14 哀しき実力差
敵軍は、コルビジェリ第一城砦を打ち捨てたまま、北に落ち延びていった。
その結果、我軍は、何ら抵抗を受けることなく、これを占拠することに成功した。
俺は、敵地にあるこの拠点に確固たる支配をもたらしたい。
そこで、王国軍第一陣を第一城砦に集結させた。
次いで、俺は軍議を開く。
呼んでもいない英雄達まで勝手に参集している。
ペーター王が、早速口を開く。
「自らが囮となって伏兵をあぶりだす作戦。実にお見事でした! 貴方は、正に勇気の人です」
「あ? ああ……」
内情は、そうではない。たまたまうまく行っただけなのである。
俺は、アウグスタをちら見するが、彼女は無表情のままである。
「敵軍は既に死に体です。対する我軍の負傷者は、百にも及びません。このまま一気に進撃しましょう!」
俺は邪念を振り捨てて、地図を広げる。
ここで、次の戦略目標を明らかにしておきたい。
現在地コルビジェリ第一城砦は、海岸近くの崖上にある。
我軍は、今からここを拠点に街道を北上する。
街道は、コルビジェリの居城につながっている。
さらに、居城の先で、街道は二つに分岐する。
海岸沿いの道と山の道だ。
分岐した二つの街道をさらに北上すると、大要塞の手前で再び一つに結び付く。
大要塞は、東西に伸びる長城であり、東の山岳地帯から西の海岸線までをすっぽりと覆っている。
さらに、大要塞の以北には、大渓谷が広がっている。
この大渓谷がコルビジェリ伯領の北境であり、かつて、大要塞と大渓谷は対神聖帝国の要害でもあった。
しかし、今現在は、コルビジェリ伯のアルデア王国に対する離反により、国境は、フッチ辺境伯領とコルビジェリ伯領との間にまで削られてしまったのである。
それはさておき。
俺が、さしあたって宰相から指示を受けているのは、その大要塞の奪還である。
そのためには、まず、コルビジェリ城を陥落せしめなくてはならない。
その上で、コルビジェリ城を前線の兵站基地として、これを防衛する。さらに北上し、大要塞を陥落せしめなくてはならない。
ちなみに、帝国軍はコルビジェリ伯領内におらず、未だ、大要塞以北にいるようである。
そして、大要塞自体が堅固な造りであり、一度帝国軍が大要塞に入城してしまうと、大要塞の奪還は難しくなる。
だからこそ、そうなる前に、片を付けたい。
だからこそ、進軍は急ぐべきである。
俺は、地図上を指し示して明言する。
「次は、コルビジェリ城を攻略する」
初めての攻城戦である。
そこで、アウグスタが口を開く。
「野戦とは違って、敵軍に圧倒的に有利な状況での戦いになる。まずは、入念に偵察を行い、弱点を洗い出す必要がある」
「私が偵察に向かう。すぐに出発する」
とはいったものの、正直なところ、あまり気乗りはしない。
前回の戦いで、俺は死の恐怖を味わった。もう、あんな苦しい思いをしたくないのである。
とはいえ、俺は、次こそは活躍せねばという強迫観念を抱いているのであり、その強迫観念は、恐怖以上に俺を揺さぶってくる。
「待て」
アウグスタが、俺を呼び止める。
「何か?」
「貴方にばかり負担をかけている。今回は、我々も同行する」
嫌味なことを言ってくる。
ツリ目の英雄が続く。
「君の行動は自由奔放にすぎる。我々との連携を欠かすな」
次いで、タレ目の英雄がフォローする。
「俺達にも、活躍させろってことだ」
「しかし……」
彼らから解放される偵察の時間だけが、俺の心のオアシスなのである。
そんな俺の思いをよそに、トンガリ帽の英雄が元気よく宣言する。
「準備できました! いつでもオッケーです!」
海岸沿いの草原を、アウグスタを先頭に七騎が疾走する。
俺も、必死に最後尾に食らいついている。
トンガリ帽が、スピードを落とし、俺に並走してくる。
