13 回廊の激戦
フッチ第八城砦に戻り、軍議を開始する。
諸将が居並ぶ中、俺が口火を切る。
「直ちに進軍すべし!」
戦略は単純である。フッチ第八城砦を出発し、隘路を抜けて北進。コルビジェリの砦を急襲し、これを陥落せしめる。
しかし、これに対して、アウグスタが反論する。
「宰相からは、第二陣を待つように言われている」
「敵軍は先日の戦いで甚大な損害を被った。傷の癒えていない今が、今こそがチャンスだ」
俺が隘路を検分した際に、敵兵士は俺を警戒することなく赤裸々に真実を語ってくれた。
すなわち、敵軍は帝国軍の到着を待って、反撃を開始しようと考えている。つまり、敵軍は、現状の敵軍勢力では、我軍に立ち向かえないと考えているのである。
そもそも、先日の戦いで、敵軍はその勢力の大半を失ったと聞いている。ならば、以上のことは当然だともいえる。
「隘路を進軍することになる。隘路は、守勢が少数で攻勢を翻弄できる地形だ。無策に突っ込むべきではない」
「だからこそ、敵軍に、完璧に準備されてからでは取り返しがつかない。隘路を抜けるなら今の内だ」
今のうちに、濃霧に紛れて素早く回廊を抜け、回廊を支配下に置く。そうすれば、輜重を通すこともでき、兵站がつながる。
「既に、我軍を迎撃する準備が整っている可能性もある」
「無論、見えないところに兵を伏している可能性も考えた。しかし、徹底して斥候を送ったが、確認できなかった」
「たとえ、斥候を送ったとしても、伏兵を完全に掌握するのは不可能に近い。ならば、安全をとって、第二陣の到着を待ち、二軍同時侵攻により、相手の守勢を分散させるべきだ」
「貴女は、既に敵軍の術中にはまっている」
「どういう意味だ?」
「そもそも敵軍は、出来ることなら、傷が癒えるまで我軍と戦いたくない。だからこそ、隘路に寄って、我軍の警戒を煽っている」
「我軍が、伏兵を恐れて進軍しないことまで見越していると?」
「そのとおり。これは敵軍の時間稼ぎに過ぎない。存在しない伏兵を恐れて、みすみす進軍の好機を逃すというのは、いかがなものかと考える」
「リスクが大きすぎる」
「恐るるに足りず。こちらには七英雄もいる」
諸将が固唾を飲んでいる中、ペーター王が大きく頷く。
近衛兵達がこれに続く。
「さすがはメルクリオ様!」
「敵将が裏をかいてくるなら、メルクリオ様はさらにその一段階裏をかく男!」
「戦場では、勇気あるのみ!」
「勇気こそが最良の作戦だ!」
即時進軍が決まった。
しかし、あいにくの雨天が続く。
隘路の地面は間違いなく、ぬかるんでいることだろう。行軍に支障が生じるかもしれない。
なるべくなら、晴れ間が続いた日時を見計らって、隘路を通り抜けたいものである。
雨が降りやむのを待つ間。
俺は、進軍の準備の傍ら、村人に扮した傭兵を大量に放つ。
アルデア軍は進軍を停止し、第二陣の到着を待っている。そのような噂が、コルビジェリ軍に伝わるように傭兵を放ったのである。
敵軍は、さらに安堵して、隘路の出口を放置しておいてくれるに違いない。
ところで、しばらくの後、進軍の準備が整っても、未だ雨は降り止まない。
こればかりは、制御しようがないし、この世界では、明日以降の天気予報を確認する術もない。
そこで、俺は、天候を諦め、進軍を開始する。
なお、隘路のぬかるみを踏破できるよう、総勢三千五百の兵士のうち、千の兵装を軽微なものとした。俺自身が彼らを指揮し、彼らを先行させて、有事に対処させるのである。
五日を経て、日が昇るよりも前の頃合い。
我軍は、隘路付近に到達する。
