39 舞い踊る一葉
「先日、キアラ姫が『神のフォルテッツォ』を名乗る秘密結社に襲われた」
執務室にて。
俺とビルヒリオ、そして俺の給仕役としてエリオが壁際に控えている。
室内は10m四方程度の空間であるにもかかわらず、ロウソク数本を灯しているだけ。
絶妙な暗がりとなっている。
「不敬な事です」
ビルヒリオは驚いた様子で返してくる。
「彼らについて調べてみた。彼らは、アニミズムなどの土俗信仰に端を発し、精神的な充足を至上とする純然たる宗教的秘密結社だそうだ」
「政治的偏向を持たない者ほど扱いにくいものはありませんね」
「未開の地である神聖帝国ならばいざ知らず。王国にそのような危険な結社が存在するというのは心休まらぬ事だ。実は、私も、先日、同じ名前の秘密結社に襲われてな」
「物騒ですな」
「彼らは火薬を使って、姫に攻撃を仕掛けたと聞く」
「それは、アニミズムなどというイメージとは程遠い、何か、科学的なものを感じさせますね」
「そのとおりだ。むしろ、何か別の思想を持つ者が、フォルテッツォの名を騙っているように思えてならない」
「一体、どういった輩が、何の目的で動いているのでしょうな」
「火薬の出所は絞られる。国内ならば、我が領内の鉱山街。もっとも、火薬の流通経路には厳格な制限をかけており、一般人が入手するのは不可能に近い。ならば……」
ビルヒリオは何のためらいもなく、俺の言葉を接いで、大胆に言い放つ。
「火薬となると、南の大陸で大量に精製されております。となると、むしろ、彼らは国外に縁のある集団なのかもしれませんね」
「……。なるほど、そうか」
「デルモナコ殿やフッチ殿を襲ったのも、同じ組織ではないでしょうか」
「……わからぬ。もっとも、彼らの暗躍の結果、私は権勢の拡大を得た。本来は、喜ぶべきであろうが、そのせいで、痛くもない腹を探られて困っておる」
「しかし、閣下ご自身も襲われたとあれば、閣下の無罪はもはや証明されたようなもの」
「君のように物わかりのよい者ばかりであればよいのだが、そうでもないのだ」
「閣下を疑う、物わかりの悪い者とは、一体どなたのことでしょうか?」
ビルヒリオと今後の治安維持の打ち合わせを行う。
そういう茶番は、もはや十二分に為ったといえる。
これで、深夜に俺がビルヒリオと密会することについて、エリオが不信に思うことはないだろうし、むしろ、いざという時には俺に有利となる証人になってくれることだろう。
役目を終えたエリオを退室させる。
俺は仮面を外す。
「まぁ、座ってくれ。前々から、お前とは、水入らずで話したいと思っていた。偶然にも、高級ブドウ酒が手元にある。まずは、一献かわそうではないか」
俺の顔を直視したビルヒリオは、しかし、何ら驚くことはない。そのまま対面に座る。
「閣下とお呼びしましょうか、それとも」
「互いに互いの本性を理解したところで、ビルヒリオとメルクリオの忌憚なき意見交換と行こうではないか」
注ぎ終わった盃を掲げる。
「再会を祝して!」
「夢の続きを!」
盃を傾ける。
「よく、俺の正体を突き止めたな。誰にもばれていないと思ったのだが」
「そりゃあないぜ。ロビン君の見送りの席で、盛大に失言したくせに」
「失言?」
「アウグスタは、ブリジッタのことを妹のように思っていた、だっけか」
「そんな些細な発言でか?」
「カタリナはもちろん、ロビンも気付いていた。ただ、あえて黙っていた」
「敏い奴らだ。言ってくれればよかったのに」
「お前が自分で言うのを待っていたんだよ」
「そうか。それならば、俺の責任だ」
「しかし、俺だけが真実を知らされたというのは、光栄なことだと思っている」
ビルヒリオは遠くを見るような目をしている。少し、懐古話をしたい。
「一つ、聞きたいのだが」
「どうした?」
「先日、ロビンもカタリナも偽物の英雄だと言っていたが」
「笑える話だ。英雄アウグスタの添え物として、宰相が用意したわけだな」
そのアウグスタも偽物ではあった。
「七英雄を名乗る前から、互いに顔見知りだったのか?」
