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09 欲望たぎる枢機卿

「なに? 向こうからの賠償請求を取り下げさせたと?」


「そもそも、あちらが迷惑をかけてきた話なので当然なのですが」


 外務大臣ヴェッキオは、デルモナコ伯家との交渉により、今回のいざこざに関する賠償の支払いを逃れたというのだ。

 当然、こちらが払うのは変な話ではある。しかし、彼我の戦力は圧倒的。

 この中世の弱肉強食世界においてはやむを得ないことと、半ば諦めていた。


 その、圧倒的力関係をものともせずに、あの頑固なデルモナコを屈服させたのだ。滅法交渉事に強いようだ。


「君に勝る外交官を私は知らない」


 褒めちぎってやる。


「ただお断りしただけなのですが」


 照れている。


「いいや、君の断固たる拒否態度は、他の者が真似できるものではない! 私は誇りに思うぞ」


 しかし、別の問題が発生した。

 きっぱり断ってしまうと、デルモナコの面目は丸つぶれになる。

 恨みを買うことにも成りかねない。


「こちらを立ててくれたことに対して、相手にも花を持たせなくてはならぬ。感謝の意を表して、追撃の贈賄をしよう。駿馬を5頭ばかり村人に届けさせよう」


「デルモナコ如きに贈る馬などないのですが」


 おや?


 ひょっとすると、ヴェッキオが強いのは、相手の請求を飲まない消極外交のみなのではないか。

 ならば、相手との関係改善を狙う積極外交は、俺自身が担わなくてはならない。


「王国には裁定機能がない。ならば、伯爵から攻め込まれると、我々はお手上げだ。ならばなんとかして攻め込まれないようにしなくてはならない。だからこそ、周囲との信頼関係を築くことが肝心だなのだ。ええい、ついでだ! フッチ伯を初め、主だった男爵の下にも2・3頭ずつ贈ってやれ」




「枢機卿様が、お見えになりました!」


 一呼吸する暇もなく、ついに招かれざる客人がやってきた。

 ジーナからは、散々、イーヴォを盛大に歓待せよと言い聞かされているものの、気が進まない。

 何をしに来るんだろう。ただ布教のために来るというわけではないだろう。

 こんな小さな村で布教活動をしても、たいした効果は得られないからだ。


 その真意が掴めない。

 掴めないながらも、ジーナと何度も打ち合わせを重ね、本日の段取りは完全に頭に入っている。

 まずは、俺の館への来訪。そして、領主たる俺との歓談。


 俺は急いで丘の麓まで降りて、イーヴォがやってくるのを待つ。


 小綺麗な赤色の馬車が遠くに見える。

 その周囲を5人の聖堂騎士が騎馬で随行している。


 村人達は、あらかじめの指示に従い、道の両脇に立ち並んで、イーヴォの来訪を歓迎している。

 馬車に向かって、たくさんの花びらが振りまかれる。


 すると、イーヴォは予定外の行動に出る。

 丘の麓の目と鼻の先で、馬車から降りて出たのだ。


「ノルド村の善良なる皆さん。私は、神の御使いであるイーヴォでございます。突然ではありますが、皆さんは神様の存在を身近に感じていますか?」


 珍しい興行でも見るかのごとく、村人達は興味津々でイーヴォに注目する。


「そこの少年。君は、今朝方、お父さんに対して、朝の挨拶をちゃんとできたかな?」


「え? あ。つい、し忘れました」


「それは、いけないことだ。そんな小さな行い、ではないのです、そう、そんな小さな行いでも、良くない行いについては、神様は指輪を通して逐一確認し、その記録を確実にしているのです」


 少年はぽかんとしている。


「いいですか、皆さん。神様は減点方式を採用しておられる。一定以上の悪行を重ねた者は、その後どれほど善行を積み重ねようが、神様はお許しにならないのです。悪人も心を入れ替えれば、天国に迎え入れられる? 滅相もない! そのような汚らわしき者の罪は一生消えることはないッ!」


