12 霧の河畔
目が覚めると、既に日は高い。
昨日の事をぼんやりと思い起こす。
危うく正体が暴かれるところであった。
しかし、俺は、その場その場で機転を利かし、最大の危難を乗り切った。すなわち、結果オーライである。
安堵感で、ようやく体中が弛緩する。
確かに、俺の機転が冴えわたっていたことに間違いはない。しかし、ここまで英雄と勘違いされ続けるというのも不思議な話だ。
古代の英雄達は、メルクリオの顔をよく見知っているはずであり、俺がメルクリオでないことは容易に認識できるはず。それなのに、俺をメルクリオと認識している。
となると、俺は、やはり本物のメルクリオなのかもしれない。
俺は、かつてこの異世界の英雄であったが、ひょんなことから日本に転移した。運悪く転移の際に俺は記憶を失ってしまった。そんな記憶喪失の俺を、両親が拾って大事に育ててくれたのである。
ならば、そのうち、英雄の能力が発現しても不思議ではない。
勝手な妄想に耽っていると、扉の前に人が現れる。
「お目覚めでしょうか?」
「うむ。入れ」
近衛兵が入ってくる。
「敵軍の駐屯地を発見しました」
「よくやった」
俺は、古い地図を広げる。
「敵軍は砦に籠もることをよしとせず、こちら。隘路の出口を封鎖して、我軍を待ち受けているとのこと」
近衛兵は、地図の一点、木々の描かれた箇所を指差す。
フッチ第八城砦の北側は、東の山脈から西の海岸に至るまで森に覆われている。その茫漠たる森の中、一本の河川が縦に走っている。
加えて、河川に並行する形状で、指摘の隘路が見受けられる。
つまり、敵軍は、鼠一匹通らせないために、隘路の出口付近に布陣し、蓋をしているというのだ。
ところで、昨日の戦いでは、我軍は軽騎兵を用いて、敵軍の前衛を迂回し、敵軍の後衛へダイレクトに攻撃を仕掛けた。これが奏功し、我軍は勝利した。
しかし、隘路において、この方法は有効ではない。隘路内において、敵軍の前衛を迂回するための余分の幅員はなく、我軍は敵軍と正面衝突するよりほかないからだ。
しかし、敵軍も同じ条件ではある。
「馬鹿正直に隘路を抜ける必要性はあるのだろうか?」
対して、近衛兵は事細かに説明してくれる。
隘路を通らないとなると、我軍は森を突っ切ることになる。森の中の行軍は、相当な困難を伴うものと推測される。加えて、仮に森の中での遭遇戦となった場合、我軍はなおさら、数の有利を活かせない。
仮に、我軍の戦闘員がうまく森を抜けたとする。そうであっても、森の中には道らしい道がないため、輜重隊がこれに続くことは不可能である。そうすると、森を抜けた戦闘員は兵站を確保できず、苦境に立たされる。
森を切り開くという手もある。しかし、どれほどの時間を要することだろうか。
「短期決戦を望むなら、隘路での戦いは避けられないということか……」
ところで、宰相は第二陣の到着を待てとのことである。
しかし、単純に戦力が増えたところで、この狭隘の突破が容易になるとも思えない。
どうするか。
とりあえず、現地を見ておくべきだろう。
「報告は以上か?」
「ハッ」
「ご苦労であった。斥候に伝えてくれ。第一支隊は森を抜ける道が他にないか再確認を行え。第二支隊はさらに敵軍の駐留地を探索せよ。第三支隊は次の任務まで休息を取るがいい」
「直ちに」
近衛兵が勢いよく飛び出していく。
何だか、俺は、それらしいことをやっているように思える。
「付いてきてくれるか?」
俺はカエサルに問いかけ、カエサルは俺に付き従う。
建物を出ると、外では、兵士達がきびきびと働いている。
炊事を行っている者。家畜に餌をやっている者。剣を磨いでいる者。
一様に顔色は明るく、大変な活気である。
「次の戦いはいつになりますかね?」
「俺達はいつでもいけますよ!」
「早く、七英雄と共に戦ってみたい!」
対して、俺は笑顔で応える。
「そんなことよりも、私にパンをくれないか? 腹が減ってしょうがない」