雨脚は弱くなったが、案の定酷い濃霧である。近衛兵達には、一寸先も見えていないようである。しかし、俺だけは特別に目がいいのだろうか、さらの先の光景が手に取る様にわかる。
とはいえ、俺の視点でもってしても、隘路に敵軍の姿はない。
加えて、直近の哨戒の結果によっても、隘路付近に敵軍の姿はなかった。
やはり、隘路に敵軍が待ち構えているというのは、ただの杞憂であった。
と思いきや。
「隘路の奥! 松明の火が見える!」
最前列からの声が、俺の思索をかき消す。
情報と違うではないか。
どこから、敵軍は湧いて出たというのだ。
俺の思考が混乱している中、近衛兵が俺の側に近寄る。
「このまま進みますか?」
近衛兵は、よく見れば、アルである。
「松明の明かりはまばらだ。大した数ではない。敵軍は、待ち伏せを仮装しているにすぎない」
俺は、喋りながら自分に言い聞かせ、さらに思考をまとめる。
「では」
「直進だ! 蹴散らせ!」
ホルンが重低音を謳い上げる。
そこで、我軍は、横列を短く、縦列を深くして、隊列を編成する。
そのまま、隘路の入口に向かって進軍する。
数歩歩いたところで、ふと、前方からのプレッシャーを視認する。
「敵軍がいます! 接敵まであと僅か!」
驚くべきことに、隘路の入口に敵軍が待ち構えていた。
隘路の奥に火を灯し、接敵までの距離があるものと油断させておいて、唐突に眼前に現れたように錯覚させてきたのである。
俺の目をもってしても、眼前の敵に気が付かなかった。
全ては濃霧が原因であり、敵軍は濃霧をうまく利用し、こちらに積極的に仕掛けてきている。
つまり、敵軍は、戦う気満々であった。
我軍が隘路を抜ける作戦の、その根底が崩れていく。
焦る俺を他所にして、最前列では激しく剣戟が交わされる。
と思いきや。
「敵軍は反転しました! 隘路の中へ逃げていきます」
よくよく観察すると、敵軍は僅か百の部隊である。
もっとも、少数であっても、隘路の中で目一杯横に広がっておけば、突破されない限り、包囲されることはない。よって、敵軍は少数でもって、我軍と正面から戦い、持ち応えることもできる。
しかし、接触した場所は、未だ隘路の入口である。
となれば、数の暴力に屈せざるを得ない。
結果、敵軍は、我軍全軍が挑みかかっていることを知り、恐れをなして、隘路の中に引っ込んだのである。
敵軍は、確かに仕掛けてはきた。しかし、敵軍の見込みも甘かったのである。
アルが尋ねてくる。
「追いかけますか? 誘われているようにも思えますが」
無論、眼前で逃げ惑う敵部隊は、敵軍の一部にしか過ぎないだろう。他に、敵部隊が控えていてもおかしくはない。しかし、そのように軍を細かく分けているというなら、それは、いっそのことこちらにとって好都合である。まずは、眼前の敵部隊が他の敵部隊に合流する前に、素早く討ち取る。後からのこのこ現れた敵部隊は、後でゆっくりと平らげてやればよい。
さらにいうと、我軍の士気は、敵部隊を撃退したことにより、最高潮に高まっている。
敵部隊を追いかけないとなると、逆に士気が低下しかねない。むしろ、追いかけない選択はないのである。
「直進だ! 撃滅せよ!」
そこで、伝令がやって来る。
「アウグスタ様からご報告。メルクリオ様の率いる千の部隊で、先行いただきたいとのこと」
我軍の後行二千五百は重装備であり、隘路内のぬかるんだ地面の上では、戦闘しつつ進軍するという芸当は不可能である。
したがって、後行が戦闘に参加するためには、まず軽装に換装しなくてはならない。
なお、アウグスタは、ペーター王と共に後行を指揮するとのことである。
「注意深いことだ」
