38 静かなる黄昏
反乱軍との戦いで、黒と赤の指輪の力を酷使した。
対価の寿命は、どれぐらい差し出したのだろうか。
余命は幾ばくか。
指輪の内側に刻まれるというそれを確認する勇気はない。
そんな理不尽な事態とは裏腹に、平和な日々が続く。
最期の瞬間ぐらいは平穏な気持ちで過ごせるようにと、見えざる力が働いたのかも知れない。
結局、アンリ軍の主力は、全て俺が引き取ることになった。
アンリにとって、俺は悪の限りを尽くした暗黒卿であることに変わりない。
だからこそ、最初は俺に対して反発を抱いていた。
俺はアンリ達に対し、領民とともに開墾作業に従事するよう指示した
他の領民と同じく、労賃を与え自活させる。
元々アンリは、労働を嫌う人間ではなく、黙々と勤務し、すぐに現場監督に成り上がった。
領内での生活が快適であることに気づき、俺に対する反発もやや鳴りを潜めたようであった。
俺は開墾場の見回りの後、偶然アンリの姿を見つけて、近くの小屋に入り、アンリの働きぶりを観察する。
どうやら、部下を先に帰らせた後、アンリは一人で明日の準備作業に取り掛かっているようだ。
アンリからは、開墾作業に対する熱意すら感じられる。
頭の中で思考を完結させるのではなく、現場で働くことにより、得られるものがあるはず。
これは彼にとって勉強になる事柄だと、俺は密かに満足を得る。
アンリは、次の開墾予定地の四方を仮決定し、四隅に杭を打つ。
近くの道端で、休学中のキアラがその様子を眺めている。
すぐに、その作業内容を察して無言で手伝いを開始する。
やがて、作業は終わるも、アンリはさらに杭を取り出して、別の開墾予定地に移動しようとする。
その前にキアラが立ちふさがる。
「悪戯はやめてくれるかい?」
「今日は終わりにしようよ」
「もう少しだけやってから終わりにするよ。君はやらなくていいよ」
「ふーん」
キアラは、邪険にされて不満そう。
「あなた変わったわね。以前のようなキラキラした雰囲気がなくなってしまったわ」
「僕は、別にキラキラしたいわけじゃない」
「そうお? 私は、あなたが暗黒卿の指示に素直に従っているのが不思議なの。暗黒卿に対して持っているイメージが変わったのかしら」
「確かに、彼に対する偏見はあったのかも知れない」
「暗黒卿は今日、私のことを『ヘルミネ』って呼んでいたわ。もう、人の顔すらろくに認識できないんだわ。どうせあの人にとって、周囲の人間は記号でしかないの」
「大きな事に夢中で、足下が疎かになっているんだよ」
「ふうん。理解があるんだ」
「彼のやることに間違いがなかったわけではないけれど、彼と対立するのではなく、彼の足下を支えてあげることで正しい道が拓けるんじゃないか、とは思っている」
二人は並んで道端で夕暮れを見ている。
「あなた、本当に変わったわね。今では、暗黒卿よりもたくましく見える……」
「閣下。二人の密会を放置されるつもりですの?」
突如、小屋に忍び込んできたヘルミネが俺に声をかけてくる。
「密会? まるでいけない事をしているような言い回しだな」
「傍から見ていると、ウンザリしますわね」
「しかし、姫のおかげでアンリを俺になびかせることが出来た。彼は優秀だ。しかも人心を掌握するのがうまい。代えがたい人材を得たと言えよう。貴様と同じくな」
「ホホホホ」
しかし、ヘルミネはまったく笑顔を作ってなどいない。
「恋愛で戦争は終わる。二人の関係を揶揄して、そう噂する領民もいますわ。なんと、気持ちの悪い言葉ですこと」
「良いではないか」
「共感なさいますの? いやに丸くなられましたわね」
嫌な嗤いを浮かべて俺の顔をとっくり観察している。
「でも、閣下はお可哀想。キアラ様には相当入れ込んでおられたのは存じておりますの。それを、あっさりとあのような木偶に奪われて」
「ん?」
「どれだけ頑張ってもキアラ様は振り向いてくれませんの。いつだって『アンリ様、アンリ様』とあの木偶の後ろを追いかけ回すだけ」
「それがどうかしたのか?」
「え?」
