02 偶像崇拝
扉を開けて現れたのは金髪の男。
宰相の隣に移動し、その場にどっかりと腰掛ける。その大胆な動きは、絶対の自信を滲ませる、
「神聖帝国の猛攻の前に、あわやレオナルディ城は陥落の危機。誰もが諦めるその瞬間。颯爽と現れ、王国兵を奮い立たせ、帝国を駆逐した無双の英雄!」
宰相は勢いよく口を開き、淀みなく称賛の言葉を紡ぐ。
ところで、レオナルディ城攻防戦における第一功は俺にある。
しかし、この事実を知っている者は、ほんの一握りである。
果たして、この称賛は俺に向けられたものなのだろうか。
「無類の戦上手。亡ボルドー王国のアンリと対峙し、いささかも怯むことなく、圧倒的戦略でこれを打ち破る。それでも、寛容の精神で彼を照らし、真人間として生まれ変わらせるという奇蹟を実現した、慈悲の英雄!」
もはや、俺以外に該当者はいない。
しかし、そこまで褒められると、居心地が悪いものではある。
それでも、これ以上に沈黙を続けるのは、逆に失礼にあたる。
仕方がない。
俺は鷹揚に頷き、そして呟く。
「皆までいわずともよい……」
「その名は!」
宰相はほとんど叫ぶようにして言葉を止める。
途端に、金髪の男が言葉をつなぐ。
「吾輩はメルクリオッ!」
「軍神メルクリオ様であります!」
宰相は呼応する。
金髪の男は、宰相の追従にいささかの恥じらいもなく、真面目くさった顔で、口をへの字に曲げて、そのまま大きく頷く。
彼の顔はエキゾチック。
とても見覚えがある。
「これはこれは。メルクリオ26世殿ではござらんか?」
「左様ッ。公爵殿とは幾度も前線で共闘したのであるッ! 久しいですなッ」
神聖帝国との戦いでは、彼がロビンに代わって総指揮を務めていた。
アンリ率いる反乱軍の鎮圧の折にも、彼が総指揮を務めていた。
彼自身、指揮能力が高いわけでもなく、戦闘能力に秀でているということもない。
唯一の取り柄は、どんな窮地にあってもポジティブさを失わないこと。つまり、お調子者であることだ。
その実態は、不自然なほどにちやほやされている男。
ただの偶像に過ぎない。
「顔見知りであれば話は早いですね。彼こそが双剣の英雄。その再来であります」
七英雄という絶対であるはずの存在が、砂上の楼閣のごとく崩れていく。
違う。これは違う。絶対に違う。
七英雄とは、天災に例えられるほどの圧倒的存在であり、無敵の概念である。
少なくとも、俺が比肩されるために必死になっていた七英雄の実力とは、こんなものではないはず。
そして、七英雄を僭称するなど、許されることではない。
目の前の男は、そんな禁忌を犯そうとしているのだ。
「失礼ながら、私の知っている双剣の英雄ではないな」
「確かに、公爵殿が召還した双剣の英雄とは別人でしょう。ですが、紛れもなく、彼こそが正当な手続きで呼び寄せたメルクリオなのです」
「ついに正体が顕となってしまったのであるッ! こうなってしまった以上、七英雄を正しく導いていく所存なのであるッ!」
傲慢なことに、自らが七英雄のリーダーであると自負している。
その無鉄砲ぶりに呆れるあまり、俺は平静を取り戻す。
つまらないことで、感情を荒立てるものではない。
宰相は、彼がメルクリオでないと知りつつ、メルクリオと名乗らせているのではないか。
偽物を本物と祀り上げる点では、アウグスタやイェルドの前例もある。
その狙いは、王国の秘密兵器として、その存在を対外的に印象づけること。
穿ち過ぎだろうか。
「宰相が言うならそうなのだろう。ところで、我々を集めたのはどういう意図か?」
「お二人には、双璧として王国のために尽くしていただきたいと考えています」
「相わかったッ!」
まだ何も説明されていない。
早合点もいいところだ。
「ですので、両雄には、是非ここで顔合わせをと思い、お呼び立てしたのです」
「なるほど。それで、どのようにして尽くせと? 私は元帥として招かれたと聞いているが?」
「順を追って説明しましょう」
宰相は、居住まいを正した上で、唐突に戦況を語り始める。
「王は新しい兵装を着想し、一気に戦線をフッチ城から大要塞付近にまで押し上げました」
王が着想したのは、プレートアーマーによる兵装であり、これにより完璧な防御を手に入れた。
以後、戦場は、棍棒を用いた無秩序な殴り合いが横行しているという。
「しかし、皇帝はこれに抗して、捕虜を盾として使い、時に惨たらしい見せしめとして用い、我軍の士気をおとしめました。加えて、昼夜を問わず、犠牲を厭わぬ猛攻を繰り返し、コルビジェリ城は再び帝国に奪われてしまいました。現在、戦線はフッチ城とコルビジェリ城の間で一進一退となっております」
「つまりッ! 我々にアルフィオ殿下をお救い申せとッ。そういうことですなッ?」
「さすが、メルクリオ様。まさにそのとおりでございます」
戦えと?