我軍は、構成人数が多いために、相対的に進軍速度が遅い。それでも、敵部隊に比べて軽装である。その甲斐もあってか、隘路の半ばでようやく敵部隊に追いつき、敵部隊は観念したのか振り返って相対する。
最前列がぶつかり合い、押し合いとなる。
俺は、最前列の間近に控えている。
したがって、兵士達の喚きが伝わって来る。周囲は赤黒い飛沫に濡れ染まり、喉の奥まで、鉄の匂いや腐臭がこびりつきそうなほどである。
敵兵は、渾身の力を我軍の兵士に叩きつけ、潰しにかかる。
対して、我軍の兵士は軽装であり、動きが俊敏である。このぬかるみの中においては、その特徴が顕著に表れる。すなわち、敵兵の鈍重な攻撃を避け、その隙を狙って、手数の多い攻撃で、容易く敵兵を刺して回るのである。
どちらが優勢かは、一目見て明らかである。
決着は一瞬にして決まるものと想定していたが、敵部隊は少数ながらもなかなか崩れない。
我軍の圧力に耐え、我軍のそれ以上の進撃を許さないのである。
しかし、時間の問題ではある。
最前列のカエサルが、敵兵士を次から次に川面に投げ飛ばしていく。投げ飛ばされた敵兵士は、ありえないほどの遠くに着水し、戦線に復帰出来ない。そうして、敵部隊はみるみる間に数を減らして、ついにその一画が崩れる。
その時。
空中で何かが炸裂する。
同時に、弾け飛んだ火花が、我軍の頭上を襲う。
我軍は僅かに隊列を崩すが、火花による損害は少ない。
精々が小やけどで済んだのである。
しかし、この炸裂武器は我軍にとって、脅威である。
火炎放射器か何かであろうか。我軍にはない正体不明の武器であり、対処法もわからない。
しかし、我軍の近衛兵達は、既にその正体を知っているようで、口々に呟いている。
「近くに、あの女がいる」
「死を招く戦乙女」
「豪炎のブリジッタだ」
聞き覚えのある名前である。
「戦乙女ブリジッタというのは、何者だ?」
しかし、近衛兵が応える直前。
火花のために、気温は上昇し、一気に濃霧が晴れる。
そこで、俺は周囲を見渡し、異変に気付く。
「川向うに敵軍発見!」
川を挟んで、東には森が広がっている。
木々の間から、無数のクロスボウがこちらの様子を伺っているのが見える。
次の瞬間。
放たれた無数の矢が、こちらに向かってくる。
我軍の兵士達は、急いで大盾を構えて、身を防ぐ。
しかし、完全に矢を防ぎきることは出来ない。多くの者が、矢傷を受けて、あえなく膝を屈する。
このままでは、集中砲火を受けて、我軍は崩壊する。
ならば、西の森に隠れるべきか。
「森が燃えています!」
正確に言うと、西の森は、煙が充満している。
木々は、雨に降られて湿りきっており、火の手があがるまでには至っていない。
しかし、西の森に隠れたとしても、一酸化中毒になりかねない。逃げ隠れることもできないのである。
「背後より、敵軍が現れました!」
敵軍は、元よりどこかに、兵を伏せていたのである。
それが、我軍が隘路に入り切ったところを見計らって、ここぞとばかりに挟撃を仕掛けてきたというのである。
加えて、挟撃どころか、我軍は、四方八方からの襲撃を食らっている。
「つまり、四面楚歌か……」
敵軍は、寡兵を装い、我軍への必殺を狙って兵を伏せていた。
それを、俺は見抜かず、敵軍は戦意喪失したと断じてしまった。アウグスタの忠告も聞かず、全軍で突っ走ってしまったのである。
はめられた。
いや、むしろ、俺は、自ら罠にはまりにいったという表現が正しい。
川向うの無数のクロスボウから、我軍に対して、第二射が放たれる。
一本の矢が、俺の頭部のすぐ隣を鋭く通り抜けていく。
