43 優しい雨
「暗黒大元帥は、超長距離射程のカノン砲を隠し持っていたようです」
ナダルは、フェルナンに報告する。
「彼は大砲が好きだな」
「その射程は、沿岸区画の全てを押さえるとみて差し支えないでしょう」
「しかし、砲撃は一回で終わった。連発できない理由があるのだろう」
「心理戦を狙い、策を弄している可能性もあります」
「彼らは切り札を出してきたとも考えられる。ならば、我々も満を持して、彼の意気込みに応じてやらねばなるまい」
「それでは、遂に」
「夜間のうちに榴弾砲200門を沿岸区画に配備せよ。日が昇った後、総攻撃を開始する」
「彼ら如きにですか?」
「獅子は無力な野兎を狩るにも全力で臨むという」
「戦力の重点投下ですな」
「千年不落であった都が、今、我々の手により陥落しようとしている。これは、歴史に名を残す、絶好の機会である。一層奮闘したまえ」
フェルナンですら、多少の高揚を覚える偉業なのだ。
「報告します! 王都外に避難させた王都民10万が、猛り狂った牛の群れのように、王都の内側へ殺到しています」
「何があった?」
「曰く、暗黒大元帥は国王アルフィオを弑逆し、太陽王を僭称したとのこと。彼らは怒りに飲まれ、この事態に熱狂しています」
「全てが愚かしいな」
「実力を行使しない限り、鎮圧できそうにありません。何卒、裁可をいただきたく」
「まずは、群衆の動きをよく観察し、扇動者を見つけ、捕縛するのだ」
「直ちに」
報告者は去っていくが、次の報告者がやって来る。
「報告します! キアラ姫を長とする100人の部隊が、闇に紛れて島区画に上陸し、王城への侵入に成功しました」
「先んじられたか」
「暗黒騎士団が橋梁の突貫工事に取り掛かり、これに続こうとしております」
「ならば、我々も最速の部隊でもって進軍を開始する」
フェルナンは立ちあがる。
「お待ちください。王都民が王都中で暴れまわっているせいで、沿岸区画は大混乱の状態にあります。彼らを掃討せねば、進軍できません」
ナダルがぽつりと呟く。
「もし、これが何者かが仕組んだものならば……」
遮るようにしてフェルナンは言い放つ。
「我が計画に綻びが生まれたのは素直に認めよう。しかし、そうであれば修正を施すだけのこと。城内は、互いに乾坤一擲を期していることだろう。ならば、これは契機ですらある」
フェルナンは伝令を呼び寄せる。
「いずれの勝利になろうとも、狩りを終えた、その油断を狙う。艦隊に伝令せよ。臨戦態勢でもって島区画を包囲し、上陸準備も併せて行え。我が指示をもって、三方一斉攻撃を開始する!」
「アンリ様! 間もなく、助けが参ります。お気を確かに」
「こんな夜遅くにどうしたんだい?」
アンリは牢獄の中で、落ち着き払って読書なんぞをしていた。
対して、いかにも焦った様子でヘルミネは訴えかける。
「暗黒大元帥は遂にその正体を現し、国王を弑逆し、太陽王を僭称しました。今、彼を討つために、キアラ様が王城に攻撃を仕掛けています」
「そうなんだ」
どこかぼんやりとしている。
「そうなんだ、ではありませんわ! 私の父は彼に殺されました。名誉失墜を公にされたくなければと、今まで、私は彼の操り人形にされてきたのです。どうか、私を救ってください」
急いで追撃を加える。
「それはとても大変なことだね」
「このチャンスに、キアラ様と呼応して暗黒大元帥を討たなければ、世界は永遠に暗黒に覆われてしまいます! 世界をお救いください! 勇者アンリ様!」
ヘルミネは苛立ちをうまく隠し、悲劇のヒロインのように叫ぶ。
「父上が意味のないことをするわけはないよ。きっと大丈夫だよ」
「このままではキアラ様と暗黒大元帥が衝突し、どちらかが倒れることになります。アンリ様はそれでいいのですか?」
キアラの小部隊は、勢いよく王城にまで迫ったものの、巨大な堀がその行く手を阻む。
「こんなところで立ち止まっていられないわ!」
