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11 重大な欠落

「これは知り合いから聞いた話なのだが」


「ええい、ぐずぐずするでない!」


 イーヴォは、俺の話を遮り、大声で指示を出す。

 ジーナは俺に迫ってくる。

 俺は急いで話の先を伝える。


「孤児の姉妹ッ! 大変仲のいい姉妹がいた! 少し前の話だ!」


 途端にジーナは歩みを止め、手を止め、俺に対する攻撃を躊躇する。

 効果は抜群のようだ。

 イーヴォの怒声も既にその耳には届いていないかのようだ。


「姉妹は両親を失い、孤児院に引き取られた。しかし、運命は二人を分かつ。姉は王国で軍人として教育された。妹は孤児院で姉の無事を祈る日々を過ごした。俺が知っているのは姉の話」


「それが、どうしたというのです?」


 強い言葉を放つが、ジーナは俺の話を遮れない。


「姉の本当の名前は誰も知らない。なぜなら、彼女は王国の始祖アウグスタの名を冠されたからだ。唯一姉が持つことを許された過去は、月桂樹の髪飾りのみ」


「月桂樹?」


「人々は彼女の才能以上の働きを彼女に求め、彼女は人々の期待を自分の天命と理解し、全身全霊で敵と戦った。実際、彼女の働きは目覚ましいものであった」


「……」


「戦線が膠着していた時分、聖堂騎士団が暴走して敵地深くに切り込んでいった。これを助け出さなくてはならないが、しかし、その任務には大きな危険が伴う。それでも、彼女は己の命と聖堂騎士の命とを天秤にかけることはしなかった。すなわち、アウグスタは死地へと赴き、しばらくして、月桂樹の髪飾りだけが王国に戻ってきたのだ」


 俺は、グラディウスを地に刺す。

 あらかじめ用意しておいた月桂樹の髪飾りを懐から取り出し、ちらと見せつける。

 もちろん、アウグスタの遺品などではない。

 村の外れで女の子が一生懸命作っていたのを、安くで買い取ったものだ。


 しかし。

 ジーナの手がぶるぶると震える。


「聖堂騎士団が……?」


「彼女は聖堂騎士団を救えなかった。君は、何も出来なかった彼女を詰るつもりなのか? 己を省みずに邪教徒と戦った彼女を詰るなんて、そんな死体を蹴るような真似は止めて欲しい」


「そういうつもりでは……」


「美しい話だ。彼女は信仰に殉じ、妹と再開することは叶わなかったが、君の説くように転生後に幸福を得たのかもしれない。大変結構な話じゃないか」


「何故、聖堂騎士団が暴発を?」


「聖堂騎士団も悪くはない。君のように邪教徒を排除する崇高な役割を担っていたのだから、仕方ないことだ。だが。妹は。妹は、この事実を知った時に、どれほど嘆き悲しむことだろうか」


「……」


「あえて言おう。そのような、宗教的団結に疑問を抱く妹は、団結を乱す悪そのもの。当然、俺を裁くように裁かねばなるまいな? そうだろう?」


 これが、ジーナにとって一般論であれば、ジーナに何の効果も与えられないだろう。

 しかし、この話はジーナにとって特別なもの。その可能性が高い。その可能性に賭けてみたのだ。


 はたして。


「まやかすなッ!」


 ジーナは叫ぶ。

 ナイフをめちゃくちゃに振り回す。

 

 俺は、雑なナイフさばきを的確に捉えて、全てを避けきり、軽くグラディウスで弾き飛ばす。

 侮っていた俺の意外な反攻に、ジーナは対処できない。


 ナイフを失ったジーナはそのまま、呆然としてその場にへたり込む。

 親友を失ったことを知り、愕然としているのだろう。

 それも信仰を捧げる対象が彼女を死に追いやったのである。

 