受け取った固いパンをかじりながら、俺は会議室へと向かう。
途中、ニレの樹の下に、お爺さんが腰掛けている。
確か、名前はイクセルであり、七英雄の一人である。
細長いホルンを携えて、大きな音をたてている。
「ご機嫌ですね」
相手は年上である。そこで、俺は敬語を使って、話しかけてみる。
イクセルは立ち上がり、尻についた塵を払う。
「何やらすっきりした顔つきになったのう」
「自覚はありませんが」
「よい傾向じゃ。お主が総指揮を務めるというなら、お主の顔色は、軍全体の士気に関わるからのう」
後頭部の短い髪をさすりながら、にこやかに話しかけてくる。
その様子は、人の良い老人そのものである。
本当にこのご老体も七英雄の一人なのだろうか。間違ってここに紛れ込んでしまっただけではないか。
そして、仮に、このご老体が七英雄を名乗るなら、だったら俺だって、七英雄の一角を占めても罰は当たらないはずだ。
そもそも、俺は初戦で大活躍を見せた。七英雄でなくても、英雄には間違いないのだ。
イクセルはカエサルに目を移し、俺に質問してくる。
「この像は、お主が操っているわけではないのじゃな」
あっさりと見抜かれてしまったようだ。
「自律起動の古代兵士像です。心強い友でもあります」
「面白い。俄然お主に興味が湧いてきた」
「この像に覚えがあるのですか?」
「さてどうじゃろうか……」
「……」
「それよりも、困ったことがあったら、何でもワシに相談するがよい。まぁ、相談がなければ、ワシが、お主にちょっかいをかけてしまうかもしれんがのう。ホッホッホ」
会議室にて、俺は、アウグスタと顔を合わせる。
俺は早速、本題を切り出す。
「次の戦地を、この目で見てこようと思う」
「私も行く。英雄達にもすぐに支度をさせる」
アウグスタは機敏に立ちあがる。
しかし、それは、いらぬ気遣いである。
英雄達と同じ時間を過ごせば過ごすほど、俺の言動から、俺の正体が暴かれる可能性が高くなる。
自分の言動に気を付けるとしても、それには限度がある。それに、いちいち自分の言動に気を張らなくてはならないというのは、辛いことだ。それだけでも俺は疲弊してしまう。
俺を仲間と思ってくれるのは嬉しいが、彼らとあまり接近したくはないのである。
「多人数で行けば、それだけ目立ちやすくもなる。だから、私一人で十分だ」
「私は、貴方が逐電することを恐れている」
俺はいかにも軍師であるかのような発言をして見せたのだが、アウグスタからはばっさりと切り捨てられてしまった。
嘆かわしいことに、アウグスタから俺に対する信用は既に皆無のようだ。
俺は、昨日の件で、互いに心を通わせあえたものと思って、喜んでいた。しかし、実際は、信頼関係など全く形成されていなかったのである。
「斥候の追随を認める。私が不穏な動きをした時は、好きなように対処すればいい」
俺とカエサルは、道なりに北上する。
カエサルは一般人を扮するため、大きなマントを頭から羽織っている。少し、不格好である。
今回は馬上の旅である。
しかし、俺は馬の走らせ方などわからない。馬は、気の向くままにとことこと街道沿いを歩いていく。
しばらくすると、馬の胴を締め続けていた俺の内股は、早くも筋肉痛を訴える。幸先が思いやられる。
一方のカエサルの騎乗姿は、堂々としたものである。
そこで、カエサルに懇願し、馬の走らせ方を教えてもらう。
のどかな春の風が吹き抜けていく。
あいにくの天気ではある。しかし、敵兵士と遭遇しない限りは、気楽な旅である。
もっとも、街道沿いの村落は、いずれも著しく荒廃しており、戦時中であることを強くうかがわせる。
ところで、俺は、あれほど戦いを忌避していたというのに、今こうして、自主的に戦場を目指している。
しかも、その戦場に、俺は期待を見出している。
次の戦場でも、俺は活躍してみせる。そうすれば、七英雄の一人として、さらなる尊敬の念を勝ち取ることが出来る。
