40 暗黒大元帥
共和国の対応は、俺の想定以上に早かった。
俺が、ビルヒリオを倒した翌日には、共和国から質問状が届く。それは、王国内で発生した11の事件により、共和国の最高権威は犯されたとするものであり、各事件の詳細の報告を求めるものである。
その11の事件とは、例えば、王都にて、暗黒教団による黒ミサが開催されたなどといった事実無根のものから、昨日、共和国所属の商船がどこどこで私掠にあったなどといった具体性に富むものまである。
もっとも、ビルヒリオのことは一言も触れられていない。彼は外交官という立場を隠蔽し、王国に忍び込んでいたのであり、そのことは、共和国にとっても脛に傷であるため、公になることを避けたのであろう。
こちらとして、誠実に対応するほかない。そこで、具体的な指摘のある事件については、調査を開始する。
商船への私掠の事実は確認できたものの、襲った側の正体は不明。既に、当事者から関係者に至るまで全て故人となっていた。
一方で、私掠を働いた海賊の本拠地倉庫には、スマイリー商会の出入りがあったとする目撃情報もある。スマイリー商会は共和国とつながっている。ならば、共和国の自作自演の可能性もある。
難癖をつけられた感は拭えないものの、調査結果を迅速にまとめ、回答状が完成した。
しかし、一歩遅かった。
質問状を届けに参上した共和国の使いが、その日、厳重な警戒にもかかわらず、王城内で殺されてしまったのだ。
下手人は王国の衛士である。
彼は、大元帥一門を名乗り、自らを国家求道派と称する意識の高い青年軍人でもある。
その場で逮捕を試みるも、衆人環視の下、自害して果て、これもまたその意図など真実は闇に葬り去られてしまった。
共和国は、こちらの釈明を聞かず、侵攻を開始した。
すなわち、王都の南西に陣取っていた2,000の兵士を自在に展開させ、王都南の城壁に張り付かせる。
この世界に、国を超えた国際組織などあるはずもなく、国際裁判に訴える手段もかなわない。
弁明など意味がない。もはや実力こそ正義なのだ。
こちらも、5,000の兵士を南壁に集中させ、対抗する。
王国軍の、兵数の有利、守備側の有利にもかかわらず、共和国軍は最新式の大砲をふんだんに用い、惜しみない砲弾の雨嵐で圧倒的な突破力をみせる。
南壁の備えが不十分であったこともあり、僅か1日で、その一画は陥落した。
その後、王国軍の猛将ジルベルトの死をも厭わぬ猛撃により、これを奪還。しかしながら、こちらの被害は甚大。僅かな時間のうちに約1,000人の王国兵が負傷した事実は、王国を震撼せしめた。以降、一進一退の攻防が続く。
俺は、大要塞駐留軍に対し、王都への帰還を命じるべく急使を発する。しかしながら、帰還には相当の時間を要することだろう。
「今回の敵は、共和国のフェルナンですなッ! 王国の『黒衣の宰相』と共和国の『無敗の魔将』。二人の知略が、今、国の覇権をかけてぶつかるッ! 吾輩は、とんでもない歴史の分岐点に立ち会ってしまっているのかもしれないのであるッ!」
メルクリオ26世は完全に傍観者になり果てている。
「しかし、相手の動きは拙速。こちらに歩があるのは明白なのだ」
26世に軍略などわかろうはずもないのに、思わず胸の内をさらけ出す。
漠然とした不安が、思わず口を滑らせたのだ。
敵の指揮官は、剣奴から数多の戦を制し、執政官にまで成り上がったフェルナンだ。大小含めて、南の大陸で100戦余りを経て、不敗。全ての戦いの経緯を分析したが、いずれも、個人の武勇だけではなく、精緻にして大胆な戦術、戦略で彩られている。
加えて、彼は、政略やからめ手を含め、武器となるものを全て揃え、惜しみなく、しかもうまく咬み合わせて仕掛けてくる。その手腕はまさに万能の天才というほかない。残念ながら、倫理観に拘束されている俺などよりも一枚も二枚も上手だ。
なのに、今回は、拙速な戦いを仕掛け、俺はこうして後手に回っている。
共和国が王国に展開している兵数は少なく、彼らは本来、十分な兵数が揃うまで決着を引き伸ばすべきなのだ。
