08 光の届かぬ国
イカ番人の一体が、もう一体の腕を掴む。
そのまま大回転。
「むううううぅんッ!」
俺目掛けて、イカ番人を投擲する。
投擲された方のイカ番人は、長い手を伸ばして、俺の周囲の柱に絡ませる。
空中での軌道を派手に変化させ、意表を突く動きで、俺の背後へと回り込もうとする。
一方、投擲した方のイカ番人は、俊敏に俺の側へと忍び寄ってくる。
「愚か者めッ!」
「愚かなるぞッ!」
完璧な連携で、1対2の有利を最大限に活かす腹積もりだろう。
「そうはいかない」
イカ兄弟は、鎧の隙間から隠し腕を一斉に展開する。
その数、両人ともに8本。全ての腕に、仕込み剣が握られている。一気にかたをつけるというのか。
剣刃の予想軌道が見える。
それはうまく計算されたもので、空間を埋め尽くしている。
俺がどうかわそうとも、必ず一撃は食らう寸法となっている。
俺に残された選択肢は、致命傷を避け、最小限の傷で済ませることにしかない。
低くかがんだところ、ふくらはぎを鋭く裂かれる。血しぶきが、鉄鎖を濡らす。
そのまま、横へ跳ねて、柱を背にする位置へと避難する。
このままでは、イカ兄弟の圧倒的な手数の多さの前に、じり貧となる。
イカ兄弟を接近させてはならない。
鎖を振るい、鎖に連接した黒剣を投擲。
イカ兄弟はこれを難なく避ける。
しかしながら、俺の血を塗布した鎖は、物理法則を外れて、俺の意のままに動く。鎖は異様な軌道を経て、イカ兄弟を追尾する。
ありえない軌道に、イカ兄弟の僅かな焦りを見て取れる。
その瞬間を狙い、俺は目標を一体に絞り、爆発的な脚力を発揮する。
3mほどの距離を一飛び。
タックルをかます。
そのまま、海水で出来た壁面にイカ人間の一体をめり込ませる。
退き際に、右足を蹴り上げる。
イカ人間の腕が一本切断される。
俺の足先からは鋭利な爪が伸びており、これがナイフの役割を果たしたのだ。
さらに、距離を取って再び対峙する。
「兄者。こやつは面妖な術を使う。気を付けられたし」
「弟よ。千年ぶりの戦闘とはいえ、油断が過ぎるぞ」
「兄者。心の奥底から湧き上がるこの感情は、一体……。これは喜びか!」
「弟よ。はき違えるな。武人にあって、いかなる時も心の乱れは許されぬ」
腕を切り落とされたイカ弟は、ゆっくりと広間に戻ってくる。
しかる後、さも当然のように、その腕の断面からはもぞもぞと新しい腕が生え出てくる。
俺は、黒剣を手元に引き寄せる。
こちらの傷もふさがりつつある。
互いの必殺技は、必殺とならなかった。
しかし、共に決定打にかけているというわけではない。
先に集中力を失った方が、致命傷を負う。
「お待ちなさい」
柱の向こう側から5人の異形が現れる。
いずれも円形の頭部にしなやかな体躯。
クラゲのような足は、地に軽く触れてはいるが、その身体はふわふわと空中に浮いている。
そいつらが、音もなく四方八方から迫ってくる。
「これはこれは議員殿。このような戦場に、何用か?」
イカ兄弟は、水を差されたことに対する怒りを顕わにしている。
クラゲの中でも一際瀟洒な、七色に面滅する服を羽織った議員が前に進む。
「その方は、海王の客人であり、外界からの来訪者です」
「なんと!」
効果てきめん。
イカ兄弟は、思わず後ずさる。
議員と呼ばれたクラゲは、こちらに振り向く。
「旅人よ。海の国メルティノープルにようこそ。まずは、我が君と会談いただきたい」
俺を罠にはめようとしているようには思えない。
「海王とは一体?」
「最後にして最大の番人です」
「私は、海王に招かれたわけではありませんが」
「しかし、皇都へ帰還するには、海王の間にて、海王の許可を受けていただかねばなりません」
「先ほどは不覚を取りました」
カエル人間のタチアナが俺の側に寄って来る。
「誰だって得意なこともあれば不得手なこともある。気にする必要はありません」
