37 仮面の告白
随分と経って、アルは口を開く。
「僕の命を好きにしてください」
「何を言う?」
「国王の役割を全うできるのは、貴方です。僕は、ただ、貴方の足を引っ張っているだけ」
悲しい顔をしている。
アルはやはり俺を疑うことはしなかった。俺の事を、盲目的に信仰してくれているのだ。
「自分を卑下するな。君の後ろ盾があったからこそ、私はここまでやって来られたのだ」
「でも……」
「やれやれ。君には隠し事はできないようだ。だったら、本音を話そう」
俺は背筋を伸ばして続ける。
「君が元気を取り戻すまで、私はこの国を支えなくてはならない。それは非常な重責だ。耐えられそうにもない」
「枢密顧問官のヴィゴが力になるでしょう。宰相が言っていました。彼は、軍事以外の執務も卒なくこなす人材です。彼に頼ってみるのはどうでしょうか?」
アルは弱弱しい笑顔を見せる。
「奴はただの紛い物だ。まったく使い物にならん。頼りにしているのは君の力、ただそれだけだ」
「その言葉は、僕にとって宝物です。ですが……」
「十分な睡眠をとり、一刻も早く回復してくれねば困る」
「はい……」
アルは素直に引き下がる。
「ところで、教会でのことは、デシカ伯爵から聞いたのか?」
「教会でのこと?」
どうやら、アルは、俺と共和国との取引については知らないようだ。
危ない危ない。余計な知識を与えるところだった。
「知らないなら知らないでいい。おや、日も暮れたようだ。今日はおいとましよう」
アルの体調が思わしくないのは、一見してわかる。もちろん、長居などしてはいけない。
「まるで、僕を避けているみたいですね」
「そんなことはない。日参することを約束する。それと一つ命令が欲しい。頼めるかな」
「僕からも、メルクリオ様にお願いがあります」
その足でキアラの私室を訪ねる。長い間待たされた後、会議室で対面する。
「何しに来たのかしら? こんな時間に失礼じゃない?」
月桂樹の髪飾りを付けている。その髪型は、ブリジッタの正装とお揃いである。
これは、俺の事を、一客人として見做していることを意味する。つまり、今の俺とキアラとの間には見えない壁があるのだ。
仕方なく、俺は仮面をとり、無理に笑顔を作る。
「話がしたくてな」
「珍しい事を言うわね。どういった風の吹き回しかしら? 気味が悪いんだけど?」
「一時期大人ぶってもいたようだが、その実、いつまでたっても幼いな」
「でも、今の私はあんたよりも強いわ。あまり偉そうにしないでもらえるかしら」
「はたして本当にそうかな」
「それに、私は、あんたよりも遥かに強い人を知っている」
ブリジッタのことだろう。今現在、キアラはまるでアイドルを推すかのように、ブリジッタに入れ込んでいるのだ。
「しかし、巷では、あの最強最悪の激怒皇帝を倒したのは、俺だというではないか」
「そんなの、嘘よ」
「言ってくれる。しかし、俺が、暗黒騎士団と真っ向勝負して勝利を得たのは紛れもない事実。間近で見ていただろう?」
「別にあんたが直接剣を振るったわけではないわね。たとえ、軍師としては一流だとしても……」
「一流か。つまり、俺は一流なのだな!」
「仮にの話だわ。そんな風にお世辞にしがみつかれると、なんだか悲しくなるから止めて」
「それはさておき。貴女は、近頃剣ばかり振るっていると聞く。剣術への拘泥はほどほどにしておくべきだ」
「自分がその分野で及ばないからって、他の分野で偉そうにするのね」
「軍略はもちろん、外交、経済政策、人材登用術、学ぶべきは多くある。王になるつもりがあれば、の話だが」
「そんなことは、魔法学院で学んだかもしれないけれど、記憶があやふやだわ」
「真面目な生徒ではなかったようだな」
「うっさいわね。どうしてもっていうなら、私に、その諸々の事を教えることを許可するわ」
「それは無理だな」
「なんでよ? いつか剣術を教えてくれたみたいに、私に教えてくれるんじゃないの?」
「……。その前に頼みがあってな」
ロウソクの炎が揺れる。
