26 救世主降誕
レオナルディ子爵領とデルモナコ領の境を南から北へ流れる河川、テヴェレ。
公爵領に入ると、一気に水量を増し、やがて大運河に繋がる。
公爵領南端、テヴェレ川にぽつんと浮かぶ小さな中洲。
水門兼橋梁が架けられたこの中洲の上には、古城が建っている。
あえて、そのような不便な地に設けられているのは、この城には通行税を徴収する税関の役割が与えられているからだ。
両岸には、30戸ほどが寄り添っており、小さな村として機能している。
「城内には連絡をしてくれたかい?」
「それがさぁ、門番に口頭で伝えたんだが、どうも信じてもらえなくて」
「そりゃあそうだよ。通りすがりの人から、これからあなたの城を攻撃しますって言われても、信じられないだろうさ」
南岸の小高い丘から、古城を見下ろすのは、アンリ、コルベール、セリア。
背後に控えるのは、王子の武装蜂起を聞きつけて、各地から駆けつけた亡ボルドーの遺臣30名。
遺臣の一人が片膝を立てて素直な疑問を口にする。
「王子。愚臣に教えて下さい。あの古城を落とすことにどのような戦略的価値があるのですか?」
「戦略的価値?」
「目的といいますか」
「あそこには徴税官吏ドゥッチョがいるんだ。ドゥッチョは、無実の民を捕縛して、この村で強制労働をさせている。僕がお世話になってきた大家さんも捕縛されてしまった。だったら、解放しなくちゃいけないだろう」
「はぁ……。噂によれば、あの古城にはドゥッチョの私兵が10人。傭兵20人ほどが駐屯しておるようですが」
片田舎にあるこの古城にもこれだけの兵が割かれているのは、ディーノ率いるデルモナコ軍が周辺で暴れまわったからだ。
「ちょうど、我軍と同数だね」
「守備側である彼らのほうが遥かに有利な立場にあります。私めが愚考するに、もっと攻めやすい城を狙うとか、夜襲を検討いただくべきと思うのです。失礼ながら、攻城を事前に告知するなど論外であります」
「駄目だよ。僕達は正しい戦いで民衆を導かなくてはいけない。かなわないかも知れないからって目の前の悪事を見過ごしてはいけないし、夜襲なんて卑怯な手は使えない。正々堂々と戦わなきゃ、駄目なんだよ」
そう語るアンリは、自分達が正義でさえあれば絶対に負けることはないと信じているようだ。
「しかし、敵方には勇名をはせた傭兵がいるのです。たとえ、城を落とせたとしてもこちらの被害は軽微では済まないでしょう」
「そいつは強いのか?」
俄然興味を抱いたのは、大陸最強を自負するコルベール。
「将軍のご子息なら聞いたことはあるでしょう? 彼の傭兵は死刑執行人バロッチと呼ばれています」
「あー。あんま覚えてないけど、たぶん俺、そいつのことボコしたことあるわ」
「またまた、適当なこと……」
「コルベールが言うなら大丈夫さ。さぁ、僕らの初陣だ。世界を変えに行こうか」
粗末な武装のアンリが丘を降り始める。
頭上には、アイリスを描いた青柄の御旗がはためく。
襲撃予告を受けた古城の番兵は、襲撃など戯れと受けとっていたようで、そのことを上司に伝えることはなかった。
結果として、アンリの襲撃は、奇襲としなった。
軽装のボルドー軍30人はコルベールを先頭にして、古城に続く橋梁上を走り抜ける。
城からわらわらと現れる5人の敵兵を軽く蹴散らし、古城の城門が閉まる前に城内への突入に成功した。
戦闘は、小規模な遭遇戦に移る。
城内の至るところで、剣戟の音が響く。
「吾輩はバロッチである。この先に行きたくば、吾輩を倒してからにせよ」
曲刀カトラスで応戦する軽量級のセリアを、いとも簡単に戦斧で弾き飛ばす。
バロッチは今流行りのプレートメイルで全身を覆い、鉄壁の防御を誇る。
「ほらほら。危ないって」
よろけたセリアの首筋を掴み、しゃんと立たせるコルベール。
「君こそ邪魔だって。彼は僕の獲物だ」
戦闘民族のセリアは負けてはいない。
「お前は、うちのヒロインなんだって。そんな物騒な事言わないでおくれ」
「ヒロインって何さ」
戦闘を前に殺気立っているセリアには逆効果。