「私は、若い二人が切磋琢磨しあって、国の基盤を作っていくことを祈っている。貴様も彼らと交流し、刺激を与えてくれると幸いだ」
「全く悲しんでいない、と?」
「何故悲しむ必要がある?」
「……」
数日後。
俺はアンリを館に呼び出す。
お茶を淹れながら、本題には入らずに穏やかに話しかける。
「君との戦い以後、弓使いが見つからない。飄々とした男だった。戦死したのかも知れない」
「……」
「死んだら何もかもお終いだな」
最近、とみに動作が鈍くなってきた。これが寿命というやつか。
全ての事象に対し、感性が鈍くなるとともに、感情の揺れが小さくなってきた。
「貴方の配下には、優秀な人材が集まっています。人材を愛でるのは貴方の徳だと思います」
「そうだな」
「貴方の配下に黒騎士はいますか? 黒いスケイルメイルを全身に纏った男です。彼に会いたいのですが、ご存知でしょうか?」
「黒いスケイルメイル? ああ。彼も戦死した」
「そんな……」
「コルベール君も彼と戦ってみたいと言っていた。残念なことに、優秀な人材がぽろぽろと失われてしまってな」
「彼の名前を教えて下さい。お墓があるなら、その場所も」
「知らぬ」
「……」
会話が途切れる。
「キアラ殿下と親しいそうだな。感謝している。君が現れるまで、彼女はひとりぼっちだった」
「貴方はそれを本心で言っているのですか?」
「当然のこと」
「貴方は誰に対しても興味を抱かないのに、まるで、関心があるかのような振りをしています。優しい人間のように振る舞っているのは、周囲の人間を駒として操り、自身の野望を叶えるため。今でもそう思えてならない」
「実らぬ木に価値はない。どのような犠牲を払おうとも、目的を形に残す。その過程にさしたる意味はない。結果だけが崇高であり、人々にとって意味があるのだ」
「僕にはわからない。ただ、最近思うのは、貴方の野望は濁ったものではないのかもしれないということです」
「そうか……」
俺は大きく息を吐く。
俺と彼との間には、依然、埋めようのない堀が厳然と広がったまま。
それでもと、厳かにアンリに向き合う。
「私は君を養子に迎える」
「え?」
俺には何ら正統性がない。
そして、正統性という意味では、アンリに勝るものはいない。
ならば、然るべき地位を正統性を有する者に返上すべきなのだ。
「私の死後、子爵となりこの地を治めよ。さらに、父上の死後は公爵としてこの国を支えることになるだろう」
「僕はそんな事は望んでいない」
「君が武装蜂起したのは、為すべきことがあったからだろう? 私のやり方を引き継げとは言わん。君のやり方でこの国を富ませるのだ」
もちろん、彼に引き継ぐ事に不安はある。
特に、彼とデルモナコとの関係性は最悪だ。
しかし、デルモナコとの間には強い交易関係が築かれており、関係悪化は悪手であるのは双方にとって明々白々。ならば、関係改善は時間が解決してくれるはず。
周辺の群小貴族に間を取り持ってもらうよう、既に根回しもしている。
「貴方を継げるだけの能力がない」
確かに、清濁併せ呑む度量を持ってもらいたい。
悪党の上に君臨する悪党になれとまでは言わないが。
「言い訳はやめよ。もちろん失敗は許されん。だからこそ、今のうちに領内で多くを学べ」
能力そのものを次世代に引き継ぐことは出来ない。
しかし、こうして、人の思いは引き継がれていくのだ。
アンリとの激戦から3ヶ月。
初夏が訪れる。
神聖帝国と王国との戦闘は、フッチ領にて激化の一途をたどる。
しかし、領内はあいも変わらず、平和そのもの。
俺は遂に余命を悟り、次期領主を紹介するため、各大臣を招集する。
まずは、各大臣から報告を聴取する。
「農政大臣サンナよ。開墾の進捗を説明せよ」
「ハッ」
爽やかな声で日に焼けた老人が応える。
「開墾の済んだ地は予定の8割に及びます。残りの予定地は、不便な場所にありますので、腰を据えて取り組む必要があります」
「開墾の済んだ地はいかほどか?」
「閣下が赴任される前に比べ、畑は、実に7倍にまで拡大しました」
「今年の収穫量は?」
