10 悪魔崇拝
あくる朝。
「大変です! 館の前に村民達が集まっています! どういうことでしょうか、あわわわ」
慌てて、サンナが駆け込んでくる。
「領主様。枢機卿から緊急の用事で呼び出しがありました。館の前にお越しください」
続いて、ジーナが、落ち着いた声で報告してくる。
なんだ、なんだ? 朝っぱらから。
まったく騒がしいことだ。
「万が一のときに備えて、アキレを連れて来るのだ」
サンナに伝えて、館の外に向かう。
館の前には、村民達が集まっている。
その視線をたどると。
館を背にして、演台が設けられており、演台の上でイーヴォがいきり立っている。
演台を中心として、等間隔に5人の聖堂騎士が立ち並び、村民達を監視している。
イーヴォは慣れた様子で、甲高く叫ぶ。
「レンゾ・レオナルディッ! まず、深く頭を垂れ、神に向かい祈りを捧げなさいッ!」
「?」
「あなたにはできない。そうですとも。できない理由があるのですッ!」
「どういうことです? これはお芝居か何かですかな?」
「あなたの常日頃の振る舞いにつき、よからぬ噂、邪悪なる真実を聞いてしまいましたぞ!」
「根も葉もないことです。何か証拠でも? あるなら、まずは証拠を出してください」
「致し方あるまいッ! ならば、これより、レンゾ・レオナルディの異端審問を開始するッ!」
「邪教徒共に裁きの鉄槌をッ!」
呼応するが如く、聖堂騎士達が一斉に、抜剣。
そのまま、剣を地に刺し、その場で胸を張って屹立する。
アキレとサンナが現れ、俺の側に待機する。
「朝から調子悪いんだよなぁ……」
アキレが呟く。
「信心深きものよッ。こちらに来なさいッ! そして、信仰のために、心内を明らかにするのです!」
イーヴォは村人の一人を近くに招き寄せる。
若い男はイーヴォの前に進む。
その嫁と思しき若い女性と、母親と思しき老婆が付き従う。
男は落ち着きなく話を開始する。
「俺。見ちゃったんです。領主様がモンタ村でミサを開いている姿を……」
「なにッ! 黒ミサと言ったかッ! ゼノン教の信仰を根底から破壊する意思の表れである、いわゆる黒ミサのことかッ! それは真かッ!?」
異議ありッ!
今の質問は証人に対する誤導尋問にあたる!
「そうなんです。たまたま用事があってモンタ村に行きました。途中道に迷ってしまって、村にたどり着いたのは既に夕暮れ時でした。村に入ると、村の広間で何やら怪しげな集団が集まっているのです」
「ううん! 怪しげな集団ッ! 奇っ怪で、かつ邪悪なる者どものことだなッ!」
「……はい。上半身裸の男どもが、火を前にして、踊っているのでございます」
「なんということだッ! 若き女性を吊し上げ、それを囲んで、不埒なことをしておるというのだな?」
「え……? あっ、はい。それで男どもは、ワインを飲んで楽しくやっているわけであります」
「なんだと! 胎児の血をすすり、肉を食んでおるとな?」
「いやぁ? あっ、すいません。そのとおりです」
「そこに、レオナルディ子爵が混じっておったと? そういうのだな?」
「たぶん、そういう話だったかと思います」
「ふぅ……。聞きとうなかった。まったくもって、聞きとうなかった。今まで、たくさんの罪人を見てきた。しかし、これほど邪悪な者は見たことがない」
「破門すべし」
「火炙りにすべし」
「八つ裂きにすべし」
「子爵殿? 悔い改めよとは申しませぬ。そなたの罪、もはや、言い逃れはできますまい」
俺に向かって、哀れみの目を向けてくるイーヴォ。
「俺は、そ、そ、そんなことは、やっていないぞ……」
こっそりと、証人の嫁に合図を送る。
「お待ち下さいッ!」
嫁は声を震わせながら、イーヴォに対して語りかける。
「今の主人の言葉は、本当のことではありません。昨日、お付きの騎士の方々が我が家にいらして、主人にあのような話をしろと、そうお命じになったのです。主人は、脅されてそれに従っただけなのです!」
まるで泣き叫ぶような声。
有り難いことだ。俺を助けようと必死に取りなしてくれる村民がいるだなんて。
「ここは神の御前であるぞ! 嘘を付いた者は末代に至るまで尽く神罰を受けることになろう。して、女よ。お前の言葉は真か?」
「え……?」
嫁は怯えた様子で黙ってしまう。
もう一歩!