呪術的な形状のネックレスをつけており、それがジャラジャラと音を立てている。
「君、なんだかよそよそしいね。あたし、カタリナだけど、もちろん覚えているよね?」
「もちろんだ」
「目が虚ろだよ」
そもそも、俺は、この女のことなど知らない。
それに、今はそれどころではない。馬から振り落とされないように精一杯なのだ。
しかし、カタリナは、俺を思いやることなく、朗らかに語りかけてくる。
「メルクリオっていえば騎兵でしょ? それが、今回の戦いで、騎兵を使わないなんてね。なんだか、あたしも面白くなっちゃって、ついつい張り切っちゃった」
「君の泥人形のおかげで、伏兵を追い払うことが出来た。こちらの意を汲んでくれて助かった」
「泥人形? あたしの可愛いペルディクスを、そんな風に呼ぶなんて!」
その時。
アウグスタの叫び声が聞こえる。
「敵騎兵五騎! 戦闘に入る! 私に続け!」
遠くに騎兵の姿が見える。
ボロボロの鎧をまとい、くたびれた様子の騎馬を駆っている。彼らは、敗残兵に違いない。
とはいえ、敵騎兵は剣を引き抜き、こちらの様子を伺っている。戦意を喪失していないのである。
英雄達は、アウグスタを先頭にして加速する。
彼我の間には、二メートル程の柵が延々と続いており、戦闘の障害になる。
どうするのかと思っていると、アウグスタは器用に体を捻って、騎馬を高く跳躍させ、騎馬ごと柵を飛び越える。
英雄達が、次々にこれに続く。
嘘だろ……。
やめてくれよ。
彼らは、俺にも、跳躍が出来ると思っているに違いない。騎兵戦術といえばメルクリオといわれている以上、当然のことである。
しかし、そんな危険な芸当、俺は試したこともない。下手を打てば、大怪我は免れない。俺は絶対にやらない。
ところが、先程まで話を交わしていたカタリナすらも、容易く柵の向こうへと移動する。
あの女は、どこにでもいるような普通の人間であった。俺と同じである。それなのに、こんなことが出来てしまうのである。俺とは違うのである。
もっとも、イクセル爺さんに限っては、こんな危険なことをするはずがない。
そんな俺の期待もむなしく、イクセルは楽々と騎馬ごと柵を飛び越えていく。
俺は、自分の馬の瞳を見つめる。
お前、ちょっと頑張って跳躍してくれたりしないかな?
しかし、馬は知らん顔をしている。
結果、俺は柵の手前側で一人取り残される。
戦闘はすぐに始まる。
筋肉ダルマが戦斧を両手で天に掲げる。と同時に、尋常でないスピードで馬ごと突進していく。
敗残兵は恐れをなして、逃走を開始するも、背中から馬ごと叩き切られる。
次いで、アウグスタは、敗残兵の行く手に回り込み、その頭を制する。
敗残兵は、急旋回し、四散しようとする。
その急停止の隙を、タレ目は見逃さない。
短槍を素早く突き出し、相手を貫く。
アウグスタは敗残兵に馬ごとぶつかり、相手を地面に叩き落とす。
次の瞬間には、電光石火の剣戟でこれを切り伏せている。
敗残兵の一騎は、他の敗残兵を生贄にして、遠くまで落ち延びている。
ツリ目は、右指を高く掲げて、その敗残兵に向かってこれを振り下ろす。
そうすると、空から光の矢が降り注ぎ、敗残兵はこれに貫かれて落馬する。
ここまで、一瞬の出来事であった。
既に、敗残兵は壊滅状態にあり、残るは一騎である。
その一騎は、あろうことか柵を飛び越える。そのまま、俺に向かって駆けてくるのである。
「後は、適当にやっちゃって!」
カタリナが、大声でのんきなことを言ってくれる。
彼女らは、俺がこの敗残兵と戦って、打ち負かすものと信じて疑わない。
確かに、メルクリオならばそれぐらいはやるだろう。
しかし、俺には無理だ。背に腹は代えられない。
俺は、敗残兵から逃れようと、必死に騎馬を駆る。
ところが、敗残兵は既にすぐ後ろにまで迫り、大剣を振り上げている。
