06 隔離空間
降り注ぐクリスタル片は、如何せん数が多く、全ては避けきれない。
残念ながら、俺の体は半魚人よりも柔に出来ており、クリスタル片の直撃を受け、至る所に傷を負う。
と同時に、俺の周囲の地面にクリスタル片が落下した瞬間。
岸辺に穿たれた無数の穴から、ヤツメ野郎が本能に従い、次々に顔を覗かせ、身体を伸ばし、落下したクリスタル片を餌と勘違いして、これを嚙み砕き、華麗に巣穴へと戻っていく。
ヤツメ野郎が顔を覗かせた瞬間に、俺は、既に湖に向かって全速力で駆け出している。
ヤツメ野郎は目にもとまらぬ素早さで、捕食を行う。俺の反射速度では、奴らの攻撃速度に反応できない。
しかしながら、先ほどの俺の実験によれば、ヤツメ野郎は、一度巣に戻ってから再び顔を出すまでに、時間を要する。
この僅かな攻撃の間隙を利用しない手はない。
この機会を狙っていた。
つまり、半魚人にクリスタル片を投擲させ、ヤツメ野郎を反応させ、ヤツメ野郎の攻撃の間隙を狙って、ヤツメ地帯を突っ切るという作戦だ。
もっと速く。さらに速く。
ふくらはぎが爆発しそうなほどに膨張している。
ふとももにあたるその感触は、もはや人間のそれではなく、気持ち悪いぐらいの動物的な筋肉質。
「俺が今、マッハだッ!」
腕を振り抜き、さらに加速。加速。加速。
あと10m。
今の俺ならば、5、6歩で湖面に到達する。
その土壇場で、一匹のヤツメ野郎が顔を覗かせる。
クリスタル片のじゅうたん爆撃にも顔を覗かせなかった鈍い奴だ。
動きを緩めた俺に向かい、卑怯なことに、右斜め後ろからそいつは襲い掛かる。
その様子を、俺は、俺から一歩退いたところからの視点で逐一観察できる。
ヤツメ野郎は、その細長い姿をゆっくりとさらし、俺の身体に頭部から食らいつく。まるで、傘専用のビニール袋に覆われる傘にように、俺を飲み込んでいく姿が見える。
俺の姿が見えなくなるや否や、周囲に赤い液体がぶちまけられる。
ふと我に返ると、ヤツメ野郎に噛みつかれて弛緩したはずの筋肉は、相変わらず爆発せんばかりに緊張している。
そして、斜め後ろからヤツメ野郎が顔を覗かせようとしている。
俺はこれを視認した瞬間。
身体に命令を下す前に、何らの遅延もなく、予備動作もなく、反射的に最短で黒剣を斜め後ろに突き出す。
その突きは、機械のように正確無比。
首を伸ばしたヤツメ野郎は、黒剣の前に、裂けるチーズのようにして二つに分断される。
そのまま、湖面に向かって、大きくジャンプ。
岸辺からは俺を追いかけて、無数のヤツメ野郎が顔を覗かせ、クネクネとその身を躍らせるが、既に俺に追いつくことはできない。
そのまま、湖面にダイブ。
水中は、透明度が高く、水底まで見通せる。
そこには、悲嘆の形相の張り付いた鉄門がはっきりと見える。
無数のザリガニが、突如の俺の闖入に驚き、背中を丸めて勢いよく逃げ去っていく。
息を整えるべく、湖面に顔を出す。
そして、岸辺の方を振り返る。
「あな憎し!」
愚かにも、考えなしに俺を追いかけてきた半魚人達が、次々にヤツメ野郎に食われている。
もはや、阿鼻叫喚としかいいようがない。
「哀れ……」
ところで、先ほどのヤツメ野郎を切り裂いた一撃は、自分でも驚くほどの切れがあった。
相手の力を利用し、最大の攻撃力を発揮する。
これは、師匠から学んだ奥義の一つに違いあるまい。今になって、俺の体にしみ込んだその教えが、その真髄を発揮できたということだ。
気になるのは、その直前に、自分が死んでいくイメージを見たことだ。
あれは、一体何だったのだろうか。酷くリアルであり、しかも、ヤツメ野郎のその後の動きは、イメージを再びなぞるかのようだった。
限界に達して、俺の脳が暴走し、遂に、未来予測をイメージ化させたとでもいうのだろうか。
最大の危機から逃れ、思索にふけっている。
しかし、唐突に、湖面が乱れ始める。
湖底に目をやると、湖底の岩壁が脈絡なく動作を開始する。
岩壁だと思っていたものが、のっそりと立ちあがったのだ。
砂地が左右に取り払われ、姿を現した巨大ザリガニ。
俺は慌てて、その場から離れるべく、遊泳を開始する。
しかし、巨大ザリガニも、何かを恐れたのか、のったりとその場から移動を開始する。
結果として、湖底の砂が舞い上がり、一気に湖の中の視界が悪化する。
嫌な気配を感じて、上を向く。
そこには、大きな影が広がっている。
それは、鳥頭。それだけが見える。
それ意外の部位は、ぼんやりと抽象化されている。
が、奴に違いない。
奴が来た。
奴は、俺を追いかけてきたに違いない。この指輪に何か執着があるのだろうか。
ふわふわと、ゆっくりと、湖面へ向かって降りてくる。
俺は再度湖に潜る。
ひたすら潜水を続け、湖底に張り付く黒い鉄門と相対する。
毎回、鉄門をくぐる度に気味の悪い言葉を投げかけられてきた。
はたして、今回は。
「ポコポコポコポコ……」
必死に、何かを喋っている。しかし、聞き取れない。
そもそも、水中で悪口を伝えられるとでも思ったのだろうか。愚かな鉄門だ。いい気味ですらある。
俺が手を伸ばし、扉に触れるや、勢いよく扉は開かれる。
すると、まるで洗面所の栓が抜けたかのように、湖の水は、鉄門の中に吸い込まれていく。
