44 歓喜の歌
上空に現れた怪鳥の姿は霧散した。
朝焼けの下、勝利の大歓声が沸き起こる。
長きにわたる苦しい戦いは幕を閉じ、世界崩壊の危機は人々の英知により回避された。
善良なる民衆、暗黒大元帥のくびきの下に喘いできた民衆は、ついに解放されたのだ。
兵士達は今や敵味方なく、そこに王都民も加わって、互いに手を取り合って喜びを分かち合う。
「何の音だろう?」
三方から一斉に轟音が鳴り響く。
「砲撃だ!」
沖合で、まるで岩石のように動かず、黒く不気味にそびえていた共和国の無敵艦隊。
よく訓練された狼の群れのように、隊列を乱すことなく、整然と順々に島区画へと接近していく。
島区画の港湾を閉ざしていた長大な鉄鎖は、どさくさに紛れて島区画に潜り込んだ共和国兵によって、あっさりと断ち切られている。
みるみる間に、港湾ははしけに埋め尽くされ、共和国の精兵が続々と上陸していく。艦砲射撃の援護を受けながら、一気に王城を制圧するつもりなのだ。
「暗黒大元帥はもういないっていうのに!」
「悪いのは全て暗黒大元帥! 我々には何の落ち度もないのに!」
「共和国は、暗黒大元帥から受けた屈辱を、絶対に許さないというのか!」
人々は幸運の絶頂にあったところを、容赦なく叩き落とされる。残酷な現実に直面し、正常な思考を失い、その場に立ち尽くす。
共和国は、国益を純然として追及するだけである。だからこそ、王都民の心持ちなどけっして理解することはない。
確かに、共和国にとっても、王都を王都民ごと無傷で手に入れるというのは、魅力的な話ではある。
しかし、それはあくまでも、共和国が王都を占拠することが前提である。
どこからともなく現れた勇者などと名乗る怪しげな輩に王都を横取りされ、共和国が蚊帳の外に置かれるぐらいならば、たとえ王都民が全て死に絶えようとも、武力を行使して不埒な輩を一掃した上で王国を占拠した方が、国益にかなう。
だからこそ、今まで隠してきたその鋭い牙を、ついに剝き出しにしたのだ。
王国軍は内部衝突で力を使い果たした。
もはや、共和国に立ち向かえる者などいない。
その時。
遥か南方の海面が、黒々と持ち上がる。
海面がなだらかな坂を作っている。
唐突に、大波が押し寄せてきたのだ。
無敵艦隊は、いち早くこれを察知する。
大波をまともに食らえば、流れに押されて、下手をすれば城壁に激突してしまう。
船首の向きを変え、全速で島区画から距離を取る。
一瞬にして大波は到達する。
王都の沿岸付近を、沿岸に平行して尋常でない速度で走り抜ける。城壁は高いところまで白い泡で激しく洗われる。
港湾に浮かんでいた無数のはしけは激流に飲まれ、混乱したまま遠くへと流されていく。
王国兵は感動で打ち震える。
「まさに神のご加護!」
一方で、共和国兵は舌打ちする。
「アルデア討伐に、海神自らがけちをつけるっていうのか」
大波が過ぎ去った後、南から一隻の小さな共和国の艦船が現れる。
快速でもって、大洋を横切り、静かに大運河内の波止場に乗りつける。
戦闘は中断される。
王都外の避難地区にて、宰相はイザベラに拝謁する。
「今しがた、共和国元老院からの停戦を命じる急使が、王都に到着したものと思われます。ぎりぎり間に合いましたな」
「あの大波は、家宝のトライデントから発せられたものに相違ありません。オリヴィアが動いてくれたのですね」
「イザベラ様のお手紙が奏功しました。オリヴィア様の働きもあり、元老院にて講和派が多数を占めたようです。これで、フェルナン執政官の独断専横も止まり、戦争も終結に向かいましょう」
「レンゾは、あの子は、大丈夫なのかしら」
不意に、眼前に子供が現れる。
「お母様!」
「ルキノ!」
イザベラは立ちあがり、ルキノを抱きしめる。
やや遅れてデシカが現れる。彼は、イザベラのために王城に囚われていたルキノを救出したのだ。
宰相に近づき小声で報告する。
「亡ボルドー王国のアンリ王子が、彼を討ち果たしました」
「惜しい人材です……」
「私も、彼の親衛隊から逃げることに精一杯で、彼を助けるまでには至りませんでした」
「責めているわけではありません。そもそも、オリヴィア様からの申し出も、暗黒大元帥である彼の討伐を条件として講和を認めるというものでした」
「戦争終結のためには、彼の犠牲はやむを得なかったと?」
「それに、この結果は、彼自身が望んだものでしょう」
デシカは顔を逸らす。
「アンリ王子とキアラ姫が城内を制圧し、残党の掃討に移っております」
宰相は王城の方角を見やり、太陽光に目を細め、若干の気後れを感じる。
「これからは、彼ら若い世代の時代ですね」
「とはいえ、我々も隠居などしている場合ではありませんよ。彼の遺志を継ぎ、彼が残した能吏と知恵をかき集め、共和国に依存しない強い国を作らねばなりません」