「何たる寛大なお言葉!」
「ところで、私は先に進みますが、君はどうします?」
「無論、さぶらいますとも」
「せっかく自由を手に入れたのですから、無理に付いてこなくても構わないのですよ」
「なんという無慈悲なお言葉」
落ち込んでいる。
「この先、どんな危険が待ち受けているかもしれませんのでね」
「危険を払うためにいるはずの私が……」
「街の番人も、特段君を拘束することに執着しているわけではなさそうですし」
「陛下の剣であるはずの私が、戦を苦手とし、あまつさえ、陛下に心労を与えるなど……」
しかし、持ち直しは早く、意気揚々と胸を張って俺の前を歩き出す。
「ええい! 沈み込んでいる場合ではない! 私の忠誠は永遠! 次こそは陛下をお守りします!」
クラゲ議員の先導に従い、タチアナと共に神殿の奥へと向かう。
神殿を抜けると、一気に視界が開ける。
神殿は丘陵の上に立っており、眼下には街並みが広がっている。
石造りの家屋群。
四方はドーム状の透明膜に覆われており、その外側には深海が広がっている。
太陽光は届かず、代わりに海底岩盤から穏やかな緑の光が放たれている。
なんとも、不思議な光景だ。
丘陵下につながる巨大な階段を降りていく。
最下段には、白化した巨大なサンゴが活けてあり、その脇には、フードを目深に被った者が幾人か座り込んでいる。
「おめでとうございます……」
囁くように語りかけてくる。
その声音にはまるで生気がない。
「おめでとうございます……」
「何かしら、めでたいことでも?」
クラゲ議員は口を開く。
「下層に住まう彼らは皆、いつもああなのです」
「ああ、とは?」
「彼らは、自分達がここにいるという事実を受け容れることが出来ないのです」
「他国から連れて来られたのですか?」
「そうではありません。彼らは皆、この国に生まれ、長じて、そして、この国と命運を共にしました」
唐突に、丘の上の神殿から鐘の音が響き渡る。
すると、座り込んでいたフードの者達が一斉に立ち上がる。
町全体の至る所に、同じく立ちあがった、フード姿の者達が見える。
彼らは、一斉に神殿の方向へと歩み始め、やがて階段を昇っていく。
「礼拝の時間です」
「現状を受け容れられないというのは、外界への憧れが強いからでしょうか?」
「それも違います。ご存じのように、この都市はかつての栄華を失い、海底に沈みました。それから幾星霜」
海底に沈みながらも、未だに都市の外形を保ち、政治体制を保っているのはそれだけでも異常な事だ。
「つまり、栄華を極めた過去を取り戻したいと?」
「彼らにはその力も活気もありません。ただ、為政者を憎み、時代の変化を呪い、つには、衰退した現状の認識を拒み始めたのです」
「ほう……」
「彼らは、この深海底で永劫ともいえる期間を静かに平和に暮らしてきました。その結果、もはや生きているのか、死んでいるのか。彼ら自身にもわからないのです。これが我が国に蔓延する罹患率9割の国民病です」
生物と同じく、国というものにも予定された死があるのかもしれない。
たとえ、外敵にさらされることのない、安全な場所にあったとしても、時の経過とともに内側から崩壊していく。
「……」
スケールの大きい話であり、何も返せない。
「滑稽を通り過ぎて哀れですらあります」
クラゲ議員は、何かを噛みしめるかのように、やや押し黙る。
「おめでとうございます……」
フードの者達は、通り過ぎざまに、俺達に向かって一礼する。
「おめでとうございます……」
「何かを待ちわびているようにも思われます」
「彼らは何かをすることができたはずです。しかし、何かをするよりも、過去を夢想し、祈る方が楽しかった。今や、何もできません。先を急ぎましょう」
しばらく進むと、街並みは途切れ、暗闇に包まれる。
クラゲ議員からは、ネオンのような古臭くも懐かしい光が放たれており、周囲の状況をうっすらと目視できる。
