05 渇きを癒すもの
俺が対峙するのは、若い方の半魚人。
俺は、別のクリスタル柱の影に隠れる。
幸いなことに、半魚人は俺の行方を見失っているようだ。
奴が破壊したクリスタルは、まるで槌で叩き潰したように粉々となっている。
その馬鹿力。しかし、俊敏なわけではない。
しかも、動体視力は悪い様子。
その鱗で覆われている皮膚がどれほど硬いかは不明だが、急所に一撃を入れられれば、十分に勝機はある。
しかし、相手は化物とは言え、人語を解する。
人間に近い思考を持っているのではないかと思ってしまう。
理を尽くして説明すれば理解もしてくれるはず。
「待て待て。我々は平和的な解決を模索すべきである」
俺は念のため、姿を隠したまま声をかける。
はたして、半魚人はそのまま周囲を見渡している。
しかし、返答はない。
仕方なく、俺は言葉を続ける。
「何かを勘違いしているようだが、私は、君達の餌でもなければ、敵でもない。君達と同じように言葉を解する。もはや、仲間であるともいえる」
半魚人はまるで人間がするかのように、首を傾け、長考を始める。
「あれは、見慣れぬ形をしていた。どこから紛れ込んだのだろうか」
「私は外の世界から来た」
「小さき物が何かを言っている。まるで、話しかけてきているかのようだ」
半魚人は、丸い頭部の両端に付いた両目をぎょろぎょろさせて、相変わらず、周囲をにらみまわしている。
ともあれ、うまく食いついてくれた。
「閉鎖的な環境にいる君達にとって、有益な知識を持っているといっている」
「小さき物が哀れにも知恵を披露しようとしている。我々、唯一無二の知識集団に対して、一体、何を説けるというのだろう」
「それは、生活を豊かにする知恵!」
「我々がいわゆる俗物のたぐいであることを前提と……」
「もしくは、世界の始原に至る道!」
「過去を振り返ることに意味はな……」
「或いは、真理探究の方法論!」
半魚人は俺の匂いを嗅ぎあてたのか、俺が隠れている柱に、巨大な自身の頭を近づける。
恐ろしく低い声で囁いてくる。
「知りたいことがある」
「なにかな?」
「それは、お前の身体のうち、どの部位がもっとも美味であるか、だ」
言うなり、半魚人は柱に体当りし、柱は木っ端みじんに粉砕される。
俺は、上空へ飛び跳ねる。
そこには、俺の動きを先読みした半魚人の姿。そして俺に向かって放たれる、拳。
俺は、黒剣を投擲。別の柱に黒剣に連なる鎖を巻き付け、これを引っ張り、横っ飛び。
滞空中の動きを制動し、かろうじて、半魚人の攻撃を避ける。
判断が甘かった。
こいつは、俺の事を食料以上の何物とも見ていない。
追いかけてくる半魚人を見て、俺は直ちに覚悟を決める。
回収した黒剣を、標的目掛けて再度、投擲。
はたして、俊敏さに欠ける半魚人はこれを避けることはできず、直撃。
想像通り、その皮膚は硬く、黒剣はあえなく弾かれる。
「まだだ!」
黒剣はそれで終わらず、俺の意思のとおりに旋回し、近くの柱を巻き込みながら、半魚人の身体に巻き付く。
俺は鎖のもう一方の端を引っ張る。半魚人はあえなく、柱に打ち付けられ、そのまま柱に縛り付けられる。
俺は、柱の半魚人が反抗し始める前に、最速でもって、半魚人の背後に駆け寄り、鎖でもってその首を絞める。
こいつは、肺呼吸なのだろうか、それとも鰓呼吸なのだろうか。
鰓呼吸なら、こんなことをしても無意味だ。
「ぐふぅう!」
それでも、どうやら、俺は賭けに勝ったらしく、しばらくすると、首絞めが有効に働き、半魚人は泡を吹いてその場で動かなくなる。
呆気なく勝敗は決した。
「徐々に確度が上がっているようだ。いい傾向だ」
投擲の際に、自分の全身の動きが見えている。
だからこそ、効率的に体の動かし方を学習し、次回に反映できるのだ。
もう一匹。
まだ、年取った半魚人が近くに潜んでいる。
俺は、第二戦に向けて、鎖を逆回転させ、素早く解き放つ。
絶命した方の半魚人は、高速を解くや、地面に倒れこむ。
倒れこんだ途端、半魚人の頭蓋はあっさりと真二つに割れる。
中からは、数本の白い糸状の生き物が姿を現し、盛大に暴れる。
3mほどの全身を現したと思いきや、散り散りになって去っていく。
寄生虫と思しきものに、俺が注意を取られていた間。
老半魚人は、クリスタルの柱と柱の間に屈みこむ。
こちらを注意深く観察している。
障害物が多くて、これでは、鎖による遠距離攻撃を仕掛けられない。
しばらくにらみ合いが続くが、やがて、半魚人は俊敏に逃げ去っていく。
「ふぅ……」
気が抜けた瞬間。
激しい渇きを覚える。
ふらふらと、倒れた半魚人に近づき、しゃがみ込む。
その頭部は、まるで太刀魚の腹のように、キラキラと輝いている。
手を伸ばし、その皮膚に触れる。
「ああ……」
思わずため息が漏れる。
「なんて、いい匂い……」
口を近づける。
半魚人の皮膚に歯をあてがい、噛みつく直前。
我に返る。
四つん這いになって、よだれを垂らしている自身の姿に激しい嫌悪感を抱く。
胃液が喉元まで逆流してくる。
俺は何をしようとしたのだろうか。まさか、寄生虫が棲みついていたこいつを食おうとしたのか。