「およそ、15倍の収穫量が見込めます」
「そうか。では、大蔵大臣コッコ。これを金銭に換算すると如何ほどか?」
「スマイリー商会を通して売りさばくとしますと、市価と遜色のない値で売れます。およそ、6千万ゴールドの収入は固いでしょう」
他に収入の柱として3つの産業が発展を迎えている。
一つは、亜麻製の服飾産業。
元々領内で取れる亜麻の量には限りがあり、増産するも追いつかず、さらに交易によって亜麻を入手し、特産品であるリネン服の需要に対応している。
また、服飾の工場も既に5軒が立ち並ぶ大所帯になり、1ヶ月で安定して500着を精製している。
2つ目は、公営競馬。
娯楽の少ない大陸において、大人気産業にのし上がった。
大陸の各地から、日々客人が訪れ、領内に金を落としていく。
これは完全に嬉しい誤算である。
3つ目は軍需産業。
最新鋭の軍事技術は全て領内に秘匿しているものの、天才発明家が開発途中で生み出した劣等品等を周囲の領主に売りさばいている。
件数は少ないものの、火砲を中心として重宝され、非常な高値で売れていく。
いずれも、子爵家の公営企業になり、収入は全て子爵家に入る。
手元の余裕資金だけでも、既に5千万ゴールドを超えている。
俺が元気ならば、これを元手にさらに投資をしていくのではあるが。
「そうか。最後に労務大臣ジーナ。人々への労賃支給は滞りないか?」
「はい。領内に就職希望者が殺到し、労働者だけでも2,000人を超えますが、彼らへの支払いは予算の範囲内です」
この国では、領民は移住を禁止されている。
それでも、どこからともなく、労働者が集まってくる。
「そうか。では、私の後任はアンリが務める」
一同は静まり返る。
「まずは、彼を鍛えるべく、早めに準備期間に入ることとした。皆、自身の知識をアンリと共有し、彼を補佐してやって欲しい」
「よろしくお願いします」
「……」
ためらいがちに無言でうなずく大臣達。
微妙な空気のまま、会合は終了する。
「共和国には、飼料を地中に埋めて長持ちさせるという技法があるそうですが」
会合の後、一人残っていた外務大臣ヴェッキオが唐突に語りかける。
「飼料? 家畜の餌のことだな」
「ええ。家畜に冬を越させるためには、長持ちする飼料が欠かせないと、閣下は言ったはずなのですが」
ヴェッキオは干し草の保存法について語り始める。
俺が現代人の知識でもって推測するに、干し草を発酵させる手順を踏むらしい。
これでまた一つ、問題解決。
その後、ヴェッキオは、うとうとする俺を気遣うことなく、遂に夜が明けるまで語り続けたのであった。
さらに数日後。
何の前触れもなく、俺はレオナルディの城下町に召還される。
公爵は自室に俺を招き入れる。
もはや、寝たきりの状態。
近衛隊長のレオの話によれば、もう長くはないとのこと。
少しばかり、俺の方が長生きをしてしまうかもしれないな。
「よくぞ来た。近くに寄れ」
穏やかな顔で、公爵は俺を見つめる。
俺は同じく余命僅かである公爵に、親しみを感じる。
「久しぶりですな、メルクリオ殿。いや、私は貴方の真の名前を知らない。どう呼べばよいのだろうか」
バレていた。
しかし、既に諦念を抱いている俺にとって、もはや何の恐怖もない。
俺はゆっくりと仮面を取り外す。
俺の役割は、遂に、ここで幕を閉じるのだ。
思えば、決意を持ってこの仮面を被って以降、何かを成し遂げたわけではない。
しかし、これ以上に俺が為すことは、もうない。
「騙していたことを深くお詫びします。今後、子爵の地位はアンリ王子に譲り、私は疾く消え去るつもりです」
「騙されてなどおりません。見くびらないでいただきたい。ええ、最初から知っておりましたよ。あのキアラ姫の懐き方からして、わが息子ではない事などわかっておりました」
「そうですか……。ご子息はそう、血の婦人の手によって……」
「説明は不要に願います」
「……」
「アンリ王子を駆逐することなく、あれほど敵対していた彼を内側に抱え込んでしまった。貴方は、不思議な人だ」
「彼には光るものがあります。これで、子爵家は安泰でしょう」