そこは、荒々しい海底渓谷。左右には巨大な海嶺がそびえ立ち、生物の気配は一切ない。
進むにつれ、谷の両壁は徐々に狭まり、やがて、道は、大きな扉の前へとたどり着く。
クラゲ議員が立ち止まる。
「この先で海王がお待ちしております」
俺は急いで、自分の身なりを見返す。
服はボロボロ。靴を失い、飛び出ている足先は既に人間のものではない。
きっと、顔面も汗と血まみれだろう。
絶望して、身なりを正すことを諦める。
「この先には、選ばれた者しか立ち入ることはできません。私はここで失礼します」
「そうですか……。案内役、ありがとうございました」
一抹の寂しさを感じつつ、扉にそっと触れると、音もなく扉は開く。
光の奔流が周囲に氾濫する。
手を伸ばした先に広がるのは巨大な奈落。奈落の四方を大瀑布が囲う。
大量の流水が奈落に向かって落下していくものの、底にあるはずの滝壺は見えず、着水の音すら聞こえない。
ただただ、まるで音を失ったかのように、激しい水流が静かに落下していくのだ。
俺が佇むのは、その奈落に囲まれた孤島。
50m四方程の孤島には、ぼろぼろになった神殿が佇んでいる。
はたして俺はどこからこの孤島に入り込んだのだろうか。
通ってきたはずの扉がどこにも見当たらない。
それどころか、クラゲ議員の姿もタチアナの姿も見当たらない。
ひたすら、混乱している最中。
ぼんと、音を立てて篝火が燃え上がる。
すると、それを合図に、次々に孤島の各所に篝火が灯っていく。
唐突に、地鳴りが聞こえてくる。
それは、世界最後のような不気味さを予見させる。地響きが始まる。
海王は、神殿で待っているのだろうか。俺は招かれているのだろうか。
恐る恐る、神殿の入口へと歩を進める。
その途端。
眼前の神殿の壁面がはじけ飛ぶ。
巨大な手が壁面の向こう側から現れる。
さらに、壁面は崩落し、神殿に潜む者の姿を顕わにする。
それは、巨大な男。
その男の身長は優に3mを超えている。
身体には一枚布をまとってはいるものの、その素晴らしい胸筋や上腕二頭筋、丸太のようなふくらはぎを隠しおおせてはいない。
まさにボディービルダーにとっての一つの理想形といっても過言ではない。
足首、手首には重々しく巨大な枷がはめられている。
異常の風体ではあるものの、首から下は、人間そのものと言えなくもない。
しかしながら、海底の住人の例に漏れず、頭部は人間のそれとは大きく異なる。
シュモクザメを彷彿とさせる、巨大なハンマーヘッドが収まっており、への字に食いしばった口からは鋭くて巨大な歯が幾重にも覗いている。
言われなくてもわかる。
こいつがこの国の主、海王だ。
「貴方が海王かッ!!」
どこに目が付いているのかわからないが、海王は動きを止め、俺に正対している。
「私はこの先へ行く者ッ! 会見を申し込みたいッ!」
「ギガアアアアアアアアアアアアッ!」
俺は、身をよじり、脇に避ける。
直後に、丸太のようなふくらはぎが、俺のいた地面を貫く。
と思いきや、その動きは流動的に変化し、盛大な塵を舞い上がらせつつ、地面の上を横薙ぎに払ってくる。
このままでは、叩き割られてしまう。
俺は、飛び跳ねる。
そこを狙いすましたかのように、海王は俺を鷲掴みにし、小石を投げるように軽く投げ飛ばす。
為すすべなく、俺は空中へ。あえなく、孤島外へ。
そこには茫漠たる奈落が広がっている。
何が会談だ。
何が招かれた、だ。
俺は、騙されたのだ。
さしずめ、生贄というところだろうか。
ゆっくりゆっくりと奈落へと落ちていく……。
合点がいく。
こいつは、英雄殺しの魔人だ!
こいつは、世界秩序を破壊する悪魔だ!
こいつは、邪神を完全復活させる悪そのものだ!
ならば。
人間なら誰しもそうする。
俺もそうする。
俺が。
この世界のために。
制裁ッ!
懲罰の時間の始まりだッ!