「優秀な将軍が足りないのか?」
「フッチ将軍、デシカ将軍。名のある将軍は既に前線に出向いております。しかし、さらなる戦力を投下せずに、この均衡を打開することはできないのです」
「勝てば進軍。負ければ逆襲。それでは、いつまでも戦いは終わらないだろう。目標はあるのか?」
「一つの失敗から我々は教訓を得ました。大要塞を陥落させることが我々の目標です。つまり、戦前の国権を回復し、それ以上の過剰防衛は行わない。既にそう厳命しております」
「ほう」
ようやく飽くなき拡大路線の悪弊に気がついたようだ。
「そして、私は戦争後の世界に強い期待を抱いております。加えて、戦争の功労者には是非、戦争後の国政に力を発揮していただきたい、そう思っているのです」
その熱意を込めた言葉に嘘は感じられない。
そして、俺の意中をよく汲んでくれている。
さすが、宰相といったところだ。
俺は戦争など大嫌いだ。しかし、戦争は俺にとっての手段である。
戦争で功を上げ、名声を上げ、一気に戦争を終わらせる。
上げた名声を利用し、国政に進出する。
そして、俺は新たなる世界の創造に関与するのだ。
産業の涵養、流通の発展、そして、国民生活の向上。戦争後にやらねばならないことは盛りだくさん。
果たして、命尽きるまでにどこまで成し遂げられるだろうか。
突然、宰相は俺の顔から視線を逸らす。
「4,000の兵を興しました。この軍団を操縦するのは歴戦のお三方。すなわち、レオナルディ公爵殿とヴィゴ様の両元帥、そして、軍団を統べる大元帥メルクリオ様であります」
「無論ッ! この身は正義の実現のためにあるッ」
「有難きお言葉!」
勝手に話が進んでいく。
「待て。元帥というのは、大元帥の副官という意味合いか?」
「有り体に申しますとそうなります。枢密顧問官は国民からの絶大なる信頼を得ています。彼らでなければ、軍団の中核は務まりませんし、国民も納得しません。ですので、枢密顧問官であるメルクリオ様とヴィゴ様のお二人を中核に据えるのです」
「何故、私が軍団に組み込まれる?」
「公爵殿は新兵器に関する豊富な知識をお持ちです。軍資金は援助致します。是非、新兵器を買い揃え、これを駆使して、メルクリオ様を補佐していただきたいのです」
26世の下で働く?