 激しいな。


「そして、この私、イーヴォは、少しでも多くの人が、神様の救いの手からこぼれぬようにと、愚直に祈りを捧げる者なのでありますッ!」


 聖堂騎士が慌てて、石畳の上にシーツをひく。

 周囲はしんとしてその様子を見守っている。


 イーヴォは、シーツの上に、ゆっくりと腹ばいになって、大の字に横たわる。

 そして、そこから長時間に亘る祈祷を開始したのであった。




「よくぞお越しくださいました。猊下がお越しになったことにより、我が村にも無限に輝く信仰の火が灯ることでありましょう」


 うさぎ肉のシチューに、羊のチョップ。

 豪勢な昼食を広げて、歓談に興じる。

 イーヴォは、敬虔さの微塵も感じられない姿で、夢中で肉にかぶりついている。

 ちなみに、俺は食事をしない。

 人前では仮面を外したくないところ、仮面の構造上、仮面を外さないと物を口に運べないからだ。


「子爵様におかれてもご機嫌麗しく」


「聖堂騎士団の方々もお役目ご苦労」


「ハッ!」


「ところで、猊下はご出身はどちらですかな?」


「私はレオナルディ城城下町の出身であります。しかし、彼ら聖堂騎士は、皆、共和国から派遣されておりましてな。道中、やや寂しいものがあったのでございます」


当然、それぐらいの下調べはしている。


「それは奇遇。この羊肉は、レオナルディの城下町の名物なのです」


「なんと! これは懐かしい! 若かりし頃を思い起こすようです。細かい心遣い、痛み入ります」


 話題をふった俺が言うのもなんではあるが、その後、イーヴォは際限なく若かりし頃の話を披露する。


「ところで、実は猊下に聞いてみたいことがあるのです。それは、教会から受ける指輪についてなのですが。鉄の指輪が銀の指輪に、そして金の指輪にグレードアップするという話を聞いたことがあります。これは本当なのでしょうか?」


「それは真にございます。しかし、銀の指輪に至るものは1分もおりますまい。それをさらに金となると、一世代に一人いるかどうか。ほぼ全ての人は、自身の能力に気がつくこともなく、生涯を終えるのです」


「それは残念なことです。全ての人々がその能力を開花できるなら、もっと素晴らしい結果を得られるでしょうに」


「はて? それはさしたる問題ではないですな。むしろ、指輪を通じ、神の下、人々が宗教的一体感を得るというのが、大事なのであります。そして、指輪を通じて、人々の振る舞いを神が観察しているという、そのありようが重要なのであります」