 一般人はどうあがいても神の視点には立てない。

 どんな御大層な教義よりも、身近な人間の健勝により重き価値を見出してしまう生き物なのだ。


「ええい! この木偶人形! 役立たずめがッ!」


 イーヴォはジーナに向かって右手を差し出す。

 右手の指輪が輝き出す。


「ああ……!」


 へたり込んでいたジーナの首に、黒い紋様が現れる。

 ジーナは、その紋様が現れた箇所に手を押し当て、声を押し殺して必死に耐え抜こうとする。


「ええい。もっと苦しむのだ! 神の教えに疑問を持つなど、許されぬことであろうがッ!」


 ジーナは荒い息を放出し、芋虫のように地に這いつくばり、暴れまわる。




「領主様、お怪我はありませんか?」


 不意に倒れていたサンナがむっくりと起き上がる。


「え! 生きていたのか?」


「脇腹に強い衝撃を受けまして、しばらく仮死していたようなんですわ」


 サンナは淡々と語る。

 仮死したっていうのに、まるで事務手続きのような軽い口調で報告してくる。

 歳を取ると、こうまで達観するものなのか。


「君を危険な目に合わせたジーナが、枢機卿から折檻を受けているところだ」


「痛そうですな……」


 サンナは顔をしかめる。


「領主様。恐れ多いのですが、ジーナはよく尽くしてくれます。彼女をどうか、救ってやって欲しいのです」


「甘いな」


「私からもちゃんと言い聞かせますので、彼女にチャンスを与えてやってください。きっと領主様の力になるはずです」


 切々とサンナは訴えかける。


 心が揺らぐ。

 彼女は不幸な境遇を利用され、奴隷待遇を受けている可哀想な人間なのだ。救ってあげるのが条理にかなう。

 それに、彼女は有能にして万能。俺の配下に再び戻ってきてくれるならば大変心強い。




「イーヴォ殿。先程の贖宥状の件、条件次第では考えなくもない」


 イーヴォは驚いて俺を見る。


「何を考えている? 薄気味の悪い暗黒卿めッ!」


「贖宥状の発布とともに、ジーナをその指輪の力から完全に解放してやってください。それを約束してくれるならば、あなたの身の安全を約束するともに150万ゴールドをお支払いしましょう。いかがかな?」


「何? それはッ! それは真か?」


 イーヴォは身を乗り出して話に食らいついてくる。

 途端にジーナは指輪の力から解放される。

 その場に、力なく倒れ伏す。


「真も真。お互いの欲しい物が合致した結果です」


「ほほう……しかし、約束が守られるという保証はどこにあるのだ?」


「いますぐ、権利証を書いてしんぜよう。サンナ。筆と紙を持て」


「ハッ!」


 イーヴォは次第に目を輝かせ始める。


「ところで、その指輪でジーナを縛っておられるのだろう? まずは、それを解除してください」


 ジーナはイーヴォにとってそれほど価値のあるものではなかったようで、特に渋ることもなく、俺の指示に喜々として従う。

 イーヴォはステップをせんばかりの勢いでジーナの側に寄り、右手人差し指で軽くジーナの首筋に触れ、十字を描く。

 そうすると、ジーナの首筋には再び黒い紋様が現れ、それがすっと、大気中に蒸発し、拡散していく。


「それで、私の150万ゴールドはいつ支払われるのだ?」


 鼻息荒く尋ねてくる。

 

「対価は贖宥状の引き渡しと同時としましょう」


「うむ、ではすぐにでも贖宥状を発行させよう。待っているがいい」


 もはや、俺を破門し、小領主達に大義名分を与えて俺の領地に攻め込ませるという、デルモナコとの約束も忘れたかのよう。


「ついでに、私から枢機卿に、人材を得るために高額を支払ったことを広く喧伝いただきたい」


 人材に高額投資していることを世間に知らしめて、優秀な人材が俺の領内に求職に来るように仕向けたいのだ。


「任せておきなされ、ウヒヒ」


 もはやまともに聞いちゃいない。

 こやつは枢機卿よりも商人のほうが向いているのではないだろうか。





 