王都の沿岸区画にて。
老婆が花束で地面を撫でまわし、しかる後、その花束を海面へと投げ入れる。
共和国元老院からの急使を受けて、共和国は王国との終戦協定を締結する。
戦争は終わった。平和が訪れた。
暗黒大元帥の場しのぎ的な対応が、逆に奏功し、大規模戦闘は発生せず、そのため大軍がぶつかったにもかかわらず、犠牲者は驚くほど少ない。
一方で、暗黒の化身である暗黒大元帥は死んだ。
彼の死体は見つからず、捜索隊はやや不安を感じながらも、そう結論付けた。
さらに、太陽王の即位はなかったものとされ、暗黒大元帥は大元帥のまま死んだこととされた。
国王不在の中、キアラ姫を長とした臨時政府が発足する。
暗黒大元帥と袂を分かった財務卿を始めとする能吏は、政府運営に取り立てられ重宝される。
一方で、司法卿や親衛隊を始めとする、暗黒大元帥に最後まで忠誠を誓った愚か者は、次々に捕縛されていく。
こうして、彼らは運命の分岐を迎えたのである。
「あそこにいるぞッ!」
平原にて。
短槍をかついだゴロツキどもが騎馬を駆り、一騎を追いかけまわしている。
追われるのはディーノ。
背後に妻を乗せ、騎馬を疾駆させる。
彼もまた、暗黒派閥に属すとして、懸賞金がかけられ、追われる身となったのだ。
妻を庇いながらの戦闘を余儀なくされ、しかも多勢に無勢。未だ衰えを知らずとはいえ、ひたすら守勢に回り、ただただ落ち伸びていく。
あわや、ゴロツキどもの投げ縄が、ディーノの駆る馬の足を捕らえようとしたその時。
火柱が立ちあがり、両者を隔てる。
ゴロツキどもは慌てて周囲を確認する。
この世には、指輪を使って魔術を行使できる魔法使いがいる。戦力差をひっくり返す魔法使いは早めに倒すに限る。しかし、魔法使いは総じて慎重であり、隠れたところから攻撃を放ってくる。
であるから、魔法使いを倒すには、まずは、魔法使いの所在を突き止めなければならないのだ。
しかし、丘の上に一人。
あからさまな魔女帽を被り、悪趣味なマントを羽織っている女がいる。
こいつの仕業に違いない。
「私は、暗黒大元帥の守護も務めたブリジッタだ! ほらほら! 私を捕まえたなら、たくさんの褒美が貰えるのではないのか!」
ゴロツキどもは、あからさまな態度を訝しがりながらも、ブリジッタに引き寄せられる。
その間にディーノは、遠くへと逃れる。
「あらま!」
ブリジッタはあっさりとゴロツキどもに捕まる。
「私を見逃してくれるというなら、君達の稼業を手伝ってあげてもいいのだけれど?」
何かの重しが外れたかのように、飄々と言い放つ。
「ロビン殿ですな」
一方、ロビンはデシカ領の温泉地帯で、王国兵に囲まれる。
「レンゾ・レオナルディ様から、至急王都にお戻りください、とのことです。我々に同道ください」
ロビンも暗黒大元帥とは親しかったと見られている。その悪行の片棒を担いだとなれば、罰しなくてはならない。
そこで、王国兵は、暗黒大元帥をおとりにロビンを試しているのだ。
「大元帥が?」
「貴方の力が必要だそうです」
「彼自身がそう言ったのか?」
「そのとおりです」
ロビンの送別会の席で、既に大元帥は諦念のようなものを抱いていた。それは、ロビンの復帰に対する諦念か、それとも……。
いずれにしても、その瞳は、ロビンとの再会を期待していなかった。
今更、彼がロビンを呼び寄せるようなことはない。
だとすれば、王国兵がやって来たのは、権力者の後継者争いの一環でしかないと気づく。
死んだか……。
ロビンは心の中で呟き、目を瞑る。
再臨したアウグスタの下に集った6人の英雄達。最もアウグスタからの信頼を得ていたのは彼だった。何故、頼りがいのない彼が、と思ったことは少なくない。
決して仲は良くなかった。いがみ合った。諍いもあった。
しかし、アウグスタの死後、偶然にも一致団結をみた。
そうして、帝国を破るという結果がぽつんと残った。
彼の悪魔的な手腕のことは理解できない。彼を尊敬しているなどといったこともない。
ただ、ロビンは薄っすらと勘付く。
ひょっとすると、これまでの彼との諍いは、全てロビンの独り相撲によるものであったのかもしれない。必死に駆け抜けた半生の中で、それは、決して楽しいものではなかったが、確かに、色彩の豊かなものではあった。そして、これからは、挑む相手がいなくなったというわけだ。
「行くまい。彼とは特段親しい仲ではなかった。そういうことだ」
単調に言い放つ。
偶然にも踏み絵を踏み切り、難を逃れたのであった。
残党狩りが終わり、臨時政府は解散する。
そこで、1つの問題が浮上する。すなわち、次期国王は誰にすべきか。
