38 解き放たれた野獣
キアラは大要塞に向かい、海辺の雪原を馬車で北上する。
偶然、南下してきた罪人は、すれ違った瀟洒な馬車を注視し、何事かと見送る。
「いや、僕には、もう関係のない事か……」
アンリはそのまま南下を続ける。
数日の行程の後、キアラとそのイレブンナイツオブラウンドは、大要塞の近くに達する。
海辺はキラキラと斜陽に照らされ、黄金に染まる。
「達者……か」
馬車の中で、相棒のレイピアを強く握る。妙に大元帥の最後の言葉が気にかかる。
ところで、日が完全に沈むまでに、大要塞にたどり着けるだろうか。
ひょおん!
妙な風切り音が聞こえ、馬車は歩みを止める。
爆音とともに、衝撃を受け、ゆっくりと幌は回転し、その場に横倒しとなる。
急いで、幌から飛び出たキアラを待ち受けていたのは、黒い衣服をまとった襲撃者。
「我々は、精神の研磨を目指す秘密結社『神のフォルテッツォ』」
「何が目的なのかしら」
「貴女はキアラ姫ですね。我々は、物質的な虚栄をもたらすこの王国に反省を促し、その罪に裁きを下すためにあります」
言うや否や、長大な腕を伸ばし、襲撃者は一撃必殺の突きを放つ。しかし、そのナイフの剣先は何者をもとらえることはない。
キアラは、襲撃者の必殺の踏み込みを超える速さでバックステップし、これを避難したのだ。
既に、周囲では、イレブンナイツと襲撃者とが交戦している。襲撃者は相当な手練れであり、加えて、要人の必殺を企図していたのか、20人を超える大人数でもある。さすがのイレブンナイツも、1対2を強いられ、思うように戦闘を展開することはできず、徐々にキアラから引き離されていく。
狙いすましたかのように、キアラを囲う3人の襲撃者。いずれも、短刀を片手に、肉体の限界にまで達した攻撃速度を誇る。
「それは、まともな人間の回答じゃないわ。聞いた私が馬鹿だったようね」
臆することなく、馬車から短槍を取り出し、3人と対峙する。キアラは間合いの有利を選んだのだ。
キアラは短槍を振り回し、積極的に攻撃を仕掛けるが、襲撃者は連携の取れた動きで、これを避け、またはいなす。
一瞬の油断。
死角から懐に飛び込んだ襲撃者が、相討ち覚悟でナイフを振り抜く。キアラは、器用に体をひねり、相手の一撃を避け、同時に鋭い突きを放つ。
襲撃者は突きをまともに食らい、その場に沈む。
「うっ」
しかし、キアラも二の腕を押さえ、一瞬、動きを止める。かすり傷を負った。しかも、相手のナイフには麻痺を催す毒が塗りこまれていたのだ。
襲撃者は、徐々に動きを鈍らせていくキアラに対し、あえて畳みこまずに、とっくりと観察を続ける。
イレブンナイツも既に2名が凶刃に倒れた。徐々に戦況は悪化していく。
「これ以上の抵抗は無駄ですね。貴女一人が命を差し出すならば、貴女の部下の命は見逃してあげましょう」
襲撃者は手の平をひらひらとさせて、降伏を勧告してくる。
キアラは、あっさりと短槍を捨てる。
運命とは残酷なものである。言わずもがな、全ての人間に、主人公としての活躍の場を用意するなどといったことは決してない。
彼女もまた、王国にあって、己の存在意義を見出そうと、もがき苦しんできた。しかし、こうして何かをなすことなく、ただただ、ひっそりと冬枯れの野で退場することとなるのだ。
ところが。
「先に謝っておくわ。私、感情が昂ると自分を制御できなくなるの。悪いけれど、あんた達、無事に帰れるとは思わないでね」
その瞳は爛々と赤く燃え、全身からは放電を発している。ゆっくりとレイピアを引き抜く。
「アッハッハッハ!」
しかし、その姿も、既に一瞬前の残像に過ぎない。
戦場には閃光が走り、笑い声に交じって轟音が響く。
「まずは、一つ!」
狂戦士の攻撃の前に、襲撃者はもはや、自身の身を守ることしか許されない。