「ハッ!」


 ジーナはいそいそと起き上がる。

 そこは館のベッドルーム。

 俺は、隣の書斎でジーナの目覚めに気が付き、ベッドルームに移動する。


「失礼しました。領主様のベッドを占拠するだなんて」


「こちらこそ申し訳ない。俺のベッドしか空いていなかったもので」


「とんでもありません……」


 気まずそうにしていたが、意を決したように語りかけてくる。


「おかげさまでイーヴォ様の拘束から解かれました」


「それはよかった」


「でも、それと同時に私は心の支えを失いました。心にぽっかりと穴が空いたような心持ちです」


「正直な感想だな。しかしまずは無事で何よりだ。このままちょっとここで待ってろ」


 俺は、ジーナの問題には深入りせず、部屋から出て炊事場へ向かう。

 事前に作っておいたカブ入りの薬膳麦粥を持って、自室に戻る。


「これは? ひょっとして領主様が作られたのですか?」


 ジーナは半身を起こして、俺の差し出した麦粥に畏怖を覚えている。


「包丁がなかったので、カブの形状が大惨事になっている。しかし味にはさほど影響はないだろう」


 ジーナは恐る恐る粥をすする。


「悔しいッ!」


「口に合わなかったかな?」


「領主様は、私に実力を隠していました。料理でも何でもこなせるくせに、わざと出来ないふりをしていたのですね?」


「そんなことはない。俺一人で出来ることなんてたかが知れている。現に君がいなければ、俺はデルモナコに攻め滅ぼされていただろう」


「思ってもいないことを言うんですね」


「そんなひねくれたものの見方をしないでくれ」


「私は本音でしか喋りません。そのことでかつてよく怒られたものです。その。親友に」


「親友か……」


「領主様の仰った、アウグスタ様のふりをしていた女の子。それは、おそらく私の親友のことなのです」


「えッッッ!? そうなんだぁ」


 もちろん、そのことは既に確信している。

 ジーナは語り始める。


「実は、私も彼女もボルドー王国に務める侍従の娘でした。豊かではありませんでしたが、両親からの愛を受け、幸福に満たされておりました」


 ボルドー王国というのは、昔、この近辺に存在していた王国のことだと聞いている。


「しかし、近習の反乱、公爵様との戦いを経て、王国は滅びました。戦いの最中に私の父は戦死し、母は病んでしまって犯罪を犯し、処刑されました。親友も同じような境遇でした。私達は10歳にして全てを失いました。無一文で世間に追い出されたのです」


「悲しいことだ。いつだって辛い目に遭うのは、無実の子どもなのだな」


「はい……。それでも行き倒れる前に、私達を孤児院が受け入れてくれました。その後、親友はアルデアの貴族に引き取られ、私は親友の妹とともに孤児院に残りました。いつか必ず再会しようと誓い合っていたのです」


「そういうことか」


「私はその後、イーヴォ様に拾っていただき、教会で働いておりました。しかし、子爵家に潜伏しろと命じられ、このように働いていたわけです」


「すまなかった。君の親友だとは推測しようがなかったとはいえ、心を抉るような話をしてしまったのだな」


「少しばかり、私達は運がなかっただけなのです」


 ジーナは親友の死にショックを受けているのか、俯いたまましばらく固まる。

 俺は手元から先程の月桂樹の髪飾りを取り出す。


「これは、彼女の遺品だ」


 ジーナに手渡す。


「この髪飾りは、ボルドー王国で、若い女性がよく使っていたものです。古くからの風習で、これをつけていると健やかに育つと」


 ジーナは髪飾りを返してくる。


「これはいただけません。領主様にとっての彼女の思い出でしょうから。お心遣いありがとうございます」


「そうか……。是非、君には、歯を食いしばって彼女の分まで生き抜いて欲しい」


 いくら辛い思いをしたからとはいえ、後悔に苛まれて心をなくされては困る。

 そのためには、新たな目標を持ってもらうしかない。


「なぁに。空っぽになった心には新たなものを詰めればいいじゃないか」


 ジーナは顔を上げる。

 すかさず、穏やかに語りかける。


「これからも俺の力になってくれるだろうか?」


 ジーナは、まだ過去に捕われている様子だったが、それを思い切って振り切り、俺に応える。


「私は今日ここで生まれ変わったこととします。あなたの『悪』で心を満たしたいと思います」


 悪?

 どうやら、勘違いされているようだ。

 しかし、それならばそれでよかろう。


「ならば、これからは私のことを暗黒卿、あるいは、閣下と呼ぶがいいぞ!」


「かしこまりました、閣下」




 家具の上にドクロが鎮座している。


「どうしたのだ?」


 ジーナが退室した後、ドクロが俺に話しかけてくる。


「どうしたとは?」


「らしくないではないか。あの者は厚くゼノン教を信仰する者だぞ? 世俗君主を否定するというゼノン教を」


「それはもう止めたという話だ」


「人間はおいそれと自身の思想を変えられるものではない。そんな切り替えができる人間がいるはずがない」


「思想など大したことではない。出自、経歴、思想、それらのものは全て気にしない。要はその者の才能が役に立つか、立たないか。それだけなのだ」


「……。恐ろしく何かが欠落している」


「確かに喜怒哀楽の表情には乏しいが、彼女はまだ若い。きっとこれからの人生で変わっていくことだろうさ」


「自覚がないのか? ますます気味が悪い。我は彼女のことを言っているのではない。君自身のことを言っているのだよ」


 俺? 俺に欠落があると? 才能? 努力? それとも人間性?

 話の流れからすると、人間性か?

 なんだ? けんかを売っているのか?

 そもそも悪役ドクロに俺の人間性をとやかく言われたくない。


「ハハハ。それは誤解だよ。そんなことはさておき、こうしてはいられない。デルモナコ配下の侵攻を防ぐために、戦力を増強しなければならない。富国強兵。やることは盛りだくさんだぞ!」


「道具ではないのだよ……」


 何か聞こえた気がした。しかし、それは結局、俺の心に届くことはなかった。

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