41 王城包囲戦
王国軍は王都の島区画に引っ込み、籠城戦を決め込んでしまった。
島区画は四方を高い城壁に囲まれ、絶対の防御を誇る。海上からの砲撃にもびくともしない。
共和国軍は、大口径の大砲を取り寄せ、これをぶっぱなつが、それでも、城壁を崩すことはできない。
唯一、波止場付近だけは城壁に囲われていない。
共和国軍は、この無防備な箇所に向けて、沿岸区画から橋を伸ばす。同時に、王国軍の防備を薄く延ばすために、海上からの攻撃も間断なく続行させる。
対する王国軍は、海上からの攻撃には最低限の対応でやり過ごし、伸びてきた橋の先端に向けて火力を集中させ、架橋を徹底して妨害する。
共和国軍が、橋梁の先端を大きなバリケードで覆うなら、王国軍は、火炎放射器でもって作業現場を高熱で覆い、投石機によりこれを打ち砕く。
作っては壊され、作っては壊される。残り僅か200m。それが、いつまでたっても完成しない。
どちらが先に音を上げるか、既に持久戦の様相を見せ始めている。
「捕虜に命じて建築を行わせるのはいかがでしょう? 王都民を相手にでは、彼らも攻撃の手を緩めざるを得ないでしょう」
フェルナンに具申するのは、コルドバ第3軍団「アルディカ」の長ナダルである。
「止めておけ。捕虜の数は10万にものぼる。彼らが万が一暴発すれば、我々はその対応に多くを割かれる。だからこそ、つまらぬ暴発を防ぐため、彼らの扱いには慎重を期すべきであろう」
大元帥が王都民を島区画外に放り出したのは、フェルナンにとっても予想外の出来事であった。
もっとも、王都民への同情はない。ただ、どう利用するかを冷静に見定めているだけである。
「しからば、海上からの当たりを強め、そちらに勢力を割かせるよう仕向けます」
「万事、君の思い描くままに図らえ」
フェルナンは立ちあがり、ナダルの肩を親しく叩く。
財務卿とともに、王国の多くの人材がフェルナンに降った。
皆、大元帥閣下に裏切られ捨てられたと、証言している。
「イザベラ様ではありませんか」
貧しい衣服に身を包みながらも、高貴な気配を隠し切れない女性を見つけ、フェルナンは声をかける。
「執政官殿……」
イザベラは元王女であり、共和国の執政官の一人オリヴィアの実の姉でもある。
英雄ヴィゴの末裔を称する一族の出であり、高貴な生まれではあるが、嫁ぎ先が王国であったために、大変な苦労を負うこととなった。
その瞳は赤く腫れている。
フェルナンは大仰に驚いて見せて、イザベラの側に寄る。
「共和国は貴女を保護します。ご心配なされるな」
フェルナンは、ほんの僅かな時間、逡巡した。
オリヴィアは最高の正統性を有し、共和国において絶大な権力を持つ。しかも、フェルナンとは別の理想を掲げる、同床異夢の者である。
同じ執政官とはいえ、成り上がり者であるフェルナンにとって、イザベラを助け、オリヴィアに借りを作っておくに越したことはない。
一方で、イザベラがオリヴィアと通じ、今後、共和国による王国領内の統治体制に注文を付けてくる可能性がある。
これは、面白くない話である。ならば、イザベラを亡きものにしておいた方が、後顧の憂いがなくてよい。
「イザベラ様は、自身の身を案じておいでではないのです」
付き添っていた男が代弁する。
「オクセンシェルナ宰相か? どうしてこちらに?」
「我々のような、彼の考えに異を唱える者はことごとく政治犯として地下牢に収監されました。こうして、城外に逃亡できたのは、心ある忠臣に救われたからなのです」
「彼の信条が理解できない。王国内で、今仲間割れを招く行動をとることに何の意味があるのだろうか?」
これは、フェルナンの偽らざる感情である。
共和国の誘いに乗って、自身の野心を遂げるために、反対者を粛清したというならまだわかる。
しかし、共和国の誘いを明確に断っている。にもかかわらず、今になって、戦争のさなかに反対者を粛清し始めている。要は、四方八方に対し、同時に喧嘩を売るという、己の危機を己で招くような愚行をなしている。
