10 跳梁跋扈する佞臣
帝国軍第2軍は、コルビジェリ城にまで後退した。
王国は手持ちの軍を、第5城塞の攻防に集中させる。
これを嫌がる帝国軍第1軍は、第6城塞に後退し、両軍はしばしの睨み合いとなる。
国王から招集がかかる。
俺は26世とともに、第5城塞に向かう。
第5城塞。
大きな丘を利用し、これを円状の城壁で囲っている。
城壁の内側には、四角い監視塔がいくつも立ち並ぶ。
かつて、国王アルフィオが俺を召喚し、その帰りに立ち寄った場所であり、俺にとってもどことなく見覚えはある。
しかし、幾度もの戦闘を経て、巨大化、要塞化が顕著だ。
玉座の間に通される。
中央にある大きな椅子には、小柄な国王がちょこんと腰を掛けている。
古代ローマ風の緩やかなローブを身にまとった国王。
それは、紛れもなくアルフィオ。
実に、久しぶりである。
左右には、いずれも歴戦の勇士、武官達が居並ぶ。
隠蔽泊デシカ、元白薔薇騎士団長ファウスト、そして枢密顧問官ヴィゴ。
「陛下ッ! これに参上つかまつるはメルクリオッ! そして、レオナルディ公爵でありますッ!」
26世が大仰な動作で挨拶をする。
俺は26世にならい、片膝を立ててその場にしゃがみ込む。
アルフィオは、そんな俺達を見下ろしている。
デシカが、国王の代わりに俺達に声をかける。
「両将、よく力を合わせ、難敵に立ち向かい、これを排除した。その働き、真にあっぱれである」
「ありがたきお言葉」
「ついては、メルクリオ大元帥に、全軍の統帥権を与えよう。受けてくれますか?」
「ハッ! それはもう、謹んでお受けするのでありますッ!」
今まで、国王の下にあった全軍の統帥権を、26世に譲るというのだ。
これはただ事ではない。
「では。軍神メルクリオに対し、叙任の儀を執り行う。陛下、こちらへ」
アルフィオは立ち上がり、ゆっくりと26世の近くに寄る。
そして、感情のこもらない声で、話しかける。
「その前に大元帥。君の話が少し聞きたい」
「何なりとご下問ッ! 願いますッ」
「君は、アンリ王子の反乱を鎮めたと聞く」
「そのとおりでありますッ」
「率直な意見を聞きたい。アンリ王子のことをどう思う?」
「ええ。彼は心優しき青年でありますッ。仲間を大切にし、人々からは愛されるッ。領主たる者の一つの理想形でありますッ」
「では、公爵は彼のことをどう思う?」
「そうですな。彼は寡兵でもって、王国軍を打ち破るために、いくつもの博打を打ちました。それが裏目に出てしまったがために、敗北したと言えましょう」
「なるほど。大元帥は人の性格に着目し、公爵は人の機能に着目するということか」
「そのとおりでありますッ!」
何やら、不穏な空気を感じる。
しかし、26世は、そんなことにはお構いなしに元気いっぱいに応える。
「次の質問に移る」
「ハッ!」
「白狼公との決戦。大元帥はどのように振るまった?」
「それはもう、英雄として敵将との決闘を申込んだのでありますッ!」
自信満々に応える。
普段驚きを見せないデシカが、一瞬だけ焦った顔を見せる。
「それは勇ましいことだ」
アルフィオは大きく頷く。
その様子を見た武官達は、緊迫した空気が和らぐのを感じ、次々に追従を述べる。
「相手は、あの野蛮にして残忍な白狼公」
「それをあえて一騎打ちを申し込むなど、ただ者ではない。勇者にしか出来ぬことよ」
「まさしく、彼こそ古今無双の英雄!」
ファウストは、実情を知っているだけに眉根をひそめる。
アルフィオは場が静まるのを待って、さらに26世に問いかける。
「結局、決闘は行われなかったと聞いているが、それは真か?」
「ハッ! 敵将は武人の風上にも置けぬ腑抜けでありましたッ! 決闘を受けないばかりか、吾輩を矢で射掛けてくる始末ッ!」
ここぞとばかりに、ヴィゴが大きな声で続く。
「しかし、そこは、我ら大元帥! 英雄たる胆力を発揮なされた!」
26世は、ヴィゴの囃しに乗っかる。
「矢の嵐の中、吾輩はブドウ酒をかっ食らい、真の英雄とは何たるかを教えてやったのでありますッ!」
「その後、全軍突撃を命じたと聞く。何を目的として、そのような危険を犯した?」
「そうでありますねぇ。うん。公爵殿、どうであったかッ?」
「後方の敵本営を攻撃するのが真の狙い。であるから、大元帥閣下が陽動を引き受けた次第。ですね、大元帥閣下?」
俺は粛々と応える。
「追撃戦を行わなかったとも聞く」
「敵将は森の中での戦闘に長けているのでありますッ。国王から預かりました大事な王国兵士ッ。危険に晒すわけにはいかぬと愚行したのでありますッ」
