37 仮面の下の仮面
テヴェレ川は南から北へ流れ、公爵領に入って大運河と合流する。
その合流地点は、オークの木が繁茂する森となっている。
翌日、敵軍のファウスト部隊はこのオークの森に潜んでいるという情報を得る。
残存兵力は400。離脱者の少なさからして、高い士気を維持しているものと思われる。
全軍を乗船させ、テヴェレ川を進み、オークの森の前に移動させる。
布陣したのは、西を除く三方を森に囲われた1km四方の小さな平野部。
北に目をやれば、間近に大山脈がそそり立っている。
麓には砦があり、ここにはディーノ率いる聖堂騎士団が駐屯している。
敵軍を打ち破る様を、聖堂騎士団に見せつけてやらねばなるまい。
敗北は許されない。
我軍は横列陣を敷き、後背に本陣を敷く2段構えで布陣する。
兵士の数は800。
森の中に分け入ると、数の暴力を活かせない。
ならば、平野におびき寄せたいところ。
「やれ」
俺は新たな仮面の下に感情を隠し命令を下す。
すると、本陣近くに5mにも届く2本の杭が打ち立てられる。
天高く掲げられた杭の先には、それぞれ一人の人間が結び付けられている。
それは、コルベールとセリア。
あれほどに暴れまわった彼らも、今や意識を失い、為すがままとなっている。
しばらくすると、足下の藁に火を付けられる。
妙に空気が湿っており、やたら大仰な煙を吐きながら燃え広がっていく。
はたして。
ファウスト部隊が潜む森の中から、大部隊がその姿を現す。
仲間を救うために、おびき出されてくれたようだ。
先頭にはアイリスの旗。
逃してやったというのに、アンリ自身がのこのこと戦場に現れたようだ。
我軍の横列陣に対抗して、すぐさま森の手前に横列陣を展開する。
展開と同時に進軍を開始する。
と同時に。
「閣下。北の森からデルモナコ及びザンピエーリの連合軍が現れました! 総勢700!」
「遅かったな。敵の横腹をつけと、そう伝えるのだ」
遥か南にいたはずの連合軍が北から現れた。
おそらく、船を使って下流まで移動していたのだろう。
「閣下、さらに、南の森から王国軍が現れました! 総勢500! 間もなく敵軍の右翼に接触します!」
両援軍が素早い動きで敵軍に群がっていく。
敵軍は左右を挟まれる形になった。
では、敵軍の正面に位置する我軍はいかに対応するか。
「戦場に遅れてきた者達よ。これはそもそも私の一人舞台なのだ。少し黙っておいてくれたまえ。我軍は左右に展開!」
我軍の横列陣は大胆にも左右に逃走する。
俺の本陣ががら空きになる。
左右をつかれた敵軍にとって、前進こそが一発逆転の唯一の道でもあり、窮地を脱する唯一の道でもある。
アンリ軍は左右の攻勢を受け持つ守備部隊を残し、我が本陣に向かって猛進を開始する。
その進軍の仕方は異様。
10人ほどを1部隊にして部隊ごとにバラバラに前進させる。
「言ったであろう。それは、もはや戦術などではない。単なる博打に過ぎないのだと」
これを迎え撃つのは、我が砲兵隊。
砲門の数20。
そして、ハンドガンの数200。
距離感を完全に掌握している俺の指示に従い、粛々と三交代制で射撃を開始する。
何の抵抗も許されない。
敵軍は多くの兵士を失う。
「槍衾形態ッ!」
そこに襲いかかるのは、ラケデモンら精鋭部隊100名。
古式ゆかしき槍衾。
それは、一糸乱れぬ動きと機動力を兼ね備えた最強部隊。
相手の秩序なき部隊を軽々と粉砕していく。
左右に分けた我軍の前衛横列陣が反転し、敵軍の側面に食らいつく。
さらに、敵軍の後背に伯爵連合軍及び王国軍が襲いかかる。
この日、アンリ軍は呆気なく消滅したのであった。
王国軍の総指揮は、メルクリオ26世が務めていたらしい。
戦場ではその姿を見かけていない。つまり、お飾りの指揮官に過ぎない。
場所をレオナルディ城に移し、反乱鎮圧に関与した諸侯を集め、軍事裁判を開こうとしている。
デシカ伯爵が慇懃に声をかけてくる。
「まさか、あの行方不明の白薔薇騎士団長ファウスト殿が、反乱に関与されているとは思いもよりませんでした」