「領内の経営に力を貸していただき、感謝に耐えない」
「私は、子爵を騙っていた悪党です。感謝などされる身ではない」
公爵はしばらく目を瞑る。
厳しい顔に僅かながら笑顔が浮かぶ。
「このような形で貴方と別れるのはいささか心残りです。ならば一つ。この老骨の戯れに付き合っては下さらんか?」
「といいますと?」
「今一度、我が息子レンゾの振りをしていただきたいのです」
おやおや。
「いいでしょう」
俺は、取り外した仮面を再び装着する。
お茶目な老人だな。
公爵はゆっくりと、威厳を持った大声を発する。
「レンゾよ。我が一族は古より武門の家系である。貴様のような姑息な人間ッ! 我が領内にはいらんッ!」
「は?」
意外な叱責に思わず情けない声が出る。
「だが、貴様には貴様の流儀があるのだろう? ならば、その信念を貫いてみせよ! 最後まで意地汚く足掻け! こんなところで燻っている場合ではないのだッ!」
「私にはもう……」
「黙れッ! 貴様を王国元帥に推薦しておいた! 明後日、王都に向かって出発せよ!」
有無を言わせぬ命令口調。
俺は破れかぶれになって応える。
「承知ッ!」
すると、公爵は全ての役割から解放されたかのように、安らかな表情を見せる。
その晩、公爵は息を引き取った。
そして、俺には、重責が残った。
「公爵様。お連れは本当に不要ですか?」
王都に出立する直前。
近衛隊長のレオが声をかけてくる。
「ああ。私にとっては、死出の旅になるからな。巻き込む人材は少ないほうがいい」
「せめて、子爵領でご挨拶ぐらいいかがです? その方が雰囲気があるってもんです」
「いらん。私は民に嫌われているからな」
既に、今後の領内運営に係る私案をまとめ、俺の館に向けて送達させている。
事前に、領内の状況報告にアンリを同席させもした。
滞りなく、領地経営は引き継がれることだろう。
ならば、もはや挨拶など不要。
俺は城下町に接する湖に船を浮かべ、必要最低限の道具を揃えて、これに乗り込む。
はいのうの中には、大麦、火打ち石、連射式クロスボウ。
背中には、黒のグラディウス。
レオナルディ城城下町にやってきた時と、持ち物は殆ど変わらない。
「またまた、偉い出世ではないか!」
新たに加わったのは、相棒のドクロ。
そして、もはや呪いともいえる、顔面を覆う仮面。
湖を抜け、大運河を進む。
両岸には、完成した土手が延々と続いている。
しばらくすると、神聖帝国と激しくやりあった戦場が両岸に広がる。
感慨にふけっている暇もなく、次に聖堂騎士団が籠もる砦が北側に見える。
南側には、アンリとの最後の決戦場であるオークの森。
更に進むと、やがて平野部が見えてくる。
土手の上に多くの人々が見える。延々に続く人々の列。
あれは……。
子爵家の領民じゃないか?
「暗黒卿閣下ばんざーい!!」
「王都に混沌を!」
「王都に破壊を!」
「そして、王都に新秩序を!」
声も枯れんぐらいの勢いで領民達が次々に叫び始める。
俺は、右手を高く挙げて、静かにそれに応える。
「おおおい! 兄貴ぃー!」
大きな男が、背中に女性を背負っている。
土手を降りて、川辺に向かって走り込んでくる。
そのまま、大運河に飛び込み、滅茶苦茶な泳ぎ方で船に向かって突き進んでくる。
恐るべき事に、平然として船に追い付く。
船べりに上がり込み、女性を船中に投げ下ろし、自身もどっかと腰を落ち着ける。
「いやぁ、俺達を見捨てようとするなんて、そりゃあ酷いってもんだぜ」
「閣下。防衛大臣アキレと労務大臣ジーナはアンリ子爵に解雇されました。新しい雇用主を探しております」
「無茶をいう奴らだ……」
風はない。
そのためか、船を取り囲むのは鏡のような水面であった。
しかし、今や、アキレが泳ぎ回ったせいで、滅茶苦茶に波紋が広がっている。
明らかに先刻まで失われていた懐かしい何か。
それは、野望であり、妄執であり、そして、願いでもある何か。
この時、その何かが再び、そして今まで以上に熱く燃え始めていたのであった。




