01 新世界
俺達は大運河を小舟で進む。
潮の香りが鼻孔をくすぐる。間もなく、海にたどり着くかという頃合い。大小多くの船が大運河を行き交っている。
気を抜くと、船尾に土手っ腹を突かれそうだ。
行く手には、延々と続く華やかな色使いの町並みが見え始める。
赤茶屋根の白壁。尖塔がいくつも見える。
贅沢にも、ガラス窓をふんだんに使用している。
「あれが、王都ですか……」
常に冷静さを失わないジーナも今回ばかりは絶句している。
王都の規模は、その単純な土地面積をとってしても、レオナルディ城城下町の10倍を軽く超える。
加えて、その活気たるや、もはや比較にもならない。
封建領主制度が確立している以上、人々は領内に縛られ、移住の自由はないに等しいのだが、それでも、各領主の監視の目を潜り抜け、たくさんの人々が大都市での一獲千金を夢見て、こうして大都市に集中してきている。
教会の簿冊によれば、その都市人口は既に7万人を超えるという。
「これが、本物の都市というものだ」
俺は無意味に誇らしげに応えてやる。
この街は、全てが新しい。
わずか2年前。
王都は、海に浮かぶ円錐形の島の上に、王城を中心として造られた街であった。
そして、王都の対岸に位置する大陸の海岸線は、三角洲に侵されており、区画が安定しない無人の野であった。
それを、大都市構想に基づき大改修した。
大運河を作り、対岸一帯に水路を張り巡らせ、水を治めた。
と同時に、堅固な地盤を獲得した対岸を、一気に大都市化したのだ。
大運河の南岸、河川運行船舶用の船着き場に小舟を寄せる。
船着き場には、等間隔に古代ローマ風の戦士像が立ち並んでいる。
「はい、次の方。通行証を提示してくれ」
そこまで検問がシステマチックになっているとは思わなかった。
やや焦ったものの、ジーナが卒なく準備してくれていた。
「レオナルディ公爵様ですね、これは失礼しました」
検問官は、粗末な格好をしている俺達が公爵であることに驚く。
それでも、てきぱきと連絡を取り、ついでにびしょ濡れのアキレとジーナの着替えを用意し、さらに馬車の手配を済ませる。
「王城に向かいますので、お乗りください。」
検問所の所長が乗り込んできて、そのまま案内役を買って出る。
狭い車内。俺の両脇にはジーナとアキレ。
窮屈そうに体を丸めている。
「見知らぬ土地ゆえ、助かる」
馬車の外に見える風景は、まさに見知らぬ街。
整備された石畳の大通りを進む。
張り巡らされた水路にかかる、大小多くの橋を渡る。
「いえいえ。ここ最近いろいろな貴人がお見えになっては、案内をしておりましてなぁ。なんせ、この街も大きく様変わりしまして。案内をしないと、皆様迷子になってしまわれる……」
所長は話し好きのようだ。
聞いてもいないことを次々に語ってくれる。
話によれば、もともと王都のあった島は、今や完全な官庁街となり、商業区及び住居区は対岸に移設されたとのこと。
多くの移民が集まる商業区・住居区は犯罪も多く、これを取り締まるために多くの警護隊が派遣されているとのこと。
「王様はフッチ城に籠もっておられます。王城では宰相閣下が出迎えてくださることでしょう」
「アルフィオ様は、戦争でいっぱいいっぱいということか」
「このところ、神聖帝国の強襲が続いておりまして。それに、よくない噂も……あ、いや」
「気にするな。私は口が堅い。何でも教えてくれ給え」
「殿下は、自身が脆いガラスであると信じ込んでおられていて。壊れないように大事をとって寝込んでおられるという噂も」
「そうか……」
寝込んでいる?
「難しい情勢ですからな。我々下々の者には理解もできない大きな苦悩を抱えていらっしゃるのでしょう」
「そうすると、王は戦争を、宰相は内政を分担しているということか?」
「いえいえ。王様と宰相閣下の二人体勢は既に終わりまして、今では王様が全てを取り仕切っているのでございます」
「寝込んでいるというのに?」
「そこで、枢密院でございますよ。ほら、王様の諮問機関の。枢密顧問官の皆様が、王様を代替して各分野で実権を奮っておられるのです」
「枢密顧問官? しかも複数人?」
「公爵様もご存知でしょう? 彼らは七英雄の再来であり、各分野に優れた知識をお持ちでして、アルデアの七賢とも呼ばれています」
「七英雄の再来か」
懐かしい文言だ。
「ええ。対ゼノン教の分野ではロビン様、商業分野ではヴィゴ様、魔術の分野ではカタリナ様、国土開発分野はイクセル様」
どうやら、前回の戦いで瀕死になったロビンも、すっかり元気にやっているようだ。
枢密顧問官の位置づけについては、良く理解できていないが、王の代理というぐらいだ。
絶大な権限を持ち、相当な立場ではあるのだろう。
懐かしくもあり、俺との距離が開いたようで少し寂しくもある。
しかし、各面々がよろしくやっているのは、悪いことではないのだと自身に言い聞かせる。
「それから、最近復活なされた軍神メルクリオ様」
おや?
