15 雷神の攻城戦
「メルクリオ様がいないだと?」
「そんなはずはない! もっとよくお探ししろ。近日中に城攻めを決行する予定なんだぞ」
「それが、昨日から姿を見た者がいないようです」
「まさか?」
「まさか何だって言うんだよ!」
「何でもないです」
「どこに行かれたのだ……」
コルビジェリ第一城砦内は、大騒ぎになっている。
王国軍の総指揮官メルクリオが、突然蒸発したのである。
そこで、緊急の軍議が開かれる。
ペーター王は一見して、意気消沈している。
近衛兵達も不安を隠し切れずにいる。
こういうときに頼れるのは、アウグスタである。
はたして、アウグスタは、胸を張って静かに言い放つ。
「メルクリオは偵察に出掛けている。邪なる者を見つけたと言っていた。成敗を終えたら、すぐに戻って来るだろう」
しかし、それはおかしな話である。
メルクリオは、今まで偵察に出る時は、必ず事前に近衛兵に声をかけていた。
それに、城攻め直前に偵察に出るというのは、意味が分からない。
それでも、近衛兵達は、アウグスタの冷静沈着な雰囲気に飲まれて、心を安堵する。
「攻城戦はいかがなさいますか?」
「予定通りだ。メルクリオから全権を託されている。私が指揮を執る」
「僕にも手伝わせてください!」
そこで、一人の近衛兵が名乗りを上げる。
それは、王弟アルである。
「どうしてここにおられる?」
皆が、意外な人物の登場に驚いている。
「そんなことを確認している場合ではありません。それよりも、僕は、今までずっとメルクリオ様の戦いを間近で見て参りました。つまり、僕は、天才軍師の一番弟子です」
「頼もしいことだ」
「そこで、僕に一部隊を任せて欲しいのです」
「しかし、前線は危険だ。控えられよ」
「僕は、メルクリオ様から密かに策を授けられています。しかも、その策を成功させるためには、僕自身が、秘密裏に行動しなくてはなりません」
アルは、前線に出してくれないなら、秘策を握り潰してやると言わんばかりである。
アウグスタはペーター王に目をやり、ペーター王は渋々頷く。ペーター王は、メルクリオの策となれば、アルの申し出が如何に無茶であろうとも、従わざるを得ないと考えたのである。
そこで、ツリ目の英雄「吹断のロビン」が、口を挟む。
「しかし、その秘策がメルクリオの発案だとして、もし、メルクリオが我々を裏切ったのであれば、彼の秘策に従うことで、我々は窮地に追いやられる可能性もあります。彼の秘策に頼るのは危険です」
ペーター王が続く。
「確かに、メルクリオ様はあれほどの能力者だ。なのに、俺は特別に遇してこなかった。神聖帝国に寝返ったとしてもおかしな話ではない」
これを聞いて、アルは珍しく怒気を発する。
「兄上は何もわかっていない! メルクリオ様が裏切るはずない!」
「俺だってそう思っているけどさ……」
「メルクリオ様は、僕達が自分達だけでもちゃんと戦えるのか、僕達を試しておられるのです。僕達は、メルクリオ様に失望されないように、ここで踏ん張らなきゃいけません」
アウグスタは大きく頷く。
「アル殿。私は貴方を信用する。貴方に部隊を与えるから、メルクリオの秘策を実行しなさい」
さらに、アウグスタは立ちあがる。
「諸将は、進軍を開始せよ!」
アウグスタは即座に決定し、その後、各指揮官に対して次々に指示を与える。
その指示指令の仕方は、相手に有無を言わせぬものがある。
彼女は、今までメルクリオの存在の陰に隠れていたが、実際のところ、そのリーダーシップはメルクリオ以上に強力なのである。
三日後の朝。
大空には暗雲が立ち込め、今にも泣き出しそうである。
唯一、遠く西の方角に僅かに青空が見える。
アウグスタは、コルビジェリ城の城門付近に屹立している。
いつもは薄い装甲を纏っているだけなのだが、今日は重装備である。
全身をフルプレートで覆い、その上から群青のサーコートをまとっている。手には、長大なランスと大きな盾を持っている。