「そうだな。例えば、王子を元気づけたり、相手を説得して味方につけるなんてことは、ヒロインのお前にしか出来ないさ。戦いは俺に任せとけって」
鼻先を親指で軽く拭い、コルベールがグレートソードを片手にバロッチと対峙する。
その顔はどこまでも余裕綽々の色が見て取れる。強敵出現に心を踊らせてすらいるのだ。
顔を強張らせるセリア。
その強情な様子に、やや困惑するコルベール。
その一瞬の油断を、歴戦の勇士バロッチが見逃すはずはない。
鈍重そうな体型とは裏腹に、素早く接近し、器用に鎖を投げつける。
コルベールは避けることも出来ず、呆気なく左手を絡め取られる。
コルベールは強い。しかし、時にどうしようもないへまをやらかす。まだまだ未熟なのだ。
両手剣であるところのグレートソードを、もはや片手で操るしかなくなった。
「死ねぇぇぇぇい!」
バロッチが戦斧を振り上げ、雄渾にコルベールの脳天目掛けて振り下ろす。
コルベールは大重量のグレートソードを、片手で素早く回転させる。
次の瞬間、バロッチはグレートソードの腹を嫌というほど兜に叩きつけられて、脳震盪を起こし立ちすくむ。
左手に絡んだ鎖が緩む。自由を取り戻した左手をグレートソードに添え、コルベールは力任せにバロッチに打ち込む。
「吾輩……吾輩」
バロッチは、一撃でゆっくりと地に沈んでいく。
「正義は勝つッ! 今の俺ヤバいって。バロッチの動き全てを見切っていたと言っても過言ではない」
瞬きをする間もなく、死刑執行人恐怖のバロッチは倒れた。
城内は恐慌に包まれる。
「ごめん……」
セリアは憮然としながらも、自分のせいで左手の自由を一時的に奪われたコルベールに対して、ちゃんと謝罪する。
「それは、バロッチを味方に出来なかったことに対しての謝罪かい? こいつは悪役だし、そもそも味方にする必要はなかったさ」
コルベールは左手から鎖を外しながら、わざと話を合わせず、飄々と応答する。
敵である小太りの中年男が、コルベールと対峙する。
「コングラチュレーション。よくぞ、バロッチを討ち取りましたね。ところで、貴方方の主君は彼ではないでしょうか。なんでも、亡ボルドーの王子アンリを名乗っていたようですが」
傭兵が、少年を後ろ手にして捕縛している。
その少年は、アンリ。
コルベール達が悠長に決闘している間に、呆気なく敵軍に捕縛されてしまったのだ。
「僕のことはいい。彼が徴税官吏のドゥッチョだ。コルベール、彼を倒してくれ」
アンリは叫ぶ。
「威勢のいいことですねぇ。ですが、そのようなことが出来るのですか? 担ぐ権威を失っては元も子もないでしょうに」
ドゥッチョは、目を細めて、アンリとコルベールを見比べる。
「なんて汚いことを」
コルベールは怒り心頭。しかし、事態を正確に理解し、グレートソードを手放す。
「これでいいんだろう?」
「コルベールッ!」
アンリが叫ぶ。
「貴方は王子と違ってお利口ですね。ですが、この王子とやらは、私を討ち取って民を解放したいそうです。何でも、私が悪党だから討ち取らねばならぬとのこと。誠に愚かな……。私がいつ悪事を働いたというのです? 民のためになるものと信じ、少しでも良い世界を作ろうと、この身を粉にして、心を鬼にして、民から税を正しく徴してきた私に向かって、世間知らずな少年が、なんたる無礼な物言いをすることでしょうか」
「ドゥッチョ。君が民から余分に取り立てた税を懐に蓄えていることは知っている。私腹を肥やし、民を虐げ続けてきた君は残念ながら、もう助けてあげられない。民を助けるためには君を廃する以外に方法がないんだ」
「ハッハッハ! 捕縛されているのに大変調子のよろしいことですね。君達ッ、少し脅してやりなさい」
アンリの背後に立つ傭兵は、しかし、その指示に従わず、アンリを解放してやる。
「君ッ! 私に逆らうというのですか? くぅぅぅッ! アンリを殺しなさいッ! 裏切った彼も殺しなさいッ! 君達ッ、早くするのです!」
完全なる命令無視に激怒するドゥッチョ。