それでも、城内に浸入するためには、まず、堀を埋め立てなければならない。
近くの民家から徴用した木材や石壁、はては乗り捨てられた高価な馬車までもが、堀の中へ投下される。
無論、王城兵がこれを黙って見過ごすことはない。城壁上からは、矢の雨が降ってくる。
その時。
城壁の一画から巨大な炎が立ち昇る。
「賊軍は、西の城壁に取り付いております」
「余が、直接出向くとしよう」
兵士の多くを島区画の外壁に派遣している。そのため、城内で遊撃できる指揮官はもはやいないのだ。
大元帥は執務室の前を通り、階下へ降りる。そのまま、中庭に出る。
中庭には、うっすらと雪が積もっている。雪が月光に照らされ、キラキラと輝いている。
「メルクリオだな」
大元帥が振り返ると、枯れたバラ園の向こうにブリジッタが一人。
月光を背景に、ぽつんと佇んでいる。
王城兵が、一斉に剣を引き抜く。
「彼女は私の客人だ。二人きりで話したい。君達は、先に城壁へ向かいたまえ」
王城兵は黙礼しその場を離れる。
「生きていたとは驚いた。しかも、レンゾ・レオナルディを名乗っていたとは」
「言ったであろう。お前が殺したつもりの男は真にしぶとい男だぞ、と」
「貴方の側にいながら、今までその正体に気が付かなかった。とんだ茶番をしてくれたものだ」
「俺も驚きだ。まさか、あのポンコツが、俺の正体にたどり着く日が来ようとはな」
「貴方には悪い印象しかない。私に一騎打ちを仕掛けておきながら、形勢不利となるや、罠を使って私を捕まえた。あのことは、まだ忘れてはいない」
「俺も、俺が窮地にある時に、お前が一騎打ちを挑んできて、素敵な言葉をプレゼントしてくれたことは忘れていない。ボロくずになっても切り刻むのを止めないの、だっけか。心の底から怖いものであった。クハハ!」
「止めろ! そのことを言われると何も言い返せない」
ブリジッタは目を伏せる。
ややあって、強い光を瞳に宿して大元帥を睨む。その唇は歪んでいる。
ブリジッタは手元のレイピアを引き抜き、暗黒大元帥も手元の長大な両手剣を構える。
「私の罪を、罰するというのか?」
「それは私のやるべきことではない」
「何故、立ちはだかる?」
「貴方を正すのは、私でなくてはならない。それがジーナとの約束だ」
「私は、弱くはないぞ」
大元帥は言うや否や、大きく踏み込み、大剣を振り回し、邪魔になるバラの枯れ枝を叩き切る。さらに斬撃を繰り出す。
ブリジッタは、最低限の動きでこれをかわし、さらに、クロスボウの追撃を避け、左右に素早く往復しながらも、大元帥に接近。剣先をあらゆる角度から突き出す。
大元帥は、致命傷になりうる刺突のみを避け、後はノーガードで突貫。
轟音を周囲に響かせながら、無茶苦茶に大剣を回転させる。
降り積もった雪が軽やかに宙へ舞う。
レイピアは根元から断ち切られ、その剣先はどこかへ飛んでいく。
「先を急ぐ」
その瞬間。
大元帥の背後から、天に向かって火柱が立ち昇る。大元帥はこれを避けるが、そのマントの端が豪炎に包まれる。
炎に目をとられた瞬間。
ブリジッタは、炎とは逆の方向から大元帥に迫る。
両手の平をあわせて胸の前に突き出す。
手の平から青白いレーザーが放たれる。その狙いはあらぬ方向へ向かう。
と思いきや、空中で大きく軌道を変え、油断した大元帥は、手の平を鉄篭手ごとピンポイントで貫かれる。
レーザーの光は消え、大元帥は大剣を取り落とす。
ブリジッタは大元帥に己の青白い手の平を突き出して見せる。
大元帥はあっさりと言い放つ。
「降参だ」
「妙に、聞き分けがいい」
「いろいろと迷惑をかけた。本当にすまないと思っている。今、君に敗れたことでようやく目が覚めた。人から指示されてやむなく行ったこととはいえ、許されるものではない。もはや、死んで詫びるしかない」
「別にそこまで責めるつもりはない。私も、貴方が自分の意思でやっているとは思えなかった。誰に唆されたのか、まずは、教えなさい」