彼女は、心なしか不機嫌そうに見え、寂しそうにも見える。
彼女の周囲には、同じく重装備の重騎兵が集っており、左右には延々と歩兵の隊列が並ぶ。その数三千。
歩兵の前方には、至る所に簡易なバリケードを立てて、コルビジェリ軍からの遠距離攻撃に備えている。
併せて、城に向かって攻城兵器を並べている。固定投石機トレビュシェット五台と移動型投石機カタパルト十台である。
対するコルビジェリ軍は、城壁の上に無数の兵士を配置している。
その中には、コルビジェリ軍の指揮官ファウストの姿も見える。
両軍が対峙したところで、大音量が、コルビジェリ城の城壁を叩く。
「私はアウグスタ。この世に帰還した始まりの皇帝! そして、乱世を終わらせる英雄!」
長剣を引き抜いて高く掲げる。
「神聖帝国には情がない! ならば、貴方達には援軍は来ない! だからこそ、私は、貴方達に降伏を勧告する!」
剣を一閃して、剣先を相手に向ける。
「降伏するならば人道的に対処する! 抵抗するならば容赦はしない!」
一陣の風が吹き抜けていく。
「選べ! 降伏か、はたまた死か!」
指揮官ファウストの顔は、みるみる間に憤怒の形相に変わり果てる。アウグスタの呼びかけは、プライドの高い指揮官に対しては、逆効果であった。
「死を、与えてみせよ!」
指揮官の怒号は、矢の雨とともに王国軍を襲ったのである。
攻城戦が始まった。
コルビジェリ軍は、常備兵の生残り二百に加えて、臨時に雇った八百の傭兵で王国軍に対抗する。
まずは、城壁上や監視塔の中から、王国軍兵士に向かって一斉に射掛ける。
対する王国軍兵士も、バリケードに隠れながら弓矢で応酬する。
とはいえ、コルビジェリ軍は、高いところから矢を放てるのであり、圧倒的に有利である。
特に、監視塔は鉄壁の防御を誇るとともに、そこには、大型弩バリスタが設置されているのであり、攻城側の兵士に向かって、次々に鉄槍を打ち出すことが出来る。その威力は圧倒的であり、かつ射程も広い。
つまり、監視塔は、攻防いずれにも優れた強力な施設なのである。
ならば、王国軍は監視塔を破壊したい。
そこで、王国軍は、まず、攻城兵器を起動させ、これでもって監視塔の破壊に全力を尽くす。
梃子の原理を利用して、火のついた巨石を放つ。しかし、巨石は目標を外れて、城内へと姿を消す。
操縦者はこれを観察し、攻城兵器の向きを微調整する。しかる後、再度巨石を放つ。
放たれた巨石は放物線を描き、監視塔に直撃し、その一画を突き崩す。ついで、監視塔に火が燃え移る。巨石には、たっぷりと家畜の脂を塗っており、火は脂を媒介として監視塔に燃え移ったのである。
しかしながら、監視塔が大きく崩壊することはない。また、監視塔は石造りを徹底しているために、大炎上することもない。
王国軍は次の策に移る。
移動式小屋十台を堀近くへと移動させる。
小屋に隠れている王国軍兵士は、堀の中に土のうを投げ込み始める。
堀を埋め立てて、攻城の障害物を消し去るのだ。
コルビジェリ軍兵士は、これを防ぎたい。
しかし、城壁の上から矢を射かけたところで、移動式小屋の屋根を射抜くことは出来ない。
そこで、移動式小屋に向かって、火矢を放ち、熱した油を垂らし、巨石を落下させる。
やがて、一台の移動式小屋が崩壊し、王国軍兵士は慌てて小屋から抜け出し、矢の雨をかいくぐりながら、四散する。
数時間にわたる攻防の後、ようやく堀の一角に足場が出来上がる。
音楽隊の勇壮な演奏に合わせて、命知らずの王国軍兵士が堀へ走り込み、梯子を城壁にたてかけて、城内への侵入を試みる。
しかし、再び、巨石が城壁の上から降り注ぎ、熱した油が振りまかれる。
王国軍兵士は、次々に落下していく。
午前から始まった攻城戦は、戦線が膠着したまま、しかし、応酬の激しさを増しながら午後に入る。
王国軍兵士によって城内侵入が何度も試みられるが、いずれも撃退される。
