35 鉄鎖の断裂
大衆向けに安価で食事を提供する切株亭。つい先日、戦勝を祝って、メイプルの巨大切株の脇に開店した。今や、王都で最も人気の食事処だ。その夕暮れ時の賑わいは、王都の中心はここにありと言わんばかり。
「ちょっくら、どいておくんな。俺達ァ、大元帥一門でよ。そこいらの雑魚よりも、先に飯を食う権利があるってもんよ」
「ほう。それは奇遇。我々も大元帥一門である」
言うなり、喧嘩を吹っ掛けられた側は、ドクロのエンブレムが入った趣味の悪いハンカチを相手に見せる。
「けっ、本物かよ。くそッ」
「差し支えなければ、貴公らの所属と姓名を知りたい。あと、証も見せ給え」
「今日はこのくらいにしといたらぁ」
喧嘩を吹っ掛けた側はそそくさと去っていく。
「まさに、世は、大元帥一門にあらずんば人にあらず、だな。しかし、あのような一門を騙る輩が湧いて出るのはよくない。このままでは大元帥の名に傷がつく。積極的に取り締まっていかねばな」
この男は司法卿ザムエレ。同僚である財務卿ファーゴとともに、今流行りの食事処に出向いているのだ。
「取り締まるまではいらないさ。閣下はああいう輩すら受け入れるだろう」
財務卿は呑気だ。
「君は、帝国から逃亡して行き倒れているところを、閣下に拾われたからな。そうも思うだろう。しかし、閣下は、尋常ならざる観察眼で我々の能力を見ている。あのような、どうしようもない輩を受け入れることはないだろう」
「君は、わかっていない。閣下の凄みは、どういう輩であっても、その能力を見出せるところにある。君の下級官吏時代の仲間も、皆、漏れなく適職に配置してもらっているだろう?」
「とはいえ、僕は、あのような輩と同じ扱いはされたくないな」
「それはその通りだ。俺は、閣下への尊敬の念では誰にも負けないからな。閣下の側で、最も閣下の考えを吸収できる立場にありたいと考えている」
「あの人がいなければ、僕らは誰一人自分の底力を発揮することはできなかった」
真面目に感謝を捧げる司法卿に対して、財務卿は軽快に返す。
「必要以上にへりくだる必要はないさ。なぜなら、至高の閣下の下に集った我々の存在も、また至高だからだ」
「大元帥一門……か。さて、そろそろ時間かな」
壁際の者が呟く。
ゆっくりと立ちあがり、胸飾りを正し、黒尽くめの衣装を羽織る。
しかる後、勘定を済ませて店外へと向かう。
夜の帳に覆われる直前。
フッチは公務を終え、馬車に揺られて郊外の宿泊地へと向かっている。
「公爵殿もなかなかに人使いが荒いものだ。王都南門の城塞化計画を、僅か3日で作り上げろ、とな」
しかし、自身の能力を認められたことに誇りを感じているのであろうか。その顔はいつになく生き生きとしている。
さらに、独り言を続ける。
「しかし、ぬくぬくと一人安全な位置から指示を出してきた宰相も今や牢獄の中。なんと小気味よい事か。今頃は、牢獄の中で十分に反省し、ワシの偉大さを噛みしめておることだろうて。あの時、フッチ殿に宰相の座を譲っておれば、こんな目にあわずに済んだものを、とな。ハハハ、ハハハハ」
しばらく後、不意にフッチは首をかしげる。
「はて、ワシは宰相に納まる器か? いや、違う。まったくその考えは間違っておる。そうじゃ、ワシはそんなしょうもない男ではない。ならば、ワシに相応しい職は何であろうか? これは難しい話だぞ。じっくり考えねばなるまいて」
馬車は大運河の堤防沿いの道に駆け上がり、そのまま、ごとごととゆっくり道を進む。
車内には、窓から西日がきつく差し込む。フッチは目を細め、顔に手をかざす。
「此度の戦いで、この国でもっとも目覚ましい働きをしたのは誰だろうか。大元帥か? いや、違うな。それはワシ。ワシに決まっておろう」
フッチは勝手に気付きを得てしまう。
「ワシはもっとも偉い」
大きく頷く。
「そして、もっとも偉い者が国王になるのは、世の必然。既に、大元帥もその方向性で動いておるやもしれぬ。いや、きっとそうじゃ。この事実を理解してから、奴の言葉を思い返すに、いずれもワシに対する尊敬の念が盛り込まれておることに気付くではないか。まったくもってうい奴。しかし、ワシは少しばかり鈍感であったやも知れぬ。いかんいかん。明日は、奴に、少し優しく接してやろうかの」
突然、馬車がその場に止まる。
「一度はあえて断る。どうせ、再度、ワシに依頼してくるはずだ。ワシ以外の適任はおらんからな。おや? 馬車が止まったぞ。何をしておるのだ? まったく」
