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30 神罰執行

 かすかな物音が聞こえ、目を覚ます。

 素早く周囲の状況を確認する。

 どうやら、天幕の中に寝かされているようだ。


「お目覚めですか」


 俺に声をかけてきたのは、赤毛の少年。

 行方不明になっていたエリオだ。


 アンリ軍の猛攻を受けて、俺は敗れたはず。

 彼が俺を救ってくれたのだろうか。

 しかし、すぐにそうではないことに気が付く。


 俺の手首には木製の枷がはめられている。


「どういうことだ? 裏切ったというのか?」


「元々、僕はアンリ王子の側付きです。仮面で素顔を隠すあなたには従えません」


 スパイとして我軍に潜り込んでいたということか。

 こちらもヘルミネをスパイとして送り込んでいるのに、逆の可能性を考えなかったのは我ながら間抜けだな。

 こちらの動きは、アンリ軍に筒抜けになっていたのかも知れない。

 痛恨の失敗だ。


「私をどうするつもりだ?」


「これから、アンリ様の下に案内いたします。あなたは審判を受けることになるでしょう」


「そうか……」


「命乞いをしないのですか?」


「そうすれば助けてくれるのか?」


「アンリ様は、暗黒卿のあなたを毛嫌いしておられます。おそらく命乞いをしても助けてはくれないでしょう。それでも……」


「ならば、命乞いを勧めるような、いたずらに嗜虐的な発言はよしてくれ」


「……」


「アンリと直接話をしたい。連れて行くがいい」


「暗黒卿として話をするつもりですか? それとも……」


「レオナルディ子爵として、に決まっているだろう」


「どうして、そうやって、自分の与えられた立場に、自分自身を縛り付けるのですか。本当の姿でアンリ様にぶつかれば、それだけで全てのつまらないわだかまりが解消されるというのに!」


 エリオは激情にかられている様子。

 だが、俺には、彼が何を言いたいのか、まるでわからなかった。




 エリオに連れられ、天幕を出る。

 外には、同様の天幕が3つほど立ち並ぶ。


 夕暮れ時。

 ここは、アンリ軍の拠点である丘の上。

 周辺地形を一望できる、開けた場所に案内される。

 人だかりができている。


 まず目に入ったのは、石造りの椅子に着座しているアキレとジーナ。

 脂汗をかいた疲弊した顔つきが、篝火に照らし出されている。

 彼らを囲うようにして、周囲にアンリ軍の面々が立ち並ぶ。


 アキレとジーナは俺の顔を見るやいなや、立ち上がり、若干の安堵の色を見せる。


「すまない。俺が不覚をとったばかりに」


「兄貴は悪くねぇさ。俺が目の前の戦いに夢中になってしまったのが悪いんだ」


 アキレがフォローしてくる。

 俺は、ジーナの隣に着座する。


「我軍は崩壊したのか?」


「いえ。我軍は健在にございます。敵軍は閣下を誘拐し、残存する僅かな手勢を率いて丘上まで逃走したのです。我軍は、今なおほぼ無傷の状態で丘下にて待機しております。ただ、閣下の身の安全を考え、総攻撃は控え、私と防衛大臣のみで交渉に来た次第です」