付きそう老婆が、呟くように発言する。
「そう言われてもねぇ……。枢機卿様は知らねぇことだと思うけど、最初に我が家に来て、無理やり話をでっち上げなさろうとしたのは、やっぱり騎士様方なぁんですわ」
イーヴォは引きつった顔で、いらいらした手付きでお腹を撫で始める。
「その後さ。暗黒卿閣下からお金を渡されてねぇ。枢機卿様の前で弁護してくれってねぇ。暗黒卿閣下がやってもねぇことをやったって、嘘つくのも嫌だし、そうするしかねぇと思っとったんですわ」
ちょっと待ってくれ。
俺がお金を渡したことまで明らかにせよとは事前に依頼していないぞ。
老婆の声は細々とした声ながら、その内容は真実味に溢れており、これを遮ることはすなわち脛に傷を持つ者と見られかねない。
そう、判断したのか、イーヴォは怒りを爆発させることを我慢している。
老婆は皆が自分の話を聞いてくれることに満足を覚えて、さらに続ける。
「それに、神様と暗黒卿閣下、どっちがぁ怖いかって言われると、そりゃあ間違いなく、暗黒卿閣下なんだわぁさ」
それは聞き捨てならない話だな。
老婆がこれ以上、余計なことを言わないように、俺はイーヴォに声をかける。
「おや? おやおやおやおや? しかし、これは真によい証言。猊下は危うく、悪しき聖堂騎士に嵌められて、神の教えに背き、無実の私を罰するところでしたな」
「なぁにをぉ! 小童めがッ!」
イーヴォは真っ赤になる。
アキレが、イーヴォの前に大股で歩いていき、証人とイーヴォを均等に見比べる。
「なんだ、なんだ! ってことはぁ! 教会の奴らが兄貴の悪口を言えって、そう、こいつに伝えたってことだよな?」
まったく自由な男だ。騒ぎを大きくすることにかけては天下一だな。
しかし、そこまで言われては、聖堂騎士も黙ってはいられない。
「馬鹿なッ! そのような侮辱。もはや、これは我々ゼノン教に対する悪意ありと捉えざるを得ない!」
イーヴォは無理やり、俺の叛意をでっち上げる方向に持っていく。
「あの野蛮人を捉えなさいッ!」
イーヴォは聖堂騎士に命じる。
「おらぁ、俺をゾッとさせてみやがれぇ!」
アキレは目を怒らせている。
聖堂騎士がアキレに向かって、動き始める。
村人達が巻き込まれてはかなわないと、逃げ惑う。
と思いきや。
聖堂騎士の動きが精彩を欠いている。
それどころか、アキレの下に辿り着く前に、一人、また一人と、腹を擦りながら、膝を地に屈していく。
そして、しばらくしない内に、5人ともダウンしてしまった。
「どうした、はよぅせんか!」
「申し訳ありません。猊下。我々は、その。盛られたようでございます……」
「なんとッ!」
こういうこともあろうかと、昨日の晩餐会にて、お客様用の料理には徹底して下剤を盛っておいた。
しかし、おかしい。
当然、イーヴォにも下剤を盛っておいたはずなのだが、イーヴォだけはピンピンとしている。
どれだけ、たくましいお腹を持っているのだろうか。
「兄貴ぃ。俺、なんだかわかんねぇけど、腹いてぇや。今日はやめとく」
おぃ! アキレ、お前もか?
「お前、食べたんだな? 自分の分だけでは飽き足らず、お客様用までちゃっかり食べたんだなッ!」
食いしん坊は、玉に瑕だぞ!
逃げ去ろうとした村人達も、意外にも平和的な絵面になっている戦場を見て、逃げ去るのを止め、遠巻きに興味津々にこちらを見ている。
「お待ち下さい、猊下」
落ち着いた声で、イーヴォを呼び止めるものがいる。
イーヴォの前にかしずく一人の女性。
それは、ジーナ。
「なんだ? このような時にッ!」
イーヴォは血走った目でジーナを睨みつける。
「子爵は、1つのドクロを有しております。そのドクロと会話している姿も見かけております」
「なんとッ! そうか、ホッホッホ! 神から授けられし理を破り、冥界から死者をこの世に呼び戻し、その者と邪悪なる契約を交わしているということだなッ!」
心当たりがありまくる。
ドクロと会話しているのをこっそり見られていた、ということか。
「まさにその振る舞い、暗黒教団で用いる暗黒呪術に相違ない! ええい、やはり邪悪に染まった男であったか!」
俺は、演台の上のイーヴォと対峙する。
「猊下。この辺りが落とし所ではないですか? 潔く引いてはくれませんか、なぁ、イーヴォ殿?」
「100万ゴールド。子爵殿の罪を贖うには、それだけの功徳が必要なのである。それだけ出せば、贖宥状を発行してやろう。うん? 払えぬよな? そなたは罪を購おうとする意識に欠けておるからのう。ならば破門も致し方なし」
100万?
