04 炎の揺らぎ
王城から徒歩一分。目と鼻の先。
何の変哲もない石造りの家に、アウグスタは住んでいるという。
死んだはずのアウグスタが復活している。
さすがに、そういう幻想は抱かない。
おそらく別の誰かがアウグスタを名乗っているのだろう。
わずかに緊張しながら、呼び鈴を鳴らすと、すぐにドアが開く。
「公爵殿か?」
現れたのは、驚くべきことに知人であった。
「これは、ファウスト・コルビジェリ殿ではないか?」
彼との因縁は浅くない。
彼は、コルビジェリ裏切伯の長男として、白薔薇騎士団を率い、神聖帝国の将軍として俺と対峙。
幾度もの戦いの後、俺は彼の捕虜となるも、彼の導きにより牢獄からの脱出・逃走に成功した。
数年後には、彼は反乱軍の将軍として、レオナルディ子爵となった俺と対峙。
今度は、俺が彼を下し、彼は王国の捕囚となったのであった。
「本日は、何用ですかな?」
「武勇誉れ高きファウスト殿に、少し戦について講釈をいただきたくてな」
「左様ですか。ならば恐れながら、少しこのままお待ち下さい」
少しの間、逡巡している様子ではあったが、すぐに意を決して、家の中に引っ込む。
まさか、あの武人ファウストが、古代帝国の美丈夫アウグスタだったとは思いもよらなかった。
いや、そんな珍妙なことがあるか?
誰がどう見ても偽物の英雄だろう。
実は、ファウストは、古代から召還されたアウグスタその人であり、幼少の頃にコルビジェリ伯爵に拾われたのであった。
などと言われても、絶対に信じない。
なんせ、まずもって性別が違う。
いくらなんでも、男を女帝アウグスタと言い張るのは、ありえない。ナンセンス。
雑すぎやしませんかね、宰相閣下殿?
それとも何だ。
これからは、ファウストを女装して戦わせるというのか?
それは、本人の面目が丸つぶれだろう。
もっとも、俺にとって、これはチャンスである。
彼のことはよく知っている。
きっと条理を通して説明すれば、俺の力になってくれるはず。
しばらくすると、ファウストが玄関口に戻ってくる。
「あばら家ではありますが、どうぞ」
家の中は必要最小限の火が灯っているのみで、とても暗い。
俺は、黒い卓を挟み、ファウストの対面に腰掛ける。
ファウストが相手ならば、小細工はいらない。直球で勝負をかけることとしよう。
「戦場は今一進一退である。貴殿ほどの猛将が、何故ここで燻っているのか」
「恥ずかしい限り。ただ、私事によりこの地を離れられないのです」
「謹慎を命じられているわけでもないようだが」
「有り難いことに、反乱軍に関与した罪は免除していただきました」
「不躾ながら聞きたい。私事とは何のことだろうか?」
「申し訳ない。それ以上は立ち入らないでいただきたい」
キアラと王家に忠誠を示すため、家族を捨ててまで神聖帝国を捨てたファウストが、今になってそういうことを言うのか。彼もまた、信念を失ってしまったというのか。
さすがにそれは信じたくない。
「王国第一の忠臣であった貴殿が、再び王家のために力を振るう絶好のチャンスだと。そう思うのだが」
ファウストは目を逸らす。
戦争が怖いというわけでもないはず。
なのに、何故だろう。
「貴意に沿えず誠に申し訳ない」
「理由を教えて欲しい。いや、責めているわけではないぞ。私で良ければ、力になりたいと思うのだ。しかし、話を聞かなければ、力になりたくてもなれないではないか」
ファウストは頭を振るばかり。
「兄上。私のことは気にしないでください」
突然、隣の部屋から弱々しい声が聞こえてくる。
扉が開き、一人の女性が現れる。
「お前は出てくるなと言ったろう」
奥から現れたのは、ファウストの妹、ブリジッタ・コルビジェリ。
かつては、神聖帝国の将軍として俺の前に立ちはだかり、黒薔薇騎士団を率いて俺を散々にいたぶってくれた憎い女だ。あの時のことはまだ忘れていないぞ。
その後、公爵領に侵攻してきたところを返り討ちにし、一騎打ちの末、捕虜にしてやった。
そいつが、今目の前にいる。
こいつもまた、免罪を受けたということか。
俺は感情を殺して、淡々と言う。
「なるほど。兄妹での仲良き生活を、公務に優先させるということだな」
自分でもぞっとするほどの冷たい声が出る。
ファウストには、王家へ絶対の忠誠を誓う騎士というイメージがあり、それをこっぴどく裏切られたからに違いない。
しかし、自分のイメージを相手に押し付けるのは、お門違い。
いいじゃないか。家族を優先しようとも。
現れたブリジッタはゆっくりと俺を見、そして瞳を大きく見開く。