レオナルディ城城下における対神聖帝国戦。
デルモナコ領における対反乱軍戦。
大活躍を見せたはずの俺は、目下、王都の誰からも支持されることはない。
一方の、ただただ総指揮として上に乗っかっただけのこやつは、国民の英雄として祀り上げられつつある。
つまり、俺の活躍を全て吸収して成り上がったというわけだ。
俺は決して器が小さいわけではない。そう自負している。
だが、こう何度も俺の功労が一方的に奪われていては、さすがにたまらない。
俺の目的は戦場での活躍ではなく、その先にある豊かな世界の実現にある。
その偉大な事業に携わり、これを成功させるには、地位や名声、人脈に金、そして圧倒的権力、それら全てが必要になる。
そして、それらを手に入れるには、メルクリオ26世の下で、ただただ吸い取られ続ける位置にあってはならない。
自身が軍団長となって、戦場において圧倒的活躍を見せつけねばならない。
「私は、私の軍団が欲しい」
「お言葉ですが……」
「では、枢密顧問官を一人、お目付け役として連れて行こう。ならば、私が軍団長となっても問題はあるまい?」
宰相は俺に深い疑いの目を向けている。
決して、国政を担いたい俺の意を汲んでくれたわけではなかった。
俺に国政を委ねる気など毛頭ないのだ。
俺に権力を与えず、俺を利用したい。
つまり、俺の新兵器を利用しつつ、俺を日陰者に追いやることを目論んでいる。
だが、思い通りに行くと思うな。
「しかし、軍団を二手に分けるとなると……」
「宰相殿ッ! よいではありませんかッ! 共に切磋琢磨できるライバル軍団長の登場ッ。うぉおおおお! これは熱いッッ!」
突如、鶴の一声が入る。
彼は、彼を取り巻く権謀術数には一切関わりがなく、しかも、俺に対して何の害意もない。
だからこそ、こちらは拍子抜けするのだ。
「メルクリオ様が仰られるなら……。3日。そう、3日差し上げます。枢密顧問官に同行して貰えるならば、公爵殿を軍団長として認めましょう。ただし、単なる名義貸しではいけません。実際に戦場まで同道して貰ってください。もし、それが叶わない場合には、メルクリオ様の副官として任に当たっていただきます。よろしいですね?」
まるで、俺が絶対に枢密顧問官を味方にできないような物言い。
どういうカラクリだろうか。既に手回しがなされている?
「公爵殿に二言はなしッ! これは言わずもがなッ。である。ええい、吾輩は公爵殿が軍団長になるまでは、甘いものを摂らぬことをここに誓うッ!」
勝手に26世が決めてしまった。
枢密顧問官は、七英雄の面々である。
そのうちのイェルドを名乗っていた男は、偽物の英雄であったと明らかにされており、現在その座は空席となっている。
そして、メルクリオとヴィゴは、自前の軍団を率いる予定なので、俺の軍団に加入させることはできない。
となると、残るはロビン、カタリナ、イクセル、そして、死んだはずのアウグスタ。
レンゾ・レオナルディとしての俺に面識があるのは、ロビンとカタリナだ。
そのうち、まともに会話が通じるのはロビン。
イクセルは、仮面を被った俺とは面識がないが、それでも気さくな人物ではある。
きっと話を聞いてくれることだろう。
ロビンかイクセル。彼らを頼ることにしよう。
まずは、もっとも見込みのあるロビンから。
執事の一人にロビンの住まいの場所を教えてもらう。
先にジーナを使いとして送り込み、その後、一人住宅街へと繰り出す。
街外れに、周囲よりも少し盛り上がった一区画の台地がある。
真っ白な階段が伸びている。
その先、台地の上には、威圧的な尖塔を持つ、レンガ造りの館が建っている。
これか?
決して、瀟洒な造りではない。むしろ質実剛健とすら言える。
しかし、隠しきれない財力を匂わせる。
ロビンは、こんな豪勢な館に住んでいるというのか?