「彼は、暗黒教に深く帰依し、我々を裏切ったのです」
「信仰が彼を変えてしまったと?」
「自分こそが超越者であると考え、自らの刹那的な欲望のためだけに、この王国を破壊してしまうつもりなのです」
「しかし、以前会った彼の様子からは、そのような思想の偏りは感じられなかったが」
「権力を握ることで、万能感を得て、豹変してしまったのでしょう。彼はそういう弱い人間なのです」
イザベラは嗚咽を止め、フェルナンの腕をとる。
「レンゾは優しい子です。きっと何か事情があるはずです。どうか、私達にお力を貸してください! 彼を救うための力を!」
「宰相殿も同じ考えか?」
「彼を討つべきです。大元帥は、失敗には終わったものの、キアラ姫の暗殺に着手しました。イザベラ様は、大元帥によって養子のルキノ様を奪われています。もはや、その大罪は揺るがない」
「しかし、大元帥は国王の指示に従っているだけなのではないか」
「国王は病に伏せっております。それを利用し、大元帥は好き勝手をしているのです」
その口調は、まるで同志に語りかける口調ですらある。それほどまでに、彼らは、フェルナンを信用しきっている。
仲間だと信じていた大元帥によって、理不尽な目に遭わされた。大元帥と対峙する男に対して警戒を弱めるのは、無理もない事だろう。
フェルナンは、イザベラや宰相を脅威と感じることはなく、彼らを活かして利用することに結論付ける。
王都民は、口を揃えて大元帥を悪しざまにののしる。
「私達は皆、暗黒大元帥に裏切られたのです」
「民を守ることもしない」
「しかも、アルフィオ様をたぶらかしている」
ここまで言論が統一されていると、まるで、何かを狙って、大元帥から口裏を合わせるように指示を受けているような危うさすら感じる。
「暗黒大元帥は、アルフィオ様を人質にして、王城に立て籠っている」
「アルフィオ様をどうか、お救いください」
「あの大罪人に神罰が下りますように」
大元帥は、国王を守り、国民の生活を守るために、共和国からの独立を企図し、蜂起したはずである。
であるはずなのに、国民を捨て、国王をないがしろにし、己の保身を最上位に位置づける。
何を乱心しているのだ?
これほどまでに、不透明かつ自己矛盾している相手は初めてだ。
理解の範疇を超えており、もはや、狂人としか形容しようがない。
ただ、だからといってフェルナンは思い悩むことはない。
理解できない思考は、理解する必要などない。
自身の才覚を頼りに荒波を一つ乗り越え、そのことに満足してしまった、つまらない村夫子であった。それだけのことと切り捨てる。
「王都民の避難を完了しました」
部下からの報告を受ける。
共和国軍が、王都民を王都外へと退避させる。何故、王国軍ではなく、共和国軍がこのような作業をやらなくてはならないのか、多少の疑問を抱かないこともない。
「彼らの中には、『神のフォルテッツォ』を名乗る異端者集団が紛れ込んでいる可能性があります。彼らは、大元帥の息のかかった者であるとの噂もあります。万全を期し、いっそのこと、全員の思想を検査し、怪しい者は処刑すべきかと」
「それはできない」
敵前でそのような事を行っている暇などないし、何よりも王都民の反発を招くことになる。
そもそも、王都民10万の捕虜を得て、フェルナンは若干の計算の狂いを感じている。
侵攻開始時点では、王都を焦土にし、王都民を全て虐殺してでも、共和国の力を誇示し、王国を服従させるつもりであった。
しかし、王都民を丸ごと手中にし、王都の商業区域すらもほぼ無傷で手に入れてしまった。
そうなると、このまま可及的速やかに戦闘を終え、一時停止していた経済取引を迅速かつスムーズに再開し、王都の良好な経済環境をそのまま引き継ぎたくもなる。
つまり、欲が生まれてしまったのだ。
加えて、奇妙な心持を得ている。
善悪の概念など、外交においては無価値である。そう断じていた。