「そして、全知全能のアウグスタ様」
……。
アウグスタを名乗っていた彼女は、既に死んだはず。
そして、メルクリオ扱いを受けてきた俺も死んだことになっているはず。
突如、きな臭くなってきた。
「もう一枠。イェルド様の枠は、現在欠番になっているとのことです」
イェルドを称していたディーノは、聖堂騎士団を率いて、公爵領の西方に留まり、周囲に睨みを効かせている。
つまり、偽物であることが明らかである以上、イェルドの枠が欠番になっているのはわかる。
しかし、メルクリオを名乗っていた男とアウグスタを名乗っていた女はもういない。
代わりを誰が埋めているというのだろうか?
まさか、本物が召喚されたということか?
考えてもわからない。
「よく知っているな」
「それはもう。それが今の国の方針なんでございます。どんな情報でも国民と共有するというね。王都の人々に、国の一挙手一投足への関心を持ってもらいたいとの考えによるそうです」
「ほう……」
国政に関する情報を開示することによって得られるメリットは、国民の国政への理解。
うまくいけば、国民の一体感も得られるかもしれない。
そうすれば、力の源泉にもなりうる。
「正直なところ、元帥という立ち位置が、よくわからなくなってきた」
そして、わからないのは、これから会うことになる宰相の立ち位置もだ。
馬車は、長い橋梁を渡り、島の中心に向かって駆け上がる。
そして、ようやく王城前のロータリーに着く。
そこにはあいも変わらず、アウグスタの巨大な像があり、俺達を優しげな眼差しで見下ろしている。
馬車から外に出ると、城の前で待ち構えていた執事やメイドが軽く挨拶をしてくる。
盛大な歓待などはない。
ただただ事務的に、俺達を誘導してくれる。
その道すがら。
貴族風の男達が、廊下の隅で談笑に興じている。
「おや、あれは新しい公爵殿ですな」
「突撃公のご子息の?」
「残念ながら、人格者たる親の徳を引き継がなんだと聞く」
「公爵などというが、それは何者か。ただの田舎者風情ではないか」
「爵位を継承し、これを振りかざすべく王都に乗り込んできたということよ」
「子供にすぎんな。しかし、振りかざす地位が不釣り合いなほどに大きい。まったく厄介なものだ」
「最近は、金をかき集めるべく商人のような振る舞いもしておると聞く」
「少しばかり金をいやらしく溜め込んだことに、もはや増長しておる始末」
「武門の家柄が、彼の代で途絶えるとは悲しきことよ」
「あの立ち姿からしても、何の教養もありはしないことは明らか」
「聞けば、一つの村を焼き払い、恐怖政治を断行したそうだ」
「信仰心がまるでなく、暗黒教への理解を示しておるとの話もある」
「それは恐ろしい。そう、恐ろしく野蛮である」
「付けられた異名は暗黒卿」
「物知らずであるにとどまらず、有害な立ち振舞もするということか。危険よな」
「しかし、この世界、力任せ、金任せでは何も動かぬ」
「そう、この世界は、頭がものをいうのである」
「公爵様におかれましては、どれぐらいの期間、持つであろうか。ただの飾り物にならねば良いがの。クフフ」
「ハハハ、見ものではある」
はいのうの中のドクロは身を震わせる。
嫌味なことをいう貴族共に、先制攻撃を仕掛けようとしているに違いない。
俺はなんとかこれを押し止める。
まぁ、俺が歓迎されていないのは明らかだ。
むしろ、激しい憎悪を受けている様子。
新しい勢力が宮廷に潜り込んできた。
排除する流れになるのは、やむを得ないことなのかもしれない。
廊下の曲がり角。
不意に、角の向こう側から、濃緑のマントを羽織った男が現れる。
俺は静かに立ち止まる。
俺の黒衣と彼の緑衣が袖触れ合う。
男は軽く会釈をする。
俺も小さく頷く。
彼こそは宰相。
宰相オクセンシャルナだ。
疲労のにじむ深い眼差しに、僅かな光を見せる。
しかし、そのまま一言も交わすこともなく、その場は過ぎる。
階上の、中庭を見渡せる小綺麗な部屋に通される。
「お付きの方には別室をご用意します」