俺の平和主義思想は、いつの間にか影を潜めている。
その変転ぶり、高揚する精神は、自分からしても異常としかいいようがない。
夜に入ると、しとしとと雨が降り始める。
身体を冷やさないよう、廃墟にて雨宿りする。
一晩で降雨は治まり、明くる日の早朝。
戦場予定地である隘路にたどり着く。
まずもって、凄い霧である。視界は、酷くぼやけている。
件の隘路は、幅員百メートル程度、全長一キロメートル程度。
隘路の東隣には河川が流れており、川幅は五十メートル程度である。昨日の降雨のためか、増水している。
騎馬で、隘路に足を踏み入れたその瞬間。
馬の蹄が地面に沈んでいく。そのまま、足首まで埋まってしまう。
地面はぬかるみ、泥状に変化しているのである。
足を引き抜くにも、泥は、粘性の高い音をさせて縋りついてくるのであり、一歩歩くのも一苦労である。
これ以上の騎行は難しい。そう判断し、俺とカエサルは地面に降り立つ。
そうすると、カエサルの金属造の足までも、泥に埋まる。重量オーバーなのである。
一方の俺は、身軽なためか、そこまで沈むことはない。
早速、ぬかるんだ状態の隘路を踏破するには、軽装でなくてはならないことがわかったのである。
ところで、哨戒からの情報によれば、敵軍が厳重に隘路を封鎖しているとのことであった。しかし、現場に来てみれば、一見して敵軍の姿はない。拍子抜けである。
しかし、気を抜いてはいけない。ひっとすると、左右の森に隠れているのかもしれない。
まず、西の森に分け入り、じっくりと観察する。
広葉樹が密集しており、整備されている気配はなく、人がいた痕跡もない。
東の森はどうだろう。
とはいえ、東の森へ侵入するには、渡河しなくてはならない。無論、橋梁などない。
したがって、俺達は、足を水に浸して静かに進む。
水深は浅く、最深部でも水面はひざ下に留まる。しかし、川の流れは激しく、河川の中で戦うというのは無茶だろう。
俺は途中で足を滑らせ、カエサルに支えられる。そのままカエサルに背負われて渡河し、東の森へと侵入する。
こちらの森も、人がいた気配はない。
そこで、俺達は、隘路の入口に戻る。
「さて、どうしたものか……」
その時。
南から、三騎の騎兵が近づいてくるのを察知する。
隘路の南方向にフッチ第八城砦があることからすると、その方向からやって来た彼らは、アウグスタが俺達に張り付けた尾行ではないだろうか。事態が急変し、その事態を報告するため、俺達に接触を図ろうとしているに違いない。
しばらくして、騎兵は俺達の元に参集し、馬上のまま話しかけてくる。
「お前達は何者だ?」
「え?」
俺達のことを知らない。
だとすると、尾行者であるはずがない。俺の早とちりであった。
「どこから来たか言ってみるがいい」
「怪しい者ではありません」
ひょっとすると、騎兵は尾行者ではないどころか、敵軍の兵士である可能性もある。
俺は、途端に恐ろしくなって、慌てて言い訳をする。
はたして、騎兵はすぐさま剣を引き抜く。
別の騎兵が、これを諫める。
「やめておけ。このように腑抜けた顔の男がアルデア兵士であるはずがない」
余計なお世話だ。
ところで、彼らはアルデア兵士を敵視していることがわかった。となると、コルビジェリ兵に違いない。
俺は、すぐさま口を開く。
「我々は商人です。アルデアに荷物を接収されまして、路頭に迷っているところです」
「それは、難儀なことだ」
「酷い話です」
「一つ忠告しておいてやる」
「何でしょう?」
「この辺りは、数か月後に大規模な戦場になる」
「といいますと?」
「我々は帝国軍の到着を持って、アルデアに反撃を開始するのだ」
「遂に!」
「戦乙女ブリジッタが豪炎を降らせ、フッチの城砦を尽く灰燼に帰さしめることだろう」
「恐ろしい!」
「早く去れ。でないと、巻き込まれるぞ」
「親切に、どうもありがとうございましたぁ!」