 指輪の能力は、などと喧伝されてはいるが、それは副次的な効用であって、主目的ではないのか。


「それはまさに至言。人々は見えないシステムに評価され、支配され、そして管理される。斬新な考え方ですな。その着想は天才的ですらある」


「全ては、よりよき世界に転生するため、我々は神からの罰点を受けぬよう精一杯生きねばならぬのです」


 宗教上の理解を議論しても意味はないだろう。

 もっと、即物的な話を。


「ところで、一人の俗物として伺いたい。指輪を金にグレードアップする条件はご存知ですか?」


「それはわかりませぬ。もはや、神に認められること、としか言いようがございませんな」


「金の指輪になれば、寿命が永続すると聞いたのですが、それは本当ですか?」


「噂ならば聞いたことがありますが、寿命が永続している者を見かけたことはありませぬ。ただ一人、教皇を除いて」


 どうにかして、金の指輪にグレードアップする方法を知りたいものではある。

 しかし、ちょっと前のめりになりすぎた。

 今回は、俺はイーヴォをもてなす側であり、また、イーヴォから品定めをされている最中でもあるのだ。

 控えなければならない。自重しなくてはならない。


「失礼。徳が高い猊下に聞くような質問ではなかったですな。しかし、私にはそもそも徳がない以上、これは許していただきたい」


「ホッホッ。構いませぬとも」


 少し白けている様子。いかん、いかん。

 もっと、イーヴォの興味関心を買う話をだな。


「徳がない私から、さらに、下世話な話を尋ねたいのです」


「どのようなことでございますかな」


「キアラ姫」


「ブォ!」


「猊下と姫は、婚約関係にあると聞きました」


「まさか、そのようなお話を聞き及んでおられるとは。これは痛恨。いやはや、姫が幼少の頃から、親しくしてさせて頂いておりましてな。ありがちな話なのでございます。将来は私のお嫁さんになる、などと。まさに、そんな児戯の如き約束なのでございますな」


「しかし、先日のデルモナコ殿の主催する晩餐会で、もはや、枢機卿と姫は恋仲であるとも思えるような猊下の発言があったと思いましたが」


「滅相もない」


「姫の気持ちはどうなのでしょうか? いやいや、猊下が相手ならば文句はないでしょうとも。何なら、私から口添えしましょうか。うん。それは名案だ。私はくっつきそうで、やっぱりくっつかないと見せかけて、やっぱりくっつこうとする、みたいな面倒くさいものを嫌う性分でしてな。ばっとくっつけてしまいたくなる」


「やめてくだされ。私のようなものをいじめるのは、本当によろしくないことですぞ」


 なんだか、嬉しそうだ。


「しかし、キアラ姫は難物。よくぞ、あのあばずれを嫁にしようなどと思われたものです」


「こりゃ! そのような発言はいけませんぞ」


「お?」


「ここのところ、キアラ様は大きな成長を遂げられたのです。実はですね。バルトロメウ男爵という、凄腕のお嬢様育成請負人がおりましてな……」


 どうも、純粋にキアラが好きなようだ。

 もっとも、キアラが痩せてしまったために、その魅力は半減してしまったとのこと。


 はぁ、そうですか。

 人の恋話ほど、どうでもいいものはないな、という本音は隠して、ひたすらに話を合わせてやる。


 漠然と、宗教家が妻を娶ることに問題はないのか、不安を覚える。

 それでも、イーヴォは、この後、随分と楽しそうに心の内を顕にして、語ってくれたのであった。




 ところで、俺はイーヴォ来訪の真の目的を探らねばならない。


 イーヴォは俺の館を辞した後、麓の教会に向かい、明日の説法に向け打ち合わせをする予定。

 おそらく、教会で謀議がなされることだろう。


 俺は、こっそりと仮面を取り外し、白いマントを着て、大きなフードを深く被り、顔を隠す。

 ちょっと怪しげな風体かも知れないが、少なくとも、暗黒卿であると見抜かれることはないはず。


 これは、教会との繋がりが深いジーナにも内緒にしなければならないこと。

 最新の注意を払って、一足先に館から外へ出る。

 

 既に準備は万端だ。

 事前に教会の祭司に幾ばくか掴ませた。

 代わりに、使用人として教会に潜り込むことを許諾してもらっている。

 

 麓の教会にたどり着く。

 教会は、お客様を迎えるための準備でてんやわんやとなっている様子。

 さりげなく、作業中の人々に紛れ込み、イーヴォの到着を待つ。




「聞いておったよりも、気さくであり、聡明でもある。姫とのこともなかなか理解が深く、もったいないものでもある」


 先程よりも数段低い、謀議用の声でイーヴォが呟く。

 イーヴォはそのでっぷりした体を教会の長椅子に落ち着け、その周囲を聖堂騎士5人と、教会の司祭、そしてジーナが取り囲む。

 使用人に化けている俺は、イーヴォ専属の御者とともに、目立たないように教会の隅に佇み、存在感を限りなく薄めている。


「では明日。予定通り決行しますか」


「うむ」


「お待ち下さい。それではお約束と違うではありませんか? これから先、猊下の心にかなうよう、私がいくらでも操縦致します。ですので、なにとぞ。もうしばらく、寛大な御心をッ!」