彼女はそもそも諦めの悪い女なのだ。
「ご無事でしたか?」
大要塞にて、無事ファウストと合流する。
「なんともないわ」
しかし、キアラの全身からは、ぷすぷすと煙が立ち上っている。衣服はぼろぼろだ。
「一大事に駆けつけることもできず、申し訳ありませんでした」
「仕方ないわよ。私が大要塞に向かうことは、事前に連絡を受けていなかったのでしょう?」
「何故、こちらに?」
「国王の命令よ。アンリ子爵と共に大要塞の守りを固めろ、とね」
「アンリ子爵は更迭され、王都に向かいましたが?」
「え? なんで?」
「大元帥を悪しざまに言ったために、罪に問われたと聞いております」
「そんなことってある?」
「それよりも、姫をこちらに派遣する意図がわかりません」
「いらない人材はすぐに掃いて捨てる。そういう人なのよ、あいつは」
「大元帥は、姫の事を大切に思っています。それをあえて。何かがおかしい」
「そんなことはないわ。だって……」
「王都で、何かが起こっているとしか思えません。共和国が仕掛けてきたのだろうか。何か、ご存じないですか?」
「別にィ。至って平和よ」
ファウストは武人らしく、即結即断する。
「兄上らしくありませんね。我々は北方討伐軍です。任を捨てて、王国に戻るなどというのは、敵前逃亡以外の何物でもない」
すっかり大元帥の代弁者としての地位を確立したマッテオ。
彼はにべもなく、ファウストを詰る。ファウストといえども、今やマッテオの許可を得なくては、軍を動かすことすら難しい。
もっとも、今回ばかりは、マッテオに歩がある。常識的な事を言っているのだ。
「全軍引き返すというのではない。大要塞には最低限の部隊を残す」
ファウストは反論に窮している。その判断は、論理に基づくものではなく、武人の勘によるものだからだ。そして、それは常軌を逸した判断である。凡人に理解できるものではない。
「いけませんねぇ。下手をすると、謀反の意ありともとらえられかねませんよ」
「王都が陥落してからでは何もかも遅い」
王都周辺に展開する共和国軍は僅かであるが、とびっきりの精鋭ぞろいであり、かつ、その指揮官は、神算鬼謀のフェルナンである。だからこそ、持てる力全てで挑まなければならない。
「今、キアラ姫は大要塞にいます。だったら、この難攻不落の大要塞でキアラ姫を守ることこそ、俺達の使命でしょう? それに、この要塞さえあれば、万が一のことがあろうとも、王国は安泰です」
その言葉にはまったく誠実さはない。
マッテオは自分にとって大変居心地のいい現状を維持するため、口から出まかせを言っているにすぎない。
しかし、その言葉は忠義者であろうとするファウストを強く打つ。
「……」
国王を助けに行きたいが、しかし、姫の無事も確保しなければならない。両者の間で板挟みとなり、目標は不透明となる。生粋の武人の思考は、忠義を前にして致命的に鈍り、濁った判断は小さなミスを生む。
「仕方ないなぁ。暗黒騎士団。あいつらは暇ですし、あいつらでも送り込めばいいでしょう」
暗黒騎士団は転戦に転戦を継いでいる。しかも、元帝国軍である。そんな部隊を送り込むというのもありえない判断である。
「確かに、暗黒騎士団は、最速の部隊であり、最強の部隊でもある……。監視役として王国軍も一部同行させよう」
小さなミスはしかし、取り返しのつかないほどに大きく波紋を描き始めるのだ。
王城の一室にて。
ブリジッタはくつろいだ様子でジーナに話しかける。
「姫が道中で襲われたそうだ、姫の力で賊を撃退したものの、危険な目に遭ったのは事実。大元帥は、危機管理に疎いのではないだろうか?」
「キアラ殿下のお力も考慮に入れてのご判断です」
苦し気に応えるジーナ。