「今は言えない。察してくれ」
「……。なるほど。では、すぐに全軍に戦闘中止を指示し、キアラ姫を迎え入れてくれ」
「無論そうするとも」
途端に、点火された癇癪玉がいくつも降ってくる。
それぞれ大爆発を起こす。
ブリジッタが注意を逸らした瞬間。大元帥の渾身のラリアットが炸裂する。
「いつまでも甘っちょろいお嬢さんだなぁ! 騙された自分の愚かさをあの世で精々反省するがいいさァ! アヒャヒャ!」
ブリジッタは雪上に倒れ、周囲から駆け寄ってきた王城兵に捕縛される。
大元帥は、無数の傷に止血を施す。
握力を失い、無用の長物となった大剣を捨て置き、代わりに黒のグラディウスを帯剣。激戦区である城壁の上へ向かう。
電光石火のキアラの攻勢により、城壁の一画は既に陥落した。
しかし、キアラの援軍は未だ到着せず、多勢に無勢。守勢側が優勢に立ち、キアラは城壁の角
に追い詰められていく。
アンリは、地下牢に収監されていた元ボルドー臣民とともに、ヘルミネの手引きにより、城内で武装蜂起した。大元帥はそのことを知らず、城壁の上に立ち、前線に指示を出すことに専念している。
アンリが、後方で孤立した大元帥に近づくのは容易いことであった。
「閣下。お戯れはお止めください。姫にもしもの事があれば、大事になります」
「よくぞ来た。今まさに、あの愚かな小娘を処刑してやるところよ。特等席から見ておるがよいぞ」
「争うべき相手が違います。こんな戦いに何の意味もないんだ」
「知った風な口を利く」
「だったら、なんだって言うんです?」
「今、この地に王城兵と王都民が集合しつつある。人が集まり、人々の欲望が渦巻く中に邪神は蘇るという」
「今の貴方はどうかしています。まともじゃない」
「人々を生贄に捧げ、邪神を復活させる。私の、この黒い指輪がその大禁呪を可能とするのだ」
「邪神を復活させて、なんとするつもりなのです?」
「邪神をこの身に宿らせ、死者の軍勢を自在に操り、この世界に覇を唱えるのだ! ハッハッハ!」
「そんな寝言を言っている場合ではありませんよ。ついにボケたのですか」
「クックック。酷い言いようではないか。信じぬというならば止むを得ん。計画を前倒しにして、貴様にも拝ませてやろうではないか!」
大元帥はためらいなく、両腕を広げ、夜空に掲げる。
「私が築き上げた全ての富、全ての力、全ての愛を捧げる。この幻想世界を、黒く、黒く塗りつぶせッ!」
周囲は赤い光に満ち溢れる。
黒い影が城壁を覆い、さらにその外側に向けて、広がっていく。
おぞましい鐘の音が、響き始める。
夜空には、月光を押しのけて、真っ黒な穴が現れる。
その穴の中から、王都を覆うような巨大な鳥の頭とその瘦せこけた上半身が現れる。
鳥頭は両手の平をお椀とし、その隙間から黒い液体が零れ落ちる。城壁の上に垂れ落ちた黒い液体は、次々に、黒い棒状のものへと変化する。
それは、さらに手足を生じ、独立歩行する黒い人影となる。
かくして、地上は無数の黒い人影が蠢き、天空は無数の黒蜥蜴が飛び交う暗黒世界が現出したのだ。
「何をしたんだ?」
大元帥は応えず、まるで手品のようにして、マントの内側から一人の黒い人影を出現させる。
人影は、黒い表面の中から白い顔を覗かせる。
「エリオじゃないか!」
「うぼああああ!」
エリオを象った黒い人影は震えながら歩き始める。
アンリは駆け寄るが、エリオの爪に切り裂かれる。
「誰が君をこんな目に!」
周囲の黒い人影の顔をよく見ると、それはデルモナコのものであったり、フッチのものであったり、全て大元帥が殺めたとされる人物のものである。
「殺……シテ……」
「死者の軍勢というのは彼らのことですか? 彼を殺し、彼らを殺し、なお彼らを操るというのですか?」
大元帥は何も応えない。既に、邪神と一体化し、人語を解さなくなったのだろう。
ただただ、声もなく肩を震わせている。
嗤っているのだ!