「残念ながら、彼もアンリ軍の幹部。ならば、軍事裁判にかけねばなりませんな」
「彼ほどの人材を失うのはもったいないことです」
「決定権は私にはありませんからな」
第一功は俺にあるし、アンリ軍に喧嘩を売られたのも俺である。
ならば、俺が実質的な決定権を有していてもおかしくはない。
それでも、俺は矢面に立ちたくはないので、とぼけた様子で簡単にあしらう。
はたして、デシカは話の内容を変え、やがて次なる折衝先を探して席を外す。
軍事裁判開始まで、諸侯は雑談に興じる。
恩を着せるべく、俺はデルモナコに近づく。
「これで内憂は消えましたな。しかし、いささか歯ごたえにかける。ひょっとすると、まだ別部隊が潜んでおるやも知れませぬな。そうでなければ、閣下が苦戦された理由が理解できぬ」
「ふんッ。貴卿の力があったればこそ、と十二分に感謝しておるわ!」
デルモナコは目を逸らす。
やりすぎてしまったかもしれない。
「私の力は全て大砲によるもの。アンリ軍への戦勝を祝って、閣下に固定砲台を進呈しよう」
「かたじけない」
「いやいやいやいや。互いに協力しあって戦力を増強し、共通の相手に立ち向かわねばなりませんからな」
それは聖堂騎士団。
彼らを目障りに感じているのは、俺も同じ。
しかし、デルモナコはアンリを倒したことで、もはや俺との協同は終わったものだと思っている様子。
我儘でかつ困った男である。
「あら。美髯伯が気乗りしないのなら、その大砲、私がいただくわよ?」
ザンピエーリがあくどい笑みを浮かべて話しかけてくる。
「ほう。そちらのお約束もありましたな。しかし、進呈できる大砲には限りがあります故」
こいつに引き渡すのは危険だ。
「けちな事を言うわね。でも、協同相手はよく選んだ方がいいのではないかしら? せっかくの宝が無駄になってしまうわよ」
デルモナコが堪らずに言い放つ。
「わしと子爵殿とは付き合いが長くてな。子爵殿には感謝の意を表して、オレンジの苗木を100ばかり贈ろうと思っておる」
「それは有難きお言葉」
「あら。でも、気が変わったらいつでも私に声をかけなさい。悪いようにはしないわよ」
ザンピエーリは言葉とは裏腹に、力づくでも自身になびかせる決意を顔に顕にしながら去って行く。
しばらくすると、軍事裁判が開始される。
裁判長は、メルクリオ26世。
彼の補佐をデシカが務める。
裁判の対象はアンリ軍の幹部である。
もっとも、コルベールとセリアは昏睡状態であるから召喚しない。
ファウストについては、デシカの暗躍が奏効したのか、王都に送還されることとなった。
よって、実際に法廷に連れてこられたのはアンリのみ。
アンリはやつれている。
肉体的疲労はもちろんのこと、何かを思いつめてきた様子。
メルクリオ26世は厳粛に裁判を進行する。
「レオナルディの市民アンリッ! 君はデルモナコ伯爵領及びレオナルディ子爵領において人心を惑わし、扇動し、著しく社会秩序を乱す行いをなしたッ! その罪を認めるかッ?」
「うわぁ、何ですかあなた?」
突如アンリは取り乱す。
「私はメルクリオ26世! そう、あの伝説の英雄と同じ名前ッ! その謂れはそもそも……」
段々とアンリは落ち着いていく。
「……僕は罪を認めません」
「ひょっとして、君の行いは正しいとでも言ってしまうのかいッ?」
「結局、答えなんてないんですよ」
「それは、一体全体どういうことかッ?」
「一人一人に正義とするところがあって、皆、自分の正義のために戦っているんです。だから、他人の正義が間違っていると言うのは、間違っているんです」
「ほほうッ!」
絶対に理解できていない感じの相槌を打っている。
「皆違って皆良い。この世界から争いの種を除くには、そのような考えを共有すべきなのです」
「ふむ。それは、一理あるッ!」
デシカが小声でメルクリオ26世をたしなめる。
「しかしッ! 君の考えを実現するために、伯爵や子爵を攻撃してもいい。そういうことにはならないだろうッ?」
「他人の正義を認められない大人がいるから、この世界は貧しいままなんです。だからこそ、僕達がこの世界をきれいにしていかなくてはいけない!」