であるのに、大元帥には悪というレッテルが貼られ、侵略者であるはずの共和国軍には、逆に善行をなす部隊としての役どころが与えられている。決して望んで得た役どころではない。
国対国の対決であったものが、いつの間にか、人々対暗黒大元帥という構図にすり替わっているのだ。
とはいえ、未知のものではない。
この国の中枢はどうしようもなく腐っていた。
大国の終焉とは、大なり小なり、このようなつまらないものなのだ。
島区画と沿岸区画での両軍のにらみ合いが続く中、王国の北方遠征軍が王都付近に到着する。
総指揮をキアラとし、副官に暗黒騎士団長ユルゲンが控える。
王国遠征軍は大運河の北に陣取り、共和国軍は対抗して大運河の南に陣取る。
制海権は完全に共和国にある。
一方で、陸地ではどうか。
共和国軍は、王国遠征軍の帰還に備え、本来であれば、海上の余力を陸地へ回しておくべきであった。
ところが、そのような戦力転換はなされていない。王国遠征軍の進軍速度が想定を上回るものであり、これに間に合わなかったのである。
結果、後手に回ってしまった。
しかし、戦端は開かれない。
キアラはユルゲンに問いかける。
「何故、共和国と戦っているのかしら」
「わからぬ」
「お城から連絡はないの?」
「何もない」
王国遠征軍は情報から完全に隔離されている。勢い、様子見にならざるを得ないのだ。
「どうするのよ?」
「ここに駐留することとしよう」
ユルゲンは独特の嗅覚で、敏感に戦局を悟る。共和国の侵攻をいつでも牽制できる位置に居続ける必要を感じとったのだ。
しかし、共和国は彼女らの静観を許さない。
その日の午後には、捕虜のブリジッタを含む使者団を寄越してきた。
「教えて、お姉様。一体どうして、戦っているの?」
「暗黒大元帥は己の野心のために、国王を人質に取り、城内に立て籠っています」
「え?」
「私達や国民は見捨てられ、フェルナン様に拾われて命を繋いだのです」
「いくらあいつでも、そんなことは……。やるかもしれないわね。馬鹿、馬鹿! ほんと馬鹿! メルクリオの馬鹿!」
やはり、与えられた地位では満足できなかったというのか。暴れ馬のように、またもや、彼はキアラの元を去ろうとしている。
「メルクリオ?」
「だったら、共和国の手を借りるまでもない。私があいつの目を覚まさせてやりましょう!」
キアラは、自らの不安を拭い去るかのように、意気揚々と宣言する。
「私は、国王アルフィオの姉、キアラ! 国家大元帥と話がある!」
小舟の上から、城壁に向かって大声で呼びかける。
沿岸区画には共和国軍、王国遠征軍が入り乱れて立ち並び、行く末を見守っている。
対する島区画の王国軍も、姫が来たことを知り、城壁上からの攻撃の手を止める。
たまたま最前線に出向いていたのか、城壁の上に仮面の男、大元帥が現れる。
「もう、ごめんなさいしよう! 私も謝ってあげるから!」
感極まったキアラは、ずけずけと言葉を投げかける。
「黙れ、小娘ッ! 超越者の前にひれ伏せ! 這いつくばって許しを請え!」
「は?」
放たれた砲弾が近くに着水し、大きな水しぶきを上げる。小舟はゆらゆらと揺れる。
「なら、決闘しなさいッ! あんたが勝てば国王にでもなればいい。でも、私が勝てば、籠城を解くのよ!」
今や、大元帥相手に負けるはずはない。応じさえすれば、好きに料理できる。
そう踏んで提案したのだが、しかし、返事はない。
唐突に、海中から巨大な手が伸びてきて、小舟のへりを捕まえ、そのまま小舟を破壊する。
キアラは海中に投げ出される。
顔を水面に出し、浮かび上がろうとするも、海中に潜む輩に掴まれ、海中へと引きずり込まれてしまう。
橋梁の端に集まっていた王国遠征軍は、キアラを救出すべく、急いで新たな小舟に乗り込む。
そこへ、まるでトビウオのごとく、10数人の人間が海中から飛び跳ねて躍り出る。
いずれも大元帥愛用の仮面を被っている。
「ファッファッファッファッ!」
現れたはいいものの、キアラ救出隊を邪魔することはなく、ただただ笑い続け、不気味な踊りを続けている。
