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メルヒェン世界に迷い込んだ暗黒皇帝  作者: げっそ
第五幕 老いをもたらす者
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06 隔離空間

 降り注ぐクリスタル片は、如何せん数が多く、全ては避けきれない。

 残念ながら、俺の体は半魚人よりも柔に出来ており、クリスタル片の直撃を受け、至る所に傷を負う。


 と同時に、俺の周囲の地面にクリスタル片が落下した瞬間。

 岸辺に穿たれた無数の穴から、ヤツメ野郎が本能に従い、次々に顔を覗かせ、身体を伸ばし、落下したクリスタル片を餌と勘違いして、これを嚙み砕き、華麗に巣穴へと戻っていく。


 ヤツメ野郎が顔を覗かせた瞬間に、俺は、既に湖に向かって全速力で駆け出している。

 ヤツメ野郎は目にもとまらぬ素早さで、捕食を行う。俺の反射速度では、奴らの攻撃速度に反応できない。

 しかしながら、先ほどの俺の実験によれば、ヤツメ野郎は、一度巣に戻ってから再び顔を出すまでに、時間を要する。

 この僅かな攻撃の間隙を利用しない手はない。

 

 この機会を狙っていた。

 つまり、半魚人にクリスタル片を投擲させ、ヤツメ野郎を反応させ、ヤツメ野郎の攻撃の間隙を狙って、ヤツメ地帯を突っ切るという作戦だ。

 

 もっと速く。さらに速く。

 ふくらはぎが爆発しそうなほどに膨張している。

 ふとももにあたるその感触は、もはや人間のそれではなく、気持ち悪いぐらいの動物的な筋肉質。


「俺が今、マッハだッ!」


 腕を振り抜き、さらに加速。加速。加速。


 あと10m。 

 今の俺ならば、5、6歩で湖面に到達する。


 その土壇場で、一匹のヤツメ野郎が顔を覗かせる。

 クリスタル片のじゅうたん爆撃にも顔を覗かせなかった鈍い奴だ。


 動きを緩めた俺に向かい、卑怯なことに、右斜め後ろからそいつは襲い掛かる。

 その様子を、俺は、俺から一歩退いたところからの視点で逐一観察できる。

 ヤツメ野郎は、その細長い姿をゆっくりとさらし、俺の身体に頭部から食らいつく。まるで、傘専用のビニール袋に覆われる傘にように、俺を飲み込んでいく姿が見える。

 俺の姿が見えなくなるや否や、周囲に赤い液体がぶちまけられる。




 ふと我に返ると、ヤツメ野郎に噛みつかれて弛緩したはずの筋肉は、相変わらず爆発せんばかりに緊張している。

 そして、斜め後ろからヤツメ野郎が顔を覗かせようとしている。


 俺はこれを視認した瞬間。

 身体に命令を下す前に、何らの遅延もなく、予備動作もなく、反射的に最短で黒剣を斜め後ろに突き出す。

 その突きは、機械のように正確無比。

 首を伸ばしたヤツメ野郎は、黒剣の前に、裂けるチーズのようにして二つに分断される。


 そのまま、湖面に向かって、大きくジャンプ。

 岸辺からは俺を追いかけて、無数のヤツメ野郎が顔を覗かせ、クネクネとその身を躍らせるが、既に俺に追いつくことはできない。



 そのまま、湖面にダイブ。

 水中は、透明度が高く、水底まで見通せる。

 そこには、悲嘆の形相の張り付いた鉄門がはっきりと見える。

 無数のザリガニが、突如の俺の闖入に驚き、背中を丸めて勢いよく逃げ去っていく。

 