「アルからの頼みなのだが、実はとても大変な内容でな」
「言ってみなさいよ」
「アルは、大熊公の令嬢に求婚する」
「え?」
意外な内容にキアラは一瞬ぽかんとする。
「それってキトリー・カーンの事よね? 私聞いてないんだけど、あんたにだけこっそり打ち明けたってわけ? どうしてそんな大事な話を私に黙っているのかしら? でも、そうね。確かに、キトリー・カーンは聡明だとも聞くし、なかなかオシャレでもあるし、家柄も申し分ないわ。……。うん、アルには相応しい相手かもしれないわね。婚約成立はまだまだ先の事でしょうけれども、あの子がアルの背中を支えるって言うなら、私は賛成しないこともないわよ」
「既に小姑のようではないか」
「妹が出来るのね……」
俺の言葉を流して、なんだかうっとりとしている。
「体の弱いアルが、ようやく人並みの幸せを手に入れる。祝福してあげたいところではある」
「まさか、邪魔するつもりじゃないでしょうね?」
「ところが、アルは心配している。姉上よりも先に婚約してしまっていいのかどうか」
「うげッ」
「キアラ殿下がいじけてしまうのではないか。王家の体裁を気にしている」
「うっさいわね。私の事は関係ないわよ」
「困ったことに、アルは、貴女がいい人を見つけるまでは、自分も求婚しないと言い張っている」
「え?」
「説得を試みたのだが、頑として聞き入れない。こんな事を貴女に頼みたくはないのだが、何とかならないだろうか?」
キアラに対して、婚約者を作るよう言い聞かせて欲しい。
アルは、そう俺に依頼してきたのだ。
「そんな事いきなり言われても……」
「当然、無理だよなあ」
こればかりは匙を投げるしかない。
「はあ? 無理なんかじゃないわ、勝手なこと言わないで。私の事を見くびらないでよ」
「ええ?」
「要は、私を愛する人がいるって事を、アルに見せつければいいんでしょ?」
「そのとおりだが……」
そんなとち狂った奴は、イーヴォぐらいだろう。しかし、彼は現在行方不明である。
キアラは腕組みをして、難しい顔をしている。
「私に案がある」
「ほう?」
「ところで、あんたもアルの婚約を望んでいるのよね?」
「もちろん」
「だったら、当然、私に協力してくれるのよね?」
「それはまぁ」
「だったら、明朝、仕掛けに行くわよ!」
翌朝、執務室にて。
キアラと共にアルの私室を訪ねる予定であったが、機先を制してアルが訪ねてくる。
急いで、キアラに人をやり、事態の急変を伝える。
「今日は体調がよくてね」
アルは、窓辺から差し込む柔らかい陽光を受けながら、ただ、薬草茶をすすってくつろいでいる。
おそらく、昨日俺に依頼した事項について、進捗を確認しに来たのだろう。
とはいえ、ひっきりなしに人の出入りがある執務室において、キアラの恋愛模様を開陳するわけにもいかない。
「私の事は気にせず、そのままで」
エリオに人払いを指示するが、アルはその指示を押しとどめる。
本当に何をしに来たのか、わからない。
そこで、俺は王都の地図を広げ、大都市構想の一端をアルに説明してやる。
「移民の流入により、都市の外縁が野放図に広がっています。しかも、外縁部は治安も悪化しています」
「ならず者が、移民に紛れ込んでいるのだろうか」
「衛士を重点的に配置させると同時に、市民に呼びかけ、自警団を作らせたいと考えています」
アルは食い入るように地図を見ている。
外界を視察するような体力はなく、その代わりに地図を通して外界を見通してやろうとでも言わんばかりである。
ふと顔を上げると、眼前でキアラが仁王立ちになっている。
恐ろしい顔をしている。
「大元帥!」
「おや?」
「私との約束をすっぽかすつもりなのかしら?」
「陛下の御前だ」
俺はキアラをたしなめる。
アルは黙ったまま、俺とキアラの顔を見比べている。
「アルもいたのね!」
キアラは、わざとらしく驚いて見せる。
「姉上も、大元帥の大都市構想を聞くといい」
「でも、それは、私との先約よりも大切な事なの?」
既に進行は、作戦から大きく乖離している。そして、周囲には人目もある。