「最近は、強硬な手段で反対派を一掃し、己に従わないものを収監していると聞く。口さがない者は彼を暗黒大元帥と呼ぶ。貴女は大元帥のやり様に何ら疑問を抱かないのか?」
「閣下のなさりように間違いはありません」
大元帥は、かつて、アウグスタと名乗っていたジーナの親友を、見殺しにした。
調べれば調べるほど、その真実は動かないものとなっていく。
つまり、大元帥は、ジーナが求める正義からはほど遠い存在である。
「絶対的な存在である人間などいるわけがない。大元帥が間違ったことをするなら、誰かが止めなければならない」
しかし、ジーナや子爵家の領民、そして、国民は、大元帥に救われもした。彼は、私心のない稀有な存在なのだ。それは、今まで近くで見守ってきたジーナ自身がよく知っている。
しかも、大元帥は、自身が非難されることに、密かに苦悩している。誰かが彼の仲間となって、彼を支えてあげなくてはならない。
苛立ちやら思慕の念やら悲しみやら使命感やらがないまぜになっていく。
「彼は超越者です。きっと、正しい世界を実現してくれましょう」
ジーナは自身の胸元の飾りをいじる。しばらくして、小さな声で続ける。
「でも、もし、万が一、間違った方向に進まれるなら、私が命を賭してでもお止めするつもりです。仮に、それでも彼を止めることが出来なかったときは……」
ブリジッタは嘆息する。彼女は、ジーナと違い、客観的に大元帥の行動を観察することが出来るのだ。
「貴女は心を無にして、彼の力になればいい。いざという時に、彼と対峙する役割は、私が背負ってみせよう」
王都南に駐留する共和国軍の幕下にて。
「彼は、君を断ると思うか?」
「さぁて、どうでしょうなぁ。まぁ、私は、彼を、彼の野心を信じていますよ」
対面するのは、フェルナンとビルヒリオ。
「しかし、自ら出向く必要はないのではないか?」
「これは、私の主義であります。自らの手を汚してこそ、人の尊厳を再確認できる」
「彼が賢い人間であれば、無意味な戦闘は避け、すぐにでも君を迎え入れるだろうが、つまらぬ感情に左右される愚か者であれば、小戦闘も想定しなければならない」
「むしろ、彼と交渉で渡り合えるのは執政官か、もしくは俺だけでしょう。戦闘を含めての意味での交渉で、ね」
「激怒皇帝を屠ったとも聞くが」
「予備動作のない変態的剣戟は、大物をも食らう。おかしな結果ではありませんな。ただし、それが通用するのは、彼の技を初めて拝む相手にだけ。無論、私に通用する代物ではない」
「その意気込みやよし。砂漠の9城を抜いたその力、見せてくれるか」
「承知ッ!」
深夜。
ビルヒリオは黒い法衣をまとい、短槍を片手に、新雪に覆われた王城の周囲を堀沿いに駆ける。
先日、大貴族が暗殺されたということもあり、王国は城内の警護を厳しくしている。既に城門の橋はあげられており、城内に潜り込むのは容易ではない。
高い城壁の上部にはかがり火が見える。警護兵が定期的に見回りを行っている様子。
堀の水面に波紋が1つ。2つ。3つ。
ビルヒリオは既に堀を渡り終え、短槍を口にくわえ、城壁にしがみ付いている。まるで、城壁を構成する無機物の一つとなったかのように、動かない。陰に潜み、警護兵が行き来している姿を観察し、もっとも警護が薄くなる瞬間を狙っている。
今だ。
次の瞬間には、15mほどもある城壁を上部まで登り終えている。
「今夜はやけに冷えるなぁ。明日の朝には堀も凍っちまってるかもなぁ」
警護兵は、城壁の上から、何気なく堀の水面を覗き込む。
その瞬間。ナイフがきらめく。
声もなく、警護兵は水面へ落下していく。
ビルヒリオは水面に浮かび上がった警護兵の死体に対し、念のため、クロスボウを放つ。そのまま、城壁の壁にしがみついて、そろそろと素早く移動する。