 我軍が無傷の状態で生き残っているのは、おそらく、ジーナが俺の代理を務め、よく全軍を指揮し、自然崩壊を許さなかったおかげだろう。


「感謝する」


「いえ、当然の務めです」


 俺の審判が行われると聞いていたが、どうやら違ったようだ。


 アンリ軍は大幅に戦力を失っている。まともに丘下の我軍と戦っては勝利はない。

 ならば、俺を解放する代わりに、和平を求めてくるだろう。

 両者痛み分けということ。

 雌雄を決するのは、仕切り直した後だな。

 身の安全を確信し、心が落ち着く。




 やがて、アンリが現れ、対面の石造りの椅子に腰掛ける。

 その端麗な顔が、夕焼けのオレンジ色に照らし出される。

 他に、コルベール、民族少女、ファウストら幹部連中が、その側に立ち居並ぶ。

 ヘルミネもちゃっかりアンリの背後に控えている。


 アンリは気さくに話しかけてくる。


「直接対面するのは初めてですね、レオナルディ子爵」


「暗黒卿で構わない。あなたがアンリ王子だな」


「代弁者たるアンリです。これから、暗黒卿の審判を始めます」


「は?」


 ジーナが素早く立ち上がる。アキレもそれに続いて立ち上がり、ハルバードを構える。

 アンリは動じることなく、青い瞳でじっと俺の仮面を見ている。


「どういうことですか? 私達は子爵の身柄の解放を求めて、ここに来たのですが」


「それはできません」


「子爵にもしものことがあれば、我軍はあなた達を一人たりとも生かすことはありませんよ」


「降伏してください。これ以上、暗黒卿に運命を狂わされたあなた達が犠牲になるのは耐えられません」


 まるで話が噛み合わない。あえて、話の内容を噛み合わないようにして、狂人を気取っているのだろうか。

 しかし、その態度を見るに、そうは思えない。落ち着きすぎているのだ。

 根っこから狂っているとしか思えない。


 しかも、周囲のアンリの配下のうち、誰も暴走機関車である彼を諌めるものがいない。

 これが、狂信者集団というものだろうか。


「状況を正確に理解できていますか? あなた達はもはや総勢50人にも届かない上に、生き残った兵士達もほとんどが負傷しています。戦力の差が決定的であることは明々白々なのですよ」


「あなた達は可哀想な人です。暗黒卿に生殺与奪の権を握られ、彼の言いなりになっています。だからこそ、そういう人達を解放するため、僕が彼を断罪しなくてはいけないのです」


「閣下は、誰よりも民を思い、民に寄り添ってきました。為政者でないあなたには絶対にわからないことです!」


 ジーナが怒りをその能面にあらわす。

 しかし、アンリはやんちゃな姉を冷静になだめるような口調で、淡々と返答する。

 

「暗黒卿には人を洗脳する才能もあります。だからこそ、彼は危険なのです。あなた達も早く目を覚まして、今までの行いを悔い改め、心を入れ直して新しい生活様式に遷移できるとよいのですが」


 さすがのジーナも沈黙する。

 信念がかけ離れており、相手を理解することができず、相手を説得することも絶望的だからだ。




「で、俺をどう審判してくれるというのだ?」


「審判内容を決定するために、いくつかの質問をします。正直に応えなさい」


「……」


「あなたは、自分の罪を自覚していますか?」


「それは、クエス村を焼いたことだろうか? それとも、現在進行系で人々を恐怖させていることだろうか?」


「どうして、そうやって平然と言ってのけられるのですか? たくさんの人を苦しめてきたというのに。どうとも思っていないのではないですか?」


 クエス村のことは言い逃れができない。

 実際のところ、クエス村の件がなければ、ここまで詰られることはなかったはず。

 俺がとった行動ではないのに、その罪を認識しなくてはならないのは、本当に辛い。


「クエス村を焼いたことについては、他にやりようがあったと反省している。しかし、人々から恐れられ、嫌われていることについてはなんとも思っていない。為政者のなすべきは、人々のご機嫌をうかがうことではないからだ」


「では、何のために政治を為すのです?」


「人々の幸福の最大化のため」


「民のために民に嫌われることをするというのは、矛盾しています。所詮、愚民には難しいことはわからないだろうから、何も考えず、あなたをただただ有り難く敬っておけばいいのだという見下しの精神が透けて見えます。本当のことを言いなさい。あなたはあなた自身の欲望を第一とする、愚かな圧政者です」


「この世界を恐慌に陥れることこそ我の望み、とでも言えば君は満足なのだろうか? 君はそういう役割を私に求めているというのか?」


「僕はあなたを見ていると、怒りのあまりあなたを殺めてしまいそうになります」


「それは怖いことだ。だが、私はそんな邪悪な人間などではない。必要以上に、問題を頭の中で単純化するな。もっとも、私が自身の欲望に忠実であるというのは否定はしない。人々に幸福をもたらすことで、私は満足感を得る。所詮、それは自分自身から認められたいという私の欲望から出発するものだろうからな」


「出発点が間違っています。だからこそ、あなたの行動は破滅的なほどに、人々の願いから外れていくのです。欲深きことは罪」


「そうやって、私の欲望を頭から否定してみせて、ちゃっちい正義を振りかざして私を殺すのか? 人々に幸福をもたらすことができるのは私だけかもしれないというのに?」


「あなたには何度もチャンスを与えました。いつか、更生してくれるとも信じていたのです。でも、あなたは愚かにも自分の欲望の道を突き進んでしまいました。僕は本当に自分の無力さに悲しみしか感じません」