フッチは幌から顔を出す。しかし、叱りつけようと思った御者がそこにはいない。
仕方なく、馬車から降り、周囲を見渡す。
人気がない。
「まったく、未来の国王をほったらかしにするとは、よい覚悟をしておる」
突如、全身黒尽くめの者が近寄ってくる。
「おお。そなたは確か」
黒尽くめは静かに黙礼し、フッチと立ち並ぶ。
「御者が行方不明になってな。近くで用でも足しておるのかと思ったのだが」
何気なく、フッチは川向う、遥か遠くに見える自身の居城を眺める。
「ワシは、一体いつになれば国王になれるのだ……」
赤く照らされた光景にほだされて、思わず意中の言葉を吐き出してしまう。
黒尽くめは一言も返さない。
ただ、胸元からさっと何かを抜き取り、これを一閃させる。
雪が降り始める。
「大運河沿いに馬車だけが取り残されていただと?」
デルモナコは、フッチ失踪の報を受ける。
「現場には血痕が残っていたそうです」
「先日の大元帥襲撃事件といい、物騒な世になったものよ。しかし、狙われているのはいずれも今をときめく権力者。次はワシであろうか。首謀者は、今回も聖堂騎士団に違いあるまいが、まずは証拠を固めねばな。先んじて、犯人の身柄を確保したいものだ」
「でしたら、私も犯人探しに協力しましょう」
居合わせた客人が、胸飾りを触りながら、申し出る。
「しかし、お主は」
「私も王都の治安維持を願う点では、貴方様と同じです」
「うむ、ならば頼むぞ」
さっそくデルモナコは、部下に夜警の準備を指示する。その後、夜中まで捜索は続けられる。
「閣下、書状が届いております。アンジェラお嬢様からですよ」
「む?」
デルモナコは、書状を開く。その顔つきは、普段見慣れぬものである。
「あの子の字はまこと、読みやすいものだ。ふむふむ。最近では、地中を這うミミズを探しあてるのが得意になった、鶏の餌に利用するとな。それは優しい心遣いじゃ。ふむふむ。部下どもが、オレンジが食卓から消えたと大騒ぎしておるとな。無能な男どもめ。少しはアンジェラの心遣いを学ぶがいいぞ」
完全に親馬鹿である。
「ふむ、鶏が1羽、失踪したとな。ふむふむ。部下どもを総動員して藪の中を探したが、どうしても見つからぬ、と」
デルモナコは文面を読み進める。
「諦めて城に帰ったら、腹の膨れた蛇が私室に居座っていたとな。腹を裂くと、中からは鶏の死骸。それは辛い思いをしたのぅ」
テーブルの上に書状を置き、しばしデルモナコは目をつむる。
しかし、すぐに目を見開く。
「犯人は、すぐ近くに忠臣のふりをして潜んでいる! まずは、この館にいる者を全員尋問せい!」
周囲には多くの忠臣が控えている。
「閣下は勘が鋭くていらっしゃる」
しかし、誰一人動こうとはしない。それどころか、全員が剣を引き抜き、デルモナコに差し向ける。
「ええい。何をとち狂っておる! ワシはデルモナコぞ? 誰に刃を向けておるのか、わかっておるのか!」
「我々ボルドー王国臣民は、新たなる主を得たのであります。今まで大変有難うございました」
「まさか? 奴か? 奴はフッチを殺した後、ワシに捜査協力を申し出て、ワシを油断させ、こっそりと貴様らを買収したというのか?」
「閣下は、どうやら知らなくてもよいことを知ってしまったようですね」
「このことが明るみになれば、貴様らもただでは済まんぞ!」
「我々は閣下の死後、皆、自決する運びとなっております。ですので、このことが明るみに出ることはないでしょう」
「代わりに、家族の安全でも約束されたか!」
「お覚悟を」
「聖堂騎士団ではなく、奴が、奴が我々を邪魔立てしてきた真犯人だったというのか! このことを早く、大元帥に知らせねば……」
剣先がきらめく。それは、今までの数多の恨みが込められたが如く、執拗に振り回される。
愛娘アンジェラからの白き書状は、朱に染まっていく。
「くぅ。枢機卿の座を剥奪とな! ヒック。私が何故こんな目に遭う?」
今や、ただの人になってしまったイーヴォが自宅に向かってとぼとぼと歩いている。泥酔しているようだ。
「代わりにレンゾ・レオナルディが枢機卿になっただと? まったく信心のかけらもないあの男がか? 狂っておる。この世界は全て狂っておる!」
積もった雪を蹴り上げ、勢いあまって、人気のない路上に倒れこむ。
「私を慰めてくれる天使はおらぬのか? 豊満な肢体でもって、私の母親を務める女はどこじゃ? どこにいったのじゃ? キアラ姫……。うう」