お前、他の英雄達からは逃げ惑っていたくせに、何で、俺にだけ向かってくるんだよ。頼むから、逃げてくれよ。
俺は恐れのあまり、グラディウスを引き抜き、そのまま振り返りもせずに、敗残兵に向かって投げつける。
無論、当たるはずもない。
敗残兵は意に介すことなく、猛追を続ける。
あわや、斬り伏せられるその直前。
カタリナが下馬し、地面に手を当てる。
泥人形が立ちあがり、奇怪な動きで疾走し、敗残兵に飛びつく。
敗残兵はバランスを崩して、落馬する。
同時に、泥人形が爆発する。
「人殺し!」
敗残兵は、爆発の衝撃で遠くへ弾き飛ばされる。
俺の側に、カタリナが寄ってくる。
「さっきの派手っしょ? でも見かけだけなんだ。面白いっしょ?」
「ハハハハ」
しばらく草原を進むと、山岳地帯を借景に、大きな丘が見えてくる。
丘の上には石壁がそびえ、円柱の監視塔が立ち並んでいる。
コルビジェリ城である。
直径五百メートル程度の小さな城であり、その守備は、一方を急斜面の山岳に頼み、三方を城壁で賄っている。
さらに、丘の近くには大河があり、この大河から水を引いて城壁外に堀を形成している。
我軍は、このコルビジェリ城を陥落せしめなくてはならない。
まずは、腰を落ち着けて英雄達と作戦会議を持ちたい。
ちょうど、城の外に村を見つける。
赤屋根の家々が立ち並び、人々が行き交う姿が見える。
しかし、我々が村に近づくと、村人達は慌てて家の中に潜り込む。
タレ目が馬を降り、人々の間に割って入ろうとする。
「おおい。そんなに慌てなくてもよいだろう。ハッハッハ」
「人殺し!」
乳飲み子を抱えた女性が、逃げ遅れて目を血走らせている。しかし、他の村人達は、知らぬふりである。
「我々は七英雄だ。貴方達に危害を加えるようなことはしない」
アウグスタは、村人達に向かって落ち着いた声で語りかける。
だが、村人達からは何の反応もない。
ツリ目が冷静に分析する。
「どうにも、侵略者と勘違いされているようですね」
その時。
背後から、小石が飛んでくる。
「いて」
俺は、小石を避けようとして背を反らしたが、その目測は誤りであり、逆に小石は俺の肩に直撃する。
さらに、次から次に小石が飛んでくる。
「帰れ!」
「七英雄が領主様と戦うわけがない。お前達は魔人だ!」
「ふんだくれるものなんて、ここにはないぞ!」
「災いを招き込みやがって!」
「旦那を返してよ!」
散々である。
村の入口には、木陰に不格好な女神像が安置されている。
アウグスタは、その女神像に何気なく目をやり、然る後、街道の先を見据える。
「先を急ごう」
ここで、英雄達は二組に分かれる。
俺は、イクセル、カタリナと組んで城の裏山に登り、城内を観察する。
もう一組は、城壁を周囲から子細に観察する。
任務は了解したが、しかし、裏山は急峻であり、しかも、道らしい道がない。そのため、一瞬で体力を持っていかれる。
ところが、イクセルは体力の限界を知らないかのように、黙々と先を進む。
そこで、突然カタリナが叫ぶ。
「ああああ、疲れた。休もうよお!」
カタリナは体力自慢ではないようだ。
多少の親しみを覚える。
それでも、何とか急斜面を登り切り、尾根に出る。
尾根伝いに進み、やがて、頂上付近に差し掛かかる。
「おお。よく見えるのう!」
針葉樹の隙間から、眼下に城内が見える。丸見えである。
ここから、城内に石でも投げこんでやれば、さぞかし、敵軍は驚き慌てることだろう。
それはさておき。
ここは、周辺を一望できる絶景スポットである。
俺は、視線を遠くにやる。
地図でしか見たことのない地形が、そこには現実のものとして横たわっている。
遥か北方には、大要塞の威容が見える。その先には、底なしの大渓谷がある。