「あ、ああ……」
自分を下した俺に、怯えているのだろうか。
その時。
ろうそくに灯る火が、どこからともなく吹き込んできた風に煽られ、ふわりと大きく揺らめく。
「いやああああ!!」
ブリジッタは頭を抱えて、その場にしゃがみ込む。
ファウストは慌てて立ち上がり、妹の側に寄る。
そして、彼女の背を優しく撫でる。
ブリジッタは、長い間全身を痙攣させていたが、次第次第に落ち着いていく。
「申し訳ない。妹は、炎を恐れるようになってしまって」
「炎といえば、ブリジッタ嬢の特技ではないか?」
「……。公爵殿に見られてしまった以上、仕方ありません。少し、お話しましょう」
ファウストは妹に椅子を与え、その肩にふわりと手を置き、立ったまま俺に向かって話を続ける。
「妹は、私がある男に殺されたと思い込み、その男に復讐するため、暗黒教団に心を捧げました、代わりに得た黒炎の力を利用し、その男を追い詰め、そして、その男は死んだのです」
「しかし、貴殿は生きている」
「ええ。妹は、公爵殿に破れ、捕虜になった後、私が生きていること、そして、その男は、私から受けた依頼を遂行するために動いていたことを知りました」
「哀れな男よな」
「妹は、自分の行いを後悔するあまり、自分を突き動かしてきた炎を恐れ、それどころか、もはや自活すらできない有様。武門の出である我が伯爵家の風上にも置けぬ……」
言葉とは裏腹に、ファウストは労るような眼差しで妹を見る。
ブリジッタは俯き加減。
すっかり能面に戻っている。
「そうかぁ……。いや、言いたくないことを言わせてしまったな。申し訳ない。妹さんを放っておけない理由もよくわかった」
以前、ブリジッタは家族の団らんを取り戻したいと言っていた。
不完全ではあるが、現在、尊敬する兄との共同生活が叶っている。
それを破壊する権限は、誰にもない。
俺は天井を見上げる。
なかなか諦めきれず、じっくりと考え込む。
何か、いい方法はないものか。
ない。
これは仕方がないことだ。
人ならば誰しもその選択肢にたどり着くことだろう。
ああ。残念だ。本当に残念だ。
ついに、枢密顧問官を味方にすることは出来なかった。
ただ、一言言っておかなければならないことがある。
俺はブリジッタに向かって静かに口を開く。
それは、自身に言い聞かせる言葉でもある。
「若いうちの失敗はよくあることだ。そして、若者はいつだって自分が取り返しのつかない失敗をしてしまったと思いがちなのである。しかし、本当に取り返しのつかない事柄はそれほど多くはない。ならば、小さな失敗に拘泥し、絶対に失敗が許されない試練の前に挫けていてはいけない」
「人は死んでしまえば、それでもう取り返しはつきません」
「死んでしまったその男は、貴女が直接手にかけたわけではないのだろう?」
「しかし、私が追い詰めたことが原因で……」
「死体を確認したのか?」
「首実検はしました」
「そいつは偽物だ」
「え?」
「よく考えてみて欲しい。はたして、そいつはあっさりと死ぬような男だったのだろうか」
「……」
「必ず生きている。そういう風に世界はできている。憎まれっ子世にはばかる、とな」
こうしてここに生きているからな。
「そんな滅茶苦茶な……。たとえそうであったとしても、それ以外にも、私は多くの将兵を手に掛けてしまいました。それも、湧き上がる喜びに打ち震えながら……」
「戦争とは殺し、殺される、そういう異常なものだ。その中に巻き込まれれば、聖人君子であっても正常ではいられない。そして、だからこそ、さっさとこの戦争を終わらせねばならん」
俺は立ち上がる。
そして、辞去すべく口を開く。
その直前。
「公爵殿に折り入って相談があります」
ファウストは意を決したように、鋭い眼差しで俺の仮面を睨む。
俺は、大きく頷く。
「生活費の援助……」
「妹を公爵殿の側に置いて欲しい」
「は?」
「このままでは妹は私を頼るばかりで駄目になってしまいます」
「しかし」
「公爵殿は、稀代の名軍師であることを私は知っています。それに、今のお話で、勇気と優しさの同居する懐の大きい人物であることもわかりました」
騎士らしく、僅かな会話から、直感で俺の性質を判断してみせた。
しかし、それは本当に正しい判断だろうか。
「それと何の関係が?」
「妹を一人前に育てて欲しいのです」
「まずは、ゆっくりと家族団らんの中で心を回復させてからではないか」
「公爵殿にも利点はあると考えますが」
「どういう意味合いかな?」
「妹は枢密顧問官です」
「え?」
ファウストではなく?