もはや、柔軟さを失い、自身の考えに凝り固まっている。
俺は立ち上がる。
「彼には反省の色がない。更生の見込みなし」
「しかしなのであるッ!」
「被害者である私から言わせていただく。彼は亡ボルドー王国の王子。彼と結託し反乱を企てる者は、今後も現れることでしょう。ならば、同じ惨劇を繰り返さないため、彼を野放しにしてはいけない」
せっかく俺が助けたんだ。
死罪にしろとは言わない。
しかし、監視できるところに置いておきたい。
すると、一人の傍聴人が立ち上がる。
「彼は戦いの中で民衆が傷つくのを見て、もう心が折れてしまったわ。だから、絶対に同じ過ちは繰り返さない!」
突如発言したのはキアラ姫。
「これは姫様ッ! 人徳あるお言葉ッ! これは恩赦をいただいたものととらえるべきッ!」
メルクリオ26世はすぐにキアラに迎合する。
もはや、すぐにでも無罪放免となりそうな勢いだ。
実刑を課さなくても、保護観察処分で問題はなかろう。
反対はしない。
一瞬だけ、そう思った。
しかし。
周囲を見渡した瞬間に思い直す。
デルモナコを始めとして、不服の態度をあらわにする人物が紛れている。
このままでは、鶴の一声で彼らの意見は封殺されることになる。
そうなると、彼らは現状の秩序に疑問を持つ。将来に暴発の種を残すことになるだろう。
ならば、暴発を未然に防ぐべく、彼らにも、彼らの利益を代表してくれる権力者がいることを、理解させておかなければならない。
彼らの不満を代表し、彼らの意見を政策に反映しうる権力者、悪党の上に立つ悪党。
それは誰か。
そうだ。
俺の役割は最初から決まっていたのだ。
ただ、心構えが不十分であっただけ。
「ご機嫌麗しく、キアラ殿下。ところで、私は、そこのアンリとやらのせいで、甚大な被害を被りました。ならば、彼には死罪が相当であると考えます」
「何でそんな酷いことを言うのかしら? 誰にだって間違いはあるじゃない」
「貴女は魔法学校の一生徒。アンリの反乱からは絶対に被害を受けることがない、優雅な世界の人間。なるほど、そのような優しい見解を述べられても不思議ではない」
「私を褒めているのかしら」
「失礼ですがはっきり言いましょう。何も知らない殿下が、被害を受けた我々に泣き寝入りせよというのは、甚だ越権ではありませんか? 愚弄されているようにすら感じます」
「うげッ……」
キアラは俺からの激しい物言いを受けて詰まってしまう。
「そもそも、ボルドー王国は我が国の敵国に当たります。ならば、敵国の王子に肩入れするなど、王家の係累が為すべきことですか? 安易な優しさは逆に秩序の崩壊を招く。貴女は高貴であるがゆえに果たさねばならぬ責任を放棄されているとしか思えない。そんなことだと、国を背負って立つどころか……」
黒子に徹していたデシカ伯爵が慌てて発言する。
「それは今回の事件に関わりのない話です。それ以上は止めてください」
キアラはぼろくそに言われて、プルプルと震えている。
元々、気の長い人物ではないのだ。
「フフフフ。どうしても有罪にするっていうなら、私にも考えがあるんだけど?」
その目は、もはや真の敵を見るかのよう。
「何をつまらないことを」
「決闘しなさい。私が勝てば彼は無罪。あんたが勝てば彼は有罪」
誰も止めることなく、決闘の準備が整ってしまう。
俺対キアラ。
衆人環視の下、中庭で対峙する。
キアラに剣技を教えたのは俺だ。
幸い、ウルバノとの戦いで負った骨折は、早くも完治している。
だったら、負けるはずはない。
むしろ、こちらのハンデとして黒と赤の指輪の力は使わないでおこう。
「どちらが真の強者か。前々から試してみたいと思っていたの」
キアラが使う得物はレイピア。
刺突だけではなく、薙ぎにも対応できるよう、レイピアにしては刃が太めに作られている特注品だ。
互いに同じタイミングで得物を引き抜く。
と同時に、キアラは腰をかがめたまま、真っ直ぐ突っ込んでくる。
素早くはある。しかし、目で追えないスピードではない。