「ご心配召されるな。反乱軍の核はグレートソードの男。彼が死ねば、何も問題はないでしょう」
命令を無視した傭兵は、ドゥッチョの口吻にいささかも臆することなく、ロングソードをゆっくりと油断なく引き抜き、コルベールに対峙する。
彼を除く傭兵達は、彼の強さを知っているのか、動こうとしない。
「ぐぬぅ……。その大言、後で後悔することになりませんようにね」
ドゥッチョは後ろに下がる。
アンリは、英雄の風格をあまり感じさない動きで、そそくさとコルベールの後ろにまで引き下がる。コルベールは足先をグレートソードの柄に引っ掛け、素早く蹴り上げて空中で柄を把持する。
「面白ぇ。俺はコルベール。大陸最強だ」
「何故、主君の守護を忘れて戦った? 君に大義はないのか? 大義なき力には何の意味もない。誰のために剣を振るっているのか、よく反省することだな」
それは、まるで忠義の騎士が、後輩騎士を諭すかのよう。
死闘が始まった。
コルベールは元気いっぱいに、頭上でグレートソードをぶるんぶるんと回転させて、その勢いでそのまま斬りかかる。
傭兵は最低限の動きに努める。
ロングソードのツバでこれを絡め取り、いなしたと思いきや、剣先を立てて超速の突きを繰り出す。
極限まで洗練され、完成された、美しい剣術。
対して、剣術など学んだことのないコルベールは恐れをなして、思いっきり体勢を崩しながらも、強引にこれを避け、力任せにさらなる攻撃を繰り出す。
体力馬鹿のコルベールであっても、これほどまでに動かされては、やがて体力がジリ貧となる。
「顎を出してみっともないな。正義とやらはどうした? 私のような悪党一人倒せないとは情けない奴。もうお終いか? お終いだろう? 諦めろ、君には、主君を支える力も知恵もなかった」
「少し黙れよ。こんな面白ぇことは他にねぇんだからよ」
「コルベール。君はよくやったよ! もういいんだ」
アンリも心配そうに呼びかける。
「うっせぇなぁ。こいつみたいな強者と戦っているのに、ここで諦めたらもったいないじゃんよ。ぎりぎりまで戦いはわかんねぇんだ。だったら絶対俺は諦めねぇ。それが俺達だろう? 俺達はこれからどこまでも成り上がってやるんだろう!」
コルベールの剣戟はますますそのスピードを増していく。
メトロノームのように単調ではあるが、猛々しく振り子運動を繰り返す。
これが悪を砕く力だ。
傭兵は、片手剣でこれを支えきれないものの、巧妙に受け流す。
最後にして必殺の一撃を繰り出すタイミングを狙っているのは、傍から見ても明らかだ。
「待ってッ!」
二人の剣士は突然の闖入者に、思わず立ち止まる。
セリアが二人の間に割って入ったのだ。
「本当はこんなことしたいわけじゃないんでしょ? 考え直して。どうしても戦うって言うなら、僕を、いえ、私と戦ってからにして!」
セリアは傭兵に向かって叫ぶ。
彼女は、相手を挑発して戦闘に加わりたいと考えた。
しかし、相手にとっては別の意味で効果てきめんだったようだ。
「くっ。女子供を切ることはできぬ……」
「え?」
アンリがここぞとばかり語りだす。
「君は優しい顔をしている。君が高貴な存在だということは僕にもわかる。なのに、主君があんな欲にまみれたつまらない男でいいのかい?」
「私は主君を失った身。今さら高貴な志など持ち合わせてはいない」
「それは違う。君の人生は主君の死とは別にこれからも続く。君の力はこんなところで遊ばせておいていい力じゃない。そして、力を託すに足りる正しい願望を持つ人物こそ、君の主にふさわしいと思うんだ」
「それが、ひょっとして貴方だといいたいのか?」
アンリはニッコリと笑う。
「僕と一緒に来て欲しい」
傭兵にとって、その笑顔はかつての弟子、ペーター王を思い起こさせるもの。
「……確かに、自暴自棄になっていたのかも知れない。自身を見つめ直す必要がある。しばらく貴方の厄介になりたい。私はファウスト。よろしく頼む」
ファウスト・コルビジェリ。
コルビジェリ伯爵家の長男にして、アルデア王国最強の騎士と呼ばれていた男だ。