絶対にありえない。
支払えなくはないが、支払うとなると、大事な領内改革のための資金からとなる。
使途不明のものに、投じるわけには行かない。
「それはさすがに払えませんなぁ。ところで、イーヴォ殿? 聖堂騎士達は皆、偶然にも体調が悪くなったようだ。私も全くもって彼らのことが心配でならない。なのに、どうしてどうして。枢機卿におかれましては、なかなかに威勢がよいようですな。まるで、敵地でも滅気ない決死の覚悟の軍人のようではないか。いやいや、他意はありませんがねぇ。ハハハ、感服感服!」
俺は、グラディウスの柄をぽんぽんと叩く。
「ひぃ!」
イーヴォは、恐れをなして、そのたおやかな体を縮こませる。
「小娘ッ! 何をしておる? はよう助けんかッ!」
イーヴォはジーナに涙声で指示を出す。
すると、ジーナはナイフを引き抜き、イーヴォを背にして俺と対峙する。
「領主様。枢機卿は神様の御使いであらせられます。その枢機卿を脅すなど、神をも恐れぬ愚かな振る舞い、断じて許しません」
「ほほう。雇い主である私を裏切り、イーヴォにつくということか? そういう不忠義を神は許すというのだな?」
「人は神様の前で平等です。そして、人は神様に対してのみ忠義を尽くせばいい。世俗の権威に対して忠義であろうが、そうでなかろうが、それは神様には関係のないこと」
「面白いことを言う。私を裏切るという条理違反をしてまでも、お前は神に忠義を尽くす。では、神はそんな立派な忠義行為に対しどう報いてくれるというのだ? なぁ、教えてくれ。何故、神はお前を、お前達貧民を貧しいままに放っておく? 何故、救おうとしないのだ?」
「神様は私達の行動を見ておられます。そして、私達が転生した後の、新しい世界で報いてくださるお積もりなのです」
「何故、転生した後に救いを限定する? 力の宿った指輪を無償でプレゼントしてくれるほど、神は力を持っているのだろう? ならば、奇跡を出し渋らなくてもよかろうに」
「神様の奇跡も無限ではないのです」
イーヴォが怒鳴りつけてくる。
「何を喋っておるのだ! はよう、そやつを痛い目に遭わせるのだ!」
「領主様、覚悟ください」
ジーナはナイフを握りしめる。
以前にジーナとディーノの戦いは見させてもらった。
ジーナの伸縮自在なナイフのことも知っている。
ジーナは何のためらいもなく、俺に襲いかかってくる。
思ったとおり、俺の立ち位置よりもはるか手前で、軽く、ナイフを振る。
ナイフの伸縮が思ったよりも素早い。
かろうじて目で追いきれるものの、それを避ける動作が間に合わない。
俺の二の腕が軽く切り裂かれる。
「諦めてください。あなたでは私には勝てません」
「言うではないか」
今のは脅しの一撃。
ジーナは、左に流れた体で、さらにナイフを一閃。
こちらが本命の一撃。
「危ないッ!」
俺の前に飛び出した一人の色黒の男。
その胸元を白閃が襲う。
「ぐぅ!」
ジーナのナイフの刃をもろに受け、そのままゆっくりと、その場に崩れる。
白い短髪の、腰の曲がった老人。
「サンナ? どうして、こんなことをッ!」
揺さぶってみるが、サンナはピクリとも動かない。
まさに天に召されたような、そんな、安らかな顔をしている。
どうやら、俺の身代わりになってくれたようなのだ。
川エビの話をもっと真剣に聞いてやればよかった……。
「後悔はしていません。邪教徒をかばう者も邪教徒。邪教徒は滅ぼさなければならないのです」
「宗教というのは、そもそも人を幸福にすることを目的とする哲学ではないのか? それを宗教的一体感がどうとか言って、影響力を行使しようとするなど、もはや、権力に固執する世俗君主と変わらないではないか。何故、人から幸福を奪うことに哲学を利用しようとするのか」
俺はグラディウスを引き抜く。
ためらいを捨て去り、改めてジーナと対峙する。
「人は弱い生き物ですから、神の下に団結しなければ何も成すことは出来ないのです。団結を崩す者こそ、邪教徒です。排除するのは当然です」
「ならば、1つ伝えておきたいことがある。それは、君の思想を試すものではあるから、心して聞くがいい」