「大元帥は酒に弱いそうではないか。真実を述べよ。君が泥酔していたため、追撃どころではなかったのではないか?」
「いあ……。そのような恐れ多いことは決してないのでありますッ」
「公爵。いかがか?」
26世大元帥閣下はいそいそと俺を振り返る。
その瞳は心細げ。
窮地に陥って、親に助けを求める小さな子供のよう。
「大元帥閣下は、敵軍の眼前でも酩酊を厭わない、古今無双の英雄であります!」
「そうか」
アルフィオは、王座に戻り、宣告する。
「メルクリオ26世。君に一つの仕事を与えたい」
「何なりとッ!」
「レオナルディ城の警護はやや手薄に感じる。公爵領に赴任し、アンリ王子とともに万が一に備えよ」
「どういうことでッ? 統帥権はどうなったのであろうかッ?」
しかし、哀れな26世の言葉は誰にも届かない。
「公爵に伝える。夕暮れ時に余の部屋を訪ねよ」
「ハッ」
「では、閉会とする」
「いやはや、大元帥閣下におかれましては、今までの精進、真にご苦労でしたな。アッハッハ!」
ヴィゴが高笑いをしている。
俺は与えられた自室で、ヴィゴと密談に耽けっている。
「笑ってやるな。多少気の毒になるではないか」
「左遷を命じられた時の奴の顔を思い出すだけで、笑いが止まらないのです。クフフ」
「彼自身は大変純朴な男。誰に対しても誠実そのもの。まぁ、自信過剰が玉に瑕と言ったところか」
「しかし、周りが彼を持ち上げ、閣下を蔑ろにするのです。これは許されることではありません」
「私自身にも、傀儡である彼を利用する旨味はあったのだがな。それに、妙な親近感を抱いてもいた」
「心にもないことを。閣下の野望を阻む者は、順次、消していかなければなりません」
「それはそのとおりだ。何人たりとも、我が野望を邪魔立てはさせん。天罰でもって、処すこととなろう」
さて、大元帥閣下。
公爵領の守護はお願いしましたよ、ハッハッハ!
ヴィゴは色を改めて、話を続ける。
「それはさておき。国王の振る舞いは常軌を逸しておりますな。この度はそのために救われましたが」
「確かに。メルクリオ26世に統帥権を与えることは決定事項であったろうに、それを覆してしまった」
「自身が脆いガラスであると信じ込み、側近を観察し、自身を将来傷つけるであろう人物と判断したらば、即左遷。もはや、狂気としか言いようがありません」
「ほう」
「閣下も十分にお気をつけあそばされませ。閣下の野望は、さらなる高みにありますからな」
「そうだな」
そうなのか。
「ところで、私は一度王都に戻ります。今回の件で、いろいろと根回しが入用ですのでね」
「そうか。共闘できないのは残念だ」
「私もです。そこで、お別れの前にお耳に入れておきたいことがあります」
「何かな?」
「閣下は、激怒皇帝の狙いはどこにあるとお考えです?」
「王国の滅亡だろうか」
「違います。奴の狙いは王都にあります」
「何故、王都なのだろうか」
「奴にとって大切な何かが王都にあるのです。閣下におかれては、何が起きようとも、目の前の激怒皇帝との対決に注力なされますよう、そして、このこと、ゆめゆめお忘れにならぬようお願いします」
俺の部屋に、ジーナとエリオが訪ねてくる。
二人は黙ったまま、競い合って俺の部屋を掃除し、やがて去っていく。
その後、アキレとサルヴァートランジェロが連れ立ってやって来る。
以前、アキレはサルヴァートランジェロの下で働いていたこともあり、この二人は大変な仲良しである。
「兄貴。サルヴァの旦那が話したいことがあるってんで、連れてきたんだ」
「おぃ。他人がいる前で、その話し方は止めろ」
「おっと。すまねぇ」
アキレは、頭をかいている。
「それで、サルヴァートランジェロよ。どうしたのだ?」
「街道のど真ん中に、老いぼれが転がっていてよぉ。邪魔なもんで、うちの若い奴らがそいつにちょっかいを掛けたってわけよ」
「問題を起こすなよ」
「おぃおぃ、こっちは悪くねぇぜ! で、そいつ、目を起こしたはいいが、うちの若い奴らを軽くのしてくれちゃって」
「収集がつかなくなったから、私に出向いて欲しいと?」
「あんた、頭いいなぁ! ちょっとの間でいいんだよ、ちょっとで」
「力比べなら、俺が出るまでもない。アキレ、その御老体を安全な場所に移動して差し上げろ」
「承知!」
その時。
扉がノックされる。
扉を開けると、入ってきたのはブリジッタ。
入ってきたはいいものの、部屋の中でキョロキョロしている。
嫌な予感がする。
ブリジッタと仲が良いジーナはどこへ出掛けたというのだ?