「メルクリオ様は、身じろぎもしなかった……」
「命のやり取りを生業にしてきた軍神ならでは」
「我々には軍神様がいる」
近衛兵の称賛を受けて、俺は我に返る。
ところで、俺は、あえて身じろぎしなかったのではなく、それだけの反射神経を持ち合わせていなかっただけである。
それはさておき、我軍にとって、第二射は想定されたものである。したがって、第一射に比べてその損害は軽微にとどまった。
それでも、我軍の兵士達は混乱に陥っている。
俺に、この局面を立て直すだけの能力はない。
そして、頼れるアウグスタも隘路の入口に待機しているのであり、俺の側にはいない。
俺に対して、アルが問い掛けてくる。
「いかがなさいますか?」
「いかがも何もなかろう……」
俺は、我に返ったところで、やはり泣きたい気分で一杯である。
「承知しました」
アルは俺から離れ、伝令に言伝する。
「メルクリオ様からの指示です。直進だ!」
「え?」
俺は、思わず声を上げる。
しかし、アルには届かず、アルは再度号令をかける。
「メルクリオ様がそのまま直進と仰せだ!」
同時に、ホルンの音が勇壮に鳴り響く。楽器の力によって、我軍は無理やり落ち着きを取り戻したのである。
「まずは、私の出番だな」
ツリ目の英雄がおもむろに川べりに立つ。
川向うの敵部隊に向けて、両手の平を広げる。
一瞬の後。
川向うの森の奥で、光の奔流がとめどなく炸裂する。激しい明滅に敵部隊は混乱し、我軍に対する掃射を止める。
次に、トンガリ帽の英雄が、両手の平を地面のぬかるみに浸し、甲高い声で叫ぶ。
「行きなさい! 我が下僕達!」
ぬかるみからは、どろどろの柱が立ち上がる。
溶けながらも次第に人型になっていき、完全に人型になる前に川に向かって走り出す。
そのままの勢いで渡河し、森の奥の敵部隊に向かって行く。
そのまま、泥人形は敵兵にタックルを仕掛けるも、あえなく粉砕される。
「ほおーーれ、ほれほれッ!」
トンガリ帽は諦めることなく、次々に泥人形を作りタックルを敢行させる。
泥人形は元気に立ち上がり、リズミカルに走り去り、そして粉砕される。
川向うの敵部隊は、やがて、混乱に収拾をつけられなくなり、後退を始める。
二人の英雄が、人間離れした力によって、我軍をクロスボウの斉射から守ってくれた。
そこで、我軍は一丸となって、再び隘路の出口を目指して進撃する。
つまり、包囲されても突破すればいいとして、猛攻を開始したのである。
筋肉ダルマの英雄が先頭を走る。
巨大な戦斧を振り回しながら、敵兵の間を走り抜ける。先頭を走るがゆえに、幾人かの敵兵に一斉に襲いかかられるも、すべてを一蹴する。
ついには、数人の白刃を一人で受け止め、凄まじい膂力で全てを弾き飛ばす。
圧倒的な暴力である。
タレ目は、筋肉ダルマに追随する。
筋肉ダルマに荒らされ、群れから孤立した敵兵を、逐一刈り取っていく。
短槍を用いて、大きな円弧を優雅に描いているが、円弧が止まった後の突きの狙いは、実に正確無比である。
「損な役回りだぜ」
前方を遮る敵部隊は、やがて瓦解していく。
「後方の敵部隊も四散していきます」
我軍の背後を狙う敵部隊。
その敵部隊を、アウグスタがさらにその背後から襲撃し、一瞬で崩壊させたのである。
「ゴタール回廊の戦い、勝利したるは英雄メルクリオ! そしてアルデア王国なり!」
隘路の中に、声が響き渡り、こだまする。
敵軍のうち数百人はかろうじて隘路を抜け出たものの、近くの砦に立て籠ることなく、北の方角へと落ち延びていった。
俺はまた、己以外の力によって勝利をもぎ取ったのであった。