同時に、島区画から出航した籠城側の小舟群が橋梁に近づく。乗組員はいずれも大元帥の仮面を被っている。
その中で、仮面を被らない唯一の人物がいる。
その老人は立ちあがり、赤い本を取り出し、静かに呟く。
「愚者にとって死とは紛れもなき救いである」
赤い本から這いずるようにして現れた幾筋もの半透明の手が、橋梁に次々に触れる。
すると、音もなく橋梁は灰に代わり、橋の上の兵士は海面に落下する。
「暗黒教団が来たァァ!」
「残虐皇インゴだァァ!」
兵士が絶望の叫びを上げる。周囲は恐慌に陥る。
「うっとおしいわねぇえええ!」
救出されたキアラは、後ろに下がることなく最前線へと向かう。人の限界を超えた素早さで、小舟から小舟に飛び移り、次々に仮面の男達に切りかかる。
しかし、仮面の男達は、まるで関節がないかのような、ぬるりとした動きでこれを避ける。そのまま、海中へと逃走する。
全ての仮面男が海中へ逃走した後、海中に潜む巨大な手の持ち主が姿を現す。彼は、2mを軽く超える巨人であり、その頭頂部にはおちょぼ口が付いている。まるで、魚の頭のようだ。
魚男は巨大な手を差し出し、インゴはその上にちょこんと腰掛ける。
そのまま、何をすることもなく、島区画へと悠然と引き返していく。
橋梁を破壊し、攪乱するだけ攪乱して、暗黒教団は去っていったのだ。
「見ろ! 姫様に恐れをなして暗黒教団が逃げていくぞ!」
「姫様が化物を撃退した!」
「先祖返りのその力! 雷をまとうその姿はまさに、雷神の末裔! 雷神の再来!」
「姫様万歳! 姫様万歳! 姫様万歳! 姫様万歳!」
大合唱が始まる。
キアラは内心、釈然としない。
暗黒教団が勝利にこだわることなく退却したこと。そして、暗黒大元帥が、キアラの申し出をにべもなく断ったこと。そういう男ではなかったはずだ。
しかし。
「正義は勝つッ!」
気丈に手を振り、人々の声援に応える。
「人々は、キアラ姫の武勇に熱狂しております」
「弱きものは、とかく何かにしがみ付かねば、心の安定を失う。ならば、たとえ、しがみ付く対象が、単なる幻想であったとしても、その存在には意味があるというもの」
フェルナンは、ナダルの報告を受け、いささかもその面持ちを崩さない。もはや、勝利を確信しており、戦後の統治体制以外の些末な事象には興味がないのだ。
「暗黒大元帥と暗黒教団との結びつきも明らかになりました」
「許されるべきことではないな」
「奇妙な児戯、予定調和を旨とする喜劇。その観覧席に、我々は招き込まれた。どうも、そんな心地がしてなりません」
「たとえ、どのような策を弄しようとも、彼の運命は変わらんさ」
「すっかり、閑散としましたわね」
執務室の清掃に没頭するジーナに対し、ヘルミネは労わる様に声をかける。
「戦争が終われば、また忙しくなります」
その時のために清掃は欠かせない、と言わんばかりだ。
「何もご存じでないのね。閣下に明るい未来など訪れませんの」
政治から離れているジーナでさえ、そんなことは肌で察している。
「……」
「わたくしは、戦場で、閣下に父親を討たれましたの」
唐突に、ヘルミネは身の内をさらけ出す。
「先日まで、そのようなこととは露知らず、わたくしは、閣下に利用され続けておりましたわ。英邁なる閣下におかれては、愚かな小娘を意のままに利用することに、どのようなお気持ちを抱かれていたのでしょう?」
「閣下を憎んでいるのですね?」
ジーナは己の心持と重ねてヘルミネの気持ちを推し量っている。
「閣下のお気持ちを理解するために、わたくし、深く深く考えましたわ。結果、閣下を愛してしまいましたの」
「あそう」
「頼れる人材を次々に失い、次第に、体すらも動かなくなっていく。そんな閣下が限りなく愛おしい」
「気持ち悪いですね」
「正義執行を標榜しながらも、暗黒大元帥に従う。そんな貴女なら理解いただけると思ったのですけれど」
「……」
「それでも、閣下を楽にして差し上げられるのは、貴女だけですの」
ヘルミネは、ジーナに怪しげな薬の入った小袋を手渡す。