「雷神アウグスタの再来と呼ばれています」
神聖帝国軍のアウグスタと呼ばれ、王国軍から恐れられていたのは知っている。
「公爵殿が独立軍を編成するために、枢密顧問官の援助を取りつけようとなされているのは、王都中の噂になっていますよ」
「なんということだ」
「そのように事が運ぶならば、私も憂いなく戦地に赴くことが出来ます」
それは願ってもないこと。
喉から手が出るほど欲しかった枢密顧問官が、今目の前に無力な状態で転がっている。
しかし、欲しい物をストレートに欲しいというのは、相手に足下を見られる隙きを作ってしまう。
暖かな感情は唐突に失われる。ここは交渉力が物を言う場面だ。
そう思い込み、俺は、事ここに至って俺の希望を丁寧に隠蔽する。
この時、相手は俺に信頼を寄せてくれていた。
にもかかわらず、俺はそれに気づくことなく、用心深く相手の出方を探り、そればかりか、兄妹の絆を悪戯に利用し始めたのであった。
「ブリジッタ嬢はどう考える? いや、失敬。このような聞き方はよくないな。兄上は王家の忠臣でありたいと考えながらも、周囲の事情によりやむなくそれを諦めていた。それが、今、帝国との戦いに赴き、忠誠心を爆発させる千載一遇のチャンスを得ている。ここでブリジッタ嬢が、私への同道を断るならば、まるで兄上の志を根底から否定し尽くし、完全にふいにするようなものではないか。断れるはずもないことを尋ねるのは、まさに拷問というもの」
「え……」
「ならば、私はお二方の意見に従い、直ちに偉大なる兄妹の参戦を世に知らしめることとしよう」
軽く夕食を頂戴した後、王城に戻る。
何食わぬ顔で、宰相に対し、枢密顧問官のお目付を得られた旨、報告する。
その後、一人自室に籠もる。
「クックック。良い取引をしたものよ。善行を働いたあとは、まこと空気がうまいのう。ヒヒヒ……」
ブリジッタ嬢にかつての力はない。戦場では何の役にも立たないだろう。
そんな彼女に気を配り、育てていく余裕などないし、そんなことをする気もない。
彼女は枢密顧問官であり、その事実だけが重要。
飾りとして違和感のない立ち振舞さえしてくれれば、それでいい。
「その笑い方は止めたほうがいい。誰がどう聞いても悪役にしか聞こえない」
ドクロがツッコミを入れてくる。
「宰相の鼻を明かしてやることも出来たし、言うことはないではないか。ワッハッハ!」
宰相は、驚いた様子を見せなかった。
どころか、余裕を見せて、さすがは公爵殿などと澄ました顔で宣ってくる始末。
しかし、必死に堪えていたに違いない。
まさか、本当に枢密顧問官を同行させるとは、思いもよらなかっただろう。
ところで、宰相からは、俺と26世の軍編成についての指示があった。
宰相の用意した4,000人の軍団を二つに分け、一軍を26世が、二軍を俺が率いることになる。
問題は、その分割比率だ。
26世は3,000を率い、俺は1,000を率いることとなった。不公平もいいところだ。
それでも一歩前進ではある。
出陣は1ヶ月後とのこと。
しばしの猶予はある。
ならば、いくつかの根回しをしておきたい。
自室の近くの一室を借り受け、執務室として使用する。執務室の小窓からは城の背面に広がる堀が見える。
「ところで、大量の文書が届いたのだが、これは一体何なのだ?」
ドクロが抗議してくる。
「大都市構想の原案である」
これは、俺がメルクリオとして作成したもので、かつての俺の部屋に置かれていたものだ。
他にも、スーツや既に電池切れのスマートフォン、月桂樹の冠や、果ては俺の手製のエクスカリバーに至るまで、漏れなくメルクリオの私物とされる品が運び込まれてきた。
「これらの文書を参照し、王都を歩き回る。戦場に赴く前に、都市発展のための布石や計画を練り上げておきたいのだ!」
これは何よりも楽しい作業である。
こうして、俺は再び徹夜作業に取り掛かるのであった。