神聖帝国に恭順したものの、その忠誠心はアルデア王国に捧げており、遂には帝国から逃亡。
逃走中に死んだものと思われたが、実は生き延びていて、しかし、傭兵に身をやつしていたのだ。
いつか、光の当たる場所に戻ることを切に願っていた彼が、正義の使徒に従うのは当然の結果。
「なんだと? 私を裏切る? この徴税官吏ドゥッチョを? そんなことはあってはなりません。貧民の出である私はその偉大なる才覚によってこの地位を手に入れ、公爵様からの信頼も得たのです。その私を裏切るというのですか!?」
「彼もまた真の悪ではないのかも知れない。可哀想な人だ……」
アンリは哀れみの目を向ける。
「ええい! よくも、私の計画を無茶苦茶にしてくれましたねッ! なんと身勝手な人達でしょうか! もはやこれまでッ。切り捨てぃ! 切り捨てぃ!」
主戦力を失った敵軍は、一瞬で壊滅した。
アンリは、ドゥッチョ徴税官を追放し、古城を拠点とした。
しかし、アンリの真の目的はこの地を治めることではない。
彼には、預言者ゼノンから与えられた崇高な使命があり、しかし、彼の進むべき途には巨悪が立ち塞がる。
二人の巨悪は圧政を敷き、人々に恐怖と苦痛を与え続けている。彼らを倒さなければ、真の正義は実現されない。
一人はデルモナコ美髯伯。
善良な人々から、詐欺・強盗により財宝を奪い続け、私腹を肥やしてきた大悪党だ。
一人はレオナルディ暗黒卿。
善良な人々を焼き殺し、苦痛に歪む人々の顔を見て愉悦に浸る、とんでもない異常者だ。
彼らは、悪いことをし過ぎた。
もはや、その魂を救ってやるには死を与える他に道はない。
アンリよ、世界のために彼らを滅してくれッ!
「いい仕事をしたな? それでこそヒロインだ」
「うっさいよ」
「アンリも喜んでいたぞ」
「そう……まぁ、それならよかった」
北岸は平坦な土地が広がっており、石造りの建物が点々と立ち並ぶ。
一軒家の前で、コルベールとセリアが軽口を叩いている。
「光の御子がこちらにお出でになったと聞いて参りました」
突然声を掛けてくるものがいる。
服装からして、ゼノン教のシスターだ。
早くも新しい領主の誕生を聞きつけたのだろうか。
「光の御子? アンリのことかな?」
コルベールがぼんやりと呟く。
シスターがあまりにも美人すぎて見惚れているのだ。
「彼の救世主に、神様からの祝福を授けますので、救世主の元までお連れいただけませんか?」
「お、おう……」
コルベールはためらいがちに、シスターを連れて古城に向かう。
何が起きるのだろうかと、興味を持ったセリアも後に続く。
「シスターはどこから来たの?」
勇気を振り絞り、問いかけるコルベール。
「城下町からですわ」
「城下町? へぇ。それは偶然だなぁ。俺も少し前までは城下町に住んでいてさ。そういや、城下町の教会は血の婦人が暴れまわったせいで半壊したって聞いたんだけど」
「わたくしは事件後に配属になりましたので、詳しくはわかりませんの」
「そっか」
ピー。
唐突にコルベールは草笛を鳴らす。
会話に詰まった時は、草笛を吹くことにしているのだ。
「びっくりするじゃないか」
セリアがコルベールのあまりの純朴さに呆れながら抗議する。
「あら、素敵」
「吹き方、教えようか?」
「後ほど、是非」
一行は、やがて古城にたどり着く。
「貴方が光の御子アンリですね」
アンリを見るや否や、シスターは確信を得、その側に駆け寄りひざまずく。
「君は?」
「わたくしは、神の啓示を受けましたの。あなたを始まりの王に戴冠させよと」
「僕は戴冠には興味がないんだ。人々を悪から救うために立ち上がっただけだよ」
「知っておりますわ。でも、そのような人物こそ王にふさわしい。わたくしは神の御使いとして、貴方様に付いていく所存ですの」
「そっか。えっと」
「ヘルミネ。私のことは、そうお呼びくださいませ」
「真のヒロイン登場だな。お前は、お役御免かもしれない」
「馬鹿」
コルベールとセリアが軽口を叩きあう。