早く帰ってこい。
しばらくして、ブリジッタがようやく口を開く。
「その人達を同席させるのか?」
一対一では気まずい。
是非、二人には同席して欲しい。
「彼らは私の親友です。信頼してやって欲しい。それとも、彼らに聞かれてはまずいことでも?」
「そっか……。じゃ、そのままでいい」
再び沈黙が続く。
ふと、気になったことがあり、俺は問いただす。
「白狼公との戦いを見ていました。何故、刺し違えようとしたのです?」
「終わったことだから、もういいだろう」
「よくはないでしょう。何だか、投げやりな態度に思える」
「そんなことは、知らない。それに、貴方は唯一の元帥になった。私のことはもういいだろう」
監視役から降りたいということか。
「私の補佐を続けてくれるなら、相応の扱いは約束しますが」
「そんなものに興味はない」
「どうしても去りたいというのですか?」
「ああ」
「理由は?」
「私は貴方の操り人形じゃない。それに、私は敵国で将軍を務めていた。私を嫌う兵士も多いだろう」
こんな妙なタイミングで、自我が芽生え始めたというのだろうか。
それ自体は、悪いことではない。
しかし、それでは俺はファウストとの約束を守れない。
「そうですかぁ。しかし、困ったなぁ。私は、貴女のこの一ヶ月間弱の衣食住を全て賄ってきたのですが」
「それを払えと?」
「当然でしょう」
アキレが思わず呟く。
「細けぇ!」
「几帳面と言ってくれ給え」
しばらく、睨み合いになる。
「だったら、払うよ」
「当てはあるのですか?」
「いつか必ず……」
「そいつはいかんぜ、姉ちゃん! 払うものは今すぐきっちり払ってもらわなきゃ」
神妙に聞き耳を立てていたサルヴァートランジェロが、ここぞとばかりにしゃしゃり出てくる。
本職ではないかと思われるような迫力だ。
「だったら、私をどうするつもりだ?」
「……」
操り人形になって欲しい?
「おぃ、誰かなんとか言ってやれよぉ」
サルヴァートランジェロが悲しげに言う。
仕方なく、俺は口を開く。
「私という壁を超えるまでは、貴女は籠の中の小鳥に過ぎない」
「超えてみせろと?」
俺は無言で頷く。
アキレが呟く。
「それって、兄貴。今は大切な仲間だって思ってるってことじゃねぇか」
「え?」
気まずい沈黙が続く。
サルヴァートランジェロが相好を崩して、握手を求める。
「改めてよろしくな。姉ちゃん。でさ、名前は何ての?」
「アウグスタ。雷神のアウグスタだ」
「おふ……。そいつは何ともまぁ……、その、よろしくで」
日が暮れてから、王の部屋に向かう。
室内に応接卓はあるものの、隣にはベッドも置かれ、プライベートの色が強い部屋である。
メイド達は控室に下がり、俺と国王は一対一になる。
「レンゾ・レオナルディ。少し話がしたくてね」
アルフィオは、対面に掛ける。
真面目な顔をしているが、その面持ちは少年の域を出ていない。
対面しているだけで、懐かしい思い出が溢れてくる。
いかんいかん。
油断してはいけない。
彼はシビアな人事を行う国王だ。
ヘマをすれば、俺も26世の二の舞だ。
「光栄であります」
「信用していた配下は皆、僕の手元から去っていく。君は、僕のこと、嫌いかい?」
「滅相もございません」
「昔は僕のことを嫌っていたよね?」
レンゾとアルフィオ。
従兄弟同士ではある。
ひょっとすると、親しい間柄なのかも知れない。
しかし、その間柄を知らない以上、今さら軌道修正することは出来ない。
「そのように思われたのであれば、それは私の不徳の至り。平にご容赦願います」
「そうかい」
アルフィオは立ち上がり、唐突に側にあるロングソードを手に握る。
「汝、レンゾ・レオナルディを大元帥代理に任ずる」
驚いている俺をよそに、俺の肩と仮面にロングソードの腹を軽く当ててくる。
燭台に灯るローソクの火がやけに眩しく感じる。
「有難き幸せ」
「君は、僕から離れていかないでおくれよ」
「もちろんですとも」
「そっか……」
何か、俺は試されているのだろうか。
アルフィオは、深い溜め息をして、剣を手放す。
そして、俺の側に近寄る。
「どうしても、その仮面の下の顔は見せてくださらないのですか?」