確かに、少ない兵数で、善戦しているといってもいい。
しかし、不敗という大層な呼び名のわりには、精彩のない戦いを仕掛けていると言わざるを得ない。
何を考えているのだろうか。このまま、相手の仕掛けに応じて、南壁での攻防を続けていてよいのだろうか。
「なら、一気にやってしまいましょうぞッ! 不肖ながら、吾輩も力添えしますぞ!」
俺の疑問は最悪な形で解消される。
「共和国の、無敵艦隊500隻が、コルドバを出港し、王都まで3日行程の付近まで接近しているとのこと」
共和国の艦船には、1隻あたり50人以上を乗せることが出来るという。単純計算でも2万5千人以上の戦力を連れてくるということだ。
決して、奇策などではない。
しかし、王国は、長らく陸続きの帝国と陸上のしのぎを削りあってきたせいで、海上に対する警戒心が薄い。
そのせいで、今まで無敵艦隊が哨戒にかからなかった。加えて、海上移動の異常なスピードは、完全に俺の想定外。致命的なまでの接近を許してしまう。
もっとも、哨戒にかかったとて、何ら手段を講ずることはできない。
想定敵国を共和国に据えて以降、こつこつと軍船を貯めては来たが、スマイリー商会に邪魔だてされて、その数は未だ10にも届かない。つまり、王国には、無敵艦隊を迎撃するための十分な軍船などなく、今から準備することも出来ないのだ。
これは、実質的に詰みの状態なのではないか。
いやいや。
諦めるのはまだ早い。
「波止場を封鎖せよ!」
まずは、接岸を防がなくてはならない。
王都の島区画には巨大な波止場がある。その入口に鉄鎖を通し、艦船の出入りを不可能とする。
これとは別にもうひとつ、沿岸区画の北側、大運河沿いに波止場がある。こちらは、大運河の河口付近に幾重にも鉄鎖を通せば、利用不可能となる。併せて、両岸に鉄鎖守護のための兵力を配置する。
接岸不可能となれば、共和国は、海上から島区画へダイレクトに攻撃を掛けてくるだろう。
これに対応するため、沿岸区画の南壁に配置している王国軍5,000のうち、3,000を島区画に戻す。
島区画は波止場を除き、周囲を城壁に囲まれており、何なら、沿岸区画を見捨てて島区画に籠ってしまえば、鉄壁の防御を得ることができる。
とはいえ、俺が育ててきた大都市は沿岸区画にある。勢い、俺の心情として簡単に沿岸区画を切り捨てるわけにはいかない。
俺の警護を務めるブリジッタを呼び寄せる。
「敵軍と同数で、フェルナンに抗し、沿岸区画を守れと命じる。お前に出来るか?」
「その任、承った」
即答が返ってくる。
おそらく、その任は決死の覚悟を強いるものだろう。
「すまぬな。枢密顧問官の一人であったお前にしか、頼める者がいないのだ」
「一つ、教えて欲しい」
「なんだ?」
「貴方の、そのひたむきな努力は、誰に捧げるものなのだろうか?」
「国家。そう、国家である!」
「その言葉、忘れるな」
ブリジッタは、すぐに沿岸区画へと向かう。
アキレが行方不明の今、俺の手元に残る駒のうち、彼女以外に頼りになる者はいないのだ。
まったく、奴はどこで油を売っているのだ……。
戦線は激化する。
共和国の強大な援軍が間近に迫る一方、こちらは、遥か北方の大要塞守備軍に援軍を依頼したものの、その到着には1ヵ月程度はかかることだろう。
そんな状況を悲観し、共和国に内通する裏切り者が現れ、裏切り者による扇動も活発化し、結果として、王都に駐留する軍からの落伍者が続く。
戦況は悪化の一途をたどる。
「ただいま、戻りました」
共和国への対応策で忙殺されている中、大要塞の守護を務めているはずのアンリがのこのこと一人で戻ってきた。
妙に、呆けた顔をしている。
「何故、ここにいる?」
「恐れながら、閣下の命で、大要塞守護の任を解かれたと聞きましたが?」
そんな命令を出した覚えはない。
「何を企んでいる?」
「マッテオ・コルビジェリ卿からそのように伺いました」
「奴には、何の権限もなかろうが。指揮系統に乱れが生じているようだな」