俺のノルド村の館とは大違いだ。
階段を登りきると、近衛服を着た二人の番兵が誰何してくる。
「レンゾ・レオナルディ。ロビン殿の友である」
番兵は、俺の仮面を眺め、相当に訝しがっていたが、ジーナからの言伝を正しく受け取っていたようで、俺を館の中に招き入れる。
開けた空間には、白いサーコートを羽織った男が10人ほど、飲食に勤しんでいる。
「公爵様。お待ち下さい」
俺の姿を視認するやいなや、全員が立ち上がり、そのうちの一人が俺と相対する。
まだ20歳にもならないような、若い男だ。
「ロビン様は、天上人です。くれぐれも粗相のないように願いますよ」
「無論だ」
無言の圧力をかけてくる。
奥まで案内され、広い部屋に通される。
木造りの窓が開かれており、涼やかな風が行き届いている。
その窓辺。
大きな羽毛ベッドの上にロビンが伏せている。
まるでパジャマのようなゆったりした服をまとっている。
ゆっくりと半身を起こし、鋭い目つきを俺に向ける。
どこかしら儚い印象を受ける。
「不作法を許してくれ給え」
あいも変わらず、礼儀正しい男だ。
「半年ぶりだろうか」
「いや違うな。あなたとは10ヶ月ぶりだ」
細かい奴。
「しかし、このような豪邸に住んでいるとは思いもしなかった。まさに富と名声のロビン財閥だな」
「つまらないことを言う。この館は、元々私の率いる部隊の宿舎だったところを、王国が私に下賜してくだすったものだ」
相変わらず冗談には付き合ってくれない。
しかも、苦り切った顔をしている。
「君の活躍を私はよく知っている。この館を貰い受けるのは当然のことだろう」
「私を持ち上げに来たのか?」
「ハハハ。それよりも、館内が賑やかで大変よい。兵士達が君を慕っているのがよくわかる。軍師の才というのは、存外そういうところに現れるのかもしれん」
「彼らには、私の介護ではなく、戦場での活躍を志して欲しいものだ」
介護?
どういうことだ。
「どこか具合が悪いのか?」
「私は切り札を使い、それでも生きながらえてしまった。以来歩行すら容易ではなく、半日以上は寝たきりだ」
「そうか……」
いつぞやの崖上で放たれた閃光は、大きな代償を必要とするロビンの切り札だったということだ。
その切り札は、ウルバノに傷一つつけることは出来なかった。
客観的に見ると、完全なる無意味な自傷だ。
「しかし、私に後悔はない。今や心は澄んでいる。そして、ようやくこの曇りのない眼で、過去の出来事を振り返ることが出来ている。メルクリオの大都市構想。そして、アウグスタ様の揺るぎなき滅私の精神。彼らは誰に言われることもなく、咲くべき時に華を咲かせ、そして時期を知って散っていった」
「……」
あの日々は、英雄ロビンにとっても、特別なものだったのかもしれない。
「今日、あなたがここを訪れたのは、私の容態を確認するためではないのだろう?」
「そんなことはない……。特に他意はない。ふらっと寄っただけだ」
ロビンはじっと俺の仮面を見つめている。
俺はうっかり本音を漏らしてしまいそうになるのを堪え、わざと明るく言い放つ。
「もっとも、あえて意味合いを求めるなら、それは、光に寄せられた蛾、とでもいったところかな」
それに対して、ロビンは融通の効かない口調で、突然俺をなじる。
「私はあなたを軽蔑している。見下してもいる。あなたは何もしないからだ」
「私とて有象無象で終わるつもりはないさ」
ロビンは突然苦痛に顔を歪め、ベッドにどっと伏せる。
これ以上の長居は、迷惑だろう。
俺は辞去すべく、立ち上がる。
去り際に、ロビンの呟きが耳に入る。
「求められることを為すだけの、単なるいい人では終わらないでくれ」
部屋から出ると、先程俺に声をかけてきたサーコートの男が、俺の行く手を阻み、唐突に宣言する。
「ロビン様は今でこそ伏せておられますが、今まで、どんな逆境にも耐え抜き、辛勝をもぎ取ってきました。我々は、ロビン様を先頭にして、再び戦場を駆け巡り、第一功をほしいままにする。そんな日がきっとやって来ます」
その宣言は、介護疲れからくるものだろうか。
「これからも彼の支えになって欲しい」
「ええ! もちろんですとも。ロビン様が復帰されるのは、間違いない。公爵様もそう思いますよね?」
「ああ」
俺は本題を切り出すことなく、逃げるようにしてロビン宅を後にしたのであった。