だからこそ、俺はキアラに対して、計画を一旦白紙にすることを事前に伝えておいた。
それでも、キアラは、作戦を強引に貫徹するつもりなのである。
しかし、本来大人しく撤退すべきはキアラである。それを、そういう態度をとるのであれば、こちらにも考えがある。わからせなくてはならない。
「おお、愛しの君よ! 君の事は世界中で一番大切だ! だから、今しばらく、眠れる猛獣のように、大人しくしておいてくれ!」
「何故なのかしらあ! 私は、今すぐ大元帥とお出かけがしたいのお! 貴方を、蜘蛛の巣に掛かった羽虫のように、ガタガタ言わせてあげたいのお!」
それでも、キアラは引かない。それどころか、悪乗りしてくる。しかも、続けて手を繋ぎ合わせてくる。とはいえ、恥ずかしいのか、俺の仮面から眼を背けている。
「姉上」
アルは冷めきった声で、キアラに話しかける。
キアラは、ここぞとばかりに言い返す。
「後にしてくれないかしら。あんただって子供じゃないんだから、どういうことだかわかるでしょ?」
「でも、なんで、そんなに二人の間に距離があるんだい?」
「え?」
確かに、俺とキアラは手を繋いでいる。
しかし、アルの指摘通り、お互いにへっぴり腰である。
「ウフフフ。またまた、変なことを言うのねえ!」
「ハハハハ。どうして貴女はキアラなんだ!」
俺は、キアラの腕を掴んでこちらに引っ張る。
しかし、キアラも負けじと俺の腕を引っ張る。
まるで、柔道の試合である。完全に睨み合いとなる。
ふと、アルを見ると、悲しげな顔をしている。
仕方なく、俺は力を抜いてキアラに寄り添う。キアラは俺に体を預ける。
「フォー!」
執務室内の職員が、俄かに雄叫びを上げる。
やがて、盛大な拍手が巻き起こる。
ここでようやく、アルは悪戯っ子らしき笑顔を見せてくれたのであった。
「わたくし、あの砂利姫では、閣下に到底釣り合わないと思いますの」
外野は、問題をややこしくせずに、黙っておくがいい。
計画は完全に狂い、もはやグダグダである。恥ずかしさで一杯になりつつも、茶番はこれで終了。
かと思いきや、アルは、それでは終わらせてくれない。
俺とキアラは、強制的に執務室を追い出される。そして、アルに見送られ、王都の散歩を開始する。
鈍色の空の下、無言で島の外縁に向かって坂道を降っていく。
「実は、俺からも貴女に依頼したいことがある」
「何かしら?」
キアラは何を言われるものと勘違いしたのか、立ち止まって自分の体を抱きしめる。
俺は、やむなく水路の前で立ち止まる。キアラから視線を外して、水路に目をやる。その水底は見えない。
長い沈黙が続く。
「私のいい人になりたいとか、そういうのじゃないわよね?」
沈黙に耐え切れなくなったキアラが口を開く。
「……」
「冗談よ、冗談。アハハハ!」
口元だけが笑っている。その瞳は不安そうに、俺の仮面を見つめている。
「……」
「私に、君主たる道を教えたいというのでしょう?」
「大要塞に指揮官として赴任して欲しい」
「……」
キアラはすっと表情を殺す。
「北方の戦線は人手不足だ。優秀な人材を欲している」
「あんたも行くの?」
「行かない」
「そう……」
「立派な王になるのだろう? そのためには、下々の苦労を知らねばならない。この言葉は貴女の言葉だ」
「まぁ、そうなんでしょうけれど」
「大要塞にはアンリ王子もいる。心細くはなかろう?」
「元からそういう用事だった。私を説得するために、アルと一緒になって、いろいろと小芝居を打ってみせた。そういうことなのね」
「それは、違う」
「わかっている。それ以上、無理に私を説得しようとしなくてもいい」
キアラは、空を見上げる。
「戦いが終わったら、私に君主たる道を教えなさいよ」
「後ほどだ。後ほど、国王から正式な沙汰が下りる」
「……」
キアラは、もう俺の顔を見ることはなく踵を返す。そのままカツカツと音を立てて、王城の方へと昇っていく。
俺はその場に佇み、そして、その背中に向かって声を掛ける。
「達者でな」