ファウストもいたのに、何ということだ。それとも、全てを任せっきりにしていたのが悪かったのだろうか。
しかし、これは渡りに船。一人の優秀な指揮官を手に入れることとなった。
その時、衛士が駆け込んでくる。
「報告します。北方に展開していた暗黒騎士団が王都に向かって進軍しているとのこと。既に、王都まで7日の行程まで迫っているとのこと」
「まさか、我々を裏切ったというのか? 一体、大要塞に詰めている王国軍はどうしたのだ? 奴らはカカシか?」
「ファウスト様の言によれば、共和国軍に対応するための派兵であるとのこと。なお、キアラ様が出奔し、暗黒騎士団に続いたため、ファウスト様もやむなく王国軍1,000を率いてこれに加わったとのこと。計3,000の軍勢であります」
「援軍か!」
俺は、どっかりと椅子に腰掛ける。
何故、こんなにも早く援軍を派遣できたのかはわからない。それでも、これは大きい。有効に活用しなければならない。
しかし、広い王都全体を守護するには足りない。無論、ファウストの事だ。後発部隊も編成させているはずだ。
「他には? 大要塞からの後発部隊は、如何ほどだ?」
大要塞駐留軍がすぐに王都に到着せずとも、彼らが大要塞を出発し、遊撃となるだけでも、共和国にとっては大いなる脅威となるのだ。
「本隊は動いておりません」
「あ?」
「マッテオ様の言によれば、言いつけどおり、大要塞の守護を精一杯やっております、とのこと」
その回答は激しくずれている。絶望的に状況を理解していない。後背の安全などといっている局面ではないだろうに、面倒事に巻き込まれたくないとでもいうのか。
「再度、帰還の指示を言い渡せ」
「アンリよ。お前が大元帥ならば、この窮地、どうやり過ごす?」
「沿岸区画での市街戦で敵軍を削り、暗黒騎士団などと合流後、島区画で籠城戦に入ります」
「籠城を解ける見込みがない中、籠城をするとなると、多くの落伍者を生むことになるが、それは自殺行為と思わんか?」
「共和国軍にとっても、遠国での継戦能力には限界があります。それに、大要塞駐留軍が王都に戻れば、共和国に勝つことも可能です。それまでの辛抱です」
それ以外に手段はない。
防戦しにくい沿岸区画を破棄することとなる。
沿岸区画は市街戦の主戦場となり、大きなダメージを食う。これまで、こつこつと育ててきた王都が、更地に戻ることも覚悟しなければならない。
しかも、帝国との戦いが終わったのち、短期間で膨れ上がった沿岸区画の住人は、未だその多くが避難を完了しておらず、その見込みもない。このままでは、彼らの生命や財産は戦争により脅かされることとなる。
アンリは、正義の味方を標榜してはいるものの、その実、恐ろしいほどに合理的であり非情でもある。
一方で、民衆が、民衆の生活が、この大事な局面で、俺の正常な判断を奪おうとしているのだ。
有象無象の癖に、忌々しい。
ふと、懐かしくノルド村の領民を思い起こす。
俺の姿を見て泣き喚いていた少女。
ジーナに対してのみ尊敬の念を示した青年達。
戦士たる誇りを胸に、俺を軽んじたラケデモンの少年。
いずれも、愚かで無礼な奴らであった。
しかし、彼らは俺を恐れていたが、俺の政策に従い、最後は俺に寄り添ってくれた。
結局、彼らの力がなくては、俺の政策が実を結ぶことはなかった。
彼らの力こそ、この国の原動力なのではないか。
国を守るというのは、彼らを守り、彼らに立ちあがってもらうことで果たされるのではないのか。
だが、彼ら有象無象が、立ちあがることなどあるのだろうか。
それは、甘い世界で育ったひ弱な現代人が夢想する、単なる願望でしかないのではないか。
それでも、望むものが彼らの幸福なのであれば、最初から、取るべき方法は一つ。彼らの蜂起に期待するしかない。
ならば、もはや、あるかもわからない天運や遥か未来の援軍を待ち呆けている猶予はもちろん、つまらない保身に迷っている猶予などなおさらあろうはずもない。