俺は剣先を下げ、傲然と迎撃の準備をする。
しかし、キアラは、俺の眼前で急に停止する。
意表を突く行動。それは、手を垂らし、顎を上げた、隙だらけの姿。
「まるでなっておらんな!」
俺は勝利を確信し、袈裟懸けに打ち込む。
しかし、俺の袈裟懸けは空を切る。
そこにキアラはいない。
キアラは一気に加速し、今までとは段違いのスピードで俺の右に回り込む。
放たれる一撃。
俺は、剣を左に振り抜いている。
右へ立て直すため、反応が遅れる。
それでも、強引に体をねじり、かろうじて相手の刃を弾くことに成功する。
「のらりくらりとッ!」
キアラは、衝突エネルギーを迅速に逃し、次の刺突攻撃を仕掛けてくる。
一合。これもかろうじて、剣先を逸し、直撃を免れる。
しかし、あまりにも強烈な一撃。
右手首の先が痺れている。
相手のタイミングに応じきれておらず、うまく受け流すことができていない。
強い。
危機感を覚える。
二合目を防げる自信はない。
ならば、相手の行動の先の先を読んで、奇策で撹乱するしかない。
一か八か。
俺は、キアラの眼球の動きを観察する。
眼球の先にあるのは、俺の左足。右手首。
僅かな動きをも逃さぬその動体視力。
俺の動きに即応し、俺に最も油断の生じる死角を算出しているのだ。
俺は、右手首の僅かな動きを、剣に伝え、そのまま剣を手放す。
すると、剣はゆっくりと回転しながら、双方の頭上、絶妙な高さで宙を舞う。
キアラの眼球は僅かな時間、剣先を捉えた。
迷っている。
双方の間を舞う邪魔な剣が、地に落ちた後に仕掛けるか。
それとも、意に介さずにすぐ仕掛けるか。
その一瞬の逡巡を逃す手はない。
俺は素早く腰をかがめ、剣の舞を物ともせずにタックルを仕掛ける。
意外な攻撃をくらい、キアラは避けきれない。
正面衝突は避けられたものの、それでも俺は、キアラの腰に食らいつき、そのまま横倒しにする。
曲芸師のように、落下してきた剣を左手で捕まえ、素早くキアラの首元に。
「汚らわしいッ!」
瞬間、目がくらむ。
俺の動きは途中で止まってしまう。
身体中が痙攣している。
遅れて、激しい痛みが全身を駆け巡る。
どうやら、接触面から放電されたらしい。
キアラは身を丸めて、動きを止めた俺を両足で蹴り上げる。
俺は無様に、投げ飛ばされる。
着地し、腰を曲げながらも、かろうじて膝を屈する事を逃れる。
しかし、その俺に対し。
「後悔させてやる!」
明らかにその相貌は異常。
目を見開き、嗜虐的な顔をしている。戦闘民族の血が沸騰してきたとでも言うのか。
キアラは、離れた場所から何気なしにレイピアを一振り。
すると、剣先からいくつもの稲妻が放たれる。
動きの鈍った俺は、予想外の攻撃に、呆気なく掴まる。
腹が黒焦げになっている。
それでも、黒の指輪のおかげでなんとか命をとりとめている。
しかし、あっさりと俺はその場に崩れ落ちる。
明らかに俺を殺そうとしていた。
そんなことはないはず。そうだ、力が暴走したのだろう。
故意にとは思いたくない……。
キアラは全身に雷をまとわせながら、無力化した俺にずんずんと近づいてくる。
俺は観念し、頭を垂れる。
「弱すぎる。いえ、違うわ。私が強くなりすぎたのよ」
しばらくしてから、平静を取り戻したキアラが俺に手を伸ばす。
その眼差しはその内心を雄弁に語っている。
「ふぅー……」
俺は、屈辱やら情けなさやらを感じて、大きく息を吐く。
「あんたと戦えるのを楽しみにしていたんだけれど。もう、私の尊敬する師匠はどこにもいないのだわ」
俺が思っていた以上に、キアラは急激に変化していく。
もはや、可愛い可愛いと愛でる対象ではなく、自我を確立した自立した存在なのだ。
対する俺は、小悪党らしく呟く。
「この私を見下すというのか? 領民に富を与え、国内の流通事情を一変させたこの私を。超越者たるこの私を。文字通り命を削って経済の土台を構築したこの私を、そのような目で見るなどと。感情に左右されるだけのただの小娘に、何故この私が。ありえぬ。私は認めんぞ!」