その場でぐずぐずと泣き始める。
「うぬぅ、それもレンゾめが横恋慕したせいでッ! ぐぅぅ、許すまじ。許すまじ。私のキアラをよくもぉ」
その場で転げまわった挙句、怒りに押されて、イーヴォは元気よく立ち上がる。そして、再び千鳥足で歩み始める。
「おや?」
道の脇には、寒さに震える子猫が一匹。
「どどーん!」
イーヴォは酔った勢いで、大声を上げて子猫に飛び掛かる。自分より弱い立場の者が、驚き慌てふためく姿を期待しての行動だ。しかし、子猫は弱り果てており、その場を動くこともない。
さすがのイーヴォも可哀そうに思ったのか、子猫を拾い上げる。子猫の余りの冷たさに驚き、抱き寄せて必死に温めようとする。
遥か昔。少年だった頃の記憶が蘇る。
レオナルディの城下の街頭で、なすすべなく口減らしのために凍え死んでいった親しい者達。彼が聖職者になったのは、そんな哀れな魂を救うという高潔な使命があったのだ。
「春になれば、レオナルディの城に戻ろう。惨めでもいい。まっとうな道を歩もう」
子猫に顔を寄せ、優しく抱きしめる。
「豊満よな……」
音もなく近づく黒尽くめの者。
何事もなかったかのように、音もなく去っていく。
随分としばらくしてから、停止した時間が再び動き出したかのように、静かな音を立てて、雪上に人が倒れこむ。
「嫌な雲行きね」
カタリナは、空を見上げ、そう呟く。
自宅に向けて、いそいそと歩く。大元帥からもらった莫大なゴールドを使えば、馬車での送り迎えなど容易くさせることが出来るのだが、元々裕福な家の出ではなく、倹約が身に染み付いている。
それでも、今晩の酒を買うかについては、やや逡巡する。
「いや、今日は止めておこう」
不思議な気持ちに導かれている。
大元帥の正体は、かつてメルクリオと名乗っていた男であった。なんとはなしに、そんな感じはしていた。先日、ロビンの壮行会において、大元帥自らが失言したせいで、確信をもつことが出来た。
七英雄というのは、宰相が適当な者を7人集めてそう名乗らせていただけのもの。それなのに、彼は、その七英雄を、特別な仲間として扱おうとしている。そして、カタリナのことも心の底から尊敬している。
悪い気はしない。でも、今の酒浸りの状態の自分が、彼から尊敬されるに足る人物なのか。不安である。まずは、酒を断ち、自分の手の震えを直し、彼と向き合ってみたい。彼の失望が見たくないのだ。
「元気になってバリバリ働くわよ!」
しばらく進むと、路上で誰かが倒れている。
「イーヴォ様?」
ひっくり返してみると、その顔面は蒼白である。
「いやぁあああ!」
カタリナは驚いて飛び上がる。そのまま、その場で、さてどうしようかと固まってしまう。
しかし。
何かが近づいてくる。
慌てて顔を上げると、猛烈な勢いで迫りくる黒尽くめの者に気付く。
「え? え? え? え? うん? 待って? 無理無理! え? わかんないんだけど? ぎええええええ!」
カタリナは逃走を開始する。
「カタリーナルンルンッ! カタリーナルンルンッ! カタリナルンルンルンッ!」
ウキウキで追いかけてくるが、これを聞いてカタリナはさらに肝をつぶす。
「ぎゃあああ、来んなああああ!」
しかし、普段から魔術師を気取り、動きにくい服を着ていたのが仇となる。角を曲がったところで、盛大に転ぶ。
カタリナは恐る恐る顔を上げて周囲を見る。誰もいない。
ルンルン声も聞こえない。見失ってくれたというのか。
「何だろう」
何かが周囲できらめいている。カタリナは目が悪い。じっと目を凝らす。
そうすると、なんということだろうか。周囲には金貨が散らばっている。それも大量に。
カタリナは普段、銀貨以下しか持ち歩いていないことからすると、これはカタリナが落としたものではなく、誰かの落とし物だろう。
「これは全てあたしのものよ!」
いそいそと拾い集める。全てを忘れ、無我夢中で集める。
「アハハハ! 輝いている。金貨も! そして、金貨を持つあたしも! そう、世界はいつだって美しい! アハハハ! ハッハッハッハ!」
曲がり角から、黒尽くめの者がゆっくりと顔を覗かせる。
「ルンルンッ。ルンルンッ」
小声で呟いている。
やがて、黒尽くめの男は忍び足でカタリナに接近する。
金貨を無様にかき集めているカタリナは、ゆっくりと、その黒衣に覆われたのであった。