「彼は、貴方を信じていたというのにッ! 貴方という男はッ!」
唯一無二であった知己を失い、アンリは遂に鉄の剣を引き抜く。
それは、ありふれたものにすぎない。
しかし、持ち手は勇者である。
剣刃は黄金に輝き、一振りで、大空に至るまでの闇を容易く切り裂く。
光と闇が互いを滅しようと、空中から地上まで各所で激しくせめぎ合う。
アンリに襲い掛かる無数の闇の眷属は、しかし、アンリの一撃でもって次々に霧散していく。
圧倒的な力。何者も彼を止めることはできない。
大元帥に接近し、一撃。
その直前。
夜空の鳥頭が、激しく地上に向かって咆哮し、アンリは動けなくなる。
そこへ、闇の眷属が殺到し、アンリは弾き飛ばされる。
かろうじて、剣先を城壁に差し、これにぶら下がって墜落を免れる。
城壁の上から大元帥が、アンリを覗き込んでいる。
踵でもって剣を蹴り、これを揺らす。
15mの城壁から落下すれば、落下先が堀の水面といえども、致命傷は覚悟しなければならず、さらに戦線離脱は免れ得ない。
世界の命運もここまでか。
周囲から讃美歌が聞こえてくる。
歌っているのは、城壁の上のキアラの部隊、島区画に結集した王都民、そして、王城兵である。
「悪を討つための力を、僕に!」
讃美歌に苛立つ大元帥。その注意が逸れた瞬間を狙い、アンリは不思議な力でもって、剣を梃子にして高く飛び上がる。
併せて引き抜いた剣は、さらに輝きを増し、虹色の光を放つ。
大元帥は、後背に着地したアンリに対して、慌てて振り向くが、時すでに遅し。
アンリは、剣先を地上から空に向かって切り上げ、大元帥は深く切り裂かれる。
傷口からは膨大な光が氾濫する。
致命傷を負った大元帥は、よろよろと後ろに下がる。
「ぐぬぅ……」
悪の根源は討たれ、周囲の暗黒は一気に消失する。
「私は、おのれに負けたのではない。時代に敗れたのだ!」
「貴方はいつだって、人々に目線をあわせず、超越者を気取っていた」
大元帥は、何かにつかまろうと手を伸ばすが、それは空でしかない。
何物をも掴むことなく、バランスを崩して、城壁の外へと崩れ落ちる。
ちゃぽん。
軽やかな音と共に、その姿は消えたのであった。
「閣下! こちらにいらっしゃいますか?」
アンリは耳慣れた声を聞きつけ、振り返る。
そこには監視塔からいそいそと現れた、五体満足のエリオが立っている。
「我らが最期の勇者アンリ様が、暗黒大元帥を討ち果たされましたぞ!」
兵士が叫ぶようにして言い放つ。
「何のために……」
「彼は、国王を弑逆した。その罪は許されるものではないよ」
エリオは生きている。
アンリは、内側から湧きおこる大きな不安に抗いながら応える。
「そんなわけないよ! 閣下は、君の義父だったんだよ!」
「彼は、人々を生贄に自分の欲望を満たそうとしたんだ」
「なんで、閣下の事を信じてあげられないのさ! 閣下は、君の事を信じてくれていたじゃないか! 僕達は、閣下の力になるって決めたじゃないか!」
「彼はもう陽の下には戻れなかった」
「閣下が! 彼が! 彼こそが、重傷で死にかけた僕を救ってくれた、そして、君が憧れた、メルクリオだったんだよッ!」
アンリは瞳を見開く。
エリオは、しゃがみ込む。
「何のために、こんな戦い……」
「ハフゥ……」
「……」
「……。ハハハハ……、ハハハハハハ……」
アンリは突っ立ったまま、止めどなく乾いた笑い声をあげる。
大元帥討伐の報は、瞬く間に周囲に知れ渡る。
守勢は、失意のうちに武器を取り落とし、攻勢は、勝利の雄叫びを上げる。
暗黒騎士団も到着し、さらにどこから現れたのか、王都民も王城の周囲に集結し、圧政からの解放による喜びを分かち合う。
ようやく明るくなった空はどこまでも澄み渡っている。
そこに、天気雨が降り始める。
文句の一つでも言ってやろうと息巻いていたキアラは、しかし、その文句をいう相手を失った。
しかし、あの大元帥が簡単にくたばるとは思えない。
徹底して、堀の内をさらうよう指示する。
指示を出した後、しばらく呆然としていたが、やがて、現場に居合わせたという兵士におずおずと訪ねる。
「暗黒大元帥は、何か言っていたのかしら?」
「これで勝ったと思うな、と」
「……」
近くにいたエリオが慌てて付け加える。
「一言、呟いていました。キアラ様、頑張れ、と」
「様って……」
キアラは天を仰ぐ。
「そうなんだ……。変なの……」