 息を整えるべく、湖面に顔を出す。

 そして、岸辺の方を振り返る。


「あな憎し!」


 愚かにも、考えなしに俺を追いかけてきた半魚人達が、次々にヤツメ野郎に食われている。

 もはや、阿鼻叫喚としかいいようがない。


「哀れ……」




 ところで、先ほどのヤツメ野郎を切り裂いた一撃は、自分でも驚くほどの切れがあった。

 相手の力を利用し、最大の攻撃力を発揮する。

 これは、師匠から学んだ奥義の一つに違いあるまい。今になって、俺の体にしみ込んだその教えが、その真髄を発揮できたということだ。


 気になるのは、その直前に、自分が死んでいくイメージを見たことだ。

 あれは、一体何だったのだろうか。酷くリアルであり、しかも、ヤツメ野郎のその後の動きは、イメージを再びなぞるかのようだった。

 限界に達して、俺の脳が暴走し、遂に、未来予測をイメージ化させたとでもいうのだろうか。




 最大の危機から逃れ、思索にふけっている。

 しかし、唐突に、湖面が乱れ始める。

 湖底に目をやると、湖底の岩壁が脈絡なく動作を開始する。

 岩壁だと思っていたものが、のっそりと立ちあがったのだ。

 

 砂地が左右に取り払われ、姿を現した巨大ザリガニ。

 俺は慌てて、その場から離れるべく、遊泳を開始する。

 しかし、巨大ザリガニも、何かを恐れたのか、のったりとその場から移動を開始する。

 結果として、湖底の砂が舞い上がり、一気に湖の中の視界が悪化する。


 嫌な気配を感じて、上を向く。

 そこには、大きな影が広がっている。


 それは、鳥頭。それだけが見える。

 それ意外の部位は、ぼんやりと抽象化されている。

 が、奴に違いない。


 奴が来た。

 奴は、俺を追いかけてきたに違いない。この指輪に何か執着があるのだろうか。

 ふわふわと、ゆっくりと、湖面へ向かって降りてくる。

 

 俺は再度湖に潜る。

 ひたすら潜水を続け、湖底に張り付く黒い鉄門と相対する。


 毎回、鉄門をくぐる度に気味の悪い言葉を投げかけられてきた。

 はたして、今回は。


「ポコポコポコポコ……」


 必死に、何かを喋っている。しかし、聞き取れない。

 そもそも、水中で悪口を伝えられるとでも思ったのだろうか。愚かな鉄門だ。いい気味ですらある。


 俺が手を伸ばし、扉に触れるや、勢いよく扉は開かれる。

 すると、まるで洗面所の栓が抜けたかのように、湖の水は、鉄門の中に吸い込まれていく。

 凄まじい水流となり、このことを予見していなかった俺は周囲に掴まることもできず、あっという間に、鉄門の中に吸い込まれる。


 鉄門の向こう側へ踊りだした後は、そのままウォータースライダーの中を滑るように、細い縦穴をどこまでも降っていく。

 ただし、このウォータースライダーは完全に水で満たされている。


 不安が募る。いつまで息が持つだろうか。いきなりの出来事だったため、事前に十全な空気を貯蓄できていない。




 息が苦しくなり始める頃合い。

 突如、縦穴はUの字に折れ曲がり、凄まじい勢いで今度は縦穴を水流と共に昇っていく。


 さらに、顔面の血管がドクドクとなり始める頃。

 水流は突如勢いを失い、俺は水流から上空へと弾き飛ばされる。

 勢いそのまま、地面に投げ出される。

 そこは岩肌で覆われた開けた空間となっており、先ほどの水流は空間の中央で噴水となって途切れている。


 ご丁寧にも一本道が、先へと続いている。

 投げ出された衝撃で全身が痛む。濡れた衣服が気持ち悪い。

 が、鳥頭から逃げるために先を急がなければならない。

 ゆっくりと立ち上がる。骨は折れていない。


 気合を入れて10mほど進むと、はやくも行き先が壁となり途絶えている。

 ルートを間違ってしまったのだろうか。

 