「違う。それぞれが別の機会に雇われて、しかも互いの素性は知らされずじまいだ。俺以外の6人が本物なら、俺も本物と肩を並べるような活躍を、だなんて張り切っちゃってさ。宰相は、互いに牽制させるつもりだったんだろう」
「うまく、それに乗せられたというわけか。ハッハッハ!」
「ハッハッハ! ちげぇねぇ」
「彼らが偽物だと気付いたときは驚いただろう?」
「そんなことはないさ。お前ら上位3人と俺達下位の4人とは、根本的に何かが違うんだって、俺達はそう薄々勘付いていた」
「大して変わらんさ」
「カタリナの奴は、食堂からありったけのパンをかっぱらって、部屋で食いまくるような、どうしようもない奴だったからな。兵士達からも馬鹿にされる始末だ」
「それは酷い話だな、ハッハッハ!」
「ハッハッハ! それに比べて、お前は大都市構想がどうとか次元の違う話を始めるし、アウグスタはアウグスタで恐ろしく強いし」
「俺の事は疑わないのか?」
「メルクリオが二人に分裂したときは、はたして、とも思ったさ。でもまぁ、仲のいい方を推すのは自然だろう」
「はたして、俺は、本物なのか、偽物なのか」
「どちらであっても構わない。ただ……」
ビルヒリオは傾けた盃を卓に置き、続ける。
「お前の器は大きい。人の下に収まっているような人間ではない」
「買いかぶりすぎだ」
「何食わぬ顔をして子爵に収まり、富国強兵を成し遂げた。公爵となっては、帝国との戦いに実質的な終止符を打った」
「お前達の協力があったからこそ」
「ウルバノを知っているだろう?」
「うん?」
「ウルバノは七英雄に反逆した魔導士であり、古今を通して最強格の呼び声が高い。対するお前も最強。その最強と最強がぶつかって、お前が生き残った。どうやったのかは知らないが、お前は間違いなく持っている。人々を熱狂させる超越者たる資格を!」
ビルヒリオは全く表情を変えることなく続ける。
「奥の間で就寝していることは知っている。俺が代わりに殺してやる」
「……」
「お前はただ頷くだけで、後は何もしなくていい」
「そうやって、お前がデルモナコやフッチを殺したのだな? キアラを襲わせたのだな?」
「確認するまでもないだろう。忖度して行動した。察するべき事柄だ」
「カタリナもか?」
「俺としたことが、あいつには暗殺現場を見られてしまったからな」
「彼女を殺した時、どんな気持ちだった?」
「蚊を殺す覚悟などたかが知れている」
「……」
「それを聞くことに何の意味がある?」
「それで、共和国の外交官であるお前が、国王を殺したとなると、国交断絶は必至だ。それでもいいと思っているのか?」
「そもそも俺が外交官である事実は周知されていない。お前さえ公言しなければ問題ない」
「直後に、俺が国王になれば、国民から疑われるのは俺だろう」
「心配するな。お前も一度刺客に狙われたことになっている。疑われはしないさ。それでも心配ならば、例の秘密結社か帝国軍の残党が犯人だとでも吹聴すればいいじゃないか」
「しかし、国王は長くはもたない。今すぐに、でなくとも」
「殺すことに意味がある」
「穏やかではないな」
「その見せかけだけの言葉はやめろ。何かを代償にしなければ何をも得ることはない。俺を、失望させないでくれ。お前の本性を見せてくれ!」
「……」
「俺は、お前こそ俺の忠義を捧げるに相応しい相手だとすら思っている。俺達で天下を取りに行こうぜ」
ビルヒリオは、食らいつくような目つきで俺を睨んでいる。
「面白い、子細理解した」
俺の言葉を聞き、ビルヒリオは身軽に立ちあがる。その左手は曲刀の鞘を掴んでいる。
と同時に俺も立ちあがる。俺もグラディウスの鞘を掴んでいる。
「ただし、お前の力は借りない。俺は俺自身の手でもって運命を切り開く。覚悟を示すとしよう」
「いいんだな?」
「ああ」
俺は、ビルヒリオに背を向ける。杖を突きながら、執務室の扉に向かう。
一方のビルヒリオも俺に背を向け、窓際に戻っていく。
一歩、二歩、三歩。互いの距離は開く。
ロウソクの炎が揺らめく。