堀の埋め立ても、思ったようには進まない上、監視塔もまだまだ機能不全には至らない。
一方、王国軍の攻城兵器は、長時間起動による負荷のため、半数以上が壊れてしまった。
こうなってくると、王国軍の士気は下がり、コルビジェリ軍の士気は上がっていく。
いつしか、小雨が振り始め、すぐに本降りになる。
アウグスタの周囲には、城門への突入を控える王国軍重騎兵が待機している。
彼らの衣服は雨水に濡れそぼり、体の芯まで冷やしていく。彼らは、いざという時に動けなくならないよう、銘々体を動かし、ほぐしている。
対して、アウグスタはというと、最初に宣戦した位置から全く動かない。その長剣を地に突き刺し、城門を睨みつけたまま不動である。
たとえ、矢が飛んで来ようとも、不動なのである。
ただ、逃げ惑う歩兵に対して、時に叱咤し、時に激励している。
そして、指揮内容を変えることはせず、何度も何度も同じ特攻を繰り返させるのである。
次第に日が傾き、雲底が僅かに茜色に染まる。
明日以降もこれを続けるのだろうか。王国軍兵士が思ったその矢先。
城の裏山から異音が放たれる。
頂上付近の開けた場所から、巨石が打ち出されたのである。
巨石は、城内に向かって自由落下し、中央の監視塔に見事弾着する。落下のエネルギーは相当なものであり、監視塔を容易く全壊せしめる。
続いて、次々に巨石が打ち出される。いずれも、正確に城内の主要な建築物を打ち抜き、破壊していく。
コルビジェリ軍は応戦をしたいところである。しかし、裏山の頂上は、監視塔よりも遥か高みに位置するのであり、矢が届く範囲にない。
したがって、王国軍による一方的な攻撃がなされることとなったのである。
ところで、巨石を打ち出しているのは、裏山の頂上付近に設置した移動型投石機カタパルトである。
そして、これを裏山に設置したのは、アルである。
彼は、メルクリオから授かった秘策と称して、麓での攻城戦を陽動にし、こっそりと別働隊を引き連れて、山上にカタパルトを引き上げた。
その上で、山上からの遠距離攻撃という作戦を見事に成功させたのである。
無論、急峻な山上にカタパルトを運ぶことは容易ではない。しかし、膨大な労力投下とアルの強い思い込みが、これを成し遂げたのである。
日が暮れる直前。
雨は弱まり、戦場一面が不意に真っ赤に照らされる。
馬上の王国重騎兵の影が、草原上に長くそして濃く伸びていく。
不意に城門が開き、跳ね橋が降ろされる。
城内から、コルビジェリ軍指揮官ファウストが現れる。その背後には、重騎兵五十騎が続く。
彼にとって、現状は絶望的である。
しかし、それでも、彼は、ニヤリと笑みを浮かべてみせる。手綱をきつく握り、王国軍に向かって大声で叫ぶ。
「名誉ある死を、我に与えよ!」
全騎が、アウグスタを目掛けて、決死の突撃を開始したのである。
これを見て、アウグスタは軽やかに動く。
手早く兜のバイザーを下ろし、群青のマントをなびかせながら、白馬にまたがる。
その上で、長大なランスを握りしめる。
上体を極度に反らし、美しい姿勢をとる。
そして、王国軍重騎兵三百騎に号令をかける。
「突撃!」
双方、長大なランスを脇に抱え、一列になって疾走する。
馬の蹄が地面を蹴り上げる音が戦場に轟きわたる。
そして、トップスピードになったところで、激突する。
相手のランスを避け、自身のランスに全てをのせて相手にぶつける。
凄まじい衝撃が相手を弾き飛ばす。
一瞬で決着は着く。
すなわち、コルビジェリ軍重騎兵は、数の不利を覆すことは出来ず、王国軍重騎兵の前に崩れ去ったのである。
しかし、コルビジェリ軍の目論見は別にあった。
重騎兵による戦闘の間に、コルビジェリ伯爵は城門を抜け出し、山道を通って逃げ去ってしまったのである。
雨が止む。
日の入直前の夕焼けが、城壁を、周囲の空気を、一際鮮やかに紫に染めあげる。
暗くなりゆく地面。
その中でも、アウグスタの立っていた地面だけは、雨に濡れずに乾いていたのであった。