「くそっ」


 思わず、前面の石壁をどやしつける。

 すると、背面で岩が鋭くこすれる音がする。

 振り返った瞬間、まるでシャッターのように石壁が降りてくる。

 逃げ延びる暇もなく、石壁シャッターにより、戻り道を断たれてしまう。


 石壁シャッターを殴るも、びくともしない。優しく撫でつけても、反応がない。

 俺は、出入口のない、畳4畳ほどの小部屋に収監されてしまったのだ。


 とはいえ、あの鳥頭が俺を追いかけている。

 俺の居場所を、奴は嗅ぎ付けているのだ。


 だんだんと焦りを感じ始め、乱暴に四方八方の石壁に体当りする。

 それを見計らったかのように、地面が激しく揺れ始める。まるで、煎られるポップコーンになった気持ちだ。

 しかも、小部屋は、いつ崩壊してもおかしくない。

 俺は立っていることもできず、その場にしゃがみこんで、ただただ自身の安寧を祈る。




 どれぐらいが過ぎただろうか。

 ようやく、揺れが収まる。小部屋内は頑丈にできているのか、崩落することはなかった。

 だが、だからこそ、力任せにこの部屋から脱出することはできない。

 それでも、俺は諦念に浸ることなく、心を落ち着けて、正常な思考を維持する。

 

 あぐらをかいて、背筋を伸ばす。

 周囲に目を配る。


 すると、唐突に、小部屋内に無数の火が灯る。

 火によって黄色く輝く石壁には、もはや気味が悪いと言ってもいいぐらい、びっしりと象形文字が描かれている。

 人の手の入った場所であることには間違いない。


 だが、一体何のために、こんな場所を用意したのだろうか。

 牢獄か。隔離施設か。はたまた墓所か。それとも、俺が考えすぎているだけで、普通に起臥寝食の場であるのか。

 それよりも、この小部屋から抜け出せるヒントはないだろうか。

 象形文字の羅列を目で追ったところで、いずれの回答も得られない。

 

 しかし、ヒントは象形文字にしかない。

 何度も何度も、試行錯誤を繰り返し、その読解を試みる。

 しかし、何も分からない。


 完全に行き詰まってしまい、集中力が途切れ、思考する対象が散漫となっていく。


 そもそも、この地下通路を歩き始めてから、どれぐらいの時間が過ぎたのだろうか。

 1週間だろうか。ひょっとすると、1ヵ月かもしれない。既に時間間隔は完全に狂っている。

 まだ一度も睡眠をとっていないにもかかわらず、睡眠欲を覚えない。食欲に至っては、豆数粒で十分に空腹を満たしている。

 ならば、ひょっとすると、一日も経っていないのかもしれない。

 しかし、いつ死んでもおかしくない状況にあって、精神が異様に高揚しており、無限に体力が続いているようにも思える。


 そもそも、俺は、なんでこんな道を選んだのだろう。

 どうして、こんな事になっているのだろう。

 地上での生活に背を向けたのは何故なのだろう。


「ああああああああ!!」


 無意味に大声を出して、それ以上の思考を停止する。


 しかし、何も起きない。

 再び、部屋の内部の数千文字にものぼる象形文字を目で追いかける。

 わからない。

 もう一度チャレンジだ。

 わからない。


 意識を外に向ける。

 驚くべきことに、小部屋の外側からは何に情報も得られない。何もないというのだろうか。

 時間が経過するにつれ、集中力はさらに削られる。

 何も解決しない。

 やがて、思考を放棄する。




 さらに、時間が経過する。

 既に、象形文字を何千回となく、目でなぞった。

 

 唐突に、小部屋は大きく揺れ始める。

 今度は、先ほどとは異なり、まるで外側から力を加えるかのように、小刻みに揺れ、しかも、ミシミシという不気味な音も聞こえてくる。

 

 淀んでいた思考は、一気に明瞭となり、周囲に目を配る。

 その瞬間。

 小部屋の上半分が弾け飛んだ。


 周囲は一瞬にして水で覆われ、俺の身体は激しい水圧に責め立てられる。

 噴水のある広間は、今やその姿の影も形もない。ただ、そこはどこまでも茫漠たる暗黒空間が広がっている。

 破壊し尽された小部屋は、俺を残して、ゆっくりと流されていく。


 このとき、俺は、アルデア西方の深海に漂っていたのであった。

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