ワクワクしているアキレと、あまりの扱いの変化に表情を失っているジーナ。
二人は粛々と部屋外に連れて行かれる。
一人きりになり、思案を巡らしていると、不意にメイドから呼び出される。
「宰相閣下から、『会議室まで来られたし』とのこと」
「よくぞ、王都までお越しくださいました。どうです、この街は? 大きく変貌したでしょう?」
「ただただ、私は驚いている」
「ありがたきお言葉」
「こちらこそ感謝をしている。このような商業の発展があったればこそ。どおりでスムーズにレオナルディ子爵領内の特産品が売り捌かれるわけだ」
会議室内には俺と宰相しかいない。
机を挟んでの一対一。
宰相は、差し障りのない話題に擬態させ、とっくりとこちらの反応を探る質問を投げかけてくる。
大都市構想。
これは、デルモナコを始めとして、反対派が多い事業計画である。
金がかかる割に、彼らにとってその効果の予測がしにくいからだ。
そして、実態はともかく、形式的には俺がデルモナコと仲がいいというのは周知の事実だろう。
俺の思想もデルモナコと同じなのだろうか、気になるのは尤もである。
しかし、俺は痛くもない腹を探られているだけである。
そんなことよりも、俺の任務について尋ねておきたい。
「この度は、王より元帥の立場を拝命した。しかし、恥ずかしながら、私はこの元帥というのが何かわからない。新しく造られた官職だろうか。細かに教えていただきたい」
「その前に。貴殿の覚悟を聞いておきたいのです」
どうやら、深く警戒されているようだ。
これはデルモナコ派閥に属するか否かの探りではない。
もっとも、悪意までは感じ取れない。しかし、俺に対する不信感。そのようなものが感じ取れる。
わからなくはない。
レンゾ・レオナルディ公爵は、かつて暗黒卿と呼ばれ、悪の道を進んだ男。
しかも、王位継承権はキアラ姫についで第二位。
悪の心を持った男が、潜在的な強権を有しているのだ。
そんな男が、公爵領から王都に出張ってきた。
何をするつもりなのか、不安で仕方がないだろう。
なんとなれば、無用の長物として、何もさせないのがベストなのだ。
しかし、俺はルイジ・レオナルディと約束をしてしまった。
このまま引き下がることはできない。
さて。
仮面を外せば、俺のことを信用してくれるのだろうか。
しかし、それはやってはいけない。そう直感する。
「公爵家の施策は全て先代以来の忠臣が変わらず滞りなく計らっている。また、私は後継ぎとして、亡ボルドー王国の王子アンリを指名もした。いざという時のことを考えているということだ。ならば、後顧に患いなし」
「失礼ながら、今まで国政に興味のなかった貴方が、今回、王国に力を貸すというのは、どういう心変わりでしょうか?」
ルイジ公に推薦されたから仕方なく?
違う。そうではない。
俺は、確かにやらなければならないことだと、そう思ったのだ。
「領内経営に従事し、一定の成功を得たと思っている。ならば、より大きな規模で自身の能力を活かしたいと、そう考えた。そういう単純な事柄だ」
「噂はかねがね聞いておりますし、貴方の手腕には感心もしております」
「力になれると自負している」
「お気持ちは理解しました。ところで、あらゆる分業を推し進めた結果、我々は、さらなる専門的能力を人材に求めることとなりました。しかし、貴殿の能力は人を求心する力ではあっても、専門的な能力ではないと、失礼ながらそう思うのです。そう、私と同じ」
宰相は二人もいらない。そういうことか。
「それでもなお国のため、と仰っていただけるなら、お願いしたい役割があります」
俺は、唾を飲む。
与えられる役割に満足できなかった場合、俺はどうするのだろうか。
俺の野望は、俺の妄執は、その事態に耐えられるのだろうか。
しかし、俺に選択権はない。
「話を聞こう」
「では、まずは、引き合わせたい人物がいます」
宰相は、呼び鈴を鳴らし、入ってきた執事に指示を出す。
「メルクリオ殿をこちらに」