その先は霞んでおり、俺には見えない。
「あれは帝国兵じゃな」
「え?」
イクセルは指を差してみせる。
「大渓谷に架かっておる、あの橋の上じゃ。橋を通って、大要塞に入っていきおるわい」
「……」
大渓谷は、三十キロメートル以上先にある。
そこにいる人影など、普通の人間に見えるはずがない。
「一万……。いや、推計するに全部で二万弱かのう。たくさんおるのう」
「二万……」
「ワシらは間に合わんかったようじゃ」
既に、神聖帝国軍が大要塞に入城している最中のようである。彼らの入城前に、大要塞を陥落せしめるという俺の作戦は、早くもとん挫した。
しかも、その兵数は、我軍を圧倒している。我軍は第二陣を合わせたとしても、一万にも及ばないのである。
しかも、我軍は、コルビジェリ軍との戦いも終わっていないというのに、帝国軍との戦いも同時並行に始めなくてはならないのである。
イクセルは、まるで他人事のようにのんきな調子である。
だからこそ、俺は、事の重大さに気付くのに、多少の時間がかかってしまったのである。
「大要塞を陥落せしめるなど、もはや……」
「うろたえるでないぞ」
そこにカタリナが続く。
「大丈夫」
確信をもって、大きく頷いてくる。
「そうかなあ……」
俺には無理だ。
しかし、彼らは最強の七英雄様である。
凄い作戦を持っていても、おかしな話ではない。
はたして、カタリナはその凄い作戦を披露してくれる。
「メルクリオが、ぱぱっと凄い作戦でやつけちゃうからさ」
「ぱぱっじゃな、ぱぱっ。ホッホッホ」
駄目だあああ……。
俺達は、コルビジェリ第一城砦に戻る。
俺はすっかりとふさぎ込んで私室に籠もるが、そこへアルが訪ねてくる。
部屋には窓がないせいか、とても暑苦しい。
「コルビジェリ城はいかがでしたか?」
「ハハハハ。まぁ、裏山から城内に石を落とせばあるいは……。しかし、そんなにうまいこといくものかな……。しかし、数日で落とさないとだな……。帝国軍に挟撃されたらお終いだ……」
アルが俺を見つめている。
急にニッコリとして、意を決したかのように語りかけてくる。
「メルクリオ様。私は貴方を信じています。貴方は私達には見えないものが見えています。この国を救えるのは、他の英雄じゃない。貴方です」
全く、どいつもこいつも脳天気な奴らだ。
人を信じて、人に寄生する。自分は目をふさいで耳をふさいで、何も考えようとはしない。
しかし、いざ失敗すると、期待を裏切られたなどといって、俺を悪しざまにいう。俺に騙されたと開き直る。
じゃあ、お前達は何をやったというのだ? 俺の代わりが務まったというのかよ。
「私は、メルクリオなんかじゃない。全部嘘だ。もう許してくれえ!」
俺は非常に情けないことだが、少し涙目になっている。
アルは、俺の言葉を聞いて、途端に神妙な顔になる。
「わかっています……」
「え?」
俺は、思わずアルの顔を直視する。
そうか。
馬鹿もおだてりゃ木に登る。その方式だったのである。
もしくは、俺が苦しんでいる姿を見て、ほくそ笑んでいたのかもしれない。
期待など初めからなかったという安堵感とともに、暗い感情が脳裏をよぎる。
「メルクリオ様は、つまり、将来の作戦のために、自分の存在を敵軍に知られたくないということですね。わかります。味方を欺いてこそ、敵をも欺けるということですね」
「は?」
わかっていない。
松明の火が、アルの顔半分を照らし出している。
その美しい瞳が、闇の中にぼんやりと浮かび上がっている。
俺は途端に恐ろしくなる。
こいつは、俺を信じている。絶対的に、一分の疑いもなく。
俺に対して進め進めと号令し、その場に留まることを許さない。
一体何なんだよ……。
しばらくして、アルが退室する。
俺は、小さく呟く。
「あぁ。二度と会うことはないだろうよ」