。
もっとも、太古の昔に造られたのか、その保存状況は酷いものであり、激しく植物に浸食され、もはや自然と一体化している。
豪炎を発した主が、門の向こうから姿を現す。
それは、2mもあるだろうか。古代ローマ兵士風の格好をしており、手には火を噴くホースを握っている。
「戻ってきたのか! 我が帝国重装歩兵よッ!」
タチアナは歓喜の声をあげる。遂に帝国の遺物を発見し、懐かしさを刺激された様子。
一方の重装歩兵は、何の感情も見せることはない。
駄目だ。
そいつは危険だ!
俺の未来視が告げている。
重装歩兵はホースを投げ捨て、今度はタチアナを抹殺すべく、巨大な槌を振り上げる。
「え?」
完全に油断し、無防備なタチアナは、振り下ろされる槌の下で棒立ちである。
しかし、俺の位置からでは間に合わない。
「止まれぇい!」
それでもと、俺は重装歩兵に向かって飛び跳ねる。
ブゥウウン!
空気を鈍く切り裂く音が周囲に轟き、派手な土煙を上げる。
槌は確かに振り下ろされた。
「え?」
だが、タチアナの狭い額に直上で槌が止まっている。
一瞬遅れて、俺は重装歩兵に接触する。
重装歩兵は、槌を担ぎ、ゆっくりと背を反らす。
その顔面は完全に朽ちており、全身の至る所が崩れており、もはや人間と呼べるものではない。
静謐な空間の中。
冷気を改めて感じ、脂汗が自然と引いていくのを感じる。
どこからか、新築の木造住宅の香りがする。
はたして、俺の懇願を受け容れたのか。
それとも、タチアナを敵対者ではないと判断したのだろうか。
いずれにしても、重装歩兵はそれ以上俺達に危害を加えることはなく、その場で銅像のように動かなくなったのであった。
門を潜って砦の中に入る。
そこには、緑が生い茂っている。林の中に紛れ込んだかのようだ。
しかし、よくよく見ると、人工的に積み上げられたと思われる岩石がいくつも見受けられる。
柱跡に、家屋の壁を彷彿とさせる並び。
それは、間違いなく巨大な遺構である。
もっとも、一見してわからないまでに朽ち果てている。
「これは、関所ですね。神々の地への不法侵入を防ぐために作られました」
アーチ状の遺構を潜り、石畳を進むと、階段がある。
階段は途中から失われており、その先の絶壁の上には、石柱の立ち並ぶ神殿が見える。その神殿だけは、やけに保存状況が良い。
廃屋の前の階段にどっかりと腰を据える。
若干の違和感を感じる。全てが、規格外なほどに大きい。
特に、普通の人間が昇るにしては、階段の一段一段が高すぎる。
巨大な人間か、足長の人間が利用していたのではないだろうか。
不意に、ひょっこりと腰の曲がった老婆が現れる。
「不思議なこともあるもんだぁねぇ! 番人さんがみんな、止まってくれているじゃないか? これは何の前触れかしらねぇ? ひょっとして、世界の終わりかもしれねぇ。あたしゃ、不安だよ。そういやね、ここ最近、地響きが続いていてねぇ。空でも降ってくるんじゃないかねぇ」
なんと、この島で初めて遭遇した人間は、やたら杞憂を繰り返す老婆なのであった。