凄まじい水流となり、このことを予見していなかった俺は周囲に掴まることもできず、あっという間に、鉄門の中に吸い込まれる。
鉄門の向こう側へ踊りだした後は、そのままウォータースライダーの中を滑るように、細い縦穴をどこまでも降っていく。
ただし、このウォータースライダーは完全に水で満たされている。
不安が募る。いつまで息が持つだろうか。いきなりの出来事だったため、事前に十全な空気を貯蓄できていない。
息が苦しくなり始める頃合い。
突如、縦穴はUの字に折れ曲がり、凄まじい勢いで今度は縦穴を水流と共に昇っていく。
さらに、顔面の血管がドクドクとなり始める頃。
水流は突如勢いを失い、俺は水流から上空へと弾き飛ばされる。
勢いそのまま、地面に投げ出される。
そこは岩肌で覆われた開けた空間となっており、先ほどの水流は空間の中央で噴水となって途切れている。
ご丁寧にも一本道が、先へと続いている。
投げ出された衝撃で全身が痛む。濡れた衣服が気持ち悪い。
が、鳥頭から逃げるために先を急がなければならない。
ゆっくりと立ち上がる。骨は折れていない。
気合を入れて10mほど進むと、はやくも行き先が壁となり途絶えている。
ルートを間違ってしまったのだろうか。
「くそっ」
思わず、前面の石壁をどやしつける。
すると、背面で岩が鋭くこすれる音がする。
振り返った瞬間、まるでシャッターのように石壁が降りてくる。
逃げ延びる暇もなく、石壁シャッターにより、戻り道を断たれてしまう。
石壁シャッターを殴るも、びくともしない。優しく撫でつけても、反応がない。
俺は、出入口のない、畳4畳ほどの小部屋に収監されてしまったのだ。
とはいえ、あの鳥頭が俺を追いかけている。
俺の居場所を、奴は嗅ぎ付けているのだ。
だんだんと焦りを感じ始め、乱暴に四方八方の石壁に体当りする。
それを見計らったかのように、地面が激しく揺れ始める。まるで、煎られるポップコーンになった気持ちだ。
しかも、小部屋は、いつ崩壊してもおかしくない。
俺は立っていることもできず、その場にしゃがみこんで、ただただ自身の安寧を祈る。
どれぐらいが過ぎただろうか。
ようやく、揺れが収まる。小部屋内は頑丈にできているのか、崩落することはなかった。
だが、だからこそ、力任せにこの部屋から脱出することはできない。
それでも、俺は諦念に浸ることなく、心を落ち着けて、正常な思考を維持する。
あぐらをかいて、背筋を伸ばす。
周囲に目を配る。
すると、唐突に、小部屋内に無数の火が灯る。
火によって黄色く輝く石壁には、もはや気味が悪いと言ってもいいぐらい、びっしりと象形文字が描かれている。
人の手の入った場所であることには間違いない。
だが、一体何のために、こんな場所を用意したのだろうか。
牢獄か。隔離施設か。はたまた墓所か。それとも、俺が考えすぎているだけで、普通に起臥寝食の場であるのか。
それよりも、この小部屋から抜け出せるヒントはないだろうか。
象形文字の羅列を目で追ったところで、いずれの回答も得られない。
しかし、ヒントは象形文字にしかない。
何度も何度も、試行錯誤を繰り返し、その読解を試みる。
しかし、何も分からない。
完全に行き詰まってしまい、集中力が途切れ、思考する対象が散漫となっていく。
そもそも、この地下通路を歩き始めてから、どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。
1週間だろうか。ひょっとすると、1ヵ月かもしれない。既に時間間隔は完全に狂っている。
まだ一度も睡眠をとっていないにもかかわらず、睡眠欲を覚えない。食欲に至っては、豆数粒で十分に空腹を満たしている。
ならば、ひょっとすると、一日も経っていないのかもしれない。
しかし、いつ死んでもおかしくない状況にあって、精神が異様に高揚しており、無限に体力が続いているようにも思える。
そもそも、俺は、なんでこんな道を選んだのだろう。
どうして、こんな事になっているのだろう。
地上での生活に背を向けたのは何故なのだろう。
「ああああああああ!!」
無意味に大声を出して、それ以上の思考を停止する。
しかし、何も起きない。
再び、部屋の内部の数千文字にものぼる象形文字を目で追いかける。
わからない。
もう一度チャレンジだ。
わからない。
意識を外に向ける。
驚くべきことに、小部屋の外側からは何に情報も得られない。何もないというのだろうか。
時間が経過するにつれ、集中力はさらに削られる。
何も解決しない。
やがて、思考を放棄する。
さらに、時間が経過する。
既に、象形文字を何千回となく、目でなぞった。
唐突に、小部屋は大きく揺れ始める。
今度は、先ほどとは異なり、まるで外側から力を加えるかのように、小刻みに揺れ、しかも、ミシミシという不気味な音も聞こえてくる。
淀んでいた思考は、一気に明瞭となり、周囲に目を配る。
その瞬間。
小部屋の上半分が弾け飛んだ。
周囲は一瞬にして水で覆われ、俺の身体は激しい水圧に責め立てられる。
噴水のある広間は、今やその姿の影も形もない。ただ、そこはどこまでも茫漠たる暗黒空間が広がっている。
破壊し尽された小部屋は、俺を残して、ゆっくりと流されていく。
このとき、俺は、アルデア西方の深海に漂っていたのであった。