 ジーナが必死でイーヴォに頼み込む。


「黙れッ!」


 聖堂騎士が、ジーナの頭を強かに殴りつける。

 ジーナは、痛みに堪えかねたのだろうか。床にしゃがみ込む。


「猊下に向かって、下賤の貴様ごときが意見を垂れるなど、もってのほかであるぞ!」


「これこれ。お止めなさい。たとえ、野良の犬っころであっても、どやされれば痛むもの」


「ハッ!」


 イーヴォは傲然と椅子にふんぞり返りながら、ふらふらと立ち上がるジーナに顎を向ける。


「ジーナと言ったかな。あなたは暗黒卿のことをどう見ておる?」


「あの者は、ただただ、自分に能力があると勘違いしているだけの、ただの知ったかぶりです。それでも、お人好しではあります。つまり、どこにでもいるようなつまらない男なのです。私がいくらでも言いなりにしてみせましょう。ですので」


「そうか。だがしかし、あなたの役割は終わった。もうよい、下がれ。まこと、ご苦労であった」


「しかし、村の民には何の罪もないのです。これから、小領主に蹂躙され、果ては分割統治を受けることになる、哀れな民の気持ちをご推察ください!」


「ええい、うるさい奴だ。拾われたことに対する感謝の気持ちを失ったか!」


 聖堂騎士が苛ついて、遮る。

 それでも。


「恐れながらッ!」


 虎の尾を踏んでしまったのだろうか。

 突然、人が変わったようにイーヴォは悪魔的な形相に変貌し、ジーナを怒鳴りつける。


「レンゾの破門は既に決まったこと! しかる後、小領主共が子爵領に信仰をもたらす! そのようにデルモナコ殿と話はついておる! 大局とは無縁の愚かな小娘がでしゃばるでないぞ!」


 イーヴォはジーナに向けて、勢いよく右手を突きつける。

 すると、その右手にはめられている、銀の指輪が光り輝く。


「ウッ! ああー!」


 ジーナは卒倒し、苦しそうに自身の首に手を押し当てて、石畳の上を暴れまわる。


「ホッホッホ! 神様の教えはこういう方式で学ぶものよ。さぁ、まだ言いたりぬことがあるのか? ならば、言うてみるがいい。神に代わって、いくらでも懺悔を聞いてやるぞッ! ホッホッホ!」


「うぅ! お許しください……」


 イーヴォは嗜虐的な顔で、荒い呼吸を続ける。

 しばらくして、ゆっくりと右手を大きな腹の上に戻す。


「素直で大変よろしい」


 まるで手品のように、一瞬で聖人の顔に戻る。

 ジーナはよろよろとしながらも立上がる。

 その顔は、もはや無表情。


「神様の御心を疑うようなことを申しました。深く反省いたします」

 

 あの指輪は、人を洗脳する能力があるのだろうか。

 それとも、単に苦痛を与える能力があるだけなのだろうか。

 いずれにしても、ジーナの扱いはまるで奴隷に対するようだ。


「では、皆さん。明日の聖なる儀式に備えて、少々打ち合わせを致しますかな」



 

 デルモナコとのいざこざは、先の会合において、平和的解決をみたものだと思っていた。

 しかし、それは甘い見積もり、浅はかな考えだった。


 話から推測するに、まず、イーヴォが教会の権威を利用して俺を破門する。

 そして、破門の憂き目にあった俺の領地を、宗教上の正義の名の下に、デルモナコ配下の小領主共が分捕っていく算段だ。

 やってくれたな。これは、八方塞がりと言わざるを得ない。普段は頼りになるジーナもあの有様。


 どうしよう。




 いや、それは違うな。


 正確に言うならば、この愚か者共をどうしてくれようか、だッ!

 



「さて、皆さん。夕刻には子爵様が宴を設けてくださるそうだ。何も知らぬ子爵様による馳走。さぞかし、美味であろうな。ヒヒヒ。ホッホッホ! 感謝を込めていただくこととしましょうか」

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