ビルヒリオは振り返り、緑の曲刀を引き抜く。
同時に、俺はエクスクルジオを引き抜き、振り返る。
ビルヒリオは言葉を寄越す。
「同じ未来を歩めるものだと思っていた……、輝かしい未来を。実に残念だ」
「悪く思うな」
「野望を捨て、忠義というつまらないお題目の下に死ぬというのか?」
「俺は誰の指図も受けん。ただ己の意思を貫くのみ」
「最初からフェルナンを欺き、共和国を騙すつもりだったということか。あのフェルナンを相手に、そんな大胆なことをやってのけたのはお前が初めてだ」
「恐れ入ったのであれば、逃げることを許可するぞ」
「冗談じゃない。そんなお前と戦えるんだ。これを逃す手はないだろう」
俺は、杖を手放す。室内は暗く、視覚に頼る必要のない俺の方に遥かな歩がある。
ビルヒリオは続ける。
「お前とこうして対峙するのは、初めてではない」
「どういうことだ?」
「お前が召喚された森の廃神殿で、お前を襲ったのは俺だ」
「何故?」
「あれも、王弟を殺せとの命令だった。あの時、お前と王弟を見逃したつけがこうして回ってきたというわけだ。ならば、今こそ、きっちりと失敗の後始末をしなくてはならない」
言うや否や、流れるような動きで曲刀を薙ぎ、さらに薙いで来る。
俺は、バックステップでこれを避け、走り回って柱の陰に隠れる。
指輪の力を使っているはずなのに、体が思うように動かない。
真っ向勝負では歯が立たない。
「舐めているのか?」
ビルヒリオが近づいてくる。
俺は、その動きを察知し、足下にあらかじめ用意していた横糸を踏みつける。
すると、ビルヒリオの後方斜め上。
書棚の間に隠しておいたクロスボウから矢が発射される。
ビルヒリオは死角からの攻撃に振り向くこともせず、ただ軽くこれを両断する。
続いて2発目。3発目。一斉掃射。
仕掛けから放たれた無数の矢は、曲芸のような曲刀の舞の前に、全てはたき落とされる。
ならば。
俺は、柱から身を乗り出し、導火線に火を付けた榴弾を投げつける。
ビルヒリオは、慌てることなく、榴弾の導火線を切り裂く。
榴弾は着火することなく、ころころと去っていく。残念ながら、衝撃で勝手に破裂してくれるような高度な構造にはなっていない。
まさか、これほどまでに強兵だとは思わなかった。
完全に、俺の読み違いだ。
だが、まだだ。
手元の榴弾に着火する。
その直前。
尋常でない速度で接近したビルヒリオの蹴りが、俺の腹を直撃する。
痛い。
しかし、ここで崩れたら、確実に曲刀の餌食になる。
痛みを堪えて、指輪の力でもって、不自然な体勢で踏ん張る。
さらに、剣を構える。
そこへ、大砲のような蹴りが炸裂する。
俺は、堪らずその場に崩れ落ちる。
「ヒェッハー!」
うッ。
「雑魚がッ!」
ぐッ。
ビルヒリオは何度も何度も俺の腹を蹴り飛ばす。曲刀ならば俺の首を掻き切ることも容易だろうに、執拗に蹴って来る。
しばらくして攻撃は止み、俺はよろよろと立ちあがる。
「俺は、こんな雑魚に幻想を抱いていたというのか?」
ビルヒリオは自然体で対峙している。まるで、俺の命などいつでも刈り取れると言わんばかりだ。
くそう。
俺が最盛期の力を取り戻しさえすれば。
一瞬間の雑念が、命取りになる。
「う……。ぐはぁあ」
既にして、俺の腹には曲刀が差し込まれている。
「俺の勝ちだ。つまらん一勝ではあるが、まぁ、俺自身の甘さと共に、ここで死んでくれ」
ビルヒリオは、無表情で俺の顔を観察し、しばらくして、俺の体から曲刀を引き抜く。
体から力が抜けていく。そのまま、そろそろとその場に伏す。
「お前の死を、俺が直接看取ってやろう」
どんどんと体は冷えていく。
これが死、か。
今まで、何度も死の瀬戸際から復活してきた。
死に直面した時、俺は、いつだって、何らかの諦念を抱いていた。なのに、今回は焦燥感だけが俺の心を支配している。
俺が死ねば、アルは殺される。
その事実は、俺が諦念感に逃げることを許さない。
フェルナンから取引を持ち掛けられた時、俺は何故、アルを守ると決めた?