ビルヒリオとの決闘後、悩み抜いた果てに靄の中に抽象化されてしまった未来は、突風により晴れ上がっていく。
アンリを前にして、小さな火種を見出し、代償を払う覚悟を得た結果だ。
しばらく後、俺は口を開く。
「お前は英雄だ。しかし、だからこそ、私の地位を脅かす存在。なればこそ、牢で頭を冷やすがいい」
「最後の勇者であるアンリ様を収監し、スマイリー商会の財産を接収した! それも、自身で取り決めたルールを無視した、独断による行動! それは、国王の意思を蔑ろにするものです」
財務卿がうるさく噛みついてくる。
「毎度毎度、君の意見には深く感謝している」
「え?」
不意をつかれて、財務卿はたじろぐ。
「褒美をとらせる」
その場で差し出した小さな木箱を手に取り、財務卿はいそいそと中身を改める。
しかし、その中には、何も入っていない。
「そういうご判断ですか……」
明らかに悄然としている。
「君を沿岸区画の総指揮に任命する。すぐに出立せよ」
軍を率いた経験などない財務卿は、ただただ木箱と俺の顔とを交互に見比べ続ける。
王国軍は、俺の指示により、島区画に避難していた非戦闘員のおおよそを沿岸区画へ追い出す。
いざ、籠城戦となると、邪魔にしかならないからだ。もっとも、わけもわからず激戦区へ追い出された住民達の怨嗟の声は止まらない。
しばらくすると、無敵艦隊が沖合に現れ、秩序だった動きで海上に広く展開。
王城は、あらゆる角度から、海上からの一斉砲撃を食らう。
城壁は古くからあるものであり、火砲による攻撃を想定した作りではない。それでも頑丈に出来ており、一朝一夕に崩れはしない。
逆に、こちらからは狙いを一点に定め、城壁上から大砲を放つ。併せて、海上を伝って広がる火炎放射器を使い、偶然にも一隻を大破させることに成功。
これを受けて、無敵艦隊は十分な戦力を維持したまま、しばし距離を取る。
共和国軍は作戦を変更し、王都の北方に30隻の小型船を陸揚げし、木の丸太を用いて、大運河までこれを移動させる。小型船は大運河に入り込むことに成功し、大運河に設けられた波止場は、小型船に積載された大砲の圧倒的な火力の前に瞬時に陥落。
共和国軍は、いとも容易く王都の沿岸区画へ侵入する。
対して、王国軍は、援軍の到着を待たずして、島区画と沿岸区画をつなぐ橋梁を再び切り落とし、沿岸区画を見捨てて籠城体制をとる。
沿岸区画の総指揮である財務卿は、もともと俺に対して不信感を募らせていたところ、俺から見捨てられたことに絶望する。
やむなく、財務卿は、勇将ブリジッタを騙し、王国軍2,000とともに、住民10万人の安全保障を条件に、共和国への降伏を申し出た。
結局、市街地で戦端が開かれることはなく、3千対3万弱の籠城戦が開始されたのである。
「デシカ様の下に、貴族達が集いつつあるようですわね」
ヘルミネが机に寄りかかって、話しかけてくる。
強硬に戦争継続を主張する俺に対して、多くの貴族が手の平を返したかのように、距離を取り始めている。
「貴様もそろそろ仕える相手を考え直すべきではないか?」
「何を仰いますの? 貴方のことを完璧に理解できるのは、わたくしだけ。あの人達には貴方の心の奥底を理解できませんの」
「どれほどの良からぬ思想を貯めこんでいるのかはわからぬが、賢くない生き方をするものだ」
「ええ。あの人達は馬鹿で、愚図で、貴方を駄目にしてしまいますの。ですから、存在ごと消さなくてはいけませんわ。暗黒教団に求めれば、たちどころに綺麗にして差し上げられますのに」
自分が賢くないと指摘されているとは夢にも思っていない。俺の価値観と相容れないことは明らかである。
俺は立ち上がり、マントを派手に翻す。
「早まるな、小娘よ。我を主役とする、最後にして最高の幕は今開かれようとしている。それは、貴様の期待する邪悪そのものを体現するからして、貴様は今一度、我が忠実なる観客として、一席に座して注視しておくがいいぞ! アッハッハッハ! ハッハッハ! ハッハッハッハ!」