城壁の上は回廊となっており、巨大な監視塔と連結されているが、城壁の内側にそびえる王城の本体建物とは切り離されている。
本体建物に潜り込むには、一度城壁を降り、中庭を通らなくてはならない。
監視塔から、警護兵が松明を持って現れた。
彼を放置すると、後々まで彼の動静に注意を割かれる。
そう思ったビルヒリオは、城壁の影に溶け込み、彼を待ち伏せする。
「そこにいるのは知っているぞ。賊めッ!」
やにわに大きな鉄槌を掲げて襲い掛かる警護兵。腕に自信があるのだろうか、仲間を呼ぶことなく、一人で向かってくる。
ビルヒリオは、夜空に飛び上がって、鉄槌をかわし、振り返る暇も与えず、空中で短槍を繰り出し、警護兵の首を貫く。声帯をやられ、声もなくあえなく倒れこんだ警護兵を、素早く拾い上げ、堀へ投げ込み、すぐにその場を離れる。
しばらくして、縄の一方を城壁の上にナイフで固定し、他方を中庭に垂らす。その縄を伝い、中庭に静かに降り立つ。
あろうことか、この寒空の下。中庭で寝ている馬鹿がいる。
「ああああ?」
大男は唐突に眠りから覚め、すぐさま事態を理解し、鬼のような形相をしてビルヒリオに突進してくる。
大男は丸腰である。しかも、アルコールの匂いをプンプンとさせている。それでも、その実力は一流。
瞬時に見抜き、ビルヒリオは油断なく短槍を構えなおす。
掴みかかってきた腕を避け、短槍による必殺の突き。
しかし、大男の蹴りが炸裂。
短槍は驚くべき速さで弧を描いて、城壁に突き刺さる。当然、ビルヒリオもそれにつられてのけぞる。
慌てて引き抜いた短槍を構える暇もなく、第二撃目がビルヒリオに襲い掛かる。
かろうじて、短槍でこれを防いだ、と思いきや、ビルヒリオが大切にしてきた短槍はくの字に折れ曲がり、もはや使い物にならない。
こんな化け物を飼いならしているとは知らない。
「ぐああああ!」
巨大な咆哮をあげ、大男はさらに迫りくる。
ビルヒリオは、先ほどの縄を伝い、あっという間に城壁の上へと戻る。大男に勝てないわけではない。目立つのを避けたいだけだ。
ところが。
中庭から次々に巨石が飛んでくる。
大男が、城壁を構成する巨石を剥ぎ取り、城壁上部のビルヒリオに向かって投げつけているのだ。
圧倒的な火力の前に、ビルヒリオの足場は次々に失われていく。そこへ、大男が城壁に体当り。
たまらず、一画が崩壊し、ビルヒリオは落下する。
「ぐぅ!」
背中から地面に落下し、ビルヒリオの息は止まる。しかし、急いで体を丸め、飛び跳ねようとしたその一瞬先。
大男は、上から巨石を叩きつける。巨石はあまりの馬鹿力で叩きつけられたせいで、粉々に砕け散る。
ビルヒリオは、地面にめり込み、そのまま動かなくなる。
「うぉおおおおおお!」
大男は、勝利の雄たけびをあげる。
その瞬間。
曲刀が緑の閃光を放ち、大男の脇腹を深く切り裂く。
ビルヒリオは、口から血反吐を吐いている。
しかしながら、今が好機とばかりに、曲芸のように多彩な動きで曲刀を振り回し、次々に大男を切り裂いていく。
大男は如何せん丸腰。
それでも渾身の一撃を放つも、あえなく空振りし、中庭の地面のみを深くえぐる。
ついに力尽き、そのままどうと地面に倒れ伏す。
「兄貴、すまねぇ」
大きな音が響いたせいで、何事かと、人が集まってきている。
それでも、もはや、ビルヒリオの行く手を阻む者はいない。
先程まで瀕死であったのもまるで嘘のよう。王城の屋根まで一気に駆け上がった後、身をかがめたまま、屋根上を素早く疾走する。
急に止まったかと思いきや、身を翻して、素早い動きで屋根の直下に設けられた小さな窓に体を潜り込ませる。
するっと抜けて、王城への侵入ミッションは成功。
しかし、運悪く、潜り抜けた先の部屋には人の気配。
大元帥がゆっくりと振り返る。
「よくぞ参った。待っておったぞ」