いや。
アルを守る理屈など、もはやどうでもいい。
それは、ただ俺の正義に反する。あってはならないものはあってはならないのだ!
ならば、どうする?
あらかじめ用意していた罠も今や全て発動し、全く効果がなかった。もはや、俺に体力は残されていない。
それでも。
それでも、諦められない。
エクスクルジオ、黒い指輪、抜山蓋世、今までの経験の蓄積。
何でもいい。俺に力を、最期に目の前の強敵を降す力を、与えてくれ!
俺の手足は、途端に肥大化し、衣服を破り、その鳥類のような正体をあらわす。
危険を察知したビルヒリオが一刀を下すその一瞬前。
俺は全力で飛び上がり、足の平で天井につかまる。そのまま、上半身で円弧を描き、ビルヒリオの顔面を切り裂く。
周囲が朱に染まる。
浅い。
俺は、天井を蹴り、地面にしゃがみ、さらに、怯んだビルヒリオに襲い掛かる。
曲刀と黒剣はついに交差する。
全ての障害物を無視して、黒剣を引き抜く。ビルヒリオを弾き飛ばして、さらに勢いあまって、柱を破壊する。
一方の俺も、いつの間にか、肩口を切られている。
俺は、榴弾に点火し、前方に投げる。
「俺がお前を倒す!」
ビルヒリオは着地と同時に襲い掛かってくる。いささかも挫けてはいない。曲刀は、鮮やかに妖艶に輝き、時が止まったかのように、ゆっくりと円を描く。
左上から一刀。右下に一刀、さらに左横から一刀。俺の反応速度を超えた必殺の3連撃に対し、すべてをいなしきることはできず、俺は脛を削り取られる。
再び互いの剣が交差する。俺の化け物じみた力に対して、一歩も譲らない。
しかし、呆気なく勝負は幕を閉じることとなる。
轟音と共に着火した榴弾は破裂し、内側から放出された無数の陶器が、俺とビルヒリオに大小無数の裂傷を与える。
当たり所が悪かったのか、ビルヒリオは力を弱める。一方の俺は、体の少なくない部分が厚い皮に覆われており、比較的軽傷。
そのまま押しきり、ビルヒリオがガードを弱めた瞬間を狙い、最速の攻撃で脇腹を切り裂く。
「勝負あったな」
俺は、黒剣を鞘に納める。
その様子からして、もはや、ビルヒリオに反撃の体力は残されていない。
「情けをかけるというのか?」
「お前の事は仲間だと思っている」
「馬鹿め。だから、お前は、自分の野心を見失う」
「何も言わずに去れ」
意外にも、ビルヒリオは素直に、窓の側へゆっくりと不自由な足取りで歩み寄る。
しかし、俺を振り返る。
「ったく。損な役回りだ」
ビルヒリオは曲刀を振り上げる。
「何のつもりだ?」
「俺が戻らなければ、フェルナンは軍を動かすことだろう。お前達はどの道、終わりだ」
言うや否や、ビルヒリオは曲刀でもって己の胸を貫く。
バランスを崩して、窓に寄りかかり、そのまま窓を割って、城の外へと落下していく。
急いで窓辺に駆け寄り、下を覗くが、ビルヒリオの姿は視認できない。
不意に気怠さが俺を襲う。立ってすらいられない。その場に崩れ落ちる。
それでも、頭の中は明瞭である。
また、一人を失った。
「ハッハッハ……」
しかも、丸く収めることは出来なかった。
隠密の外交官とはいえ、外交官を殺めてしまった。これは、共和国に対する宣戦布告を意味する。
共和国が王都近くに駐留させている兵数は、およそ2,000。一方の王国軍は5,000ほどを王都に駐留させている。先制すれば、打ち破ることはできるだろう。しかし、その後の報復はいかほどか。
共和国軍は総数10万の兵を抱え、その武装は全て新式の火器に、徹底して訓練された砲兵、歩兵、騎兵を取り揃えているという。
真っ向勝負で勝てる相手ではない。
戦争の先には、ただただ、暗い未来が待ち構えている。
本当に、この事態を解決するために、戦争以外の手段はないのだろうか。
「何かを代償にしなければ何をも得ることはない……か」