大元帥の義理の息子である、光の勇者アンリ。そして、剣の姫キアラ。
人々は彼らを褒めたたえる。
不落のアルデア城に待ち受ける闇の眷属どもと対峙し、圧倒的不利な状況の中。剣の姫は世界を救うために身の危険を顧みず、素晴らしい勇気を発揮し、攻城戦を敢行。
光の勇者は、獄中からこれに呼応し、死闘の末、暗黒大元帥を撃破した。
彼らの活躍によって、王国は平和を取り戻した。人々は熱狂でもって彼らの凱旋を祝い、彼らが新たなる秩序を作り上げてくれることに期待した。
しかし、国王の座に就いたのは、両人のいずれでもなかった。
両人の推挙により、公爵の又従兄にあたる群小貴族の一人が国王として君臨し、空位期間は終了したのだ。
彼は、驚くほどに平凡な人物であったが、自身でもそのことをよく自覚しており、能吏の意見を聞き入れ、王国の中興に寄与することとなった。
また、取り戻した王国の権威でもって、フッチ辺境伯家、デルモナコ伯爵家、ザンピエーリ伯爵家の各縁戚をそれぞれの後継者として認容し、各領の統治体制をスムーズに復活させることに成功したのであった。
街頭で大声をあげる者がいる。
「大元帥は決して、悪ではないのであるッ!」
メルクリオ26世だ。しかし、人々から怒りの眼差しを向けられる。
「何を隠そう、彼こそが、帝国からこの王都を守ったのであるッ!」
「では、何故、悪でない暗黒大元帥が、国王を弑逆し、独裁を為したのでしょうか?」
学者が問いかける。
「ちょっとした手違いなのであるッ」
「貧困が我々に不安を与え、その不安を取り除くために、我々は、独裁者に力を与えてしまいました。独裁者に支配してもらうという安易な方法に頼ってしまったのです。結果、彼のような化物を生みだしてしまったのだと考えます」
「むむッ! 一理ある。でも、彼は王都を守ったのであるッ。よくやってくれていたのであるッ」
「王都を帝国から守るために、漆黒の鎧を纏って戦ったのは、メルクリオ26世、貴方なのではないですか? 巷ではそう噂されていますが」
途端に、周囲の人々が26世の顔を見つめる。
「吾輩は……」
「護国卿!」
「なんと尊いお姿!」
「ありがたやありがたや!」
人々が26世を褒めちぎり始める。その異様な雰囲気が、さらなる群衆を呼ぶ。
中には、身を投げ出して祈祷を開始する者までいる。
26世は気持ちよくなってくる。
「実は、そのとおりなのであるッ! 吾輩の功績であったともいえるのかもしれないのであるッ!」
26世は深く考え込むことはせず、暗黒大元帥の功勲を忘れる。
「護国卿も、暗黒大元帥が初めから悪だったのではなく、我々の貧困が彼を悪に染めたと仰りたかったわけですね」
「いろいろな考え方はあると思うが、もし、そういうニュアンスで伝わっているなら、吾輩の周知は成功した部類に入っているかもしれないのであるッ!」
全く意図していない内容に解釈されてしまったものの、とりあえず、意味が分からないままに賢そうな喋り方で対応しておくのが、26世なのである。
蕪の種子を買付けに来ていた、とある老人が呟く。
「それでも、ワシは、領主様がそんなに悪い方ではなかったと思うんですなぁ……」
「あんた、耄碌してんじゃねぇか。そんなことより、今は、王国の復活を祝おうぜ!」
「民衆の力というのは侮れぬな」
王都はすっかり賑わいを取り戻している。
フェルナンは、その賑わいを見やりながら呟く。
これに、ナダルが応える。
「この国の民衆には、何やら不思議な認識があるようです。自分達は、領主の所有物などではなく、正しく国の構成員であるという」
「それは、おそらく近年の経済発展に伴って生まれたものだろう」
「その国民意識の土壌の上に、さらには、彼らを団結させる勇者が誕生してしまいました。我々といえども、彼らの勇者を排除するのは困難を極めることでしょう」
「それは、恐ろしく堅固な思想の要塞だ。我々は、民衆の力を見誤ったということか」
「レオナルディ大元帥主催の子供劇場。これに、興じてしまったというのもあるかもしれません。そのために、オクセンシェルナ宰相の密かな動きを把握し損ねてしまいました」
「加えて、無傷で王都を手に入れるという思惑を利用されたな」
「しかし、交渉の結果、我々は王都の南方に租借地を得ました。加えて、暗黒騎士団には例の黒棺を与え、彼らの牙を抜くことにも成功しました」
「戦いは終わってはいない。ならば、敗北が確定したわけでもない。再戦は先になるだろうが、しかし、最後の聖戦は時間の問題である。焦る必要はない」
フェルナンはマントを翻し、ゆっくりと歩き始める。
ややあって、呟く。
「ここまで私を手こずらせる人物であったのであれば、もう少し……。いや、彼について、もはや何もいうことはあるまい」