「君は自分の殻に籠もって他者を受け入れることができない。何を言っても無駄に感じる」


「あなたには人の心がない。であれば。このままあなたを生かしておくわけにはいきません」


 コルベールがグレートソードを振りかざす。

 対するアキレが、ハルバードを握りしめる。




「アンリ様。お待ち下さい」


 俺の背後に控えていたエリオが凛とした声で言い放つ。


「私は! レオナルディ子爵の仮面を、外してあげたいのです!」


 唐突に、俺の正体が明らかになる危険が浮上する。

 俺の素顔に見覚えがあるであろう者は、この場に複数人いる。

 その中でも、俺の顔を絶対に知られてはならない相手は、ジーナ、そしてヘルミネ。正体をいたずらに言いふらされたくないという意味では、ファウストにも知られたくはない。


「やめろ。それは私の名誉を著しく傷つける行為である」

 

 ジーナがエリオの右手を鋭く掴む。

 ジーナもようやく、エリオがアンリ軍から派遣されたスパイだったことに気が付いたようだ。

 片手にはナイフを握り、もはや臨戦態勢だ。


 しかし、エリオはゆっくりと左手を俺の仮面に伸ばす。

 その所作はまるで、敵意が感じられない。

 やがて、伸ばした手を止めて、そのまま俺の肩に置き、顔を苦しげに歪ませる。


「どうして、そう強情なんですか。おかしいよ……」


「エリオ。君は暗黒卿の秘密を、何か知っているというのかい?」


 アンリが問いかける。


「彼を、彼を殺してしまうと、一生王子は後悔することになります」


「え? どういうこと?」


「王子の覚悟を鈍らせることになるので今は言えません。でも、いずれきっとわかる時が来ます。いえ、わかり会える時が来ないなら、それはもう救いがない!」


 エリオは絶叫する。

 エリオが何を伝えたかったのかはわからないが、アンリはエリオの忠義に絶対の信頼をおいている様子。

 俺をまるで親の敵のように憎んでおり、今こそ俺の命を奪える絶好の機会であるはずなのに、エリオの言葉を受けて、アンリは俺に対する審判の再考を開始する。


 緊張した場を、静寂が支配する。

 アンリは腕を組み、瞑想を始める。


 どれだけ時間が過ぎただろうか。

 不意にアンリが口を開く。


「……わかりました。今一度だけ。あなたを見逃します。ただし、悪徳を続けるなら次はもうありませんよ」


 アンリは潔くエリオの言葉を受け入れる。


 しかし、俺とアンリの考えは平行線のままだ。そして、アンリが悪徳と考える行為を、俺は続けることになるだろう。

 となると、再戦は約束されたようなもの。

 俺を見逃すなど、ただの茶番に過ぎない。


 しかし、エリオが俺をかばってくれた。

 ならば、エリオの顔を立てて、この場をしのいでやるのが、最上の手とも思える。


「もし罪が許されるなら、神様に誓って、心を入れ替えると約束しよう。領主としての役割をまっとうすることで社会貢献に尽力しようと思う。悪いことをしたと反省ひとしきりであるッ!」


「……」


 やりすぎたか。

 しかし、お咎めはない。

 しばらくして、手枷が解かれ、はいのうとグラディウスが返還される。


 そのまま、俺は黙礼をして、踵を返す。

 そうして、丘上を去る直前。


「まだ、僕はあなたの反省の言葉を聞いていませんよ」


 アンリが声をかけてくる。


「え?」


「ごめんなさい、は?」


 こいつ、子供を叱る教師かよ。


「ご、ごめんなさい……」


 つまらない一言ではある。だから、心も籠もらない。

 しかし、なんだか、凄まじい精神的ダメージを食らった。




 丘下の我軍に戻る。

 俺を生かして返すなどと、お人好しにもほどがある。

 今から全軍を総動員し、アンリ軍を打ち破り、アンリを打ち取り、二度と再起できないようにしてやろうか。

 弱っている相手の傷口に塩を塗り込んでやるのは、常套手段だろう。

 

 ジーナが相談をしてくる。


「明日の朝にかけて、アンリ軍は北の拠点である関所に戻るとのことです。これを見送った後、我軍を解散させたいと考えておりますが、よろしいでしょうか」


 どうやら、俺を解放する代わりにアンリ軍を追撃しないこととする、条理上の黙示的な取り決めが交わされているようだ。

 相手は国でもなければ、正式な団体ではない以上、約束を反故にしても問題はないと思う。


 しかし。

 まぁ、俺に対する社会的な信用という面で、問題はあるかもしれない。

 何より、エリオの好意を無駄にしてはいけないような気がする。


 俺も大概お人好しだ。

 結局、アンリ軍との間に戦端が開かれることはなかったのであった。

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