自分が自分ではないかのようだ。
慌てて立ちあがるが、飢餓感はますます酷くなる。
しかし、半魚人といえども、人間の姿をしている。
こいつに食らいついてしまえば、永遠に人間性を失う気がする。
「俺は原始人などではない」
小袋から豆を取り出し、口の中に放り込む。
とてつもなく、まずい。
クリスタル柱の林を進む。
永遠に続くと思われたところ、唐突に終わりが訪れる。
視界が開け、眼前には、地底湖が広がっている。
透明度は高いものの、まるで、化学薬品でもぶちまけたかのようなコバルトブルー一色となっている。
不意にチョコレートのような、甘い香りが漂ってくる。
匂いにつられて、岸辺を進むと、クリスタルの柱を組み合わせて作られた巣のようなものを見つける。
中にはダチョウの卵ほどもある大きな卵が、無数に置いてある。
既に割れた卵もあり、近くには、どろどろの粘液にまみれた、気味の悪い小さな半魚人がいる。
これは、奴らのアジトだ。
破壊すべきか、それとも。
迷っている間に、次々に卵は割れ、半魚人が孵化していく。
しばらく、巣の中でもじもじとしていたが、一匹が甲高く鳴くや否や、一斉に、クリスタルで編まれた巣から飛び降りる。
俺の姿を見つけて、警戒したのだろう。
そのまま、不慣れな歩みで、よちよちと地底湖に向かって逃走を開始する。
なんだか、申し訳がなくなったため、追いかけることはせず、ただただ傍観を続ける。
半魚人の幼体は、やがて地底湖に到達。
着水する直前。
地底湖付近の穴から、次々に細長い巨大生物が顔を覗かせる。
まるで、ヤツメウナギのような凶悪な外面をしている。
半魚人の幼体に食らいつき、血しぶきをまき散らし、食らいついたまま、穴の中に身を隠す。
その間は、瞬きをする時間にも満たない。
一網打尽が終わった後、何事もなかったかのように、静まり返る。
地底湖の岸辺を見ると、同じような穴が無数に穿たれている。
これら全てに、ヤツメ野郎が潜んでいて、近づく生き物を捕食しているのだ。
君子危うきに近寄らず。
ヤツメ地帯には近づくべきではない。
ところで、どこへ行けば、先へ進めるのだろうか。
この大きな洞穴空間の出口が見当たらない。ひょっとすると、地底湖の向こう岸に何かがあるのだろうか。
岸辺に平行して歩き、探索を続ける。
しばらく進む。
やがて、地底湖の浅い水底に沈んだ、大きな鉄門が見えてくる。
あれは、今まで潜り抜けてきた、顔のついた鉄門にそっくりであり、そのシリーズの一つに違いない。
もっとも、今回は、悲嘆にくれた表情をしている。
あれをくぐらなければならない。
ところが、地底湖に到達するには、岸辺を通らなくてはならない。
そして、岸辺には、相変わらず、ヤツメ野郎が潜んでいるであろう、無数の穴が待ち構えている。
クリスタルの塊を、一番手前の穴の近くに投げつける。
現れたヤツメが、問答無用でこれをかみ砕き、素早く巣穴に舞い戻っていく。
さらにクリスタルを投げつける。
今度は、穴から少し離れた場所に。
そうすると、ヤツメはやや遅れるも、再び律儀に姿を現し、クリスタルをかみ砕き、巣穴に舞い戻る。
何度も何度もこれを繰り返し、安全圏を探る。
カンカンカンカン! カンカンカンカン!
唐突に、拍子木を鳴らすような音が鳴り始め、同時に地響きがする。
クリスタルの林から、一斉に何かが迫っているようだ。
柱に登り、高いところから全体を見渡す。
すると、100匹を超える半魚人の成体が、群れを為して近づいているのがわかる。
はたして、俺が倒した半魚人の仇なのか。
それとも、半魚人の幼体が発した警戒音に導かれて集合したのか。
前門にはヤツメ野郎の大軍。
後門には半魚人の大軍。
俺は、ヤツメから襲われることのないぎりぎりの安全圏に陣取る。
その後、半魚人の大軍が眼前に姿を現す。
「あの小さき物が、生意気にも、レオニダス様を暗殺したというのか?」
「その通り。卑劣極まる故、気を付けよ」
先ほどの年老いた半魚人も見える。
「なんと、狡猾な位置取り」
「このままでは、大いなるリヴァイアサンに阻まれて、あやつを食らうこともできぬ」
案の定、奴らはヤツメを恐れて、それ以上俺に近づくことはない。
こうして、三すくみの状態が開始された。
もっとも、このままでは、埒が明かないし、俺は先へと進めない。
加えて、地下通路入口の鉄門を叩き、俺を襲おうとしていた化物が、近くまで迫っているかもしれない。
ならば、先を急がなければならない。
俺は、手元のクリスタル片を握りしめ、半魚人目掛けて投擲する。
クリスタル片は、一匹の半魚人に直撃するが、負傷させるには至らない。
しかしながら、俺の攻撃から、半魚人は気付きを得た。
しかも、奴らの足下には、事前に俺がクリスタル柱から生成したクリスタル片が散らばっている。
「大樹石を拾え。小さき物は、あれを武器と見た。ならば、これでもって、小さき者に有効打を与えることが出来るであろう!」
次の瞬間。
半魚人の大軍から、思い思いのフォームで放たれたクリスタル片が、俺の頭上に降り注いできたのであった。




